評定だよ、尾張衆集合
場面は元に戻って、尾張の清須城――。
父の信秀に連れられて武衛様の屋敷にやって来た吉法師だが、祝宴は中止して評定を始めることとなり、
「吉法師よ。そなたは岩龍丸の遊び相手をしていてくれ」
と、武衛様・斯波義統に言われてしまった。岩龍丸とは、義統の嫡男で四歳の幼児である。那古野城では若様として丁重に扱われている吉法師だが、ここ清須城では武衛様の又家来の倅でしかない。尾張国主のお世継ぎの遊び相手をさせられる立場なのだ。
正直言って、同じ言葉を意味もなく繰り返してキャッキャッと喜ぶ年頃の岩龍丸の相手をするのは面倒だった。しかし、信秀から「お前はいずれ岩龍丸様にお仕えすることになる。子供の内からよぉ~く手懐けておくのだぞ」と言われていたため、吉法師は、
「はい、承知いたしました。岩龍丸様は魚が泳いでいるのを見るのが好きなので、庭の池で遊んでいます。さあ、岩龍丸様。池の鯉を見に行きましょう」
と、愛嬌いっぱいの笑みを見せて頷き、岩龍丸の小さな手を引いて屋敷内の庭へと駆けて行った。
(父上たちは、「美濃の蝮を退治するか否か」を今から話し合うらしい。面白そうだから、庭から聞き耳を立てていてやろう。俺は、一度に十人の話を聞き分けたという聖徳太子ほどではないが、とても耳がいい。多少離れてはいても、会話はしっかりと聞こえるはずだ。尾張の侍たちは屋敷の外まで届くような怒鳴り声で評定をやるから、秘密も糞もない)
吉法師は、元服もそう遠い話ではない十一歳だ。戦や政に強い関心を持つ年頃になっていたのである。
* * *
「では、これより評定を始める。おのおの、伊勢守(信安)からすでに話は聞いておるな?」
吉法師と岩龍丸が庭へと駆けて行ったのを見届けると、尾張国の主である斯波義統が厳かな口調でそう言い、居並ぶ重臣たちを見渡した。
義統も、今では三十二歳の男盛りである。立派な髭をたくわえて国主らしい威厳を身につけていた。血気盛んな性格は相変わらずだが、二十代の頃に比べたら家臣たちの意見に耳を傾けるようになっており、信秀は「良き君主になってくださった」と密かに安堵していた。
他の尾張の主要人物たちも、年を経たことによって多少の変化があった者たちがいる。
武衛様・義統を補佐する二人の守護代のうち、上四郡の守護代・織田伊勢守信安はあまり変わってはいない。少し太ったぐらいだろうか。
一方、信秀ら清須三奉行の主君である下四郡守護代・織田大和守達勝は、この数年でめっきり老け込んでしまい、杖をついて歩いていた。達勝の生年は不明だが、かれこれ三十年近く守護代職をつとめているので、すでに引退を考えてもいい年齢である。
清須三奉行の一人の織田因幡守達広は、先年に息子の信友(広信から改名)を主君・達勝の養子にしたことによって、家中での発言力が数年前に比べて増していた。相変わらず信秀と意見が対立することが多く、「ケシカラン、ケシカラン」と言う口癖は直っていない。
反信秀派の仲間である坂井大膳(大和守達勝の家宰)とは、信秀の力をいかにして削ぐか毎日のように謀議しているものの、武衛様や主君・達勝が信秀のことを厚く信頼しているため上手くいってはいなかった。
信秀、達広と共に清須三奉行の地位にある織田藤左衛門寛故は、犬猿の仲の達広から「骨左衛門」という渾名で呼ばれて前々から馬鹿にされていたが、近頃はさらに痩せ細ってしまっている。
寛故は数年前に隠居して嫡男の寛維に家督を譲っていた。しかし、二年前の美濃大垣城攻めで寛維が討ち死にしてしまったのである。次男はまだ若年のため寛故は再び当主に復帰することになったが、隠居した直後に大事な後継者を失ったことがよほど精神的にこたえたらしい。どんどん食が細くなって、最近では体調を崩してばかりいる。
だが、息子を殺した美濃の蝮と戦うことには大いに乗り気のようで、
「げほっげほっ……。土岐頼純様の母親が尾張に入国した一件でございますな。さきほど伺いました。いずれ、朝倉家から『共に美濃を攻めよう』という誘いが来ることは明白でござる。頼純様の母親を正式に保護し、越前朝倉氏と手を結びましょう。そして、信秀殿を総大将にして美濃に攻め込み、憎き蝮を攻め滅ぼすのです」
と、開口一番に美濃攻めを訴えたのは、他でもない骨左衛門・寛故だった。その横では信秀がしきりに頷いて「いかにも、いかにも」と言っている。
信秀は、評定の前半ではあまり発言しない。まず信秀派の武将たちが反信秀派の達広、大膳らと舌戦を繰り広げ、双方が議論に疲れ始めたところで、信秀が舌鋒鋭く弁舌して意見をまとめにかかる……というのが常套手段だった。
達広と大膳にしてみれば、信秀の弁舌巧みな大攻勢が始まる前に、信秀派の意見を封じたい。「それがしは反対でござるッ!」と達広は声を荒げて叫んだ。
「ここ数年で、我ら尾張衆は信秀の口車に乗せられ、多くの敵と戦ってきました。三河の松平広忠と戦い、美濃の大垣城を攻め……。兵たちは疲れ果てておりまする。越前の朝倉と手を組んで美濃の内乱に首を突っ込むなど、とんでもありません! 大戦になるのは必定でござる!」
「因幡守(達広)殿のおっしゃる通りです。土岐頼純様の母親が尾張にいることが美濃の蝮に知られる前に、彼女には速やかに尾張から退去してもらいましょう」
間髪を入れず、坂井大膳が達広の援護をした。寛故が言い返す暇すら与えない見事な連携だ。
達広と大膳は、信秀が戦で勝利をおさめるたびに尾張国における彼の影響力がどんどん増していっていることに危機感を覚え、美濃攻めに反対しているのである。信秀は、尾張下半国の代官に過ぎないが、ひとたび戦乱が起きれば武衛様や主君・達勝から陣代(主君の代わりに領内の侍たちを統率して敵国と戦う役)の地位を委ねられ、華々しい戦果を上げ続けている。もはや、尾張の顔と言ってもいいだろう。戦があるたびに、同僚であるはずの信秀に顎で使われ、差をつけられるのはもうまっぴらごめんだった。
だが、反信秀派たちの必死の反戦意見も、信秀派の重要人物の一言によって水を差されることになる。
「追い出している時間はもうないぞ。数日以内には、頼純殿の母が我が国にいることは斎藤利政(道三)に知られるだろうからな」
そう言ったのは、信秀の義弟・織田伊勢守信安だった。「そ、それはなにゆえでござるか?」と達広が驚く。
「明日は、三月二十五日。朝倉家の先代当主・貞景の命日じゃ。頼純殿の母は――恐らく、朝倉宗滴がそうするように彼女に指示したのだろうが――仁岫宗寿を導師にして、父である貞景の三十三回忌の法要を犬山の瑞泉寺で行う準備をしているらしい。朝倉家の先代当主の法要とあらば、大々的に行われるであろう。『私はここ尾張にいますよ』と美濃に向けて宣言しているようなものだ。あの斎藤利政が気づかぬはずがない。我らは、利政に彼女の居場所を知られる数日以内に、朝倉家と手を組んで美濃を攻めるか否かの方針を決めておく必要がある」
「おのれ、朝倉家の奴らめ! 武衛様のご先祖から越前を奪った謀反人の一族の分際で、この尾張で何という図々しい真似をするのだ! ケシカラン!」
達広が憤り、そう喚いた。
どう考えても、朝倉家の計画的犯行である。来月の内には、尾張の侍たちが頼純の母をかくまっていると誤解した斎藤利政が「頼純の母親をこちらへ引き渡すか、尾張から追い出せ」と使者を送って来るに違いない。これを突っぱねたら、尾張は斎藤利政と決定的に対立して、美濃の内紛に嫌でも巻きこまれてしまう。
「美濃の蝮から要求があったら、『はい、そうですか』と言って、頼純様の母親を引き渡してしまえば良いのです。我ら尾張衆には美濃の内乱など関わりはないのですから、何の問題もないでしょう」
大膳がぶよぶよとした顎の肉を揺らしながら、冷淡にそう言った。大桑城の城兵たちを虐殺した斎藤利政のような人間に頼純の母親を引き渡したら、ただでは済まないだろうが、顔も見たこともない女の生き死になどこの非情な男にはどうでもいいことなのである。
「坂井よ、そなたは本気でそんなことを言っているのか? だとしたら、おぬしは外道だ。彼女は、美濃の前守護・土岐頼武様の正室だった女性なのだぞ? 身分尊き方の奥方であった女子を敵地に放り出し、謀反を起こして今の地位を手に入れた現守護・土岐頼芸と斎藤利政に加担するような真似をしたら、武衛様の名声に大きな傷がつくことが分からぬのか。この不忠義者めッ! ……うっ……げほっ、ごほっ……」
温厚な寛故がいつにない激しさで大膳を罵倒したが、大膳は顔色一つ変えずに「藤左衛門(寛故)殿は、先年のようにまた美濃に攻め入って、今度は年若い次男殿を戦死させたいのですかな?」と嫌味を言う始末だった。カッとなった寛故はさらに罵倒しようとしたが、さっきから咳が止まらず、何も言い返せない。
「はっはっはっ。どうした、骨左衛門。病がそんなに酷いのなら、さっさと隠居したらどうだ。お前の次男のことは心配するな、俺がたっぷりとかわいがって立派な武将に育ててやるぞ」
調子に乗った達広が嘲り笑うと、今まで黙って聞いていた信秀・達広・寛故らの主君・大和守達勝が、
「そなたたち、身内同士で口汚く罵り合うでない! 見苦しいぞ!」
と、しわがれ声で怒鳴った。
達広と寛故は冷や汗をかき、「も、申しわけありませぬ……」と謝る。
達勝は年老いた今でこそ普段は好々爺然としているが、本来は好戦的な人物で、台頭してきた信秀を一時は叩き潰そうとしたことがあるぐらいである。怒らせたら恐いことは、家来である達広と寛故も重々承知していた。
だが、大膳だけは、自分は叱られるようなことはしていないと思っているのか、素知らぬ顔をしている。主君が激怒しているというのに、汗一つかいていないとは、どこまでもふてぶてしい男である。
「大膳、お前もじゃ!」
達勝は、手元にあった杖を投げつけた。杖の先端が大膳の頭部に命中し、さすがの大膳も「は……ははぁ……」と平身低頭する。頭からは血が流れていた。
「達勝、もうそれぐらいにしておいてやれ」
武衛様・斯波義統が、さらに扇子を投げつけようとしていた達勝をやんわりと制する。義統は血気盛んな人物ではあるが、高貴な血筋ゆえか家来に暴力を振るうような粗野な振る舞いは一度もしたことがないのである。
「ははっ、武衛様。我が家来たちが取り乱してしまい、申しわけございませぬ」
「そなたも、取り乱しておったぞ。もう年なのだから、カッとなるな。老体に障るぞ」
「は、はい。……それで、こたびの一件いかがいたしましょうか。我らが取るべき道は、二つに一つです。一つは、朝倉家と手を結んで美濃を攻め、頼純殿が美濃の守護となる手助けをするか。もう一つは、中立を保って、頼純殿の母を尾張から追い出すか……」
「ふむ。美濃攻め、か……。頼純殿の父である頼武殿は我が尾張と友好的であったからな。俺も救ってやりたいとは思っている。しかし、朝倉家と手を組んで戦うというのが気に入らんな……」
達勝に美濃攻めの可否を問われ、義統は思案げに髭を撫でながらそうポツリと呟いた。
(しめた。いつもは信秀の味方をすることが多い武衛様が、今回は美濃攻めに気乗り薄だぞ)
達広と大膳は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
前にも書いたが、斯波家は家臣であった朝倉家に越前国を奪われている。その恨みを斯波家の代々の当主はずっと受け継いでいて、義統も朝倉家のことを嫌っていた。加賀の一向宗門徒と連絡を取り合って朝倉を攻撃しようと計画したことすらある。そんな義統が朝倉家と連合軍を結成して美濃に出兵しようとするはずがない。
(武衛様が朝倉家との軍事同盟を嫌うことは、最初から分かっていた。しかし、ここは武衛様に意見を変えてもらわねばならん。こたびの美濃攻めは……蝮退治だけはどうしてもやらねばならないのだ)
信秀派が主張する「美濃攻め賛成」の意見が不利になりつつあることを悟った信秀は、武衛様を自ら説得する決意を瞬時にした。
「武衛様、お聞きください」
信秀は居住まいを正し、義統を真っ直ぐ見つめながら力強い声で言った。
とうとう信秀が出て来たか、と焦った達広が何か口走って信秀の発言を邪魔しようとしたが、信秀に物凄い形相でギロリと睨まれて、「うぐっ……」と唸りながら押し黙った。
「何じゃ、信秀。遠慮なく申してみよ」
「はい、ありがとうございます。……こたびの美濃攻めは、たとえ朝倉家の思惑に利用されてでも実現させなければいけません。美濃に大軍をもって攻め込み、天下第一等の極悪人・斎藤利政を討ち取るのです」
「天下第一等の極悪人、か。たしかに、美濃の蝮の悪逆は凄まじいものがあるが……。信秀はよほど斎藤利政が嫌いと見えるな」
「当たり前でございまする。奴こそは、この乱世が延々と続く原因をつくっている張本人の一人なのです。天の道を翔けゆかんとする拙者にとっては、天道に背き続ける斎藤利政は滅ぼすべき最大の悪。失われた室町幕府による天下泰平を取り戻すためにも、我ら尾張衆は一丸となってあの男を殺さなければならぬのです!」
信秀の語調は次第に激しさを増し、反信秀派の達広、大膳たちも固唾を呑んで信秀の演説に聞き入った。
今、信秀の感情の昂りは頂点に達している。ここで彼の言葉を遮る者が現れたら、信秀は何の迷いもなくその者の首を刎ねるに違いない。
評定の場にいた全員がそう感じるほど、「利政討つべし」と激する信秀の顔は鬼気迫っていたのである。
天道とは何か。斎藤利政の悪とは何か。信秀は、さらに語り続けた。
<付録:1544年時点での信秀を取り巻く尾張衆たちの関係図>
尾張衆のみなさんがうじゃうじゃと再登場しましたので、いちおうおさらいしたいと思います。
名前の左側に〇があるのは親信秀派(本人含む)、×があるのは反信秀派です。
また、名前の右側の( )には信秀との関係、続柄を記しています。
[上四郡守護代]
〇織田伊勢守信安(妹の夫。義弟)
[尾張守護・武衛様]
〇斯波義統(大殿)
[清須三奉行]
[下四郡守護代] 〇織田弾正忠信秀(本人)
〇織田大和守達勝(殿様)…×織田因幡守達広(同族だが詳細不明)
〇織田藤左衛門寛故(母の実家)
[大和守家の家宰]
×坂井大膳(たぶん織田一族ではない)




