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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 二章 父たちの戦国
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星の矢

 鉄放のたまは、孫四郎まごしろうの兜の前立まえだてに命中した。


 驚いた孫四郎は「ぎゃっ」と叫びながら、馬から落ちた。本日、二度目の落馬である。


 孫四郎の後に続いていた騎馬武者たちにも動揺が走った。軍馬たちが聞き慣れぬ轟音に怯え、暴れ出したのである。


「ガハハハハ! やった! 初めて命中したぞ! 寛近とおちかおきなが言っていた通り、目と鼻の先で撃ったらさすがに当たるようだ!」


 与三右衛門はそう言ってはしゃぐと、ダダダダッと大股で駆け出し、落馬して呆然としていた孫四郎の頭を鉄放でぶん殴った。棍棒を振り落とすように、ガツンと。


「げふっ……」


 兜の上からとはいえ、頭部に強い衝撃が走る。孫四郎は小便を垂らしながら気絶した。本気で殴ったら殺せたのだが、近寄ってよく見てみるとまだ少年だったため、これでも手加減をしたのである。


「ま、孫四郎ッ!」


 斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)は、孫四郎が殺されたと思って狼狽ろうばいした。「何をしている! そいつを殺せ!」と孫四郎麾下(きか)の騎馬兵たちに怒鳴ったが、軍馬の恐慌状態はまだ収まっていない。振り落とされて落馬している者までいた。


「今だ! 突け、突け!」


 与三右衛門の槍兵たちが、騎馬兵たちに襲いかかる。馬が暴れていてまともに応戦できない騎馬武者たちは、ぐさり、ぐさりと、一方的に突き殺されていった。


 日本の甲冑の特徴は、小札こざねという小さな板で繋ぎ合わせた構造にある。この造りは刀や矢に対して強い防御力を誇るが、槍で下から突かれると非常にもろい。つまり、騎馬兵が敵の槍隊の目の前で身動きが取れなくなってしまうと、一方的に殺されるしかないのである。


 落馬していた数人の武者たちが、仲間を救おうとして立ち上がったが、その多くは与三右衛門に鉄放で頭を殴られて戦闘不能に陥った。


「わっはっはっはっ! 鉄放も工夫をしたら使えるではないか!」


 与三右衛門は、実に楽しそうに戦っている。これが最後のいくさなのだから、思いきり遊んでやろう、悲壮な顔をして死んでゆくのは俺には似合わぬ、と思っているのだ。


「何を愉快そうに笑っているのだ、あの敵将は。気味の悪い奴め。誰か、あの男を討ち取れッ!」


 可愛がっていた息子を殺されたと勘違いしている利政は、采配を振り回しながら怒声を上げた。


「ならば、拙者にお任せくだされ」


 一人の武将がそう名乗りを上げ、手勢を引き連れて与三右衛門隊へと駆けゆく。

 新手が来たか、と素早く察した与三右衛門は槍兵たちに「馬の尻を突いてやれ」と命じた。


 主が討ち死にしてもなお混乱が収まっていない軍馬たちは、槍で尻を突かれると、怒り狂ったように走り出した。その内の多くは見当違いの方角へと走り去ったが、一部の十数頭が新手の敵部隊へと殺到していく。


「わ、わ、わ。馬たちがこっちに向かって来る!」


 敵将は驚き、その場で足踏みをした。その瞬間、


「弓兵、今だッ!」


 左右の岩陰や木々の陰から弓兵たちが現れ、敵部隊めがけて矢の雨を降らせた。敵の大将は矢を五、六本ほど浴びると、あっけなく絶命してしまった。


(しまった、やはり伏兵がいたか)


 利政は舌打ちをした。自分が言ったことなのに、孫四郎が殺されたと思って我を忘れてしまっていたのである。


「守護代様。兵力を小出しにしても、らちが明きませぬ。あの妙ちくりんな戦い方ばかりをする武将をこれ以上調子に乗らせたら、今度はどんな突拍子もないことをやらかすか分かりませんぞ。早々に奴を殺すべきです。多少の犠牲を払ってでも、全軍で突撃しましょう」


 安藤守就がそう進言すると、だんだん冷静さを取りもどしてきた利政は「いかにも、おぬしの言う通りじゃ」とうなずいた。

 敵の奇策を恐れてここで足止めを喰らっているわけにはいかない。大事なのは、急いで尾張軍の本隊に追いついて信秀を殺すことなのだ。


 利政は采配を振りかざし、「全軍、突撃――」と言いかけた。しかし、


「者ども、突撃じゃぁぁぁ‼」


 先に、与三右衛門隊のほうが美濃軍に向かって来たのである。与三右衛門は愛馬にまたがり、ガハハハハと大笑いしながら鉄放を振り回している。


(なぬっ⁉ あんな小勢で美濃の全軍に正面から立ち向かって来るとは、こいつは馬鹿か⁉ それとも、まだ何か策があるのか⁉)


 与三右衛門は、馬鹿ではない。だが、策があるわけでもない。少しもいいところがないまま尾張軍が負けてしまったら、信秀様の武名に傷がつく。だから、ここで一発ガツンと蝮に痛い目をあわせてやって、尾張武士の武を見せつけてやろうと考えているのだ。


「こちらも突撃だ! 行け、行けぇーっ!」


 月下、美濃の全軍と与三右衛門隊が激突した。




            *   *   *




「ガハハハハ! 何だ、何だぁ。美濃には武士もののふが一人もいないのか? 弱い、弱い!」


 馬上の与三右衛門は、敵軍の真っただ中で、無人の野を行くかのごとく駆け回っていた。鉄放は、与三右衛門が馬鹿力で振り回したせいで、すでにベコボコになってしまっている。もう銃としての役割は果たせないだろう。


 利政は最初の内は陣頭で指揮をとっていたが、気が狂ったように奮闘する与三右衛門があまりにも危険なため、三男の喜平次と共に少し離れた高台から戦況を見下ろしていた。


「不快な笑い声がここまで聞こえてくる……。いったい何なのだ、あいつは。信秀の嫡男の三番家老だとかぬかしておったが、他にもあんな化け物が織田家にはいるのか?」


 与三右衛門の兵たちは、美濃軍に包囲され、確実に削られつつある。しかし、大将である与三右衛門は高笑いを止めない。この絶望的な状況で、実に楽しそうだった。


「美濃に武士もののふが一人もいないとは、聞き捨てならぬ。この稲葉いなば良通よしみち一鉄いってつ)が相手じゃ!」


「おう、若造。地獄への道連れにしてやるわ。来いッ」


 この一夜の戦だけで因幡守いなばのかみ達広みちひろをはじめとした尾張の将兵たちを数多討ち取った猛将・稲葉良通が、怒号を放ちながら与三右衛門に突撃していく。


 こいつは油断できぬ相手だ、と察した与三右衛門は鉄放を捨てて素早く抜刀した。やはり、使い慣れぬ鈍器では戦いにくかったようだ。


「死ねいッ!」


 良通は、槍を遮二無二しゃにむに突き出し、猛攻をかける。与三右衛門は自慢の怪力を発揮して、良通の槍をはね返していく。カッ、カッ、カッと、刃と刃がぶつかり合うたび、闇に火花が咲いた。


「はぁはぁ……。どうだ、稲葉ナントカ野郎。お前の弱々しい槍など、屁でもないわ」


「チッ。なかなかやるではないか。……だが、孤軍奮闘してそろそろ疲れてきただろう。それッ! これでどうだ!」


 三十数合ほど渡り合った後、与三右衛門の動きがわずかに鈍った。その瞬間を、良通は逃さなかった。獲物に喰らいつく猛虎のごとく、一撃入魂の槍を繰り出したのである。


「う、うおっ⁉」


 与三右衛門は、刀で受け止めようとしたが間に合わず、慌てて身をひねった。左頬から鮮血が噴き出す。


(今だッ!)


 良通は勝利を確信し、さらなる一撃を与三右衛門の心臓めがけて放った。


 この速さ、狙いの正確さ。これは絶対に避けられないだろう。――そう確信したのが、良通の油断だった。


「甘いわい!」


 与三右衛門はぐわぁっと左手を突き出す。手のひらで、刃を受け止めたのである。与三右衛門の手の甲を串刺しにした槍は、ビクとも動かなくなり、良通は焦った。


「な、な、な……。放せ! くそっ、動かぬ……」


「ガハハハハ! 隙ありじゃ」


 与三右衛門は右手の刀で槍の柄を叩き斬ると、返す刀で良通に斬りかかった。良通はのけ反り、顔面に迫った白刃を危ういところでかわしたが、体の均衡を崩して落馬してしまった。


「稲葉ナントカ、覚悟ッ!」


 刀を振り上げ、与三右衛門は止めを刺さんとする。


 しかし、その直前。隙があるのはお前の背中だ、とばかりに氏家直元が愛刀を振りかざして背後から襲ってきたのである。とっさに気配を察した与三右衛門は、振り向きざまに刀を横に薙ぐ。


「こ、こいつ……!」


 背後からの一撃を弾かれて動揺している直元を横目に、今度は安藤守就が突進してきた。

 守就は十文字槍を巧みに操って襲いかかったが、与三右衛門は守就の攻撃を軽々といなしていく。守就にとって運が悪かったのは、与三右衛門は十文字槍の使い手と毎日のように稽古試合をしていたので、この武器の防ぎ方を熟知していたのである。十文字槍は、戦友・内藤ないとう勝介しょうすけの愛用の武器だった。


 この状況を見て、利政は「一騎打ちなど、馬鹿げたことはやめよ! お前たちは、源平時代の武士か!」と喚き、怒り狂った。


「奴は、死兵と化している。死を覚悟した武者をまともに倒そうとすれば、おびただしい死人が出るだけじゃ。囲め、囲め! 包囲して、遠巻きに矢を浴びせかけよ! その武に敬意を表して、いにしえ武蔵坊むさしぼう弁慶べんけいのごとく死なせてやれ!」


 利政の喚き声を耳にした与三右衛門は、ニヤリと笑った。


(フフン、俺は武蔵坊弁慶と同格だということか。悪くない気分だな。だが、この俺が弁慶のように行儀よく立ったまま死ぬと思うなよ? 突き進んで、突き進んで、命果てる直前まで戦ってやるわい)


 天を見上げると、無数の星たちがきらめいている。まるで、天命を使い果たした武将の最期を見届けようとしているかのようだ。


 俺は、十分にやった。時刻到来、ここが我が死に場所だ。おのれの運命をそう受け入れると、与三右衛門は宿敵・斎藤利政めがけて愛馬を疾駆させた。


 美濃兵たちが放った矢が、天から落ちた星々のごとく、与三右衛門へと降り注ぐ。与三右衛門は両の腕を大きく広げ、その星の矢を全て受け止めた――。



 青山与三右衛門。

信長公記しんちょうこうき』には、織田信長の三番家老としてその名が刻まれている。しかし、当の本人は信長が元服する二年前に美濃攻めで戦死しており、なぜ彼が信長の家老として後世に名を残しているのか分からない。謎の多い人物である。

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