西美濃奪取
利政(道三)が戦場を密かに離脱したことを敵味方の兵が知らぬまま、激闘は夕方近くまで続いた。
戦いの終盤、二頭立波の前立を兜につけた武将を発見したのは、柴田勝家である。
「斎藤利政を見つけたぞ! 我こそは柴田権六勝家なり! 利政よ、観念して俺に討たれ――むむ⁉ その顔は見たことがあるような気が……」
「おひょひょひょひょ。数刻ぶりでおじゃるな、柴田ほにゃらら」
「げぇぇぇーーーっ⁉ よく見たら、おじゃる野郎ではないか‼ これはいったいどういうことだ⁉」
「利政様なら、とーっくの昔に逃げたでおじゃる。お前たちの相手はこの鷹司政光がしてやるでおじゃる」
「ふざけるな‼ お前など、なます切りにしてやるわ‼ さっさと死ね‼」
激怒した勝家は鷹司政光に襲いかかったが、政光も死を決している。死兵ほど手強い敵はなく、政光は兵を巧みに動かして織田勢の猛攻にしぶとく耐えた。
だが、やはり劣勢は覆し難い。政光が右胸と左ももに矢を受けて倒れると、いっきに槍色は悪くなった。
さらに後方から羽田仁左衛門ら土岐頼純(帰蝶の元夫)の遺臣たちが駆けつけて攻めかかり、挟み撃ちにあった鷹司隊は壊滅した。
「これで我が軍の勝利はほぼ決まったな。……しかし、おじゃる野郎の死体が見つからぬ。奴め、どこへ行った?」
幾百と積み重なった屍の上に降り始めの淡雪が舞い落ちる中、勝家は憎き敵将の遺体を探したが、なぜか見つからない。どうやら、あのしぶとい男はぎりぎりまで戦った後、戦場を上手く脱したらしい。
利政だけでなく大野郡国人衆の有力者である政光を取り逃してしまった織田軍は、生き残っている美濃兵をあらかた掃討すると、ひとまず相羽城に入った。
織田造酒丞も、一騎打ちの続きを執拗に迫る明智定明からようやく逃げることができ、信秀本軍と合流した。
響庭合戦はこうして織田軍の大勝で幕を閉じたのである。
* * *
その夜。
信秀は軍議を開き、軍を今後どう動かすべきか諸将に問うた。
「このまま北進して西美濃を完全に制圧するか。それとも反転して、稲葉山城に逃げたと思われる蝮を追うか――それが問題じゃ。皆の者、どう考える」
信秀は血濡れた手で握り飯を頬張りながら、居並ぶ重臣たちを見回す。
織田家の武将たちもほとんどが戦塵を洗い落とさぬまま軍議に出席していて、返り血で顔は真っ赤だった。
柴田勝家のみは、この席にいない。抜け駆けをしたうえ兵を無駄に多く死なせたことを信秀に叱責され、謹慎処分を言い渡されていたのである。
「利政を取り逃がしたのは痛恨の極みでござる。されど、利政を追って稲葉山城に反転しても、あまり益は無いでしょう」
真っ先に、平手政秀がそう発言した。
寛近の翁(織田寛近。犬山城主)も「左様、左様。当初の計画通り、西美濃を完全に掌握することに力を注ぐべきじゃ」と賛同し、目の前に広げている西美濃の地図のある一点――大野郡の重要拠点の長瀬城(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町)を軍扇で指し示した。
「我らは鷹司政光も取り逃がしてしまった。今頃は居城の長瀬城に帰還しているはずじゃ。あやつは利政に忠実な武将ゆえ、我々が稲葉山城攻めに向かえば、生き残った近隣の国人(地方領主)どもをかき集めて我らの背後を衝こうとするであろう」
「なるほど、そうなったら厄介じゃ。ならば、西美濃の敵対勢力をまずは掃討し、後顧の憂いを絶った後に蝮退治をするのが得策ですな。その作戦のほうが分かりやすい」
寛近の翁の言に頷き、佐久間盛重もそう発言した。
信秀がチラリと造酒丞のほうを見ると、最初槍の勇者は「殿の命とあらば、拙者はどこが戦場でも獅子奮迅の働きをしてみせまする」と厳かな声音で言った。人が好い性格なので、勝家に抜け駆けされたことはもうほとんど根に持っていない様子である。すでに、彼は次の戦で功名をあげることに想いを馳せていた。
「……ふむ。信光(信秀の弟)よ、そなたも皆と同じ意見か」
「ああ。穀倉地帯の西美濃を我らがおさえたら、蝮は放っておいても腐れ死にするしかない。逆に言えば、戦の急所々々で思わぬ奇策を放つあの男と直接対決するのは危険だ。今回もあと一歩というところで逃げられてしまった。西美濃という奴の右腕を斬り落とした後、稲葉山城をじっくり兵糧攻めにしてやれば、こちらは大きな痛手を負わずに利政を滅ぼせるだろう」
「よし……。ならば、まずは長瀬城を攻めよう。利政に与する国人衆を攻め滅ぼし、西美濃を手に入れる! 皆々、明朝出陣して長瀬城を目指すぞ!」
決断した信秀が床几から腰を上げ、米粒を飛ばしながらそう下知を出すと、諸将は「おおッ!」と吠え返して立ち上がった。
* * *
寛近の翁の推測通り、鷹司政光は長瀬城に帰還し、軍勢を立て直していた。
重傷の身ながら陣頭指揮を執って籠城の準備を行い、もしも織田勢が背中を見せて稲葉山城に向かう動きをとった場合には、出撃して背後を襲ってやろうと狙っていた。
信秀が攻めて来るか反転するかは五分と五分であろう。政光はそう考えていたが、「織田軍襲来」の報を聞くと、
「それはそれで良しでおじゃる」
そう言って笑い、城での決戦を覚悟した。そして、信頼できる家来に妻子を預けて稲葉山城へ落ち延びさせ、織田勢を全力で迎え撃った。
数日間、押し寄せる織田の大軍相手に政光は善戦した。
弥八郎光政・山田又七などの同郷の美濃武士たちも政光の最後の戦いに駆けつけ、織田軍は彼らの予想外の猛抵抗に苦戦を強いられることになった。
「これでは埒が明かぬ。身共が突撃して、城門を突き破ろう」
大雪が吹き荒れる中、業を煮やした佐久間盛重が手勢を率いて強行を仕掛け、ようやく城門が開かれた。
城内では弥八郎光政と山田又七が待ち受けていて、佐久間隊に猛然と襲いかかったが、両将は金砕棒の一振りで脳漿を飛び散らせながら戦死した。
その後、長瀬城内は二刻(約四時間)ほど大乱戦になった。
織田兵の放火によって城の方々が燃える中、敵大将の鷹司政光がいる本丸に一番乗りしたのは、最初槍の勇者・織田造酒丞である。
「織田造酒丞信房、見参。鷹司政光殿、時刻到来でござる。拙者に討たれるか、腹を切るか、今ここで選ばれるがいい」
「柴田ほにゃららが怒り狂って麿を殺しに来るかと思っていたが、違ったようでおじゃるな。……死に方を選ばせてもらえるのは有り難い。麿は見ての通り重傷で戦えぬ。切腹がしたい。我が家来は全て討ち死にしてしまったゆえ、悪いが貴殿が介錯してくだされ」
ちょうど辞世の句をしたため終えた後だった政光はニコニコ微笑みながらそう言うと、脇差を抜いた。造酒丞は愛用の槍を家来に預け、政光の後ろに立って抜刀する。
「心の準備ができたら言ってくだされ」
「もうできているでおじゃる。……では、御免ッ‼」
十二月一日。雪の日。鷹司政光は城と運命を共にして死んだ。
長瀬城を攻め落とした織田軍は勢いに乗ってさらに北上し、西美濃の奥深くへ侵攻。なおも抵抗を続けた横巻彦三郎ら国人衆を次々と討ち取り、最終的に谷汲山華厳寺(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町)まで軍を進めた。
こうなると、近隣の美濃武士たちも恐れおののくしかない。華厳寺に陣を置いている信秀の元へ我先にと赴き、恭順を誓った。
こうして、信秀は穀倉地帯の西美濃を短期間でほぼ掌握することに成功したのである。信秀の西美濃奪取は、斎藤利政にとっては死を意味した。
* * *
華厳寺に陣を布いて間もないある日のこと――。
信盛(弱いほうの佐久間)と盛重(強いほうの佐久間)は、華厳寺の一室で饅頭を食いながらひそひそ声で雑談をしていた。
「四年前の美濃攻めとは違い、何もかもが上手くいっておりまするなぁ。ここまで幸運が続くと、何だか逆に恐いような気がしますぞ。後々、大不幸に見舞われたりして……」
「縁起でもないことを申すな、信盛。おぬしはこの戦ではまだぜんぜん活躍しておらぬのだから、年明けには行われるであろう稲葉山城攻めでは一番手柄を狙うのだぞ」
「ええぇ~⁉ 私は盛重の兄貴とは違い、金砕棒のごとき強力な武器を振り回す怪力がないのですぞ。無理を言わないでくだされ」
「しっ! 声が大きい。隣室の信秀様に話し声が聞こえる。もっと静かに喋れ」
室内には、二人の佐久間(兄弟ではないが同族)の他に、織田信光や内藤勝介、造酒丞、道家尾張守ら織田の重臣たちが息をひそめて集まっている。
襖の向こう側の隣室では、信秀が降伏者の美濃武将たちを次々と引見しているのだが……。彼らは降伏してきた敵将がどんな顔をしているのか確認するため、さっきからずっとのぞき見しているのだった。
この行為、特に深い意味は無い。
西美濃には武名高き武士が幾人もいるので、その者たちの顔を見たかっただけである。
織田家の武将にはこういう無邪気というか好奇心旺盛な者が多く、後に信長が北伊勢の名将・神戸具盛(友盛)を降した際には、
「北伊勢で大暴れしていて、滝川一益も退けたとう神戸具盛がどんな奴か見てみたい」
と皆で誘い合い、具盛の顔を見るために我先にと謁見の間に駆けつけたという逸話があるぐらいである。
だから、今日も、織田家の武将たちは敵国の有名武将の顔をのぞき見するというミーハーな行為に走っていた。
「おいおい。あの武将、『熊のごとき怪力の持ち主』だという噂とは違ってひょろひょろではないか。盛重殿が金砕棒でぶん殴ったら、京か堺あたりまで吹っ飛んで行きそうだぞ」
「う~む。想像していたのと違い過ぎる。ちょっとがっかりだな……」
「顔がすごく細長い……。あいつ、驢馬みたいな顔だったという諸葛瑾(諸葛孔明の兄)の生まれ変わりではないのか?」
「ということは、きっと弟は天才軍師に違いない。後であいつに弟がいないか聞いて、いたら織田家に軍師として迎え入れよう」
などと、酒と饅頭を飲み食いしながら好き勝手言い合っている。
降将たちを引見している信秀が眉をひそめ、ごほん! ごほん! と咳払いをした。もう少し静かにしていろ、と注意したのだ。
降伏者たちの引見は昼過ぎまで続き、夕方近くには来訪者の数もだいぶ落ち着いてきた。
「今日の引見はこれぐらいか」
「また明日のぞき見しよう」
織田家の武将たちがそう言って腰を浮かせかけた時、荒々しい足音とともに何者かが信秀のいる部屋に駆け込んで来た。
「おや。まだ客がいたのか」と思い、のぞき魔たちは再び襖をちょっとだけ開けて隣室を盗み見る。
「む? あれは……信長様の側仕えの山口教吉(鳴海城主・山口教継の子)にそっくりだな。いや、待て。そっくりではなく教吉本人だ」
「教吉だと? 教吉は信長様とともに那古野城にいるはずだ。何をしに来たのだ?」
「ずいぶんと慌てた様子で、殿に書状を渡している。まさか、尾張で変事でもあったのでは……」
皆がそう心配していると、その嫌な予感は的中してしまったらしい。教吉から受け取った信長の書状を読んだ信秀は、
「な……何だと⁉」
と、両眼を大きく開いて驚愕の声を上げていた。
何度も読み返した後、書状を手に持ったまま立ち上がり、襖をガラリと乱暴に開ける。
「評定じゃ! 今すぐ評定を開くぞ!」
隣室に隠れていた重臣たちに、怒り狂った表情でそう怒鳴った。信秀の顔は真っ青になっている。
これはただごとではないと判断した信光が「兄上。いったい何があったのだ」と問う。信秀は苛立ちながら再度吠えた。
「裏切りじゃ! 尾張で裏切り者が出た! 我らの領地と家族が危ない!」
「裏切り⁉ いったい何者が――」
「この信秀の主家だ! 織田大和守家(尾張下半国守護代)が、我が居城を攻めておる!」
裏切ったのが織田大和守家と聞いて、一同は「ええっ⁉」と仰天した。
信秀の主君である達勝は、信秀の最大の理解者といっていい人物である。あの老人が守護代であるかぎり、信秀は後顧の憂いなく他国との戦に専念できるはずだった。それなのになぜ――?
「わ、わけが分からぬ。兄上、その報せはまことなのか?」
「詳しい話は、評定の席で教吉がしてくれる。とにかく、皆は広間に集まれ。事は急を要するぞ。急げ、急げ!」
頭に血がのぼっている信秀は、狂ったようにそう怒鳴り散らす。
そんな主君の様子を見ていた盛重は、
(信盛の馬鹿が「後々、大不幸に見舞われたりして」などと縁起でもないことを申すから、本当になってしまったわい……)
と、心の中でぼやいているのであった。
<次回の更新について>
来週はお正月休みをいただき、次回の更新は1月10日(日)午後8時にさせていただきたいと思います。ご了承ください。
2021年も応援よろしくお願いいたします!!m(__)m
信長様から2020年最後の一言……
信長「俺、2020年の連載でずっと15歳だったんだが……。いつになったら桶狭間合戦までいくんや!!」
作者「たぶんこの調子だと10年以上先???」
信長「絶対に作者筆を折ってるだろ……」
作者「読者さんが応援してくれるかぎり、ぼくは死にましぇーーーん!!!」
信長「唐突な武田鉄矢で草」




