朝倉孝景の死
朝倉家の領国、越前。
三河の小豆坂で織田と今川が激突した日から三日後の三月二十二日。
朝倉軍の軍奉行である朝倉宗滴は、信秀が未曾有の大決戦を雪斎と行って手痛い打撃を受けたことをまだ知らない。ここのところほぼ毎日、当主孝景の嫡男・延景(後の朝倉義景)を伴って鷹狩に出かけていた。織田家から美濃挟撃の誘いが来たら即日出陣できるように、肉体を鍛えていたのである。その鍛錬のおかげか、宗滴の肉体は七十二歳とは思えぬほどたくましく引き締まっていた。
――鷹狩ほど面白く、武家の軍事訓練に最適なものはない。
昔から宗滴はそう考え、周囲の者にも鷹狩を強く勧めていた。凝り性な性格のこの老将は、自邸の庭で飼っている鷹に卵を産ませて雛から育てるという珍しい養鷹法までやっていたのである。
「見ろ、延景。鷹が獲物を仕留めたぞ」
「は、はい。さすがは宗滴爺様がお育てになった鷹ですね」
宗滴は、アハハハと豪快な笑いを北国の澄んだ空に響かせ、緑深き山野を兎が跳ねるかのように駆け回っている。多くの家来たちは宗滴の巧みな馬術について行けず、「そ……宗滴様! しばしお待ちくだされ!」と慌てていた。ただ一人、延景だけが宗滴に引き離されずに付き従っている。
宗滴は、置いて行かれまいと必死になって馬を操っている延景にニヤッと笑いかけ、「そなたも少しは成長したようじゃな」と褒めた。
「き……急に何ですか。いつも私を怒鳴りつけている宗滴爺様らしくもない……」
「儂とてたまには人を褒めるさ。儂に殴られ、泣きながら兵法書を読誦していた幼い頃に比べれば、ずいぶんと見違えたわい。そなたも一端の若武者らしくなったものよ」
「わ……私ももう十六歳です。元服も済ませ、細川晴元様(室町幕府の管領)の息女を妻に迎えました。武家の棟梁となる者として恥ずかしくないように、小笠原流の弓術も学んでいるところです。いつまでも泣き虫の童ではありません。
…………本音を言ったら、荒事よりも和歌のほうが好きですが」
「ああっ? 何か申したか?」
「いえ、何でもありません。独り言です」
延景は、貴公子然とした風貌で気性も大人しく、いささか優しすぎるところがある。そういうところは軟弱だった少年時代とはあまり変わっていない。
だが、朝倉家の軍神・宗滴の教育の賜物で、弓馬の技は人後に落ちぬほど腕を上げていた。あとは武将としての経験を積んで、甘っちょろい部分が少しずつ無くなってさえいけば、文武両道の大名として名高い今川義元のようになってくれるであろうと宗滴は密かに期待していた。
「よいか、延景。和歌などの芸事も一国の太守として身に着けておくべき大事な教養じゃ。駿河の今川義元も京の文化に慣れ親しみ、本拠の駿府を東の京と呼ばれるほど華やかな城下町にしておる。しかし、あまり戦場には立たぬ義元だが、ひとたび剣を抜けば二尺六寸(約七十九センチ)の宗三左文字を縦横無尽に使いこなすともいう。この戦国の世で最も国主にふさわしき名将は今川義元じゃ。そなたも義元を見習い、良き国主になれるように修練を積むのじゃぞ」
延景の独り言はしっかりと聞かれていたようで、宗滴はそう教え諭した。従順な延景は「は、はい……」と素直に頷く。だが、年寄り特有の長ったらしい宗滴のお説教はまだ続いた。
「この鷹狩も遊びでやっているわけではない。鷹狩は、領地と領民を守る使命を背負った我ら武者の大事な修練の一つじゃ。儂はいつもこうやって領内を駆け回って、陣を立てるのに適した地、守るのに工夫がいる地、砦を建てるべき地などを検分しておる。地形を熟知していなければ、いざ戦になった時、絵地図などに頼って作戦を立てて思わぬ失敗をすることになるからな」
「な、なるほど……肝に銘じておきまする。
されど、爺様。我が越前は四十年以上も外敵の侵入を許していません。越前国は戦国の世とは思えぬほど平和です。私は、できることならば誰かと争うことなどせず、越前の人々がこのまま安寧に暮らしていける国造りになるべく専念したいと思っているのです」
延景はおどおどと小さな声で自分の思いを口にした後、(しまった。こんな気弱なことを言ったら、爺様に叱られる)と後悔していた。
延景は、幼少の頃から従曾祖父(曾祖父の兄弟)である宗滴に叱責されることを何よりも恐れている。宗滴がひとたび怒ると、雷が轟くかのごとく猛烈に怒鳴るから肝っ玉が潰れそうになるのだ。
しかし、意外なことに、宗滴は珍しく声を荒げなかった。しばし延景をジッと見つめた後、嘆息しながら蒼天を見上げ、しみじみとした声音でこう語った。
「……それは哀しい夢物語じゃ、延景。そなたの美しい心を否定してしまうのは可哀想だが、そんな甘い理想は捨てねば乱世を生き抜いていくことはできぬぞ」
「甘い理想……ですか」
「ああ、甘い。甘すぎる。海運に恵まれて豊かなこの越前国が、長きにわたって外敵の侵入にあわなかったのは、儂が血の滲む思いで戦い続けてそうさせなかったからじゃ。
四十二年前、三十万にのぼる北陸三か国の一向一揆が越前国に雪崩れ込んだ時、儂は決死の夜襲をかけて敵の大軍を打ち負かした。そして、後顧の憂いを絶つために、吉崎御坊(本願寺蓮如が北陸の布教の拠点にしていた坊舎)や越前国内の一向宗の寺々を破却した。儂は多くの衆徒どもを殺害し、そなたが想像もできないほどのおびただしい血がこの越前の地で流れたのだ。
だが、そこまでしても、加賀の一向一揆との戦いはまだ終わってはおらぬ……。奴ら一向衆徒の再侵入を警戒しているからこそ、儂は今でも鷹狩をしながら領内の検分を続けておるのだ。
そなたが争いたくないとどんなに言っても、この国を狙っている者どもがそなたの言葉に耳を貸してくれることはないと思え。家来と領民の幸福を願うのならば、彼らの平和を守れるだけの強さを持て。自らの手を血に染めて戦い続ける覚悟を胸に秘めるのじゃ。それが、天の道に従って国を治める英雄のあり方というもの……。敵と争うことを恐れていては、そなたの守るべきものは何ひとつとして守り切れぬぞ」
「わ……分かりました……」
延景はしょんぼりとした表情で頷くことしかできなかった。自分はとんでもないことを見落としていた、と反省していたのだ。
四十年以上もの長きにわたって兵火にさらされていない越前国の平和は、目の間にいる宗滴が気の遠くなるほどの長い歳月を外敵と戦い続けてきた結果なのだ。この白髪の老将の壮絶な奮闘が無ければ、厄介な一向宗の門徒たちがいる加賀国と接するこの国に安寧など有り得なかっただろう。越前の平和は、宗滴の血塗られた手で作られた仮初めの平和に過ぎないのだ。そのことを平和ボケして育った延景は、うっかり忘れてしまっていた。
(父上と宗滴爺様がいなくなったら、私が戦わなければいけないのだな……。宗滴爺様はあと何年生きてくださるだろうか)
急に不安になり、延景は涙ぐむ。いつかは敬愛する父と従曾祖父がこの世から消えてなくなると思うと、自分一人でやっていけるのだろうかと心細く、また悲しくて仕方がなかった。とても繊細な心を持った若者である。
「延景。きつく叱ったわけでもないのに、何をめそめそと泣いておる。こら、泣くな」
宗滴は、泣き虫な奴め、と呆れながらそう叱った。
しかし、延景は一度涙を流すと止められない。う、う、う……といつまでもめそめそしている。
「阿呆! 十六歳にもなって、鼻水を垂らしながら泣くな! 怒鳴ってもいないのに、何なのだ!」
「い……今、怒鳴っているではないですか。う、う、う……」
「やれやれ……。武芸の腕は上がっても、心はまだまだか弱い乙女のようじゃな……。そなたの将来が心配で、儂もそなたの父もあと二十年は死ねぬわい」
困り果てた宗滴がブツブツとそうぼやくと、「宗滴様!」という怒鳴り声が遠くから聞こえてきた。何事かと思い、宗滴は振り向く。
「宗滴様! 若様! 一大事でございまする!」
血相を変えてやって来たのは、宗滴の側近の侍だった。
何やら異変が起きたらしいと察した宗滴は、「尾張から信秀の使者が来たか!」と怒鳴り返した。しかし、大汗をかいている側近は頭を振り、宗滴のそばまで来ると驚くべき報告を耳打ちした。
「と……殿様が……孝景様がお倒れになりました。薬師(医者)の見立てでは、一刻の猶予もないとのことです。急ぎ城へお戻りくださいませ」
「な、何じゃと⁉」
宗滴が目をクワッと見開き、驚愕の声を上げる。
従曾祖父の狼狽した様子を見て、報告の内容がよく聞こえていなかった延景も、何かを察して胸騒ぎに襲われるのであった。
* * *
当主の孝景が倒れたのは、波着寺(加賀前田藩によって移転させられ、現在は石川県に在る)という寺院に参詣した帰り道だった。
いきなり苦しみ出して馬から落ちた孝景は、驚いた家臣たちによって一乗谷の城主館へと運ばれた。
「お……大叔父上(宗滴)を……大叔父上を急ぎ呼んでくれ。……延景のことを託さねば……」
「しっかりしてくださいませ、孝景様。宗滴様と延景は直に参ります」
孝景の妻が夫の手を握り、必死に励ましていたが、無情にも孝景の顔はだんだんと青ざめて死相が現れつつある。この異様な苦しみようでは、あと半刻ももたないかも知れない。
「孝景ッ!」
「ち……父上!」
もう間に合わぬか、と孝景の妻が諦めかけていた時、宗滴と延景が狩りの出で立ちのまま城主館に駆け込んできた。
宗滴は寝室に入って来るなり、「たわけ! こんな大事な時に倒れるとは何事だ!」と叱った。
しかし、そう怒鳴りつつも、その声音は悲壮感に満ちていた。
先々代当主で宗滴の兄である氏景はわずか三十八歳でこの世を去り、甥である先代当主の貞景も鷹狩の最中に四十歳で急死した。宗滴は、骨身を惜しまず支えてきた朝倉家の歴代当主にことごとく先立たれていたのだ。
大甥(甥の子)である孝景は自分の最期を看取ってくれるであろうと思っていたのに、父親と同じように忽然とこの世から去ろうとしている……。七十二年生きてきたが、これほどまでに悲痛な出来事など有りはしない。
「大叔父上……どうかお許しくだされ……。近日中に美濃遠征へと向かう大叔父上と家臣たちの無事を祈るために寺へ参拝した帰途でこのようなことに……。ど、どうか、延景のことをよろしくお願いします……。はぁはぁ……。この子は元服したばかりで未熟ゆえ……ごほっ、ごほっ!」
「く、苦しいのか? 無理をして喋るな」
「父上! 加持祈祷を急ぎ行いますので、安静にしてください!」
延景は、大粒の涙を流しながら、息も絶え絶えな父にすがりつく。
孝景は妻と息子の手を弱々しく握り、「も……もう時間が無い。父の最期の言葉をよく聞け、延景……」と言った。
「最期の言葉など……そんな……」
「延景よ。宗滴大叔父上は朝倉家の軍神、守り神じゃ。これからは宗滴大叔父上の言葉を父の言葉だと思い、万事教えを乞うて善政を敷け。……よいな?」
「は、はい……」
「私は二十歳で家督を継いで以来、室町幕府の親兵として将軍家の助けとなり、現在の朝倉家の地位を築いてきた……。朝倉家の尽力によって天下を支配する将軍様の治政が安定すれば、それだけ全国の戦も減っていく。朝倉家も国内の統治に専念でき、幕府の支配体制において重きをなすことができる……。足利将軍家が助力を求めて来た時は、必ずや義兵を起こして天下のために戦うのじゃ。同じ志を持った……織田……げほっ、ごほっ! の……のぶ……信秀と共に……ううっ⁉」
「父上ッ‼」
孝景が大量の血を吐き、その死の彩りが延景の頬を染める。孝景の妻が狼狽え、泣き喚き出した。延景も幼い子供のように泣きじゃくり、「父上! 父上!」と叫んだ。
「の……延景……。許せ……。私が子宝に恵まれなかったせいで、そなたの治政を助ける兄弟や姉妹を残してやることができなかった……。そ、そなたは正室と仲良くしてたくさんの子を……もうけてくれ。そ、そして……一族と家来たちで結束してこの国を――」
孝景はまだまだ言い残したいことがあるようだったが、天は彼に最後まで遺言を語る時間を与えてはくれなかった。ツーっと一筋の涙を流した後、がくりと息絶えた。
「嫌だ嫌だ嫌だ‼ 父上ぇーッ‼」
「……延景。泣くでない。後で好きなだけ泣いても怒らぬゆえ、今だけは泣くな。この場で父親の魂にしっかりと誓うのじゃ。越前の国は自分が必ず守ると……。そなたがそう誓わねば、父はこの世に未練を残して成仏できぬぞ」
宗滴が目にいっぱいの涙をためながら、延景の背中をドンと叩く。
延景は震える手で涙を拭い、半ば喚くような声で「父上! 延景は強くなりまする! も……もう泣きませぬ! 朝倉家を……越前の国を守り抜いてみせまする!」と、永遠の眠りについた父に誓うのであった。
天文十七年(一五四八)三月二十二日、十代当主・朝倉孝景急死。享年五十六。
当主が突然の死を迎え、まだ十六歳の延景――後の朝倉義景――が越前の国主となったことによって、朝倉家は当面の大規模な軍事行動は取れなくなってしまった。
かくして、美濃の斎藤利政は織田と朝倉の挟み撃ちにあうことを免れ、国内の反乱分子の粛清に全精力を注ぐことができることになったのである。恐るべき悪運の強さと言ってよかった。
<次回更新のお知らせ>
次回の更新ですが、実はストックが尽きました(白目)
3月から連載再開した時点では2週分ぐらいの余裕があったのに、小豆坂合戦の描写に時間がかかって万策尽きたでごわす!!!( ノД`)シクシク…
次回から話がガラッと変わることもあり、来週の更新はちょっとお休みさせて頂きたいと思います。
尾張青雲編五章は「小豆坂決闘編」「六角定頼編」「信秀VS道三編」に大きく分かれており、次の「六角定頼編」ではこの時期の天下人(?)六角定頼が登場します。そして、ようやく麒麟が……麒麟がくるぅぅぅ!?
というわけで、新たな展開が待っている「六角定頼編」は5月17日(日)スタート予定です! 乞うご期待!!




