鉄砲問答・前編
「なるほど。私が不在の間に、そんなことがあったのか……」
妹の霞の説明を聞いた彦太郎は、ようやく事態を呑み込んでいた。
三郎と名乗る少年とその母親は、多賀大社参りのために尾張国からやって来たという。しかし、この近くの街道で盗賊に襲われてしまい、従者の一人が負傷して身動きが取れなくなってしまった。そのため、六角家の若様である義賢の命令で、その従者を明智屋敷で預かることになったのだ――との話だった。
「多賀参りが無事済んだ後、義賢様が『領内の者が貴殿たちに危害を加えたお詫びにこれを進ぜよう』とこの鉄砲を三郎様に贈ってくださったそうです。それで、従者の方をお世話していた礼に、珍しい南蛮鉄砲の試し撃ちを私と母上に見せてくださることになって……」
「ほほう。では、あの雷鳴のごとき音は鉄砲だったのだな」
単純な性格の多賀新左衛門と久徳六左衛門は、霞の言葉に頷き、納得している様子である。しかし、彦太郎だけは心の中で、
(ちょっとおかしな話だな)
と、思っていた。
近江守護・六角定頼の嫡男が、なぜ尾張からの旅人をそこまで丁重に扱うのか。
彦太郎は、父の光国に連れられて観音寺城に伺候した際に、義賢と何度か会ったことがあるが、ずいぶんと傲岸不遜な人であった。よほどの重要人物でない限り、あの若殿が他国の客人にそんな気遣いをするとは思えない。
(かなりの人数の従者たちに傅かれているみたいだし、ただの土豪の息子ではないのだろうな。熱田か津島あたりの豪商の子……とか?)
彦太郎は、三郎――つまり信長――の一行が武士にしてはずいぶんと華美な服装をしているため、そんなふうに想像した。熱田と津島の両港を支配しているあの織田信秀の嫡男だとまでは、さすがに考えついていない。
「彦太郎よ。国友村に行っていたそうだな。鉄砲を見ることはできたか?」
三郎が親しげに彦太郎に話しかけてきた。甲高く、かなり遠くまで響きそうな力強い声である。
(……商人の子にしてはやたらと殿様口調だな。私の勘は外れたか? いったい何者だ?)
彦太郎はあれこれ考えつつ、「いえ、残念ながら……」と三郎に答えた。
三郎は、彦太郎が若干警戒していることを知ってか知らずか、「デアルカ」と言って彦太郎の頭をポンポンと撫でる。
三郎――信長には、好意を持った人間に対してはとことん優しくなる傾向が強く、人に惚れっぽい。彦太郎のことを「鉄砲好きで面白そうな奴」と気に入り、会う前から好感を抱いていたのであった。
そんなことを知らない彦太郎は、(この人は、初対面の私になんでこんなにも親しげなのだ?)と少し戸惑っている。
「尾張に帰る前に、そなたと会ってみたいと思っていたのだ。実物も見ずに、噂話を聞きかじっただけで南蛮鉄砲の見事な絵図を描くとは、まことに天晴れじゃ。鉄砲を撃つところを見せてやるから、しっかりとその目に焼き付けるがいい」
「鉄砲を撃つところを見せてくださるのは嬉しいですが……。もう二発も撃っているのに、よろしいのですか? 火薬は非常に高価で貴重なものだと聞きましたが」
「無くなったら、また買えばよいではないか」
三郎はニヤリと笑うと、「藤吉郎、土器をもう一枚準備しろ」と命じ、流れるような動きで鉄砲を撃つ準備を始めた。
まず胴薬(火縄銃の胴に込める、発射のための火薬)と鉛の鉄砲玉を銃口から入れ、かるか(槊杖)と呼ばれる長い棒で火薬と玉を銃口の奥の薬室へと押し込む。
次に火蓋を開き、火皿に口薬(起爆させるための点火用の火薬)を注ぐ。そして、火蓋を閉じた後、点火した火縄の先を火挟に閉じる。松の木にぶら下げられた標的の土器を睨みつつ、火蓋を切った後――じっくりと狙いを定めて引き金を引いた。
次の瞬間、火挟に付けていた火縄がバネ仕掛けで火皿に落ち、口薬に引火。薬室内に込められていた胴薬にも引火し、薬室内で爆発が起きた。
ズダァーーーーーーン‼
天を裂き、地を割らんばかりの凄まじい音に、彦太郎の全身はビリビリと震える。
銃口から吐き出された弾丸は、過たず土器に命中し、破片が粉々に飛び散った。新左衛門と六左衛門が大喜びし、拍手喝采する。
「おお! すごい! すごいぞ!」
「これが南蛮の鉄砲かぁ! 凄まじい威力ではないか! なあ、彦太郎⁉」
「え……ええ……」
彦太郎は興奮しつつも、目まぐるしく頭を働かせていた。
三郎が行った鉄砲の実演を見て、この新兵器の長所や短所を大急ぎで分析していたのだ。
「ふぅ……。今日初めて撃ったが、今のところ全て命中しているな」
「なんと! あの見事な腕前で、鉄砲を撃つのは初めてですと⁉ それはすごい! この多賀新左衛門、感服いたしました!」
「それほどたいしたことではない。火薬を用いた兵器の扱いは、明国式の鉄放で慣れていたのだ。明の鉄放よりも使い勝手が良いゆえ、上手く撃てたのだろう」
三郎は、射撃の腕を特に誇ることなく淡々とそう言うと、小夜から受け取った柄杓の水をグイッと飲み干す。
「……どうだ、彦太郎。鉄砲はそなたが思っていたような良き武器であったか」
三郎は微笑を浮かべ、手に持っていた鉄砲をぐいっと彦太郎の胸に押しつけた。触ってよいぞ、ということらしい。
これが南蛮渡来の鉄砲――と彦太郎は内心感激したが、喜んでいる場合ではない。貴重な異国の武器の試し撃ちを見せてくれた三郎に「この兵器の価値やいかに」と問われているのだから、即答せねば失礼である。
彦太郎は、鉄砲を愛おしそうにひと撫でふた撫でした後、横で触りたそうにそわそわしていた新左衛門と六左衛門に鉄砲を預け、三郎の前で片膝をついた。どう考えてもこの人は商家の倅などではないと悟り、貴人に対する礼をとったのである。
「試し撃ちを一度見ただけなので、この兵器について全て理解したわけではありませぬが……。今のところ、鉄砲の運用には利点と欠点がそれぞれ三つずつあると私は愚考します」
いつもの癖で、彦太郎は右手の人差し指を天に掲げて語り出した。
「撃ち方の手順さえ覚えれば、武芸の心得無き足軽たちでもすぐに使えるようになる。利点これひとーつ。
命中すれば恐るべき破壊力を発揮し、一騎当千の勇将ですらも一瞬で討ち取ることができる。利点これひとーつ。
たとえ当たらなくても、あの凄まじい発砲音。鉄砲の轟音で敵兵の戦意を喪失させることができる。利点これひとーつ」
(変わった話し方をする奴だなぁ……)
三郎はちょっと面食らったが、言っている内容は正鵠を得たものだったので、黙って彼の言葉に耳を傾け続けた。
三郎のそばに侍っている藤吉郎も「妙ちくりんな喋り方だにゃぁ……」と眉をしかめていたが、彦太郎は「これひとーつ語り」を一度始めたら自分の声しか聞こえなくなるほど集中するため、藤吉郎の呟き声は耳に入っていない。
「次に、欠点です。
手順が多いため、発射までに時間がかかりすぎる。一発撃って次の玉の準備をするまでに三十数えるほどの時を要していたら、敵兵の矢がビュンビュンと飛んで来ます。欠点これひとーつ。
火薬の材料の硝石は、堺の港町でしか手に入らぬ非常に高価な品。鉄砲を一発撃つたびに、たくさんの銭が吹っ飛んでいきます。銭が無く、交易のための港を持たぬ大名には、鉄砲はあまりにも高嶺の花……。欠点これひとーつ。
火薬の扱いには、もう一つ困ったことがあります。雨が降れば火がつきません。つまり、鉄砲は雨の日は無能。欠点これひとーつ」
「デアルカ……」
三郎は感心したように頷き、「そなたは鋭い観察眼を持っておる。将来、良き武将になりそうじゃ」と彦太郎を褒めた。
「だが、その三つの欠点とやらは、俺にはあまり大きな問題には思えぬがな」
※次回の更新は、7月16日(木)午後8時の予定です。




