戦に負けて勝負に勝つ
信秀は、信長の元服、信清とお里の結婚を見届けると、
「この那古野城を信長に譲り、俺は古渡(現在の愛知県名古屋市中区)に居を移す」
と、言いだした。
勝幡城から那古野城に引っ越した時も急に宣言したが、今回も寝耳に水で、重臣の林秀貞と内藤勝介は大いに驚いた。
「いつ、お決めになったのです」
「昨日の夜だ。今朝、新しい城の縄張り(堀や建物などの配置を決める、城の建築プラン)を作るため、平手政秀に古渡に行ってもらった。年内には引っ越す。政秀とお前たちは信長の家老だから、引き続きこの那古野城にて新たな城主の信長に仕えよ」
さすがは短気で即断即決が好きな信秀である。一度こうと思いついたら、あれよあれよという間に重大なことを決めていく。おっとりとした性格の秀貞は、信秀が矢継ぎ早に語る引っ越し計画の内容をいっぺんに覚えることができず、
「ち……ちょっと待ってください。もう一度、おっしゃってください。え? 年内? 城を新築して、年内に引っ越し? もうすぐ秋なのに……」
と、聞き直したり、無茶な計画に戸惑ったり、大汗をかいてしまった。
「今にも泣き出しそうな顔をするな、たわけ。急げば何とかなる。お前も今年で三十四なのだから、少しはしっかりしろ」
「は、はい……。ですが、なぜ急に、信長様にこの城を譲って古渡へ引っ越す決意をなさったのですか?」
「理由は二つある。
一つに、俺の目が黒いうちに城主としての経験を信長に積ませたい。
もう一つは、古渡は那古野よりも熱田港に近いから熱田の豪族や商人たちを支配しやすい。
さらに、鎌倉街道(京都と鎌倉を結ぶ街道)が通る古渡の地は交通の要衝で、たくさんの人材や情報が集まりやすい。……というわけだ」
「理由が、三つになっていますが」
「……新五郎(林秀貞の若い頃の通り名)。そんなどうでもいいことで細かいことを言うな。普段の仕事は失敗が多いくせに……」
「うっ。も、申し訳ありませぬ……」
秀貞は顔を赤らめ、うつむいた。
この信秀の幼友達は、けっして無能な男ではないのだが、ぼんやりとしたところがあるせいで肝心な時にしくじることが多い。
那古野城を今川氏豊から奪い取った時も、他の武将たちが獅子奮迅の働きをした中で、敵の死体につまずいて転倒してぎっくり腰になったことがあった。そのことを、秀貞は今でも恥に思っている。
(私は、平手殿のように殿のお役には立てぬのだろうか……)
と、いつも思い悩んでいた。
信秀も幼友達の活躍が少ないことをいちおう気にはしていて、「政略結婚を駆使し、尾張国内の豪族たちを当家の味方につけよ」という役目を与えてやっていた。
豪族たちと婚姻関係を結ぶなどして懐柔する「調略」の仕事は、信秀の家臣団内で最大の勢力を持つ林家の当主の秀貞だからこそできる重要な役割である。
しかし、秀貞本人としてはそんな地味な仕事は嫌で、軍事・内政・外交で八面六臂の大活躍をしている政秀に対する羨望の念は日に日に強くなっていたのであった。
「……しかし、この時期に居城の移転などをしてもよろしいのですか? 美濃の政局はいまだに不安定です。いつ、かの地で大乱が再び起きるか分かりませぬ。今は美濃との戦に備えるべきなのでは?」
信秀に叱られてしょんぼりしている秀貞を横目に、内藤勝介がそう言った。
近頃の勝介は、戦で大暴れすることしか考えていなかった数年前とは違い、こういう評定の場で大局を視野に入れた意見を口にすることが多くなってきている。
先年の美濃攻めで討ち死にした戦友・青山与三右衛門の分まで信長様のために尽くさねばならない。そのためには、いつまでも猪突猛進なだけの武将でいたら駄目だ……。そう決意した勝介は、最近では兵法書の類を毎日読み漁っているのだ。
その知識はまだ付け焼き刃なため、たまに見当外れな意見を言ってしまうこともあるが、信秀は勝介の成長しようという努力の姿勢を大いに評価して、将来は知勇兼備の将になってくれるだろうと期待していた。
そして、今回の勝介の意見はというと、けっして見当外れなものではない。……のだが、信秀は「たしかに、勝介の言う通りだ」とは言わなかった。実は、美濃における政局が大きく変わりつつあったのである。
「そのことだが、昨日、越前の朝倉家から報せが届いた。あのやり手の宗滴の爺さんが、ついに蝮を屈伏させる寸前まで漕ぎつけたようだ。蝮の奴め、ざまあみろ。せっかく戦で勝ったのに、外交で負けおった。俺と宗滴の爺さんの思い通りになったぞ」
信秀はそう言ってワハハハと愉快そうに大笑すると、勝介に朝倉宗滴からの書状を見せた。
「なんと……。土岐頼芸・斎藤利政(道三)主従の味方であった六角氏が、朝倉氏との講和に傾いたというのですか」
「うむ。朝倉宗滴は、美濃の敗戦からこの二年、土岐氏の嫡流である土岐頼純様が美濃の守護となることを認めてもらえるように粘り強く室町幕府に働きかけ続けていた。
その甲斐あって、幕府は斎藤利政と六角定頼に『織田家・朝倉家と和睦して、頼純殿の美濃帰国を認めるべし』と講和を勧めたのだ。
今回、幕府が提案した講和の条件には、頼純様が美濃の守護になる、という条項は含まれてはおらぬ。しかし、これは明らかに頼純様が将来的に美濃守護となるための布石だ。
利政はまだ返答していないようだが、六角定頼は幕府の意向に従うことをすでに約束したらしい」
「……なるほど。南近江の六角氏は足利将軍家の庇護者を自任しておりますからな。幕府が我らの推戴する土岐頼純様の味方に回った今、いつまでも娘婿の土岐頼芸の肩を持っていたら、将軍様(足利義晴)の信用を失ってしまうと危惧したのでしょう」
「ああ、その通りじゃ。だんだんとおぬしも政が分かるようになってきたではないか、勝介。
これで、六角は転んだ。蝮の奴は孤立無援だ。味方がいなくなった利政は、この屈辱的な講和を受け入れるしかあるまい。そして、頼芸・利政主従の力は美濃において衰退し、いずれは頼純様が幕府や朝倉家の後押しで美濃守護に就任することになるだろう」
現在の美濃守護・土岐頼芸は、前守護であった兄の頼武(土岐頼純の父)を排斥して、不正に守護の座についていた。その頼芸の悪事を助け、自らも下克上によって守護代の地位にのし上がったのが斎藤利政である。
信秀は、利政のごとき下克上の鬼が武家社会の秩序を乱していることが許せなかった。衰退の一途をたどる室町幕府の権威を復活させて乱世を終息に導くためには、利政のような世を乱す姦雄を倒さねばならないと考えていたのだ。だからこそ、前守護・頼武の息子で土岐氏の嫡流である頼純が美濃守護となれるように協力したのである。
朝倉家は朝倉家で、是が非でも頼純を美濃の主にしたかった。前から何度も書いているが、頼純の母は朝倉家の出である。頼純が美濃守護になれば、朝倉家は背後から頼純を操って美濃を思いのままにできる……。朝倉宗滴は、そう企んでいたのである。
それぞれに思惑こそ違ったが、これで信秀と宗滴の「蝮退治」はいちおう成功したと言える。後は、利政が敗北宣言するのを待つのみだ。
「これで美濃の内乱は片付いた。だから、俺もしばらくの間は尾張国内の政と三河方面への進出に力を注ぐことができる。古渡城は、俺が新たな政を行うための拠点じゃ」
信秀はそう言ったが、勝介はまだ気にかかることがあるらしく、「ですが……」と遠慮ぎみに切り出した。
「あの蝮が、そんな簡単に屈するでしょうか。講和に応じるふりをして、美濃国に帰還した頼純様を暗殺する可能性もあるのでは……?」
「勝介、ちゃんと書状の続きを読んでみろ。あの抜け目のない宗滴の爺さんが、そなたでも予測できる蝮の行動を読めぬはずがないではないか」
信秀にそう指摘されて、勝介は書状の後半部分を読んでみた。すると、そこには驚くべきことが記されていたのである。
なんと、宗滴は幕府に願い出て、講和の条件に、
――斎藤利政は、和睦の証として、娘を土岐頼純殿に嫁がせること。
という条項をねじ込んだらしい。つまり、利政から人質を取り、頼純に逆らえなくするということだ。
「そういえば、聞いたことがありまする。あの血も涙もない蝮でも、自分の娘のことは目に入れても痛くないほど溺愛しているとか……」
「おう、そうだ。いくら奴でも最愛の娘を人質にされたら、頼純様に手は出せまい。宗滴の爺さんも考えたものよ」
信秀はクックックッと笑い、憎き利政が悔しがって地団駄を踏んでいる姿を想像するのであった。
この時点では、その「蝮の最愛の娘」が後に自分の息子の正室となる運命にあることなど、信秀は気づいてはいなかったのである。
* * *
一方、窮地に立たされた美濃の斎藤利政はというと――。
「と、利政よ、どうするつもりなのじゃ。まさか、そなたは幕府の講和勧告を受け入れるつもりではあるまいな? 朝倉家の陰謀に乗せられて和睦などしたら、儂は守護職を甥の頼純に奪われてしまうではないか。利政、おい、何とか言え。頼むから何とかしてくれ」
ここは、稲葉山城の城下町・井ノ口の市場近くにある守護館。
美濃守護の土岐頼芸は、田舎の農夫のような貧相な顔をくしゃくしゃに歪め、おいおいと泣いている。
幕府の使者が携えてきた書状を読んだ頼芸は、最初は激怒して守護代の利政を責めていたが、だんだんと自身の地位が脅かされることへの不安が膨らんできて、哀願するような情けない声に変わっていた。
「頼む。お願いだ、利政。助けてくれ。儂は守護職の座を奪われたくはないのじゃ。……威信が地に堕ちた幕府の言うことなど、都合のいい時だけ聞いておけばよいではないか。他の大名たちだって、足利将軍家の命令を聞いたり聞かなかったりしておるのだし……」
「とは申されましても、今の状況は最悪でござる。頼芸様の舅である六角定頼殿からも『幕府の意向を受け入れ、ぜひとも和睦なされよ』と勧める書状が届きました。我らにはもはや味方がおらず、四面楚歌の状態です。これ以上、戦うことは現実的に不可能でしょう。今は講和の条件を呑み、頼純殿と和解するしかありませぬ」
「だ、だが、講和を受け入れて、頼純を美濃国に迎え入れたら、儂は頼純に守護職を奪われてしまう……」
「落ち着いてくだされ、頼芸様。講和条件の項目の中には、どこにもあなた様を守護職から退かせると書いてはおりませぬ。講和の条件は、
一つ、頼芸様が甥の頼純殿と和解して、頼純殿の美濃帰国を認めること。
一つ、和睦の証として、拙者の娘・帰蝶を頼純殿の妻とすること。
……主にこの二つでござる。この和睦で大きな痛手を被るのは、愛娘の帰蝶を人質に差し出さねばならない拙者だけです」
「それはそうだが……。しかし、朝倉家は必ずや幕府に働きかけて、頼純を美濃の守護にしようとするに違いない。頼純が美濃に帰還すれば、儂の地位が奪われるのは時間の問題じゃ」
「ご心配には及びません。拙者が、そのようなことは絶対にさせませぬ。どんなことがあっても、頼芸様のことは、拙者が必ずお守りいたしまする」
利政は恭しく平伏しながら、いかにも忠義者らしい誠実な声でそう誓った。だが、心の中では、
(守ってやるさ、頼芸。俺がこの美濃の国を奪い取る時に、若くて聡明な頼純が守護であったら国盗りが難しくなるからな。お前のように愚鈍な男から国を奪うほうが、ずっと楽だ。その時が来るまでは、俺がお前を守ってやる)
などと、どす黒いことを企んでいるのであった。
※斎藤道三の娘(後の信長の正室・濃姫)は、小説やドラマなどでは「帰蝶」という名前で登場することが多いですが、これは『美濃国諸旧記』(江戸時代の寛永年間に成立)という軍記物が根拠になっています。
この書物は作者が不明なうえに一次史料と食い違う部分も多いのですが、「明智光秀は濃姫(帰蝶)の従弟である」という興味深い記事も載っています。光秀が帰蝶の年下だとすると、光秀は信長(帰蝶より一歳年上)よりも年齢が若いことになります。




