白鹿伝説
美濃国で土岐頼純と帰蝶の祝言が行われていた同日。
信長は、尾張上四郡守護代・織田伊勢守信安の居城を訪れていた。古渡城への引っ越し準備で忙しい父・信秀の代わりに、信安が主催する猿楽(能楽)興行に招かれたからである。
「さすがは、伊勢守家の拠点の岩倉城(尾張丹羽郡。現在の愛知県岩倉市下本町)だな。いつ来てみても、立派で守りの堅そうな城だ」
城主館の南にある神明生田神社を参拝した後、信長は城の周辺をザッと見回しながら感嘆の声を漏らしていた。
岩倉城は周囲の地形よりわずかに高い微高地に建てられており、東には五条川、西には湿地が広がっている。南には武家屋敷が数多あり、さらにその外側には惣堀がめぐらされている。那古野城も堅固な城だが、この岩倉城も尾張上半国の中心となる城なだけあって、難攻不落の城と言ってよかった。
「攻め落とそうとしたら、相当骨が折れるであろうなぁ」
「こ、これ。信長様、滅多なことを言ってはいけませぬぞ」
お目付け役としてついて来た平手政秀が慌ててそう注意すると、信長は「ただの冗談さ」と悪戯っぽく笑った。
「信安様は、俺の叔母上と結婚している。俺にとっては義理の叔父にあたるお方だ。温厚で戦は好まないながらも我が父に協力してくれる信安様に、俺は好感を抱いているぐらいだ。身内同然のお方の城を攻めたりするものか」
「では、なぜそんな物騒なことを……」
「平手の爺が久しぶりに俺の外出に付き合ってくれたからな。嬉しくて、ちょっとからかってみたくなったのだ」
信長は機嫌がいいのか、歌うようにそう語った。
そんな可愛げのあることを祖父と孫ぐらい年齢が離れた若様に言われてしまうと、政秀も弱ってしまう。それ以上は叱れなくなり、
「……たとえ冗談でも、不用意な発言を往来で口にしてはいけませんぞ」
と、やんわりと言うだけでとどまった。
実際、信長は政秀がそばにいるのが嬉しい。
信長の祖父・織田信貞は、信長が生まれる前に死去しているため、信長は爺様に可愛がられるという経験をしたことがない。物心がつく前から側近くにいて仕えてくれた平手の爺は、信長にとっては祖父の代わりのような存在だった。
信秀に重宝がられて東奔西走している政秀は城を留守にすることが多いが、若殿の信長のことをいつも気にかけてくれている。つい先日、主命を果たして城に帰還したばかりだというのに、父の代理として岩倉城に赴く信長の同行を願い出たのも政秀本人だったのである。
「爺。あと二十年は引退するなよ。そなたがいなくなったら、父上も困るし、俺だって困る」
「二十年はちときついかも知れませぬな。二十年後には、拙者は七十五歳でござる」
「寛近の翁(犬山城主。織田伊勢守家の一族)がピンピンしているのだから、大丈夫だろ。あの爺さん、八十歳はいっているのではないか?」
「あははは。あんな化け物と一緒にするのはやめてくだされ」
政秀が大笑いした直後、信長の側近の池田恒興と山口教吉が「平手様、平手様! 後ろ、後ろ!」と慌てた声で言った。
振り返ると、寛近の翁がいた。
「ぎ、ぎえっ⁉」
政秀は、いつもの冷静沈着さも忘れ、蛙が踏みつぶされたような悲鳴を上げた。
どうやら、寛近の翁も信安に招かれて岩倉城にやって来ていたらしい。翁は尾張の上半国守護代・伊勢守家の一族なのだから、当主の信安が猿楽の見物に翁を呼ばないはずがない。
「ふぉふぉふぉ。化け物で悪かったのぉ、平手」
「も、申しわけありませぬ! 申しわけありませぬ!」
政秀はペコペコと謝る。その哀れな姿を見て、恒興と教吉は「なるほど……。たしかに、不用意な発言は身を亡ぼす元だな……」と納得していた。
一方、元凶の信長はというと、
「ひ……平手政秀が、平謝り……。平手なだけに、平謝り……。う、うぷぷっ……」
と、特に面白くもない駄洒落で自らツボにはまり、プルプルと体を震わせているのであった。
* * *
「よく来てくれたな、信長。歓迎するぞ。……と、言いたいところなのだが、ちと困ったことが起きてのう」
信長たちが岩倉の城主館を訪れると、信安はなぜか浮かない顔をしていた。
尾張の上半国をまとめ上げている守護代ではあるが、信安はあまり戦い向けの性格ではなく、控えめで慎重な人物である。いつも何事かを心配していて、眉間に皺が寄っているのが常なのだが……今日はその皺がいつにも増して深いような気がした。
「何か、ありましたか。俺にできることならば、ぜひお手伝いさせてください」
駄洒落や悪戯が好きな信長だが、本質的には生真面目な性格である。深刻な顔をしている義理の叔父を見ると、居住まいを正してそうたずねた。
「実は……嫡男の信賢が困ったことを仕出かしまして」
そう答えてくれたのは、信安の正室の岩倉殿(信秀の妹。信長の叔母。本名は不明)である。
「信賢殿が? いったい何があったのですか、叔母上」
「神の御使いの白鹿を射殺そうとしたのです」
「神の御使い? 白鹿?」
突拍子もない話に信長が首を傾げると、寛近の翁が「尾張の葉栗郡に伝わっている白鹿伝説ですな」と言った。
翁の話によると、尾張の北西の葉栗郡には大昔から、
――神が白い鹿の姿になって時々現れる。
という言い伝えがあるのだという。これは、『尾張国風土記』の逸文(散逸したが、他の書物に残っている文章)にも載っている伝説である。
「信賢殿は、父君の信安様に似ても似つかぬ粗暴な性格じゃからのぉ……。どうせ、狩りの最中に珍しい鹿を見つけたと思って、浅慮にも矢を射てしまったのであろう」
寛近の翁が当てずっぽうでそう言ったが、大当たりだったらしい。さっきから思いつめた顔で黙りこんでいた信安の家老・山内盛豊(山内一豊の父)が、
「それがしがそばについていながら、申しわけありませぬ……」
と、うなだれながら謝った。
事件が起きたのは、昨日のことだという。
葉栗郡黒田城(現在の愛知県一宮市木曽川町)の城代である盛豊は、若様の信賢に誘われて、狩りに出かけた。
白い鹿と遭遇したのは、木曽川の分流近くの川島という地においてであった。そこで、信賢一行は鹿の親子を見つけた。母鹿のほうは何の変哲もない体毛をしていたが、子鹿が月の夜に輝く雪原のように全身が白いことに信賢たちは気づいた。
盛豊や供の武者たちは古より伝わる白鹿と出会ったことに大いに驚き、「これは神の化身か、それとも神の御使いの鹿か。いずれにしても吉祥じゃ」と騒ぎ合った。
しかし、そんな伝説などただの迷信だと馬鹿にしている信賢の反応は違い、
「これは珍しい鹿だ。射殺して、皆に自慢してやろう」
そう笑いながら、白い子鹿に矢を射かけようとしたのである。
盛豊は慌てて「いけませぬ、信賢様!」と止めようとしたのだが、すでに遅かった。信賢が放った矢は子鹿の左耳を傷つけ、驚いた子鹿は一目散に逃げだした。
母鹿が、我が子を追いかけようとしたところ、狙いを外していきりたっていた信賢は腹立ち紛れに今度は母鹿に矢を数度放った。
母鹿は逃げ惑ったが、幸いにも一本も当たらず、子鹿とは別の方角に走り去っていった。
その直後のことである。不吉な暗雲が葉栗郡の空を覆い始めたのは。
突如として猛烈な雨が降り出し、強風が吹き荒れた。近くの森に雷が落ち、豪雨の中、炎が燃え上がる。これはただごとではない、と皆が恐れおののいた。
信賢の愚行を偶然にも目撃していた農民たちは、
「白鹿の祟りじゃ! 若殿様が神の御使いの子鹿を射たから、天罰が下ったのじゃ!」
と、大いに騒ぎ出した。
「祟りだと? ふ、フン。そんなものは迷信じゃ! 馬鹿らしい!」
信賢は強がってそう言い放ったが、恐慌状態となった農民たちにそんなことを言っても火に油を注ぐようなものだ。農民たちの中の誰かが、「この罰当たりめ!」と喚き、怒りに任せて信賢に石を投げつけた。
投てきされた石は頭に命中し、信賢は血をだらりと流す。
「おのれ! 今、この俺に石を投げつけたのは誰だ! 前に出ろ、斬り殺してやる!」
激昂した信賢は馬から降りて、刀を抜こうとした。
(これはまずい。ここで若様が農民たちを殺めたらもっと騒動が大きくなる。暴徒と化した大勢の農民たちに取り囲まれて信賢様が危うい目にあわないうちに、急いでこの場から離れなければ)
そう判断した盛豊は、護衛の武者たちに命じて、信賢を引きずるようにその場から離脱させた。
それから丸一日が経ったが、葉栗郡の豪雨はいまだにおさまっていない。このまま大雨が続けば、木曾川で大氾濫が起きるだろう。川沿いの村々で大きな被害が生じるのは避けられない……と信安は憂慮していたのである。
<白鹿について>
実際に、白鹿は稀に生まれるみたいです。メラニン色素が欠乏する遺伝子疾患が原因と考えられていて、古代の白鹿伝説の中にはモデルとなった実在の鹿もいるかも知れません。
昔、奈良公園にも「白ちゃん」と呼ばれる白鹿がいて、みんなに親しまれていたとのこと。ただ、白ちゃんは出産した子供を交通事故で亡くし、自身も1972年に事故死してしまいました。今は剥製になっているそうです。




