新たなる豪傑
「さあさあ、どうした。美濃の弱将たちよ。なぜ挑んで来ぬ。我が金砕棒の威力に臆したか。恐いのなら、四人まとめてかかって来てもよいのだぞ」
馬上の佐久間盛重は、鉄板と無数の鉄鋲で覆われた八角棒を軽々と肩に担ぎ、鷹司政光ら四武将を挑発した。
武士が臆病者呼ばわりされて黙っていられるはずがない。四人の中で一番短気な鵜飼弥八郎が、「おのれ! おぬしごとき、拙者一人で十分じゃ!」といきりたち、太刀を振りかざして突撃しようとした。それを「待つでおじゃる、待つでおじゃる」と止めたのは、鷹司政光である。
「麿たちは金砕棒の使い手と戦ったことがないでおじゃる。手の内の分からぬ相手と一騎打ちするのは剣呑でおじゃる。ここは遠巻きに包囲して矢を放ち、敵将が弱るのを待つでおじゃる」
「む、むむ……。たしかに、鷹司殿の言う通りじゃ……」
使い手の怪力を大いに発揮する金砕棒が流行ったのは、『太平記』の英雄豪傑たちが武を競っていた南北朝時代のことである。
室町時代以後もこの打撃武器を使う武将はいたものの、この頃にはだんだんと廃れてきていて、金砕棒を得物にする武将と戦場で遭遇する機会はめっきり減っていた。
だから、彼ら大野郡の国人衆たちも、金砕棒の使い手と戦うのはこれが初めてだったのである。うっかり挑発に乗って初対面の武器に挑めば、それこそ初見殺しの罠に陥りかねないだろう。
「囲め、囲め! 金棒を持ったあの鬼を包囲しろ!」
「矢の雨を降らし、じわじわとなぶり殺すのじゃ!」
筑摩弥三右衛門と横巻彦三郎が、政光の策に従い、配下の兵たちに矢を射かけさせた。
だが、美濃兵たちは、突如戦場に現れた悪鬼にすっかり怯えきってしまっている。びくびくしながら放った矢には、全く勢いがなかった。盛重は「何だ、このひょろひょろ矢は」と笑い飛ばしながら、蠅か蚊をはたくかのように、飛来した矢を次々と金砕棒で叩き落としていく。
「美濃兵の弓術は遊戯に等しいな。……次はこちらの番だ。者共、かかれッ‼」
盛重が大音声でそう号令すると、佐久間隊の槍兵たちはおのおの咆哮を上げながら攻めかかった。
盛重自身も軍勢の先頭に立ち、金砕棒を打ち振るって矢の雨から配下の兵を守る。大将自らが壁となって突進してくるとは、大胆極まりない豪傑である。
「う、うわわ! 金棒を持った鬼がこっちにやって来た!」
瞬く間に肉迫されてしまった美濃軍の弓兵たちは慌てふためき、弓矢を投げ捨てて散り散りに逃げ始めた。
政光が「逃げるな! 逃げたら殺すでおじゃる!」と喚いたが、おじゃおじゃ言っている自軍の大将よりも、凶悪な金棒を持った悪鬼のほうが恐いに決まっている。命令など無視だ。
「ええい! やはり、あの鬼を討ち取らねば、兵たちの士気が下がる一方だ! 鵜飼弥八郎、一騎打ちを所望ッ!」
「鵜飼殿、待てと言っているでおじゃる! 馬鹿正直に一対一で挑む必要はないでおじゃる! 柴田ほにゃららを追いつめた時と同じように、四人がかりで撃破するでおじゃる!」
うわぁ! と叫びながら前へ飛び出した鵜飼弥八郎を追い、政光と筑摩・横巻の三将も突撃していく。
敵四将が挑みかかってくるのを見た盛重は、「そうだ。そうこなくては。まとめて敵を屠るほうが手っ取り早くてよい。戦は、そういう分かりやすいのが好きだ」と豪快に笑い、馬腹を強く蹴る。金砕棒を車輪のごとくブンブンブーンと振り回しながら、政光たちと激突した。
「一に骨を砕き! 二に吹っ飛ばし! 三、四で肉を潰して! 五でまた砕く! ……これこそ、金砕棒の分かりやすい戦い方じゃぁぁぁい‼」
そう叫んだ直後、盛重は稲妻の速さで金砕棒を振り降ろし、太刀を握る鵜飼弥八郎の右手の骨を粉々にした。利き腕を砕かれた弥八郎は「ぎゃ⁉」と声を上げ、刀を落とす。
「鵜飼殿! ……おのれ! 許さぬぞ!」
同郷の友の危機を救おうと、筑摩弥三右衛門が強烈な槍の刃を繰り出してきた。
しかし、連戦練磨の盛重にとっては、実に生温い攻撃である。あっさりと金砕棒で槍をはたき落とし、続けざまに弥三右衛門の胴に猛烈な一撃を浴びせた。
「ごふっ……!」
甲冑は刀の斬撃は防げるが、金砕棒の重い打撃までは防げない。内臓をいくつか破壊された弥三右衛門は吐血しながら大きく吹っ飛び、右手を砕かれてもがき苦しんでいた弥八郎と激突、そろって落馬した。
両人ともすでに虫の息であると判断した盛重は、「首を獲れ」とそばにいた従者に言葉短く命令する。盛重の従者は駆け寄り、身動きが取れない両将の首を刎ねようとした。
「ああー! や、やめろでおじゃるぅー!」
「鵜飼殿と筑摩殿から離れろ!」
鷹司政光と横巻弥三郎は、風前の灯火の二人を救出するべく、盛重の従者に襲いかかろうとする。
盛重はそうはさせじとばかりに立ちはだかり、弥三郎の顔面を狙って、ゴオォォォと風を唸らせながら金砕棒を突き出した。
「ぬ、ぬお⁉」
弥三郎は大きく身を反らし、紙一重で回避する。
しかし、不覚にも手綱をはなしていまい、どうっと落馬した。馬から落ちた弥三郎は白目を剥き、動こうとしない。どうやら気絶したようだ。
「おじゃる野郎、次はお前の番じゃ」
「ちょ、調子に乗るなでおじゃる! これでも喰らえ!」
まともに戦っても勝てないと判断した政光は、大胆な賭けに出た。愛用の槍を盛重めがけて力いっぱい投擲したのである。
これにはさすがの盛重も少し驚いたようだ。「小癪な!」と怒鳴りながら金砕棒を横に払い、流星のごとく飛来した槍を何とか弾き飛ばした。
その瞬間に生じたわずかな隙を狙い、政光は綺羅星丸の腹を強く蹴って突進してくる。
「死ねよやぁぁぁぁぁぁぁでおじゃる‼」
一陣の風と化した綺羅星丸の速さは凄まじい。瞬く間に距離を詰め、守りががら空きになった盛重の心臓を貫くべく、政光は白刃を猛然と突き出した。
しかし、政光のこの起死回生の賭けは、不発に終わったのである。横合いから斬りかかって来た武者の刃が、政光の突きをはね返したのだ。
「卑怯な手ばかり使う奴め! そうはさせぬぞ!」
「し……柴田ほにゃらら⁉」
政光の攻撃を阻止したのは、盛重が戦ってくれている間に家来の馬に乗り換えた柴田勝家だった。
勝家は、「四対一でさんざんいたぶってくれた仕返しだ!」と叫ぶと、太刀を燦と煌めかせ、烈火の勢いで政光に襲いかかった。
政光は、形勢逆転の大博打が失敗して動揺しているため、勝家の怒りの猛攻を防ぎきれない。二度、三度と攻撃を受け損ね、体のあちこちに刀傷を作った。
そうこうしている内に、戦闘不能に陥っていた鵜飼弥八郎と筑摩弥三右衛門が、盛重の従者によって首を落とされ、指揮官を失った鵜飼隊と筑摩隊の兵は算を乱して遁走を始めた。横巻隊も、気絶した大将の横巻弥三郎を後方の陣に避難させようと、離脱を開始している。知らぬ間に、前線で戦っているのは鷹司隊だけになっていた。
佐久間隊と柴田隊に押しに押され、政光は「ひ、ひええっ⁉ もしかして、麿、絶体絶命でおじゃるか⁉」と狼狽する。
「に……二対一なんて卑怯でおじゃる! おぬしたち、それでも武士でおじゃるか!」
「うるさい! 四人がかりで俺に襲いかかってきたくせに、何をぬかす! 潔くここで死ね!」
「ぴ……ぴえ~ん!」
憤怒の形相で迫り来る勝家から逃げれば、悪鬼のごとき盛重がその先で待ち受けていて、金砕棒を振り回して襲ってくる。政光は半泣きで逃げに逃げ、逃げ惑い続け、どんな険しい山岳も軽々と走破できる綺羅星丸が「ひ……ひひぃ~ん……」と弱々しくいななくほど、グルグルと同じところを延々と走り回り続けた。
「み……味方の後続部隊はまだ来ぬのでおじゃるか⁉ は、早く助けに来てくれないと、高貴な麿が尾張の田舎侍たちに殺されてしまうでおじゃるぅ~! こんな雅ではない死に方は嫌でおじゃるよぉ~!」
先祖が公家とはいえ、政光も美濃のれっきとした武士である。戦で死ぬ覚悟ぐらいはできている。だが、この世を去る時には辞世の句をきちんと残して、血筋正しき者らしい最期を迎えたいという願いもあった。
こんな切羽詰った状況では辞世の句など考えている余裕がないし、句ができたとしても、怒り狂っている柴田勝家が敵将の辞世の句を最後まで聞いてくれるとは思えない。上の句を詠んでいる間に、叩き斬られそうだ。だから、こんなところで殺されたくはなかったのである。
「味方の援軍はまだでおじゃるかぁぁぁ!」
政光はもう一度、悲鳴に近い声でそう叫んだ。
すると、その直後、北方から砂塵が上がり、軍馬の地響きが聞こえてきた。
とうとう味方の応援が来たか、と喜んだ政光は顔を輝かせ、後方を振り向く。しかし、その軍旗――水色桔梗の旗を見て、「うげっ」と嫌そうな声を上げた。
「あ……明智隊……。あの戦狂いの怪物、もう復活したのでおじゃるか……」
目を凝らしてよく見ると、こちらに急接近しつつある明智隊の先頭にいるのは明智定明である。愛馬を失った彼は、徒歩でここまで駆けて来たらしい。落馬時に怪我をしたのか、頭からは血がだらだらと流れていて、その憤怒に満ちた顔は冥界の閻魔大王のごとく朱色に染まっていた。
「鷹司政光ーーーッ‼ そこを動くなぁーーーッ‼」
先陣を奪い、愛馬を毒殺した政光に対して激しい怒りを覚えているのだろう。定明は血吸の槍を高々と掲げ、大怒号を上げながら、まっしぐらにこちらに向かって来ている。その天を裂き、地を割らんばかりの喚叫に、柴田隊と佐久間隊、鷹司隊の兵たちはギョッと驚いて戦いの手を止めた。
「も……盛重殿。あの化け物じみた男は何者でしょうか? 凄まじい怒気と狂気を感じます。まるで、閻魔が獄卒どもを率いて地獄からやって来たかのような……」
「水色桔梗の軍旗を掲げておるゆえ、あれが美濃の怪物の明智定明であろう。気をつけろ、権六。あの男、理由は分からぬが怒りのあまり正気を失っているようだぞ」
勝家と盛重は警戒し、兵たちに臨戦態勢をとるように指示を出す。
一方、助けが来たかと思ったら現れたのが明智定明だったため、政光は顔を真っ青にさせていた。
「あ……明智定明殿。さ、さっきはすまなかったでおじゃる。抜け駆けしたことは謝るでおじゃる。だ……だから、今は助けて欲しいでおじゃる」
「黙れ黙れ黙れ‼ 織田勢と戦う前に、まずはお前から血祭りに上げてやるわぁぁぁ‼」
「ぎ……ぎょえぇぇぇぇぇぇ‼」




