鉄放
「さっきの音はいったい……。兄者、兄者! 寝ておる場合ではありませぬぞ」
宗伝が寛近の翁の肩を揺すったが、翁は夜中で眠たいのか目を覚ます気配がない。
「放っておかれよ。あの音の正体を確かめに行くのが先決じゃ」
因幡守達広がそう言うと、犬猿の仲の骨左衛門・寛故も「うむ、その通りじゃな」と珍しく同意した。
「……方々、あいすまぬ。あの音は敵襲ではない。我が家来の青山与三右衛門の陣がある方角から聞こえてきたから、恐らくアレの試し撃ちでもしていたのだろう」
さっきの轟音に心当たりがある信秀が、慌てて皆に謝った。
「試し撃ちだと? いったい何のことだ。隠さずにちゃんと教えろ」
「いちいち突っかかってくるな、ケシカラン殿。別に、味方に隠すつもりなどはない。実は、昨年、京都へ派遣した我が家臣たちが珍しい武器を持ち帰って来てな。よかったら、皆々にもお見せしよう」
そう言うと、信秀は軍議に参加していた諸将を誘って、青山与三右衛門の陣所へ向かうのであった。
寛近の翁だけは、軍議の席でまだ居眠りをしている。
* * *
「こら、与三右衛門! こんな夜更けにアレをぶっ放すな! 兵たちが驚いて混乱が起きたらどうするのだ!」
与三右衛門の陣に着くと、信秀は与三右衛門の姿を探し出して、そう怒鳴った。
与三右衛門の周りには、内藤勝介や兵士たち十数人がいる。「アレ」の試し撃ちの見物をしていたらしい。
「申しわけありませぬ。勝介の奴が、アレの使い方を教えろと言ってしつこかったもので……」
「お、おい。俺だけのせいにするなよ」
責任を全て押しつけられそうになって、勝介は慌てふためいている。勝介に付き従っている猿顔の兵士――弥右衛門の手には、細長い棒状の武器らしき物が握られていた。達広や寛故は、最初はそれが何か分からなかったが、
「それは、もしや琉球人が我が国に伝えたという鉄放ではありませぬか? 兄者から伝え聞いていた形にそっくりじゃ」
宗伝がそう指摘すると、二人は「ああ、これが噂の火薬を使った飛び道具か」と察した。
鉄砲伝来は、信秀の美濃攻めの前年――天文十二年(一五四三)とされるのが通説である。しかし、ポルトガル人が種子島に現れるまで日本人が「鉄砲」を全く知らなかったわけではない。
『蔭涼軒日録』という京都相国寺の僧侶の日記によると、文正元年(一四六六)に琉球王国の使節が室町将軍を訪問した際に、礼砲として「鉄放」を放ち、その凄まじい音に京都の人々が仰天したという記事がある。
さらに、その翌年に勃発した応仁の乱では、「飛砲・火槍」が実戦で使われたと同日記に記されている。「飛砲」とは琉球人が伝えたという鉄放のことであり、「火槍」は火薬で矢を飛ばす兵器のことだと思われる。
この鉄放は、琉球では「火矢」といい、明国から琉球へと伝わった火器だった。明国ではこの武器の特徴――三つの銃身(三連筒)がある――から三眼銃と呼んでいるらしい。
記録を見てみると、鉄砲伝来(一五四三年)以前に戦国武将たちは鉄放を戦場に投入しているようである。
――永正七年(一五一〇)、北条早雲が明国の僧から「鉄砲」を買った(『北条五代記』)。
――大永四年(一五二四)、十二歳の北条氏康が「鉄砲」の音に驚いたことを恥じて切腹しようとした(『北条五代記』)。
――大永六年(一五二六)、武田家が「鉄砲」を入手した(『甲陽軍鑑』)。
――天文十一年(一五四二)、尼子軍が大内軍との戦いで「鉄砲」二十挺を用いた(『雲陽軍実記』)。
また、軍忠状(武士が自分の軍功を記録して、忠節の証とした文書)に記録された武士の負傷内容には、鉄放に被弾(この時期は石でできた弾丸)した傷ではないかと疑われる記述が散見される。
このように、「鉄砲伝来」以前にも、鉄放という飛び道具が時おり戦場に顔を出していたようである。だから、実際に見たことがなかった達広たちも、これがどのような武器なのか風の噂で知っていて、すぐに納得できたのであった。
「ふむ……。なかなか面白い形をしておるな。そなたが京都で買ったのか? 高かったであろう」
寛故が興味津々といった様子で鉄放の形状を観察しながらたずねると、与三右衛門は「いいえ」と頭を振った。
「平手殿が、懇意になった幕臣の方から三挺譲られたのです。その内の一挺は、今では吉法師様の物になっていますが」
幕臣から贈られた鉄放を平手政秀が尾張に持ち帰ると、異様なまでに興味を示したのが吉法師だった。腹に響くような発砲音が気に入ったのか、異国から渡って来た珍しいオモチャだとでも思っているのかは分からないが、どうしてもそれをくれと執拗にねだったため、一挺は吉法師の私物となったのである。
「残りの二挺は、俺と勝介が頂戴しました。上手く運用すれば、戦場でそれなりに役立つ武器だと俺は考えています。この鉄放を使って必ずや戦功第一となり、吉法師様の三番家老の地位を手に入れてみせまする」
与三右衛門はこのド派手な音が出る飛び道具が気に入っているらしく、そう自慢すると、ガハハハと笑いながら、鉄放を持っている弥右衛門の背中をバシン、バシンと怪力で叩いた。小柄で片足が不自由な弥右衛門は、ウキャッと猿の鳴き声みたいな悲鳴を上げてすっ転ぶ。
「何だ、この猿顔の農民は。足が悪いのか。そんな体では、槍を振り回すこともできまい。なぜ、戦場に連れて来た」
信秀が眉をひそめると、勝介は頭を掻きながら「いや、それが色々とあったのです。あははは……」と誤魔化し笑いをした。そして、微妙に話題を反らすべく、与三右衛門とは異なる鉄放に対する見解を述べた。
「敵軍へ猪突猛進に突っ込む俺には、こういう飛び道具の扱いはどうも苦手でござる。第一、使い道が分かりませぬ。遠く離れた敵を攻撃するのなら、弓矢で十分だと思います。
……とはいえ、せっかくの異国の武器を使わないのももったいないので、この足の悪い兵にいちおう持たせておこうかと考えたのです。それで、鉄放の扱い方がなかなか達者な与三右衛門に、俺の麾下の兵に撃ち方を教えてやってくれと頼んでこの騒ぎになりました」
与三右衛門は鉄放に武器としての可能性を信じているようだが、肉弾戦を得意とする勝介はその性能に疑問を抱いているようである。
「何じゃ。この武器は使えるのか使えぬのか、おぬしの家来たちの間でも意見が分かれておるではないか。俺もこの目で確かめてみたい。もう一度試し撃ちをして、我らにも見せてくれ」
達広がそう言うと、寛故や宗伝もコクコクと頷いた。
(夜中に鉄放をぶっ放したら兵たちが驚くとさっきから言っているのに、仕方のない人たちだなぁ……)
信秀は内心呆れたが、明国渡来の武器を珍しがる気持ちも分からないではない。
「承知いたした。……与三右衛門、周囲の兵たちに注意をうながせ。今から大きな音が再びするが、敵襲ではないから安心しろとな。勝介は、その猿顔の兵にもう一度鉄放を撃つ準備をさせろ」
「ハハッ!」
「御意。おい、弥右衛門。いつまで寝ておるのだ、起きろ」
勝介に叱咤された弥右衛門は、「へ、へへぇ!」と返事しながら、鉄放を杖がわりにしてよたよたと立ち上がった。そして、案外物覚えはいいのか、与三右衛門にさっき教えられた手順を思い出しながら、手際よく射撃の準備を始めたのである。
「……まず、筒の中に火薬を入れて、こうやって棒でつついて固めますだ。そして、石の弾を入れて、奥まで弾がいくように、また棒でつつきまする。こう、こうやって、えいえいっと、突き固めます。同じように、残り二つの筒にも火薬と弾を込めて……」
「思っていたよりも、時間がかかるのぉ……」
弥右衛門の動作は素人にしては機敏なのだが、なにせ銃身が三つもある。それぞれに火薬と銃弾を込めていたら、発射にはどうしてもそれなりの時間を要してしまうようだ。気の長い寛故ですら、思わず不満を漏らしていた。
「弥右衛門。向こうにある大木を狙って撃ってみろ」
「へへっ!」
弥右衛門は、勝介が指差した楠の大木に狙いを定めた。今は夜だが、陣内では各所で篝火が赤々と焚かれているため、視界は良好である。あんな大きな大木、弓矢だったらよほどの下手くそではない限り外さないだろう。
ズダァーーーン‼
弥右衛門が発砲したと同時に、周囲の空気が振動した。
その轟音に五体がビリビリと震え、達広や寛故、宗伝は思わずのけ反りそうになった。撃った本人の弥右衛門は、足が悪いせいもあって、発砲時の衝撃でひっくり返ってしまっている。
「す……すごい音だ。しかし、的には当たったのか?」
達広が驚きつつもそう言うと、夜目の利く勝介が「いえ、大きく外したようです」と答えた。与三右衛門が大木に近づいて確認してみたが、どこも傷ついているようには見えない。弾丸は見当違いの方角に飛んでいき、夜の闇に呑み込まれてしまったのだろう。
「俺も何度か試してみたのですが、的に全く当たらぬのです。あのように大きな木にさえもなかなか命中しない。しかも、長弓で射た矢のほうが、鉄放の弾よりもよほど遠くへと飛ぶのです。この武器は、大きな音で敵兵を驚かせるぐらいでしか役に立たないのでは……と俺は考えています」
勝介がそう説明すると、達広たちは「何だ、ぜんぜん使えないではないか……」とがっかりした。
「撃つのに時間がかかるうえに、全く当たらない、弓よりも遠くに飛ばない……。これでは、実戦には使えぬな。やれやれ、こんなろくでもない武器の試し撃ちなど見物して、時間の無駄であったわ」
達広はいつもの憎まれ口を叩くと、フンと鼻を鳴らして去って行った。寛故と宗伝も興味が失せたのか、信秀に会釈をすると自分の陣に戻って行った。
「く、くそっ! くそっ! これは吉法師様がとても気に入っている武器なのだぞ! 聡明な吉法師様が興味を持ったのだから、何かきっと物凄い使い方があるに違いないのだ!」
与三右衛門は地団駄を踏んで悔しがったが、自分でも鉄放の上手い運用方法は思いつかないようである。
与三右衛門が鉄放を信じる理由は、頭のいい吉法師様が気に入っているから、という実に子供じみたものだった。与三右衛門は、抜け目なく出世を狙う武将だが、そういう無邪気なところもある男なのである。勝介は「ただの阿呆だ」と思っているようだが。
「落ち着かぬか、与三右衛門。……まあ、俺は全く使い物にはならぬとは思わぬがな。もっと速やかに撃つ準備ができ、遠くへ的確に飛ぶように改良できれば……の話だが。
火薬の原料である硝石は我が国では手に入らず、明国から輸入している。この鉄放が戦の勝敗を左右するような強力な武器にさえなったら、津島や熱田の港で硝石を大量に購入できる我らは、港を持たぬ敵国よりも遥かに優位に立つことができるのだがな……」
信秀はそう言って慰め、与三右衛門の肩を軽く叩いてやった。
やはり、信秀の着眼点は他の武将とはぜんぜん違う。この視野の広さと先見の明が、織田信長という英雄を育てたと言っていい。
そして、後に信長の「もう一人の父」となる男――斎藤利政(道三)もまた、信長の人生に大きな影響を与える人間である。その利政は、今、稲葉山城で手ぐすねを引いて信秀を待ち受けていた。
尾張の虎と美濃の蝮。二人の対決の陰に、二挺の鉄放の活躍があったことをどの史書も記してはいない――。
※鉄放に関しては、
トマス・D・コンラン氏著 小和田哲夫氏日本語版監修「戦国時代 武器・防具・戦術百科」(原書房)
鈴木眞哉氏著「鉄砲と日本人」(ちくま学芸文庫)
などを参考にしました。
※信秀の美濃攻めで中国式の鉄放が使用されていたという記録はありません。しかし、「他の戦国武将も使っていたのだから、信秀が持っていてもおかしくはないだろう……」と妄想して、鉄砲伝来以前の「鉄砲」を登場させてみました(*^^*)




