帰還
美濃攻めは、信秀の惨憺たる敗北で終わった。
太田牛一の『信長公記』によると、
清須三奉行の一人・因幡守達広
熱田神宮の大宮司・千秋季光
信秀の弟・与次郎信康
信秀の重臣・青山与三右衛門
など、主だった武将たち五千人が討ち死にしたと記されている。
「武将が五千人死んだ」というのはかなり大げさな表現である。信長の側近だった太田牛一がそのように誇張して記してしまうほど、死者がおびただしかったのだろう。退却する際、無我夢中で逃げていた兵たちが木曽川で二、三千人ほど溺れ死んだという記録もある(ただし、これも美濃方の武将の手紙に記されていることなので、誇張があるかも知れない)。
不明なことが多いこの合戦だが、尾張の将兵たちの大量の血が美濃の大地や河川を赤く染めたことは確かなことだった。
彼らの無念の魂は、後々まで現地の住民たちを悩ませたらしい。
「織田塚」
という史跡が岐阜県にはある。織田の将兵たちを弔った塚だと伝わっている。
言い伝えによると、戦後、美濃の人々は尾張兵たちの遺骨を上加納村に埋葬した。それ以降、雨が降る夜には戦死者が亡霊となってさ迷い出るようになったという。
その亡霊騒ぎは二十年ほど続いたらしく、永禄七年(一五六四)に雲外和尚という僧が回向(死者の冥福のために仏事供養をすること)を行って死者の霊を慰めた。
その後、この地では再び大勢の死者が出る戦が起きた。関ケ原の役である。西軍の織田秀信(信長の嫡孫)が岐阜城に立て籠もって東軍と戦ったが敗北し、織田の兵が多く死んだ。この時に、信秀の兵たちが眠っていた塚に秀信の将兵たちも弔われ、「織田塚」と呼ばれるようになったという。
その織田塚で、江戸時代にいくつもの怪異が起きたらしい。織田塚の近くに住んでいる者たちが「乱心状態」になることがたびたびあったというのだ。中には乱心した挙句に死ぬ者までいた。さらには、織田塚の竹や木々を伐採した者が様々な祟りにあったという。
織田塚の祟りに恐れをなした上加納村の人々は、天保二年(一八三一)に大がかりな供養を行い、無念の死を遂げた兵たちの冥福を祈った。
織田信秀と斎藤利政(道三)の宿命の戦いから二百八十七年後のことである。
* * *
信秀は、信康や与三右衛門の命を引き換えにして、辛くも敵地の美濃から脱した。
「吉法師様! 殿様がお戻りになられましたぞ!」
という報告を平手政秀から聞いた吉法師は、裸足のまま居室から庭へと飛び降り、城門までひた走った。数日前に「尾張軍大敗。信秀様を始めとした諸将は行方不明」という情報を耳にして以来、父が首と胴体が繋がったまま帰還してくれることを牛頭天王に必死に祈り続けていたのである。
「父上! よくぞご無事で……」
城門で信秀を出迎えた吉法師は、絶句した。出陣時には大軍勢を率いて那古野城を出たはずの信秀が、帰還した今は林秀貞、内藤勝介らたった七人の武将だけを連れていたからである。途中で落ち武者狩りにでも遭ったのか、煌びやかな装いだった甲冑は血と泥にまみれていた。
「皆は……他の皆はどうしたのですか?」
吉法師が愕然とした表情でそうたずねると、信秀は息子の前で崩れ落ちるように座り込み、「逃げる途中で、散り散りになってしまった……」と掠れ声で言った。
「寛近の翁様と宗伝殿は無事に居城の犬山に入った、という連絡がつい先ほどありました」
平手政秀が、水が入った竹筒を信秀に渡しながらそう報告すると、信秀はうなだれながらも「そうか……」と呟いた。
「寛故(骨左衛門)殿も、尾張と美濃の国境近くまでは我らと一緒だったから、きっと無事だろう。明日か明後日には、小田井城(現在の愛知県清須市西枇杷島町。寛故の居城)から連絡があるはずだ」
信秀と政秀の会話を聞き、吉法師は少しだけホッとした。たくさんの兵が死んだようだが、吉法師が見知っている人たちはどうやら生きているようだと思ったからである。
だから、つい浮ついたような笑みを浮かべて吉法師は「良かったですね」と言ってしまっていた。
「安堵しました。主だった将たちがみんな無事なら、たいした負け戦ではありませんよ。そんな簡単に尾張武士が死ぬわけがないのです。今はここにいないだけで、信康叔父上と与三右衛門もいずれ戻って……」
そこまで口走った時、信秀が「吉法師」と怒ったような鋭い声で息子の言葉を遮った。
「……信康と与三右衛門は、天へと旅立った。俺を生かすために、死んだのだ」
「えっ……」
「他にも、数え切れぬほどの歴戦の兵たちが美濃の地で果てた」
「そ、そんな……」
「よく覚えておけ、吉法師。どれだけ優れた武将であろうとも、その時が来たら必ず死ぬ。死のうは一定なのじゃ」
死のうは一定――人は誰であっても必ず死ぬ。信秀はそう言い捨てると、よろよろと立ち上がり、亡霊のような足取りで城内へと入って行った。
「俺も、いつか死ぬ。だが、蝮よ。お前を八つ裂きにするまでは、俺は絶対に死なぬぞ」
その掠れた声は近くにいた吉法師の耳にすら届かなかったが、信康や与三右衛門は天上で信秀の決意を聞いていたことであろう。
信秀の心は、まだ折れてはいない。
* * *
「くそっ……。結局、朝倉軍にはまんまと逃げられ、信秀も殺し損ねてしまった。あの不快な笑い方をする青山某という敵将のせいだ。あいつめ、全身に矢を浴びて死んでもなお笑っていやがった。いったい何だったのだ、あの男は……」
斎藤利政は、戦後の復興作業をしている井ノ口の城下町を馬で巡察しながら、あの夜の悪夢を思い出していた。
与三右衛門は利政がいる本陣に肉薄して、利政の命を脅かす直前まで奮戦した。一騎当千の将とはあの男のことだろう。生身の人間が発揮できる武を遥かに凌駕していた。
「あれは、天が織田信秀を生かすために、青山与三右衛門なる忠義の将に人の限界を超えた力を与えたのだと拙者は考えています。主家である土岐家を敬わず、民衆を顧みない利政様の悪逆非道を天はお怒りゆえ、信秀を助けたのでしょう。
利政様、これからは心を改めて国政に心血を注いでくだされ。さもなければ、天道に背き続ける貴殿は、必ずや天より罰を受けますぞ」
付き従っていた稲葉良通(一鉄)がずけずけとそう言うと、利政は思いきり眉をしかめた。
良通は、その法名の「一鉄」が「頑固一徹」や「一徹者」などの言葉の語源となったという説がある人物で、まさしく頑固一徹な性格だった。目上の人間であろうが、相手が間違っていると思ったら絶対に譲らない。他の者が言いにくいことでも、遠慮なく口にする恐いもの知らずだった。
「天罰だと? 馬鹿々々しいことを言うな。この世に天の罰が本当にあるのならば、俺はとっくに死んでおるわ。
それに、俺は民衆を大事にしている。今もこうやって町衆たちの様子を見るために巡察をしておるではないか。民衆にとって、俺は良き主だぞ」
「美濃の蝮殿が、珍しく綺麗ごとを言いますか。笑止千万、それは詭弁でござる。
利政様。貴殿は、敵軍を油断させるために、わざと美濃兵が弱いふりをして稲葉山城に立て籠もり、敵軍が領内を好き勝手放火して回るのを放置しましたな。これのどこが民衆のことを大事にしていると言えるのです。良き主が、領内の村や城下町を焼き尽くされることが大前提の作戦を実行しますか?
信秀が貴殿と同じ立場だったら、領民たちが戦火で焼き出されるような戦い方はしなかったでしょう。……このありさまをご覧あれ! これが、領民への愛が無い非情な策がもたらした結果じゃ!」
良通は、家を失って呆然と立ち尽くしている大勢の町人たちを指差しながら、唾を飛ばして利政をそう罵った。
武士は勝つためなら何をやってもいい。しかし、おのれに従ってくれている家臣や民たちだけは守らねばならぬ。彼らは、領主が自分たちの生命の保証をしてくれるからこそ、命令に従っているのだ。自分たちの命や財産を守ってくれない頼りない領主だと分かったら、彼らは領主に失望して、新たな主君を求めるようになるだろう。
つまり、あなたは領主失格だ、と良通は非難しているのである。
そこまで痛罵されると、もともと気性が激しい性格なので、利政も黙ってはいられない。「黙れ、若造ッ。小勢しか指揮したことがない青二才が偉そうなことを言うな!」と罵り返し、蛇のように冷酷な目で良通を睨んだ。
「あの作戦でなければ、信秀には勝てなかったのだ。奴はそれほど恐ろしい敵なのだ。俺とて領地を焼かれたくはなかったわい。イチかバチかの賭けだったのだ。次はもう無い、あの戦で信秀を絶対に殺さなければならないと、俺はそれだけを考えていたのだ」
利政は良通にそう喚き散らしつつも、途中からは自らの心にそう言い聞かせているようだった。負けん気が強い良通は何か言い返したそうな表情をしていたが、利政は構わずに良通の顔を睨みながら独り言を続けた。
「……尾張守護の又家来に過ぎぬ信秀は、その武と富で築いた名声によって尾張の諸侍をまとめあげていた。俺にあれだけ徹底的に負けたら、並の武将だったらもう二度と立ち直れないはずだ。武名は地に堕ちて味方たちの信望も失い、尾張の諸侍を率いて戦うことはできなくなるだろう。だが……だが……奴は……」
奴は、今の瀕死の状態から復活するような気がしてならない。利政はそんな予感がしていた。
この利政の予想は的中する。大敗北を喫して尾張国内での求心力を失ったかに見えた信秀は、ある出来事をきっかけに奇跡的に息を吹き返すのである。
都から、信秀宛てに帝の手紙が届いたのだ。




