表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 六章 大暗転序幕
221/231

流転する運命

 尾張国の北西、葉栗はぐり郡。

 信長と池田恒興(つねおき)、山口教吉(のりよし)は、かえでの花嫁行列を追いかけて美濃の国境近くまで来ていた。

 このあたりは、かつて神の御使いの白鹿を探し求めて三人が駆け回った土地である。そして、信長が楓と再会し、恋仲になったのも、白鹿騒動がきっかけであった。


「信長様! ほら、あれ! きっと楓殿ですよ!」


 馬上の恒興が、木曽川の分流の川向こうを指差す。

 二十数人の華やかな花嫁行列が美濃方面へと歩いていくのが見える。あのように供の者を豪奢に着飾らせる財力があるのは、尾張上半国の侍の中では生駒いこま家宗いえむねぐらいである。あの行列の中に、楓がいるはずだ。


「浅瀬を探して、川を渡るぞ」


「あっ、信長様。お待ちください。怪しき者たちが、こちらに近づいて来ます」


 耳のいい教吉が、背後から迫る馬蹄ばていの音にいち早く気づき、信長に注意を促した。

「何ッ⁉」と驚いて信長が振り返ると、栗の木が群生する古い街道から十五、六騎の若い侍たちが現れた。


「急げ急げッ! 楓が美濃に行ってしまう前に奪うのじゃ!」


 聞き覚えのある蛮声が、空に響く。恒興が「うげっ。こんな時に岩倉のバカ殿が現れやがった」と思い切り眉をしかめた。


 岩倉のバカ殿――尾張上半国守護代・織田伊勢守(いせのかみ)信安のぶやす(岩倉織田氏)の嫡男、兵衛ひょうえ信賢のぶかた。白鹿騒動以来、信長を目の敵にし、楓に横恋慕していた御曹司おんぞうしである。


 どうやら、信賢も楓が他国に嫁ぐと聞き、慌てて駆けつけたらしい。ただ、信長主従とは違い、手に刀を振りかざし、目は血走っている。花嫁行列を襲撃し、楓を誘拐するつもりなのだろう。


「どうしますか。あのままだと、楓殿は岩倉のバカ殿に奪われますよ。いっそのこと、バカ殿が生駒家の者たちと戦っている間に、どさくさに紛れて俺たちが楓殿を奪いますか」


たわけたことを申すな、恒興。平手ひらてじいとの約束がある」


 信長は、信賢の蛮行を苦々しく思いつつ、恒興にそう怒鳴った。


 自分もできることならば楓を強奪したい。しかし、織田信秀の嫡男という立場をわきまえ、自重しているのだ。それなのに、守護代家の嫡男という自分よりも重い地位にある信賢が、己の欲望のおもむくままに行動している。あいつは分別というものを知らぬのか、と腹立たしかった。


「されど、このまま見過ごすせば、あの乱暴者は捕えた楓殿をその場で手籠てごめにしかねませぬぞ」


 教吉がそう言うと、恒興が「あり得る、あり得る。あいつ性欲が強そうだもの」とうなずいた。信長は天を仰ぎながら深々と嘆息し、


「楓と最後の別れをと思い、ここまで駆けつけたというのに……。どこまでも邪魔をしてくる男め」


 そう呟きつつ刀を抜いた。主君にならい、恒興と教吉も抜刀する。


「楓が国境くにざかいを越えて美濃国に入る頃合いまで、奴らを足止めするぞ」


「ハハッ!」




            *   *   *




「待てッ! 信賢殿ッ!」


 信長は、川を渡ろうとしていた信賢の前に立ちはだかり、そう叫んだ。

 信長の姿を見た信賢は、ひょっとこ顔を大きくゆがませ、「信長ッ! またおぬしかッ!」と吠え返す。


「そこをどけ。とことん俺の邪魔をする憎たらしい奴め」


「その台詞せりふ、そっくりそのまま返すぞ。守護代家の世継ぎが、花嫁行列を襲うなどという無道を行うべきではない。大人しく岩倉城に帰られよ」


「うるさい! おぬしの指図など受けぬわ! どかぬというのならば、おぬしを斬って川を渡ってやる!」


 激昂げっこうした信賢は、刀を乱暴に振り回しながら「者共ものども、奴らを殺せッ!」とわめいた。

 供の若侍たちは、粗暴極まりない信賢に喜んで付き従っているような荒くれ者ばかりなので、(信秀の嫡子を殺したらまずいのでは?)という発想も抱かない。猛獣のごとき雄叫びを上げ、信長主従に斬りかかった。


 どうせ襲って来るだろうと分かっていたから、信長・恒興・教吉はすでに臨戦態勢ができている。信長は、真っ先に駆けて来た若侍の一撃を素早くかわし、すれ違いざまに馬の尻を刀の切っ先で突いた。驚いた馬は川岸の方角へと猛然走り出し、振り落とされた若侍はそのまま気絶して動かなくなった。


 恒興・教吉も、馬を縦横無尽に疾駆させ、刀を舞わせる。数で上回る信賢の家来たちを翻弄し、大いに善戦した。


 信長と恒興は、昨年、蜂須賀はちすか小六ころく率いる刺客集団に襲われたことがある。あの手強い小六という男に比べれば、信賢ごとき可愛いものである。


「く、くそっ……。こちらは十六人いるのだぞ。なぜ、たった三人の敵に勝てぬ」


「俺と信賢殿の大将としての格の違い。そして、家来たちとの結束力の違いだな。俺は恒興と教吉に眼で指図しているが、貴殿は大声で喚かねば命令が伝わらぬ。あと二倍の数でも相手できるぞ」


「何だと? ……年下のくせに生意気なッ! 信長、俺と一騎打ちしろッ!」


「困った御仁ごじんだ。過去に二度もやり合っているのに、まだ実力の差が分からぬのか……」


 信長主従は、信賢とその家来たちを軽々とあしらい続けた。


 本気で殺しにかかってきている信賢に対して、信長は従兄弟いとこにあたる信賢を殺害するつもりなど最初から無い。執拗に挑んでくる信賢の殺意の刃を軽くいなし、うっかり致命傷を負わせないように気遣う余裕さえあった。


 ただし、「殺せない」ため、戦いは延々と続く。いい加減、信長もうんざりとしてきた。


(そろそろ日が暮れる。楓は美濃国に入った頃だな……)


 自分の役目は果たした。さすがの信賢も他国に侵入してまで楓を追うことはできまい。それは俺も同じことではあるが……。

 そう思った信長は、さっさとこの無益な喧嘩を終わらせることにした。こんな馬鹿とはいつまでも付き合っていたくない。


「おい、信賢殿」


 一瞬の隙を突き、信長は白刃を一閃させて信賢の太刀を弾き飛ばす。


「おぬしはまことにタコのような顔をしているな」


「な、何をぬかすかこの――げふっ⁉」


 信賢の顔を、太刀を握っていないほうの拳で思い切りブン殴った。鼻血を噴き出し、信賢は落馬する。


 信賢の家来たちは「わ、若ッ!」と叫び、馬から下りて信賢の元に慌てて駆け寄る。落馬した主人の介抱で忙しく、信長たちと戦うどころではない。


「酒のさかなにしたら案外美味やも知れぬぞ。貴殿のひょっとこ顔など、俺は食いたいとは思わんが。……では、さらばじゃ!」


 信長はそんな捨て台詞を残し、馬腹を蹴る。恒興と教吉も後に続いた。


 来た道を引き返し、那古野城に戻るのである。信賢とその家来たちは追って来なかった。


「……信長様。楓殿を追いかけなくてよろしかったのですか? ちょっとくらい他国に侵入しちゃっても大丈夫なんじゃ……」


 夕闇に包まれた栗林の古道まで来ると、恒興が信長に声をかけた。


 しかし、前を行く信長は黙り込んで返事をしない。振り向いてもくれないため、恒興と教吉には主君の表情が見えなかった。


「あの……信長様……」


「よせ、恒興。少し黙っていて差し上げろ。人は悲しい時には言葉が出なくなるものなのだ」


 教吉が恒興の肩を叩き、小声でそう注意する。

 その時、恒興は初めて、信長の肩が小刻みに震えていることに気がついた。楓を想い、声を立てずに泣いているのである。


「信長様はそこまで楓殿のことを……」


 どこかで、鹿が鳴いているようだ。

 物悲しい声が、栗林の道に響いてくる。

 もしかしたら、信長と楓のえにしを繋いだあの白鹿が、二人の恋の終焉を哀れんで泣いてくれているのかも知れない。


「……鹿よ、もっと泣いてくれ。声を忍ばせて泣いている信長様の代わりに、泣き声を遥か遠くまで響かせてやってくれ。信長様の嘆きが、楓殿の心に届くように」


 双眸そうぼうに涙を浮かべ、恒興はそう呟く。


 信長は、それから一刻(約二時間)ほど振り返らなかった。




            *   *   *




 同じ頃。

 生駒家の花嫁行列は、美濃の領内に入っていた。


 楓の父の家宗いえむねと兄の家長いえながは困り果てている。すぐにでも夜になりそうなのに、楓が急に発熱したため道を急ぐことができずにいたのだ。


「やむを得ぬ。ちょっと休もう。……大丈夫か、楓」


 家長は、水を入れた竹筒を妹に渡してやり、その青白い顔を心配そうにのぞき込む。木陰に座り込んでいる楓は、弱々しい笑みを浮かべてコクリと頷いた。


 家宗は、そんな愛娘の痛々しい姿を見て、さっきから悔し涙を流している。


「やはり、病弱な我が娘が他国に嫁ぐなど無理な話だったのじゃ。信秀め……。よくも楓と信長殿を引き離してくれたな。この恨み、けっして忘れぬぞ。あやつが『戦に兵を出してくれ』と頼んできても、二度と出してやらぬわい」


「父上……。そんなに恨み言を仰らないでください。信秀様は、信長殿のお父上なのですから」


「し、しかしだな、楓よ。信秀がそなたにこのような苦しみを与えたのじゃぞ。そなたとて、信長殿と引き離されて悲しいはずじゃろ?」


 父にそう言われると、楓はいつも勝ち気な彼女らしくもなく、自嘲ぎみに笑って弱音を吐いた。


「信長殿を愛することこそが、私の運命さだめだと思っていたわ。たぶんそんなに長くはないこの命を、あの人のために燃やし尽くすと心に決めていたもの。

 ……でも、神様って本当に意地悪ね。ようやく病弱な私にも生きがいができたと喜んでいたのに、私と信長殿は運命の相手ではなかった。

 信長殿がいない世界で朽ち果てる――それが私の運命さだめだったのよ。もう諦めたわ。ここ最近、何となく悪いことが起きそうな予感がしていたし。一つだけ心残りがあるとしたら、信長殿がくれた最後のふみにお返事をしなかったことぐらいね……」


「か、楓……。可哀想な我が子よ……」


 家宗は鼻水を垂らして、号泣し始めた。乳母のお勝までもが、野太い声でおいおいともらい泣きしている。供たちの中にも、うつむいてすすり泣く者が少なからずいた。みんな、病弱な姫を見知らぬ土地に送り届けねばならぬことを嘆いているのだ。


(信長殿と妹はあんなにも愛し合っていたとうのに、なぜこんなことに……)


 家長は、人の世の無常を思い、よい明星みょうじょうを仰ぎ見ながら嘆息した。


 一頭の馬のいななき声が生駒家の人々を驚かせたのは、ちょうどそんな時である。


「何奴ッ」


 家宗と家長が楓を守るように前に出ると、数人の供を連れている馬上の侍は、


「驚かせてしまいましたか。これは失礼しました」


 と礼儀正しく言い、馬から下りた。生駒家の供の者が松明たいまつでその顔を照らすと、十四、五歳と思われる少年だった。信長ほどではないが、整った顔立ちをしている。


「あなたがたは、生駒家の方々でしょうか」


「い、いかにも……」


 優しげな風貌の若侍だったため、家宗は少し警戒心を緩めて頷く。


 少年は、生駒父子の前まで歩み寄ると、一礼してその名を名乗った。


「それがし、明智家の臣、三宅みやけ弥平次やへいじと申しまする。我が花嫁殿はご病弱であると噂で聞きましたので、明智領まで道中の供をせんと思い、お迎えに上がりました」


「あっ、婿殿であったか――」


 まさかわざわざ迎えに来てくれるとは思っていなかったため、家宗は驚きの声を上げた。楓は、父と兄の肩越しに、夫となる少年を見つめている。


(心優しそうな人だけど……なぜだか胸の内がざわざわする)


 三宅弥平次。後の明智左馬助(さまのすけ)秀満ひでみつ

 本能寺の変において信長襲撃の実動部隊を率いる運命さだめを持つ男である。

<生駒の方の最初の夫について>


 生駒の方(この小説では生駒楓)は、信長の側室となる前に別の人物に嫁いでいます。『武功夜話』によると、その人物の名は「土田弥平次」であるとされていますが、これは『武功夜話』の作者の創作だと生駒家のご子孫は述べています。


 では、生駒の方の最初の夫は誰なのか?

 生駒家に伝わる家譜には「何某弥平次」と記されています。どういうわけか、「何某」と姓が伏せられているのです。

 この生駒家の家譜は、生駒の方の妹たちの嫁ぎ先の姓名などもしっかり記されているし、彼女の母や兄・家長の妻の実家の姓も記録されている。それなのに、生駒の方の最初の夫の姓だけが「何某」……。


 なぁ~んか怪しい。この記載はちょっと異常です。

 生駒家のご子孫は、この「何某弥平次」というのは三宅弥平次(後の明智秀満)のことで、「明智光秀が「本能寺の変」で織田信長を裏切ったため、家譜を作る際に配慮をしたのかもしれない」(一般社団法人 生駒屋敷 歴史文庫のホームページより)と推測されています。


 今のところ史料上の確かな根拠がある説ではないのですが、小説的には非常に面白い説なので、この物語では「生駒の方の最初の夫=三宅弥平次(明智秀満)」説を採用させてもらいました(*^^*)


 もしかしたら、新史料が発掘されて「やっぱりそうだったのか……!」ってなるかも知れませんからね!!





※次回の更新は、7月18日(日)午後8時の予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ