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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 六章 大暗転序幕
208/231

三河に凶星輝く

 楓が言う「悪しき風」を最初に尾張国に吹かせたのは、言うまでもなく、坂井さかい大膳だいぜん率いる清須きよす衆の裏切りである。


 だが――今まさに、それをはるかに上回る強烈な毒風を尾張にもたらさんと虎視眈々狙う男がいた。駿河・遠江の雄、今川義元である。彼は、織田信秀が清須衆との和平交渉に手こずっている間に、着々と恐るべき企てを進めていたのだった。




御屋形おやかた様。朝比奈あさひな泰能やすよし、参上仕りました」


「おう、老朝比奈。待っておったぞ。もっとちこう寄れ」


 駿府すんぷの今川館。


 宿老の朝比奈泰能は、火急の用件と聞き、領地の遠江掛川(かけがわ)城から駆けつけていた。


 上座の義元の左右には、母の寿桂尼じゅけいにと軍師の太原たいげん雪斎せっさいもいる。両者の厳しい顔つきを見た泰能は、さてはいくさかとすぐに察した。


「……信秀に再戦を挑まれるのですな。前年のごとく総大将は雪斎殿、副大将は拙者でござるか」


「ああ。雪斎と泰能は今川軍に欠かせぬ両翼じゃ。こたびも獅子奮迅の働きを期待しておるぞ」


「ハハッ! お任せあれ! ……それで、今度の戦は、やはり美濃軍との共同作戦になるのでしょうか」


「美濃じゃと? 何故なにゆえ、私が斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)ごときと手を組むと思うのだ?」


「え? あっ、いえ……。美濃よりの使者が駿河に参り、斎藤家の帰蝶きちょう姫を龍王丸たつおうまる様(後の今川氏真(うじざね))に嫁がせたいとの申し出があったと聞きましたゆえ。てっきり、斎藤利政と盟約を結び、信秀を挟撃するのかと……」


「アハハハ。有り得ぬ、有り得ぬ。そのような縁組は天地がひっくり返っても有り得ぬ。たしかに美濃の使者は来たが、そんな馬鹿げた申し出は即座に蹴ってやったわ」


 義元は斎藤利政という梟雄きょうゆうをよほど軽蔑しているのであろう。声を立てて笑った後、真顔に戻り、「私とまむしが縁戚になるなど絶対に有り得ぬ。私利私欲のためだけにいたずらに天下を乱すあの外道を私は好かん」と鋭く切り捨てるような語調でもう一度否定した。


 寿桂尼も息子の言葉に大きくうなずき、「泰能殿。考えてもみなされ」と言う。


「今川家は足利一門の中でも名門中の名門。『御所ごしょ(足利将軍家)が絶えなば吉良きらが継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ』と言われるほど由緒正しき大名家なのです。その今川家が、成り上がり者の蝮と婚姻を結ぶなど有り得るはずがありません。

 ……斎藤利政の父親は、元は油売りだったという噂なのですよ。そのような卑しき家の女子おなごを龍王丸にめあわせるなど、想像しただけでも身の毛がよだちます」


「……ははあ、なるほど。それがしが浅慮でござった」


 今川家の尼御台あまみだいに刺すような眼差しで睨まれた泰能は、苦笑いしつつ彼女に謝った。


 氏親・氏輝・義元と今川三代に仕えている彼は、寿桂尼の姪を妻に迎えており、二人はかれこれ四十年近い付き合いがある。公家の出で気位が非常に高い彼女の性格は知り尽くしていた。今回の縁組の一件、たとえ義元様がだくと申されても、寿桂尼様が承知するはずがなかったな、と密かに納得したのだった。


(だがなあ……。寿桂尼様はまつりごとができても戦はご存知無いから……)


 冷静に判断すれば、美濃の斎藤家と手を結ぶのは悪い作戦ではない。戦において遠交近攻こそが上策なのだ。力攻めを得手とする泰能でも、長年の合戦経験からそれぐらいのことは分かっている。


 修行僧時代に数多あまたの兵法書の極意を会得した義元とて、誰かに指摘されなくてもそのことを十分理解しているはずだ。そのうえで利政の誘いを蹴ったのだから、義元の胸中に遠交近攻の策を凌駕りょうがする妙計があってもらわねば困る。


 泰能は、いささか不遜であると後ろめたく思いつつも、若い主君の思惑を確かめるために「……されど、御屋形様」と強い語調で言った。


「そうなると……正攻法で信秀に戦を仕掛けるのですか? 同族の裏切りで身動きが取りづらくなっていると言っても、あの尾張の虎は連戦練磨の戦巧者でござる。恐らく三河の松平まつだいら広忠ひろただを上手く使い、我らの進攻を阻止しようとするでしょう。世継ぎの竹千代たけちよ(後の徳川家康)を人質に取られている三河武士たちは、脅されたら織田のために死力を尽くして戦うしかありませぬ。何の策も講じずに屈強な三河武士と激突することになれば、昨年の小豆坂あずきざか合戦に匹敵する被害が我が軍に出るかと……」


 御屋形様の返答や如何いかに――泰能は緊張した面持ちで、主君義元を凝視みつめる。


 すると、義元が何か言い出す前に、そばにいた雪斎がフフッと急に笑い出した。


「な、何じゃ、雪斎殿。なぜ笑う。いつも堅苦しい貴殿が何のつもりだ」


「いやいや、これは失礼。『押して駄目ならばもっと押してみろ』が信条のはずの泰能殿が正攻法の戦をおいさめになったゆえ、珍しいこともあるものだなとつい……。ふふふ」


わしとて兵法ぐらい多少はかじっておるわい! あんまり笑うな!」


 泰能は顔を真っ赤にしてそうわめく。いつの間にか、義元もニヤニヤと笑いだしていた。


 泰能という老豪傑は、いるだけでその場の空気を軽くしてしまう天性の陽気者である。そんな彼が柄にもなく重苦しい雰囲気を作って軍略を大真面目に語り出したのだ。義元と雪斎が可笑おかしがり、ついつい吹き出してしまったのも無理はない。(諧謔ユーモアというものを全く解しない寿桂尼は厳しい顔つきのままだったが)。


「お、御屋形様までこの老いぼれをいじめるのでござるか」


「すまぬ、すまぬ。泰能よ、そなたの忠諫ちゅうかんを馬鹿にしたわけではないのだ」


 そう詫びると、義元は上座からおり、泰能の肩に軽く手を置いた。鷹揚おうように微笑んではいるが、その眼光は狼のごとく鋭い輝きを放っている。


「そう案ずるな。この義元が無策で戦を始めるはずがあるまい」


「では、何か良策があるのですな」


「天が今川を助けてくれるのじゃ。もう間もなく、三河武士どもは扇のかなめを失って大混乱に陥るであろう。我らはその混沌につけ入り、三河国を奪取する」


「扇の要を失う、ですと? それはいったい――」


 そこまで言いかけて、泰能はハッと気づいた。


 三河武士たちの扇の要。それはすなわち、松平家の当主・広忠のことに相違あるまい。義元は、近い内に広忠が死ぬ、と言っているのだ。


 広忠が急死すれば、三河国につけ入る隙が生じるのは間違いない。しかし、そんな都合のいいことが本当に起きるというのだろうか?


「広忠はまだ二十四ですぞ。斬り殺されでもせぬかぎり、その若さで突然死ぬはずが……」


「左様。斬られたのじゃ」


「ええっ⁉」


「昨年のことだ。家臣の岩松いわまつ八弥はちやなる者に、村正むらまさの脇差でグサリとやられたらしい。岩松はその場で重臣たちによって誅殺ちゅうさつされたが、広忠の傷は深く日に日に衰弱していて、あと二月ふたつきももたぬやも知れぬという。これは、以前から当家に内通していた松平家のある重臣が極秘に報せてきたことゆえ、かなり信用できる」


 広忠の命数が尽きかけているという情報は、同盟国の甲斐武田家からも数日前にもたらされていた。

 武田晴信(はるのぶ)(後の信玄しんげん)の手紙によると、宿曜道すくようどう(空海がもたらした宿曜占星術)を極めた山本勘助(かんすけ)なる軍師が、


 ――松平広忠の星に凶兆あり。本年三月に落命か。


 と予言したというのである。


 あの武田晴信が信頼を置く軍師のげんならば、広忠の死は確実に迫っていると信じていいだろう。


「……広忠が死の床にあることを織田信秀は知っているのでしょうか」


 泰能の問いに、雪斎が「恐らくまだでしょう」と確信に満ちた声で答える。


「尾張国の内情は、拙僧の同門(妙心寺みょうしんじ霊雲れいうん派)の織田宗伝(そうでん)(犬山城主・織田寛近(とおちか)の弟)が逐一報せてくれています。信秀は、清須衆との和平交渉に気を取られ、三河国の異変に勘付いている気配は今のところありません」


「そういうことじゃ、泰能。電光石火の行動こそが売りだった信秀も、今回ばかりは出遅れるぞ。この今川義元に、とうとう一本取られる。信秀が広忠の死を知った時には、我らは三河の岡崎城をすでに占拠、安祥あんじょう城(三河における織田軍の拠点)に攻め込む態勢を整えていることであろう」


「おお……おお! なるほど! ならば、我々は出陣の備えを急ぎつつ、広忠が死ぬのを手ぐすね引いて待っておればよいのですな! さすがは我が主・義元様! それならば、蝮ごときの手助けなどいりませぬ!」


 合点がいった泰能は、膝を叩きながら嬉々としてそう叫んだ。義元はフッと笑い、「これで老朝比奈殿の満足がいく返答ができたかな?」とおどけた口調で言う。泰能は恐縮して頭を下げ、もちろんでござる、と答えた。


「よいか、泰能。松平広忠が死んだ直後に、我が軍は三河国に雪崩れ込まねばならぬ。雪斎と力を合わせ、出陣の準備を万端整えるのじゃ」


御意ぎょいッ!」


「……哀れなあの男の命数が尽きるのは三月。勝負は再来月じゃ。フフフ……。信秀よ、お前はどう動く?」

<松平広忠の死について>

松平広忠の死の真相に関しては、史料によって語られている内容がまちまちで、まさに諸説紛々です。

ざっくり言うと、「ただの病死説」「家臣の岩松八弥に刺殺された説」「襲われたけれど、殺害には至らなかった説」などなどあります(一揆勢に殺されたという説もあり)。

今作品では、柴裕之氏著『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社刊 中世から近世へシリーズ)で紹介されている「前年に家臣の岩松八弥に村正の脇差で受けた刺傷が原因で死去したともいわれる」(『松平氏由緒書』)という説を採用しました。

今川軍は、三月六日に広忠が死去すると、ほぼ時を置かずに電撃的な軍事作戦を決行しています。まるで広忠が急死するのをあらかじめ知っていて待ち構えていたかのような素早さであることを考えると、今川義元は広忠の体調の異変を何らかの情報ルートで察知していたのかなぁ~と勘ぐってしまいます。(それとも、広忠の死自体が今川の陰謀だったのか……?)



※次回の更新は、5月6日(木)午後8時の予定です。

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