伊勢の旅路・後編
奇妙な話である。
願証寺の住職・証恵は、信長たちが桑名方面の道から長島に今日やって来ることを知ったうえで待ち受けていたという。なぜ、一向宗の僧侶が織田家の動きを把握しているのか?
警戒する信長の心の内を知ってか知らずか、証恵は柔和な笑みを浮かべて慇懃にあいさつを続けている。
「こちらは息子の佐玄です。さあ、佐玄。織田の方々にごあいさつをしなさい」
「……お初にお目にかかりまする。証恵の一子、佐玄にござりまする」
少し目つきに険のある童が頭を下げてそう言ったが、信長は興味なさげに聞き流して「本願寺一族の証恵殿が、我らにいかなるご用か」と問うた。
「おお、これは失礼いたしました。……我らは、六角定頼公のご依頼で、多賀大社参りに赴かれる織田殿のご一行を近江の国境までご案内するためにお待ちしておりました」
(六角定頼の依頼……だと?)
信長は驚き、「そのようなお節介……」と思わず言いかけたが、後ろにいた春の方の「あらあら、まあまあ!」という歓喜の声が彼の言葉を遮った。
「それはご丁寧にありがとうございまする。夫の信秀に代わり、お礼申し上げます」
おっとりとした性格の春の方は、突如現れた願証寺住職の言葉に何の疑問も抱かず、六角定頼の親切に喜んでいるようである。無警戒に前に進み出て、笑顔で証恵にあいさつを始めた。
春の方と証恵が和気あいあいと言葉を交わしている中、信長は勘ぐるような目で証恵を見つめ、「平手の爺よ」と小声で平手政秀に話しかけた。
「六角定頼は、我らが今日この時刻にこの道を通ることを知っていたようだぞ。これはいったいどういうことだ?」
「……恐らく、当家が六角家と接触しようと画策していることは定頼には筒抜けだったということでしょう。南近江を領する六角家は、甲賀郡を支配し、伊賀国も四郡のうち三郡は六角家の影響下にありまする。多くの伊賀・甲賀の忍びを従えている定頼ならば、他国の内情を探ることぐらい容易くできるはずです」
政秀の推測を聞き、信長は六角定頼の情報収集能力の高さに舌を巻いた。
父の信秀が「定頼という男は、長年にわたって天下を動かしてきた武将だ。我ら田舎の武将が知らぬことを何でも知っているだろう」と語っていたが、どうやら父の言葉は間違っていなかったらしい。伊賀と甲賀という二つの優れた忍者集団を配下に置いているのだから、六角家が情報収集に長けているのは当然のことだろう。
「六角家が伊賀者や甲賀者を使って他国の情報を集めていることはよく分かったが……。
もう一つ分からぬことがある。何故、一向宗の奴らが六角定頼の指図で動いておるのだ? 一向宗の僧たちにしてみれば、かつて敵対しそうになったことがある織田弾正忠家の者たちの旅の世話を焼くのは気まずいはずだ。六角家になんと言われたのかは知らぬが、普通は断るはずだぞ」
「それはおそらく、現在の本願寺法主である証如が六角定頼に首根っこを押さえられているからでしょうな」
五年前に石山本願寺で法主の証如と面会したことがある政秀は、本願寺をめぐる政治情勢に詳しい。白いものが目立ち始めている顎髭を撫でながら、信長の疑問にそう答えた。
「首根っこ? 本願寺は六角に弱みでも握られているのか?」
「はい。信長様がお生まれになる数年前、暴走した一向一揆の大軍勢が畿内一帯を荒らし回ったことがありました。その際、六角定頼と日蓮宗の信者たちが一向一揆を破り、山科本願寺(大坂に移転する前の本願寺の本拠地)を全焼させたのです。その後、六角家と本願寺は和睦しましたが……証如には寺や門徒たちの家々を六角軍に焼かれた恐怖心がいまだに残っているのでしょう」
「……なるほどな。本願寺証如は六角定頼に精神的に逆らえない立場にある、ということか。それゆえ、六角家から『織田家の一行を近江まで案内しろ』と指図されても、本願寺側は否とは言えぬのだ」
政秀の説明に、信長は納得して頷いた。
実際、この当時の人々の間では、
――本願寺教団や一向一揆のことで困ったことがあったら、六角家に言えば何とかなる。
という認識があったようである。
たとえば、領国内で一向宗の門徒が一揆を起こした場合、その国の領主は、
「うちの国で一揆が起きましたが、もしかして本願寺が関わっていますか?」
という問い合わせを本願寺法主の証如ではなく、六角定頼にしていた。これはすなわち、
六角定頼――本願寺証如――現地の門徒たち
という繋がりが出来上がっており、一向宗の門徒たちが本願寺教団を介してある程度は六角定頼のコントロール制御下にあるという認識が世間に浸透していたということだろう。
また、ある者が一向宗の勢力が盛んな地域を旅行する際には、定頼が本願寺に「その地の一向衆徒を使い、旅行者の道中の安全を取り計らってやるように」と依頼することもあった。
つまり、各国の諸大名にとって六角定頼は「本願寺の窓口担当」だったと言っていい。
余談だが、証如本人は六角家とのこのような力関係に内心大いに不満があったらしく、定頼が死去した際には「珍重の奏、年来の鬱結たちまち散ずるところなり(すごい朗報だ! 長年にわたる鬱屈がいっきに晴れた!)」と日記に書き残している。
「……ということは、六角家と盟約を結ぶことができたら、厄介な一向宗とも対立せずに済むということだな」
「ええ。そう意味でも、六角家と手を結ぶ利益は大きいかと」
「信長殿、政秀殿。何をひそひそ話しているのですか? 証恵殿が今日は願証寺でもてなしてくださるとおっしゃるので、早く参りましょう」
信長と政秀が六角家と本願寺の関係について小声で話し合っていると、春の方が割り込んできてそう言った。信長は少し慌てて、母を注意する。
「は……母上。俺と平手の爺に何の相談もせずに宿泊先を決めないでください」
「でも、お寺で泊まったほうが安全でしょう? 証恵殿のせっかくのご好意を無碍にするのは悪いわ」
(向こうが我らに対してどういう感情を抱いているのか分からないのに、母上はお人好しだなぁ……)
信長は母の無邪気さに呆れたが、それ以上は反論せずに「そうですね……」と大人しく引き下がった。
たぶん、十楽の津で信長がはしゃぎぎみだったのと同じように、春の方は、ずっと別々の場所で暮らしていた息子と一緒に旅ができて少々浮かれてしまっているのであろう。こんなにも長い間、母子がぴったりと寄り添っているのは初めてのことなのだから、信長だって嬉しい。
(母上にあれこれと心配をさせるようなことはなるべく言わずに、旅を続けよう。俺や平手の爺が母上の身をしっかりとお守りすればよいのだから)
そう思い、一向宗の僧侶どもには警戒してください、などと言うのはやめておくことにしたのであった。
* * *
信長たちは、証恵が用意していた小舟数艘で揖斐川を渡り、中郷杉江の願証寺に招かれた。
その晩は宴で大いにもてなされたが、春の方だけは旅の疲れのせいか少し熱っぽくなってきたため、大事を取って途中で退座し、寝所で先に休んでいる。
「織田家の皆様は、平家語りはお好きかな。懇意にしている琵琶法師がちょうど当寺に逗留していますので、平家を語らせましょうか」
「おお、それはありがたい。ぜひ」
しこたま酒を飲んで顔を真っ赤にしている平手政秀がそう言うと、宴の席に年老いた琵琶法師が連れて来られた。
(山伏や占い巫女、そして琵琶法師……。一向宗と繋がりのある者には諸国を渡り歩く流浪の者が多いようだ。こういう他人の家に簡単に上がりこめる者たちが全国を旅し、民たちに念仏の法力によるご利益を説いているのだろうな)
信長はほとんど盃に手をつけず、難しい顔をしながらそんなことを考えていた。飲兵衛の平手の爺がすっかり酔っ払っているため、俺まで酔うわけにはいかぬと思って、酒は唇を湿らす程度にしか飲んでいない。
ちなみに、信長の推測通り、本願寺教団に出入りしている琵琶法師は当時多くいたようである。
一部は門徒になっており、報恩講(浄土真宗開祖・親鸞の命日前後に行われる法要)の最終日に呼ばれて平家語りをする琵琶法師もいたという。
上杉謙信も琵琶法師の平家語りを聞いて涙を流したと伝わっているので、当時は彼ら琵琶法師を私邸に招いて平家物語に親しむという習慣が武家社会には浸透していた。武家屋敷に入り込める琵琶法師は、密偵として使いやすく、一向宗の支持者となる武将を探すのにはうってつけの存在だったかも知れない。
「何を語らせましょうか、信長殿。この琵琶法師は、『腰越』のくだりを語るのが絶品ですが」
「いや、それは聴きたくないな。『腰越』といえば、兄の源頼朝に鎌倉入りを許されず義経が悲嘆に暮れる話だ。弟がいる身としては、弟虐めの物語は好かぬ」
信長は少しムスッとした口調でそう答えた。好悪の感情が激しい性格のため、「得体が知れない奴らだ」と思っている一向宗の寺院の中では心からくつろげず、隠そうとしてもついつい刺々しい態度を表に出してしまうのである。
(やれやれ。父親の信秀から「本願寺の門徒どもは油断ならぬ奴らだ」とでも吹き込まれておるな。信秀と我ら本願寺の過去のいきさつを考えれば、まあ当然か……)
証恵は、信長が本願寺の教団に対してあまり好ましくない感情を抱いていることにすぐに勘付いたが、
「では、『敦盛の最期』などはどうでしょうか」
と、和やかな表情を崩さずに応対した。信長はその話はすごく好きだったらしく、「デアルカ」と頷く。
信長の機嫌が良くなったのを見て、証恵はホッとため息をついた。歓待の席で客人である織田家の人間と気まずくなるのは避けたかったのである。
――織田の一行が無事に近江国に到着するよう、細心の注意を払って助けるように。
という六角定頼の指令が、本願寺教団を介して願証寺に下っているからには、証恵は本願寺のためにその任務を遂行しなければならない。
客人の些細な言動に腹を立てて口論などに発展すれば、織田方が、
「一向宗の僧になど旅の安全を守ってもらわなくてもよいわ!」
と怒り、証恵の助力を拒否して願証寺を出て行きかねない。そうなれば、法主である本願寺証如が六角定頼に責められるだろう。
証如には、定頼率いる幕府軍に山科本願寺を焼かれて以来、必死に目指していることがある。教団を二度と過激な道に走らせず、室町幕府の体制下における地位を向上させ、諸大名との友好関係を強めることだ。幕府の庇護者的立場にある定頼に再び睨まれてしまったら、証如は大いに困るであろう。
ゆえに、つまらぬことで法主様に迷惑はかけられぬ、と証恵は考え、なるべく織田家の一行に不快な思いをさせないように気遣っていたのである。
その一方で――証恵のもてなしを受けている信長や平手政秀らを睨みながら、心の中で憤怒の炎を燃やしている子供が部屋の隅にいた。証恵の息子の佐玄である。
(気に食わぬ。我らの法主様が六角の顔色を窺い、父が尾張の田舎侍どもの機嫌取りをせねばならぬなど……私は気に食わぬ)
この少年も、他者に対する好き嫌いが激しい性分らしく、不愉快そうな表情をぜんぜん隠せていない。
少年が愛する者は、本願寺教団の教えとその信者たち。
嫌うのは、本願寺を抑圧しようとする俗世の権力者たち……。
信仰の妨げになる敵は全て滅ぼさねばならぬ、と彼は考えていた。
(本願寺を抑圧する俗世の権力者どもこそ、信仰に生きる民衆の敵。私は宗教を抑えつけようとする者たちをけっして許さぬ。六角だろうが、織田だろうが、この長島の地に俗世のしがらみを押しつけようとする輩が現れれば……この私が仏罰を下してやる)
佐玄の凍てつくように冷たい眼差しに気づいたのか、琵琶法師の平家語りに聴き入っていた信長が、眼球だけをギョロリと動かして佐玄を突然睨みつけた。
信長に睨め付けられた佐玄は、その紅蓮の炎を宿した眼に一瞬だけ怯みそうになったが、(負けるものかッ!)と自分を励まして憎悪の念がこもった視線を再度信長にぶつけた。
琵琶法師の寂びた語り声が寺院内に響く中、両者はかなり長い時間、無言で睨み合いを続けた。
この少年こそが、長島一向一揆で信長に烈しく抗し、織田方の多くの武将を死に追いやることになる後の願証寺四世住職・証意である。
お互いに未来の運命を知らなくても、何らかの予感は抱いていたのかも知れない。二人は睨み合いながら、
(こいつ……なんて嫌な面をしているのだ)
などと、全く同じことを考えていた。




