二虎、天地を震わす
最初槍の勇者・織田造酒丞は、道家尾張守の手勢を伴い、戦場に現れた。戦線が想定以上の大混戦に陥っていたため、中備えにいた道家隊に応援を頼んだのだ。
「抜け駆けされて出遅れるとは、何たる不覚! 大功を立てねば、殿に合わせる顔が無い!」
造酒丞はそう叫びつつ、柴田勝家に盗まれた愛馬の姿を探していた。
鬼喰の気性から考えて、勝家を振り落として今頃はそこらへんをさ迷っているはずだ。乗り慣れぬ馬よりも鬼喰に跨って奮戦したいと考え、必死に我が愛馬を見つけようとしていたのである。
「造酒丞殿。あそこでのんびりと草を食んでいる馬ではないのか。太くたくましいあの姿、鬼喰にそっくりじゃ」
「おお、あれはまさしく我が鬼喰。道家殿、見つけてくれて感謝するぞ」
尾張守に礼を言うと、造酒丞はピューッと指笛を吹き、「来い、鬼喰ッ!」と怒鳴った。
すると、鬼喰はハッと頭を上げ、主人めがけて嬉しそうに疾走してきた。
あっという間に造酒丞のそばに駆け寄り、並走する。俺に早く乗れ、と言わんばかりに猛々しくいなないた。
「良い子だ、良い子だ。そう急かさなくても、今すぐ乗ってやる。……それ!」
造酒丞は鋭い掛け声とともに、馬上から飛んだ。重い甲冑を身に着けている人間とは思えぬ身のこなしで、源義経の八艘飛びのごとく高々と。
「あ、相変わらず滅茶苦茶な……。腰痛持ちの俺にはとても真似できぬ芸当だわい」
鬼喰の背に跨った造酒丞を見て、尾張守は呆れ気味にそう呟く。そんな同僚の反応を特に気にすることもなく、造酒丞は「さて、突撃するぞ」と息巻いた。
「拙者はあの戦狂いの髭もじゃの相手をする。道家殿は、我が手勢を預けるゆえ、佐久間・柴田隊の合力を頼む。盛重殿と権六(勝家)殿は明智定明に苦戦して、兵の指揮を執るゆとりがないようじゃ」
「あい分かった」
「……いざ! 速攻! 強行! 不退転!」
両将は馬腹を強く蹴り、頼明老人と定衝が指揮している明智勢に突っ込んだ。
尾張守は「者共、怯むでない! 助けに参ったぞ!」と佐久間・柴田隊を励まし、自らの手勢と造酒丞隊の精鋭兵を合戦に投入させる。
一方、造酒丞は、雑兵たちには目もくれず、大暴走をしている美濃の怪物めがけて疾走した。頼明老人が「あの将は攻撃するな」と指示を徹底していたため、統率が行き届いた明智隊の兵は造酒丞が近づくとさっと避けて散らばった。おかげで、造酒丞は易々と定明に接近することができた。
「盛重殿! 権六殿! どけ! そいつは拙者が相手する!」
猛烈な勢いで突撃し、槍を紫電一閃振り下ろす。
己の間合いに入る前から造酒丞の凄まじい闘気を肌で感じ取っていた定明は、「来たかぁーッ! 最初槍の勇者ぁーッ!」と気炎万丈吠え、血吸の槍を轟と横に払った。
焔と化した刃と刃が、戛と音を響かせてぶつかり、大きな火花が散る。さらにすれ違いざまに両雄は槍を旋回させ、再び火花を咲かせた。
「待っておったぞ、我が想い人!」
「気色の悪いことを申すな、髭もじゃ。汝の遊び相手になるのはもう懲り懲りだが、しばらくの間付き合ってやる。それゆえ、他の者には手を出すな」
「よいぞ、よいぞ! 俺は、宿命の好敵手であるおぬしと再び戦える日を一日千秋の思いで待っておったのだ! 死ぬまで殺し合う敵は、やはりおぬしがいい! おぬしでなければ、武将として生まれてきた意味が無い! 俺はおぬしに殺されたい! 俺はおぬしを殺したい!」
「……思っていた通り、血の臭いに酔って戦うことしか考えられなくなっているようだな。だが、少し待ってやるから止血ぐらいしろ。さっきから額や左肩から血が溢れて大変なことになっておるぞ。それでは十全に戦えまい」
「なぁ~にを言うか! この痛みが、噴き出す血の臭いが、俺をさらに奮い立たせてくれるのじゃ。止血など、あとあと! いざ殺し合わん!」
定明は爽やかな笑顔で気の狂ったことを言うと、がーはっはっはっ‼ と大笑しながら突進してきた。造酒丞も「チッ。会話がちっとも成立せぬ奴め」と呟き、鬼喰を疾走させる。
殺人馬の鬼喰。
綺羅星丸改め星影。
両雄の馬は、どちらも風神の化身のごとき速さを誇る軍馬である。飛矢の勢いで駆け、二将は三度激突した。
造酒丞は不敗の槍を閃々と煌めかせ、定明は血吸の槍でりゅうりゅう打ちかかる。
両雄とも秘術奇術を最初から惜しみなく出しきり、戛々と鋭い金属音を響かせて凄まじい技の応酬を繰り広げた。
動きが単調な分、定明は何度か造酒丞に隙を突かれて新たな傷を複数負ったが、本人の言の通り、傷が増えれば増えるほどこの戦狂いは元気になる。全身血まみれになってもなお、定明は炎々と燃え盛って闘い続けた。
火花舞い、風唸り、血しぶき飛ぶ死闘は、三十合、五十合、七十合と全く終わる気配が無い。幾度となく鞍と鞍が激しくぶつかり合うほど肉薄し、武を競った。
ひたすら殺し合い、殺し合い、殺し合い続けたが、決着は一向につかない。殺しても死なぬような怪物二人が殺し合っているのだから、勝負がつくはずがない。
両雄の怒号は美濃の大地を震わし、斬り結んで生じる火の花は蒼天を焦がした。これには二人の一騎打ちを雲上より見下ろしていた神々も驚き怯えたようで、どこからともなく烈風を吹き起こして二虎の勝負を遮ろうとした。
だが、造酒丞と定明は、神々の妨害など物ともせず、槍の刃で風を切り裂きながら激闘に激闘を重ねる。闘いに終わりは無い。
織田方の兵も、明智隊の兵も、二人の勇者の死闘に見惚れてしまい、しばし戦いの手を止めて呆然と見物していた。この調子だと、二人の決着が着く前に、明智隊が内応する約束の時間が訪れそうである。
「権六。あともう少しで刻限じゃ。明智隊が約束通り道を開けてくれたら、一気に斎藤利政(道三)の本陣へ雪崩れ込むぞ。それまでに体力を回復させておけ」
造酒丞が戦ってくれているうちに左肩の止血の処置をした佐久間盛重が、金砕棒をつかんで勝家に言う。勝家は「承知」と短く返事をして、兜の緒を締め直した。
(……しかし、あの戦狂いがまことに退いてくれるのだろうか。「まだ戦い足りぬ!」などとぬかして、暴れ続けるのでは? ふ、不安だ……)
* * *
前線で激闘が繰り広げられている頃――斎藤軍の本陣では、矢継ぎ早に驚くべき報せが舞い込んでいた。
「鵜飼弥八郎殿と筑摩弥三右衛門殿がお討ち死にッ!」
「横巻弥三郎殿が落馬して退却ッ!」
「鷹司政光殿が明智定明殿に半殺しの目に合い、重傷ッ! 現在退却中ッ!」
戦場の物見にやっていた武者たちの報告に、床几に腰かけている利政はしきりに首を傾げて「分からぬ。どういうことじゃ……」と呟く。
「先陣は明智隊だったはず。何故、大野郡の国人衆たちが先に織田勢と戦っておる。しかも、明智定明はなぜ味方の政光を半殺しにしたのだ」
「どうも鷹司殿たちは定明殿の馬に毒の餌を食わせ、抜け駆けしたようです。それで、定明殿は激怒したようで……」
嫡男の新九郎利尚(後の斎藤義龍)がそう言うと、利政は「チッ。政光の阿呆め。あの戦狂い相手に抜け駆けなどしたら、本当だったら殺されているぞ。あの狂乱の武者は何をするか分からぬ。命があっただけ、まだ幸運じゃ」とぼやきながら顔をしかめる。
すると、すぐに新たな報告が本陣にもたらされた。
「ご報告いたします! 明智隊が織田勢と槍合を始め、定明殿が織田方の織田造酒丞と一騎打ちに及んでいるとのことです! 両雄相譲らず、すでに百合以上死闘を続けています!」
「なんと。あの怪物と百合も槍を交えて生きている男がいるというのか。織田造酒丞……最初槍の勇者と織田家中で呼ばれておる武将じゃな。なるほど、仰々しい異名は伊達ではないようじゃ」
利政は最初驚いて感心していたが、なぜかすぐに表情を曇らせ、「……明智がこの俺のために奮闘を? ううむ……」と思案顔で独り言を呟いた。
「……明智隊の兵の働きぶりはどうじゃ。ご老体の頼明殿はちゃんと指揮を執れておるか」
「はい。佐久間盛重・柴田勝家・織田造酒丞・道家尾張守の四部隊を一手に引き受け、今のところは互角の戦いをしているようです」
(戦狂いの定明はともかく、俺のことを毛嫌いしている頼明のジジイも斎藤軍のために全力で戦っているというのか……)
明智隊が獅子奮迅の働きをしていると聞き、利政はますます眉間の皺を深くした。
味方の先鋒隊ががんばっているのだ。普通なら喜ぶべきことだ。そのはずなのに、利政の不安は夜の闇が広がっていくように大きくなる一方である。
利政は、明智一族が織田や六角と通じているという情報を現時点ではつかんでいない。しかし、策謀の鬼としての本能が「明智一族を信じたら危険だ」と利政に激しく訴えていたのである。
「明智隊だけで織田の猛将たちの部隊を退けるのは厳しいでしょう。それがしが合力に参りまする」
利政が黙り込んで難しい顔をしていると、安藤守就が静かに立ち上がってそう名乗り出た。守就は、利政が奮闘中の明智隊の息切れを心配しているのだと思い、助勢に行くと言ったのだ。
だが、利政はそんな心配などしていない。心配は別のところにあった。
その「心配」というのが、いったい何なのか。それは利政自身にもハッキリとは分からぬ。しかし、こういう時の「判然としない不安」は経験上よく的中するものだ。ここは直感に従い、動くべきである。
「…………いや、全軍で押し出す。敵が何らかの罠を仕掛けてくる前に、我が軍の総力をあげて織田軍に突撃する。本陣に退いた鷹司隊と横巻隊の兵の生き残りも加え、総責いたす。新九郎よ、全軍突撃の合図をいたせ」
「えっ……。さ、されど、父上。本軍の兵たちは度重なる急行軍の無理が祟って疲弊しきっています。鵜飼殿や筑摩殿が討ち死にして、大野郡の国人衆たちの間にも動揺が走っている様子。いま力攻めをしても、織田軍に押し返されるだけでは……」
「つべこべ申すな! このまま陣の後方で大人しく座っていたら、俺は恐らく死ぬ! そんな予感がするのだ!」
利政はそう怒鳴りながら新九郎を乱暴に蹴ると、「者共、出陣じゃッ‼」と獣のごとく吠えた。
かくして、斎藤軍は開戦早期の段階で全軍総攻撃に移ったのである。それは、織田軍側にとっては想定外の動きだった。




