少年光秀
「はぁ……。返す返す残念です。ほんのひと目でいいから鉄砲を見たかっただけなのに、まさかけんもほろろに叩き出されてしまうとは……」
彦太郎少年――後の明智光秀――は、佐目村への帰路、数歩歩くたびにため息をついていた。兄貴分である同郷の多賀新左衛門と久徳六左衛門も肩を落とし、少し元気が無い。
国友鉄砲の鍛冶師たちに南蛮鉄砲を見せてもらおうと思って国友村まではるばると出かけたのだが、どうも時期が悪かったらしい。将軍・足利義藤(後の義輝)から「大急ぎで鉄砲を大量に製造するように」という命令が国友村に下されていたため、鍛冶師たちは鉄砲づくりに大わらわだった。地侍の子弟である彦太郎たちが見物にやって来ても、
「おめぇらの相手をしている暇なんてねぇ! 邪魔だからあっちに行ってろッ!」
鍛冶師たちはそう怒鳴り、ろくに話も聞いてもらえないまま彦太郎たちは追い出されてしまったのである。
「はぁ~……。まことにもって残念無念です。鉄砲見たかったなぁ~……」
「まあ、間が悪い時期に来ちまった俺たちがついてなかったってことだな。いずれは戦場で見ることができるさ、彦太郎」
「ああ、新左衛門の言う通りだ。……もっとも、神社のおみくじで凶しか引いたことがない彦太郎の不運さじゃ、鉄砲を持った敵兵と遭遇した途端に玉に当たって死ぬかも知れんがな。あははは」
新左衛門と六左衛門は両人とも二十代で、すでにいい年をした大人だ。田舎の侍と侮った鍛冶師たちに雑な扱いをされたのは業腹ではあるが、いつかは鉄砲を触る機会もあろうと半ば諦めがついていた。
しかし、まだ九歳の子供である彦太郎は、そんな簡単には割り切れない。鉄砲を見せてもらえなかったことが悔しくて、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「彦太郎、そんなみっともない顔をするなよ。そこまで見たかったのか、南蛮鉄砲」
六左衛門が彦太郎の頭を撫でながら慰めると、彦太郎は「当たり前ですよ、六左衛門殿」と言って頬を膨らませた。
「私が鉄砲に執着する理由は三つあります。
戦場で大功を立てられる強い武士になるため、私は新しい武器や兵法の知識はどんどん学びたいのです。理由これひとーつ。
そして、私は父の遺志を継ぎ、幕臣になるという我が家の悲願を果たさねばなりません。だから、鉄砲好きの将軍様に仕官するためには、私も鉄砲に詳しくなければ駄目だと思うのです。理由これひとーつ。
極めつけの理由は……単純に私が新しい物好きだからです。子供だから当たり前でしょう? 理由これひとーつ」
彦太郎は主張したいことがあると、独特な喋り方になる癖があった。人差し指を天に向かってピンと立て、やや早口で自分の言いたいことを箇条書きふうにまくしたてるのである。そして、「これひとーつ」と言葉を区切るごとに、人差し指をくるりと回転させた。
彦太郎という少年は、いつも頭の中で目まぐるしく色んなことを思いついたり考えたりしている。人が一つのことを考えている間に、十の思案にふける。だが、それら混沌たる思考をいっぺんに伝えようとすると、自分でもごちゃごちゃになってきて何が言いたいのか分からなくなることがあるのである。そのため、いったん頭の中で自分が言いたいことを整理してから、これひとーつと区切りつつ項目立てて喋るようにしているのだった。
初対面の人間が聞いたら、いささか戸惑ってしまう奇癖である。
しかし、昔からの付き合いの新左衛門と六左衛門は慣れたものだ。少年のおかしな喋り方に眉をしかめることもなく、「ふぅ~ん」と軽く流した。
「そうだったな、彦太郎は将軍様の家来になりたいのだったな。今は落ちぶれてしまってはいるが、明智家は幕府の奉公衆(将軍直属の家来)の家柄だったものな」
「むっ。新左衛門殿、落ちぶれていると言わないでください。落ちぶれているなどと……」
「はっはっはっ。すまぬ、すまぬ。……そなたの親父の光国殿もさぞかし無念であったろう。近江に逃れて来ていた将軍父子の身辺警護を定頼様に命じられ、あともう少しで幕府との繋がりができそうだったのに……。まさか風邪をこじらせてあっさり亡くなってしまうとはなぁ~」
「そういえば、将軍様は近々京都にお戻りになるという噂を小耳に挟んだぞ。国友村に鉄砲をたくさん作らせているのも、上洛の際に将軍直属の兵に鉄砲を持たせるおつもりなのやも知れぬな。
将軍様はもうすぐ近江からいなくなってしまうが……どうする気じゃ、彦太郎。元服したら、上洛して猟官運動でもするつもりか?」
六左衛門がそう問うと、何でもハキハキ言うたちの彦太郎が珍しく「う~ん……」と唸り、しばし黙り込んだ。
「……一刻も早く幕臣になりたいという願望はあります。亡父の悲願を果たすことこそ、最大の親孝行ですから。
しかし、私の父と祖父は故郷の美濃を追放された身でありながら、六角様に禄をいただき、今日まで生きてくることができました。六角様より頂いた恩を返さぬうちに近江国を去れば、『明智の者は忘恩の徒である』と謗りを受けましょう。
蜀漢の名将の関羽は、顔良という猛将を斬って曹操への報恩を果たし、義兄弟の劉備の元に戻ったと言います。ですから、私も、元服の後すぐには近江を去らずに、六角様のために何らかの大功を立ててから京都に向かいたいと考えています」
「義理堅い奴だなぁ。近頃では、美濃の斎藤利政(道三)を見習って、主君を裏切って成り上がろうとする輩が増えてきているというのに」
「馬鹿なことを言わないでください、新左衛門殿。主君を裏切るなど……天の道に背く大罪ではありませんか。斎藤利政のような侍の義理も人情も心得ていない奴、ろくな死に方なんてしませんよ。野垂れ死にして、肉を犬にでも食われたらいいのです」
美濃の蝮の名を聞いた彦太郎は不愉快そうに眉をしかめ、吠えるかのごとくそう言った。
彦太郎の祖父の明智頼典は、美濃国内の内乱が原因で一族から追放された。六角氏に拾ってもらっていなかったら、行き倒れて無縁仏になっていたことだろう。当然、彦太郎はこの世に生を受けていない。その恩義を忘れていなかった祖父や父は、
――人から受けた恩は必ず返さなければならない。戦で大きな功をあげるまでは、六角様から離れてはならぬ。
という訓えを彦太郎に遺していたのである。
だから、いずれは都にのぼって幕臣になりたいとう願望を持ちつつも、祖父と父は六角家のために大した働きができなかったため、近江から離れることができぬままこの世を去ってしまったのだった。
(義を貫くのは、武士の本分だ。しかし、祖父や父の宿願をこの手で果たさねば、子としては不幸者……。一日も早く戦場で六角様にご恩返しをして、将軍様の元へ駆けつけねば)
そのためにも、鉄砲が欲しい。
南蛮から伝わった新しい武器を誰よりも上手く使いこなし、新しき戦の世が到来しても乗り遅れぬ武将になれば、立身出世など夢ではないはずだ――彦太郎はそんなふうに考えていた。
だからこそ、国友村で鉄砲を見ることも触ることもかなわなかったのは、泣きたいぐらい無念だったのである。
「ああ! 忠も孝も両立させるため、私には鉄砲が必要なのだ! 鉄砲について知りたい! 学びたい! 触りたぁーい!」
明智屋敷の近くの十二相神社の前まで来たところで、彦太郎はついに癇癪を起こし、地団駄を踏んだ。その直後、
ズダァーーーーーーン‼
凄まじい轟音が、周囲に響き渡った。
驚いた彦太郎はひっくり返りそうになり、新左衛門と六左衛門に体を支えてもらった。
新左衛門たちも「な、何事だ⁉」と戸惑い、あたりを忙しなく見回している。天が崩れ落ちてきたのか、と一瞬思ったからだ。
「……さっきの音は何か分かるか、六左衛門」
「いや、分からん。だが、彦太郎の家の方角から聞こえてきたような……」
「え⁉ わ、私の屋敷からですって⁉ は……母上! 霞!」
何が起きているのか分からないが、あのけたたましい音は明智屋敷からしたという。母の小夜と妹の霞のことが心配になった彦太郎は、血相を変えて走り出した。
昨年の冬に父を亡くし、彦太郎の身内は母と妹だけである。二人に何かあったら……と思うと、居ても立っても居られなかった。
「あっ! おい、待て! 一人で突っ走るな!」
「危ないぞ、彦太郎!」
新左衛門と六左衛門も慌てて走り出す。
彦太郎は九歳だが、同世代の子供と比べるとずいぶんと上背が高く、十二、三歳ぐらいに見える立派な体格をしている。当然、力も体力もあるため、大人顔負けの脚力で突っ走っていく。新左衛門たちは息を切らせながら彦太郎を追いかけるはめになった。
「母上! 霞! 無事か⁉」
彦太郎はそう叫びながら屋敷の敷地内に駆け込んだ。そのわずか一秒後、
ズダァーーーーーーン‼
と、またもや轟音がして、肝を潰した彦太郎は「ど、どひゃぁぁー⁉」と喚きながらすっ転んでしまった。
転ぶ瞬間、門のそばの松の木に紐でぶら下げられていた皿が粉々に割れるのが見えた。
「お見事です! また的に命中しました!」
「藤吉郎。粉々になった土器の破片を拾い集めろ。小夜殿や霞が踏んでしまったら、怪我をしてしまう」
「へへぇ!」
猿に似た小柄な子供が、木っ端微塵になった素焼きの土器の破片を拾うため、松の木へと駆け寄って行く。
しかし、その途中で、門の近くで倒れていた彦太郎の顔をぐにゃりと踏んづけてしまった。
「ぐべぇ⁉」
「うわっ、何か踏んじまった⁉」
「踏んじまった、じゃない! 何だ、お前は!」
遅れて駆けつけた新左衛門と六左衛門に助け起こされ、彦太郎がギロリと睨むと、猿顔の少年――藤吉郎は「うひゃぁ⁉ 堪忍してちょぉ~!」と半泣きになりながら後ろに飛び下がった。豪快に顔を踏んづけてしまった少年があまりにも立派な体つきをしているので、まさか自分よりも三歳年下だとは思わなかったのである。
「あ~! 兄上! 藤吉郎さんを虐めちゃ駄目ですよ! そんなところで寝そべっていた兄上が悪いのです!」
妹の霞の叱責の声が聞こえ、我に返った彦太郎は「霞、さっきの音はいったい……」と言いながら妹のほうを見た。
その問いに答えたのは、霞の傍らに立っている十五歳ぐらいの顔立ちの美少年だった。
「そなたが霞の兄の彦太郎か。ちょうどいいところに帰って来たな。鉄砲の試し撃ちを見せてやろう。……好きなのだろう? 南蛮鉄砲」
彦太郎は、その美少年が手に持っている物を見て、驚愕のあまり目を大きく見開いた。
あれは……あの鉄の塊は……噂に聞く南蛮渡来の鉄砲ではないか。
<明智光秀の口調について>
小説内における明智光秀の「これひとーつ」という喋り方についてですが、いちおう史料で確認できる彼の「肉声」を参考にして創作しています。
天正四年(一五七六)~天正五年(一五七七)にかけて、興福寺と東大寺が裁判沙汰で争いました。この時、信長の意向を受けた光秀が興福寺側に勝訴の判決を下しているのですが、その裁判の記録『戒和上昔今禄』は現在にも伝わっており、執筆者の空誓(興福寺の僧)は光秀の裁判における言葉を口語文で書き記しています。
以下が、その光秀の「肉声」です。裁判の内容はともかく置いておいて、各行の末尾に注目してご覧下さい。
興福寺証拠ニアル文書ニ年号ナシ、判ナシ、落字以下アレハ信用シ難キノ之由。是一。
両寺ノ堂衆ノ中、時ニアタリテ一﨟カナラス持儀存セザル由。是一。
近キ比ニハ文安三ニ春宣持タル由。是一。
両寺之間ニ代々続テ持タル証跡ニハ、建久ノ比ニテノ間、東大寺ニ十代余ツツキテ持例アリ、興福寺ニモ十代余持ツツキケル例アリ。是一。
文安三ヨリ以後ハ興福寺ニ当時マテ持也。是一。
此申ヤウナリ、サリナカラ当家御公事ハ当知行、本ナレハ、興福寺道理ト心得ル間、聊爾ニ一途大事ト申遣也。
光秀が箇条書きふうに理路整然と裁判の判決を言い渡し、言葉の区切りごとに「是一」と言っているのが分かります。
また、判決を下した後、光秀は宗伯丹波頼景という人物に「大和国について不案内だったこの光秀だが、良い裁きを行ったであろう」とみんなの前で自慢しています。
記録係の空誓は光秀のこの発言もちゃんと書き残しているのですが、宗伯頼景のことを「ソハク」と記しています。
本当は「ソウハク」という名なのに、どうも光秀が早口だったから「ソハク」と聞き間違えてしまったようです。
これら光秀の肉声から、早島大祐氏は著書の『明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか』(NHK出版新書)で、「光秀は、少し早口で「コレヒトーツ、コレヒトーツ」と物事を箇条書きにして、整然と話す癖のある人だった」と推測しています。
……あと、裁判後に「俺の裁判、よかったやろ?(ドヤァ~)」と自慢するところを見ると、けっこうな自信家だったのかも知れませんね( ̄▽ ̄)
※次回の更新は、7月14日(火)午後8時の予定です。




