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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 五章 濃尾参州燃ゆ
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恋敵・後編

 一方、岩倉街道の途中の竹林で信長を待ち受けている曲者くせものたちは――。


「ええい、信長はまだ現れぬのか!」


「もうそろそろ姿を見せるはずなのですが……」


「しかし、若様。まことによろしいのですか? 信長殿は、若様のお母上・岩倉いわくら殿の甥……若様にとっては従兄弟いとこにあたる御仁ですぞ。矢を射かけて命を奪ってしまったら、お父上の信安のぶやす様の逆鱗に触れるのではありませぬか。白鹿騒動で大目玉を喰らったばかりだというのにこのような暴挙を犯せば、今度こそ廃嫡はいちゃくに……」


「黙れ! 黙れ! おぬしたちは俺に命じられた通り、信長を射殺せばよいのだ!」


 信長の命を狙っているその若い侍は、引き連れて来た家臣二人をゲシゲシと乱暴に蹴り、そうわめき散らした。


 彼の名は、織田兵衛(ひょうえ)信賢のぶかた――神の御使いである白鹿を射殺そうとして葉栗はぐり郡の民たちに大迷惑をかけた青年である。


 信長の活躍で白鹿騒動は無事に解決したが、あの事件の後、父の伊勢守いせのかみ信安に、


「そなたはわしの跡を継ぎ、尾張上半国の守護代とならねばならぬというのに、なぜこんなにも粗暴なのだ。我が義兄・信秀の嫡男である信長は、あんなにもしっかりしていて、まことにうらやましいかぎりじゃ……。以後心を改めて精進しょうじんせねば、家督は弟の信家のぶいえに譲るぞ」


 と、こっぴどく叱られ、嫡男としての面目を失っていたのである。


 自尊心が異常に高く、自らの行動を反省するということを知らない信賢は、


(全て信長のせいだ。あいつが、俺に恥をかかせたのだ)


 と、信長に対して逆恨みの感情を抱いていた。


 しかも、信長は、信賢が以前から恋慕していた生駒いこま家の娘のかえでと恋仲になっているという……。


 ますます許せぬ、あの男はどこまで俺の邪魔をするのだ、などと嫉妬と被害妄想を膨らませた信賢は、ついに信長の暗殺を計画したのである。


 暗殺計画といっても、実に簡単なものである。生駒家を訪れた信長が領地に帰る途中で襲い、殺害するのだ。


「待っていろよ、生駒楓。信長の首をき斬り、その足で生駒家に駆け込んで奴の首を見せてやれば、お前も俺のほうが信長より優れていることが分かるはずだ……。クックックッ」


 年頃の少女がそんなことをされて喜ぶはずがない――というかトラウマものである――野蛮行為を実行せんと企み、信賢はいびつに微笑んだ。粗暴なうえ、他人の心を思いやる想像力が致命的に欠如した若者である。


 しかし、信賢が物騒な独り言を呟いた直後、


「そんな悪趣味なことはやめろ。楓が驚いて死んでしまうではないか」


 背後からそう声をかけられ、信賢と家臣たちは「な、何奴⁉」と驚いて振り向いた。


 そこに立っていたのは、手につぶてを持った信長である。


「の……信長⁉ ど、どうして我らの背後に⁉」


「別の道を行き、そなたたちの後ろに回り込んだのだ。信賢殿、その矢でいったいどんな獲物を仕留めようとしていたのかな?」


「そ……それは……織田三郎信長という獲物だ! お前たち、さっさと奴を殺せ!」


 信賢は慌てながらも家来二人にそう指示した。しかし、まさか標的が背後から現れるとは考えていなかった家来たちは「わ、わ、わ……」と周章しゅうしょう狼狽ろうばいし、戦うどころではない。


恒興つねおき教吉のりよし。やれ」


 信長が静かに下知すると、恒興と教吉が敏速な動きで礫を投げつけ、信賢の家来たちの目に命中した。


「う、うぎゃ……⁉」


「め……目が……!」


 二人は片目をおさえて苦悶の表情を浮かべる。これで、彼らはしばらく戦力にはならないだろう。


「おのれ!」と激昂した信賢は刀を抜こうとした。


「よせ! 前にも俺にこっぴどくやられたくせに、性懲りも無い!」


「う、うるさい! お前など、俺の刀のさびに――い……痛っ⁉」


 ビュッ! と疾風の勢いで信長が投げた礫は、刀の柄に触れようとしていた信賢の右手に命中した。


 さらに、信長の後に続き、藤吉郎も「や……やあ!」と無我夢中で礫を投げる。目をつぶりながら滅茶苦茶に投げたというのに奇跡的に当たり、信賢の左頬をわずかに傷つけた。


「……お、おのれ、わっぱ。よくも俺の美しい顔を傷つけてくれたな!」


「タコみたいな顔をして、よくそんな台詞せりふを吐けるな……」


 信長が呆れ、そう呟く。それを聞いた恒興と教吉がクスクスと笑い、信賢は「な、何だと……!」と顔を真っ赤にして怒った。頬が紅潮すると本当のタコのようである。


「信賢様。もうお退きください。白鹿騒動の一件に続いてお身内の信長殿と揉め事を起こせば、お父君の信安様は本気で廃嫡をお考えになるに違いありませぬぞ」


 生駒家長(いえなが)が困り果てた顔でそう言い、信賢に暴発せぬようにいさめた。楓に横恋慕している信賢が信長の命を狙っていた曲者だったと知り、困惑しているようである。


「い……生駒家長か。く、くそっ。楓の兄にかっこ悪いところを見せてしまった。……き、今日はこれぐらいにしておいてやるが、このことは楓には絶対に申すなよ!」


 おのれの不利を悟った信賢は、痛む右手をおさえながらキャンキャンとそう吠えると、「信長、次は殺す!」という捨て台詞とともに逃げ去って行った。家来二人も慌てて主人の後を追う。


「……やれやれ。何だったのだ、あれは」


「信長殿、申しわけありませぬ。信賢様は一、二年ほど前から我が妹の楓に執心しゅうしんしており、妻に迎えたいとしつこく迫って来ているのです。父の家宗いえむねは『いくら守護代の嫡男でも、あんな乱暴者に楓を嫁がせたら、病弱な我が娘は一年以内に死んでしまう』と恐れて、いつも逃げ回っているのですが……」


「楓が『縁談話が来ているし、私を放っておいたら浮気する』などと俺を脅していたが、あれは本当のことだったのか。それにしても、神の御使いの白鹿に射かけたことといい、よりにもよって楓に惚れたことといい……いちいち厄介な御仁だな。信賢殿という人は」


 自分の恋敵があんな馬鹿者なのかと思うと腹が立つのか、信長は露骨に嫌そうな顔になっていた。


「ご安心ください。楓には幸せになってほしいので、けっして信賢様には妹を渡しませぬ。私も、あの若殿は嫌いなのです。貰っていただくのならば、信長殿がいい」


「……うむ。俺も近い内に父上に『楓を妻に迎えたい』と願い出るつもりだ。あの暴発男が楓の周囲をうろちょろしていると思ったら、急に心が落ち着かなくなってきた」


 あの乱暴者なら、油断したら生駒屋敷に忍び込んで楓を手籠めにしかねないだろう。信賢は体の弱い楓を乱暴に扱うかも知れない。


 可憐な楓の身を案じる信長は、急いで彼女を那古野城に迎え入れたい思いにとらわれ、


(近江から戻ったら、父上に相談せねば)


 と、真剣に考えるのであった。

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