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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 五章 濃尾参州燃ゆ
188/231

饗庭合戦開幕す

 造酒丞さけのじょう危惧きぐした通り、鬼喰おにくいは敵陣目前で暴れ出し、くらまたがっている柴田勝家を慌てさせた。


「お、おい。暴れるな。急にどうしたのだ」


 勝家は必死になって手綱を操り、鬼喰を落ち着かせようとするが、怒り狂う暴れ馬を制御できない。落ちろ、落ちろ、落ちろ! と言わんばかりに、自分の背に乗る「主人ではない男」を振り落とそうとしていた。


 この鬼喰という馬は、気性がはなはだ荒々しく、気位が高い。主と認めた造酒丞以外の者が自分に跨ったら、しばしその人物の力量を見定めた後、「この男は不可」と判断してたちまち暴れ出す。容赦なく振り落とし、落馬したその人間の顔を踏みつぶすのである。過去に、数人が鬼喰に命を奪われていた。勝家もまた不可と断じられ、その命は敵と遭遇する前から風前の灯火にあった。


御大将おんたいしょう! 敵勢が押し寄せてきましたぞ! 突撃のご命令を!」


「わ……分かっておる! されど、この馬が俺の言うことを聞かぬのだ! うわわ! お、落ちる!」


 鬼喰が激しく暴れ、危うく振り落とされそうになったが、勝家も後に信長軍団の筆頭格の武将に成長する男である。何とか持ちこたえ、落馬を免れた。


「御大将! 何を遊んでいるのですか! 早く我らに指示を!」


「遊んでなどおらぬわ! 見て分からぬか! ……うおおお⁉ 今度はいきなり走り出したぞ⁉」


 なかなかしぶとい奴め。暴れただけでは落馬しないのなら、猛烈な速さで疾走して振り落としてやる。鬼喰はそう考えたらしく、ぶがごとき勢いで走り出した。


 放たれた一本の矢と化した鬼喰は、勝家を背に乗せたまま、単騎で敵勢へと突進していく。置き去りにされた配下の将兵たちは「ああ! 御大将!」と慌てながら追いかけたが、どんどんと引き離されていき、数分後には勝家ただ一騎で敵の先手衆と接敵せってきしてしまっていた。


 こうなったら、もうヤケクソである。勝家は鬼喰に死に物狂いでしがみつきつつ、槍を遮二無二しゃにむに突き出し、敵将に名乗りを上げた。


「わ、我こそは柴田権六(ごんろく)勝家なり! いざ尋常に勝負ッ!」


 そうわめきながら繰り出した一撃を、ひたいに星形の白斑はくはんがある馬に跨った敵将は槍を横に払ってガチン! と弾き返す。


「おーひょっひょっひょっ。たった一騎で敵軍に殴り込んでくるとは、勇気があるのか馬鹿なのか。若造よ、喜べ。その度胸に敬意を表して、この鷹司たかつかさ四郎右衛門尉しろうえもんのじょう政光まさみつが相手してやるでおじゃる」


「お……おじゃる? 何だ、お前。明智あけち定明さだあきではないのか?」


「あの戦狂いの髭もじゃなら、今頃は自分の愛馬と仲良くねんねしているでおじゃるよ! おーひょっひょっひょっ!」


 鷹司政光は耳障りな高音でそう大笑すると、馬腹を蹴って「それ行け、綺羅星丸きらぼしまるッ」と愛馬を叱咤した。綺羅星丸はヒッヒーーーン☆といななき、勝家に猛然と突撃してくる。


「な……何なのだ、この奇怪な喋り方をする武将と変わった名前の馬は」


 勝家は当惑し、戦意が削がれてしまった。こんな馬鹿がなぜ先鋒隊を率いているのか。明智定明はなぜ出て来ないのか……。


 困惑と疑問が頭の中で渦巻いたが、政光が軽捷けいしょうな槍さばきで襲いかかってくると、余計なことを考えている余裕はたちまち無くなった。


(こいつ……思いの外、強い!)


 ビュウビュウと疾風はやてを巻き起こしつつ繰り出される乱れ突きの凄まじさに驚き、勝家はクワッと両眼を大きく開く。一瞬たりとも気を抜けば、防ぎきれない。


「こ……この! 馬が暴れてさえいなければ……!」


 鬼喰はいまだに猛々しく暴れ、偽の主人の支配から逃れようとしている。勝家は落馬しないように踏ん張りつつ、政光の猛攻を何とかしのぎ続けたが、どう考えても分が悪かった。早くこのおじゃる野郎を倒さなければ、勝家の体力はもたないだろう。


「おーひょっひょっひょっ! どうした、どうした! おぬしの技量はその程度でおじゃるか? まだまだ行くでおじゃるよ! おーじゃ! おーじゃ! おじゃおじゃぁぁぁ‼」


「い、いちいち掛け声を出す時におじゃおじゃ言うな! こっちの気が抜けるわ! ……ええい、これでも喰らえッ!」


 勝家は、敵将の奇妙なおじゃる口調に調子を狂わされながらも、わずかな隙を突いて反撃の刃を放った。疾風迅雷の槍術を誇る政光にも十手に一手は攻撃の速度が緩む時があることを卓越した洞察力で見抜き、その瞬間を狙ったのである。


 しかし、運悪く、その乾坤けんこん一擲いってきの逆襲は政光にぎりぎりでかわされてしまった。


「おおーっと! びっくりしたでおじゃる! 柴田ほにゃららよ、おぬしなかなかやるでおじゃるな。この若造は油断ならんでおじゃる。……皆の者、一気に押し包んでこやつを殺すでおじゃる!」


 勝家が秘めている雄武ゆうぶの片鱗を垣間見た政光は、この敵将との一騎打ちは危険であると即座に判断し、配下の槍兵たちに勝家を包囲させた。勝家は「一騎打ちを中断するとは、卑劣な!」と怒鳴ったが、政光はフフ~ンと嘲笑あざわらっている。


 おじゃおじゃ言っていて味方の武将たちからは馬鹿だと思われがちだが、政光は殺し合い大好きな明智定明とは違い、臨機応変な戦いを好む武将である。こちらが優勢なのにわざわざ実力が拮抗きっこうしている敵将と一騎打ちしてうっかり討ち死にしてしまう危険を冒す必要は無い、と考えていたのだ。


「く、くそ! 鬼喰よ、頼むから今は暴れないでくれ! このままでは、お前も俺と一緒に死ぬぞ!」


 勝家は必死に槍を振るい、四方八方から押し寄せてくる刃の波を三、四度弾き返した。

 だが、そろそろ体力の限界である。荒馬に悪戦苦闘しながら敵兵と戦うのは、最初から無理があった。


(目がかすみ、槍を振るう腕がしびれてきた。もはやこれまでか……)


 勝家は、死を覚悟しかけた。


 柴田隊の将兵が駆けつけたのは、ちょうどその直後のことである。


「御大将を守れ! 敵兵を退けるのだ!」


 ようやく主人に追いついた勝家の家来衆は兵たちにそう怒鳴り、柴田隊は鷹司隊と激しく槍合やりあわせを始めた。


 勝家は、九死に一生を得たか、と安堵のため息をつき、「誰か! この荒馬から下りたいから手伝ってくれ!」と戦闘中の家来数人に声をかけた。兵たちが奮戦してくれている間に別の馬に乗り換えないと、ろくに部隊の指揮も執れない。一刻も早くこの殺人馬に跨っている恐怖から逃れたかった。


 だが、そう簡単には思惑通りいかないのが戦場というものである。

 一難去ってまた一難というべきか。斎藤軍の新手の部隊が色とりどりの軍旗をはためかせながら現れた。政光と共に明智隊を出し抜いた、鵜飼うかい弥八郎やはちろう筑摩ちくま弥三右衛門やざえもん横巻よこまき彦三郎ひこさぶろうら大野郡の国人衆こくじんしゅうたちの手勢である。


「鷹司殿に先を越されてしまったわい!」


「なんのなんの! 戦はここからが本番じゃ!」


「我ら大野郡の国人衆の力を織田軍に見せつけてやろうぞ!」


 砂塵を巻き上げ、鵜飼・筑摩・横巻の三部隊が突撃してくる。柴田隊は同等の兵力の鷹司隊と互角の戦いをしていたが、こうなってしまうと多勢に無勢である。


 救援を得た鷹司政光は、「おーひょっひょっひょっ! このまま兵力差で押し切るでおじゃる!」と勢いづき、かさかって猛攻を仕掛けて来た。


「こ……このままでは我らは全滅です! 一時撤退のご命令を!」


 勝家の家来たちが動揺してそう言うが、勝家は今もなお鬼喰に振り回されていて、兵たちに命令を下す余裕などあるわけがない。


「ま、待て待て。て、撤退の前に俺をこの馬から下ろして……こ、こら! ここぞとばかりに力いっぱい暴れるな!」


「御大将! いつまで馬で遊んでいるのですか! いい加減にしてください!」


「だから遊んでなどおらぬと申しておるだろうが! お前たちこそいい加減に……おわっ⁉」


 柴田隊の槍衾やりぶすまを突破した四人の敵将が、勝家に一斉に襲いかかってきた。


 勝家は驚きつつも、鵜飼弥八郎の疾風の太刀を野生の勘で咄嗟とっさにかわした。


 しかし、その直後、筑摩弥三右衛門に槍の柄で兜の前立まえだてを叩かれてしまい、体の均衡を崩した。堪えきれず、勝家はついに落馬する。


 槍の衝撃は兜がある程度は吸収してくれたものの、すぐには起き上がれない。地面に仰向けに倒れている勝家を狙い、横巻彦三郎が十文字槍を鋭く振り下ろしてきた。


 愛用の槍を落馬時に手放してしまった勝家は、倒れたまま抜刀、がむしゃらに太刀を振るって横巻彦三郎の一撃をはね返す。彦三郎は、劣勢でもなお魂魄こんぱくの籠った勝家の刃の一閃に驚き、一瞬(ひる)んだ。


「チッ……。なかなかしぶとい敵将じゃな」


「こ、こんなところで死んでたまるものか!」


「死にたくなくても死んでもらうでおじゃる。おぬしの首を獲り、利政としまさ道三どうさん)様に褒めてもらうでおじゃる。……お命頂戴‼」


 太刀を支えにして起き上がりかけていた勝家に、鷹司政光の必殺の一突きが襲いかかる。勝家は慌てて身をひねらせてその一撃を回避したが、少しかすってしまった。右頬から紅い血がドバッと噴き出す。


 あふれ出る血を手の甲でぬぐいつつ、勝家は苛立たしげに舌打ちした。殺人馬から下りることができたのはよかったが、敵将四人に包囲されてしまったらさすがに勝ち目はない。


 柴田隊の将兵たちが大将の勝家を救出すべく必死に戦ってくれてはいるものの、敵四将の手勢にはばまれ、こちらも大苦戦している。今度こそいよいよ万事休すだった。


(造酒丞殿をあざむいて抜け駆けした天罰が下ったか。柴田勝家という男は、このような場所であっけなく死にゆく定めの武士もののふであったようだ)


 もう助かる術はないとあきらめた勝家は、ギリリと奥歯を噛み鳴らし、せめて四人の敵将のうち半分は地獄への道連れにしてやろうと決心した。「来い! おじゃる野郎! 刺し違えて、地獄の業火に共に焼かれようぞ!」と吠え、馬上の政光に刃の切っ先を突きつける。


「おーひょっひょっひょっ。そんなフラフラの体で麿まろと刺し違えると? 無理、無理、絶対に無理。おぬしは今から我らに一方的に虐殺されるでおじゃる。とっとと観念するでおじゃる」


 酷薄な笑みを浮かべ、政光は槍を構える。

 鵜飼・筑摩・横巻の三将も勝家を取り巻き、討ち取る機会をうかがっていた。


「柴田ほにゃららよ、死ねぇぇぇい! おーじゃ! おーじゃ! おじゃおじゃ――う、うおお⁉」


 政光の最後の猛攻が勝家に襲いかかろうとした直前。

 一本の矢が飛来し、政光の鼻先をかすった。

 驚いた政光は危うく落馬しそうになり、攻撃の手を止める。


 時を置かず、矢の雨が鷹司ら四部隊の兵に降りかかった。続々と悲鳴が上がり、足軽たちがバタバタたおれていく。


 援軍か! と思った勝家は、後方を振り向く。だが、目がかすんでいるため、戦場に急接近しつつある味方の軍旗がよく見えない。


「誰だ……。誰が助けに来てくれたのだ……」


「御大将! お喜びください、援軍です! 佐久間さくま隊が駆けつけてくれました!」


「佐久間⁉ 佐久間信盛(のぶもり)か⁉ 特に強くもないあいつがいま出て来ても、この不利な戦況は覆せぬわ! なぜ来たんだ!」


「いえ、違います! 佐久間は佐久間でも、『強いほうの佐久間』です!」


「強いほうの佐久間……。ああ、なるほど!」


 家来の言葉を聞き、さっきまで怒っていた勝家が「我が姉の義父であるあの方が来てくれたか!」と喜色を顔に浮かべる。


 その「強いほうの佐久間」の部隊は、矢を射かけつつあっという間に敵勢に肉迫し、柴田隊を包囲していた美濃兵たちに怒濤の勢いで槍を入れた。


 兵たちの指揮を執る「強いほうの佐久間」は、馬上から金砕棒かなさいぼうを縦横無尽に打ち振るい、敵兵を次々と吹き飛ばしていく。大旋風を巻き起こすその猛撃に美濃の将兵はなす術がなく、兜を着けていなかった横着な侍二、三人は頭をかち割られ、あたりに脳漿のうしょうが飛び散った。


「な……ななな⁉ 何という怪力! おぬしは何者でおじゃるか⁉」


 登場するや否や悪鬼のごとく金棒かなぼうで大暴れを始めた武将に驚愕し、政光が震える声でそう問うた。


「強いほうの佐久間」は、へっぴり腰で槍を構えていた敵兵数人の顔面をぐしゃぁ! ぐしゃぁ! ぐしゃぁ! と潰して鮮血の花びらを周囲に舞わせると、棒をピュッと振って血を払い、政光をギロリと睨んだ。


「我が名を知らぬか、美濃の田舎侍。ならば、教えてやろう。……我こそは、尾張の佐久間一族の惣領そうりょうにして、御器所ごきそ西にし城主の佐久間大学助(だいがくのすけ)盛重もりしげである。我が親類の勝家をいたぶってくれた礼は、この金砕棒できっちりと返させてもらうぞ」


 佐久間盛重――織田家中では、同族の武将の佐久間信盛と区別して「強いほうの佐久間」と呼ばれ、信秀も大いに頼りにしている豪傑である。


 彼は後年、桶狭間の前哨戦ぜんしょうせんで今川方の松平元康(徳川家康)と激闘を繰り広げる運命にある。

<新キャラの佐久間盛重について>


 颯爽と登場した佐久間盛重さん。現時点での尾張の佐久間一族のリーダー格です。戦国期の佐久間氏はいくつかに分かれていましたが、盛重の死後に分家の佐久間信盛が惣領の座についたようです。


 佐久間氏は鎌倉時代の記録にも尾張の御家人として名前が載っていて、尾張国でも指折りの名族。今後、信長VS信勝の家督争いで盛重率いる佐久間一族の動向が重要になってきますので、記憶にとどめておいてもらえると助かります。


 ちなみに、盛重が金砕棒使いだったという記録は無く、この小説独自のキャラ設定です。(重要な武将だから、できるだけキャラを立たせないと……(^_^;))

『佐久間軍記』によると、盛重は「多力」で「(桶狭間の前哨戦では)大長刀を持って戦った」そうです。


戦国武将で金砕棒を得物にしていた有名人というと、伊達政宗の伯父にあたる最上もがみ義光よしあきさんですね。義光は数人がかりでようやく動かせる大きな石を一人で易々と転がしたとか、怪力エピソードが多いです。

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