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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 五章 濃尾参州燃ゆ
144/231

闘将、岡部元信

 軍神・摩利支天まりしてんの化身。


 信広のぶひろ隊の将兵の目には、岡部おかべ元信もとのぶの出で立ちがそのように映った。


 彼のかぶと前立まえだては、摩利支天の御使みつかいである猪が勢い猛々(たけだけ)しく跳躍する姿をあしらったもので、黄金こがね色のきらめきを放っている。


 また、騎乗している駿馬には、金箔押のかわ小札こざね(鎧を形成する小さな板のねりかわ製。馬鎧用の小札は、馬鎧札うまよろいざねといった)をつづり合せた馬鎧うまよろいを装着させ、元信本人も愛馬と同じ馬鎧札を流用して作った金箔仕上げの鎧を身につけていた。


 馬鎧(馬甲)は、古墳時代から日本には存在し、一時(すた)れはしたが太平記の時代(鎌倉末期~南北朝期)に再び盛んに用いられるようになったようである。主に軍隊の威風を示すことや敵を威嚇いかくする目的で使われ、武田氏や北条氏などでは馬鎧の装備に関する軍のおきてまであった。


 元信がかくのごとき豪華絢爛な軍装で登場したのも、今川家の財力と自身の武威を織田方の兵に見せつけるためである。その思惑はまんまと当たり、織田兵は人馬一体の黄金の輝きにただただ圧倒され、大将である織田信広までもが「あ、あわわわ……」と震えていた。


「織田信広殿、どうなされた。我に挑んで来るがいい。……まさか、尾張の虎と称される信秀殿の長子ともあろうものが敵将を前にしておびえているわけではあるまい」


「……ぐ、ぐぬぬぅ。お……おぬしごときに怯えるものか! この三郎五郎さぶろうごろう信広が討ち取ってやる! 勝負だ、金ピカ野郎!」


 あっさりと挑発に乗った信広は、怯懦きょうだの心を必死に振り払い、「こにゃにゃろーッ!」と叫びながら馬上の元信に斬りかかった。信広隊の兵たちも、一部の勇気ある者五、六人が同時に飛び出し、槍を突き出す。


(やはり、信広隊の兵は息が整っておらぬ。欠伸あくびが出そうなほどぬるい攻撃じゃ)


 元信は槍をさっと振るい、バラバラに襲いかかってきた敵の刃をことごとく防ぐ。

 その膂力りょりょくは凄まじく、元信の槍さばきで攻撃を弾き返された織田兵たちは、突風に見舞われたかのごとく吹き飛んで倒れていた。信広も、「ぐべっ⁉」と踏みつぶされた蛙みたいな声をあげてゴロゴロ転がり、松の木に頭をぶつけて目を回している。


「殺せ」


 元信が言葉短く命じると、彼の精鋭兵たちは、倒れ伏した織田兵を瞬く間に討ち取っていく。最初から戦意喪失して立ち尽くしていた者たちも容赦なく殺され、血の海に沈んだ。


「よ……よくもやってくれたな!」


 信広は、頭をぶつけた衝撃でまだ視界が定まっていないが、何とか奮い立って刀をがむしゃらに振る。襲いかかってきた敵兵二、三人に傷を負わせた。信広の一撃一撃にはまだ侮れぬ覇気があるようである。


(ほほう、少しは見直したぞ。取るに足らぬ弱将かと思ったら、いちおうは尾張の虎の血を受け継いではいるようだな。兵の指揮がひどく稚拙ちせつなのが惜しまれるが……)


 元信は心の中でそう呟くと、「信広の捕縛は私に任せろ。お前たちは織田兵を皆殺しにいたせ」と兵たちに命じて信広と相対した。配下の兵たちに信広の捕縛を任せると、十人ほどの死傷者が出るだろうと考えたからである。


「信広殿。先ほどは臆病者呼ばわりをして失礼いたした。この岡部元信、全身全霊をもってお相手いたす」


「おおおお織田三郎五郎信広、参るッ!」


 信広は内心小便をちびりそうなほどビビっているが、大混乱に陥っている自分の部隊を放棄して逃げるほど恥知らずな武将でもない。命がけで強敵に挑む覚悟を決め、血刃を下段に構えて元信を睨んだ。


(し……瞬殺されるかも知れないが、勇敢に戦って死ねば、父上も俺の亡骸に褒め言葉の一つぐらいかけてくださるはずだ)


 信広にとって、敵に殺されることよりも、父に見放されることのほうがずっと恐いのである。なけなしの勇気を振り絞って戦うことしか彼には選択肢が無かったと言っていい。


 うわぁぁぁと雄叫びを上げ、信広は元信に再度挑みかかろうとした。


 だが、その時――。


「信広様! その男の強さは尋常ではありません! 一人で挑んではなりませぬ!」


「兄上! 安房守あわのかみ秀俊ひでとしが助けに参りましたぞ! 者共ものども、あの金ピカの武将めがけて矢を放て!」


 後詰め部隊の平手ひらて政秀まさひでと織田安房守が駆けつけ、元信に矢を一斉に浴びせかけたのである。


 非常に目立つ軍装をしているため、元信はこういう時に矢のまとになりやすい。

 しかし、敵に狙い撃ちされても恐れぬ胆力があるがゆえに、派手な出で立ちをしているのである。元信は自分に向かって飛んで来る無数の矢をまなこにとらえても、フッと一笑するだけであった。


「追い風の矢ならばまだしも、向かい風に逆らって放たれた弱矢ではそれがしを殺すことなどできぬ」


 元信はそう言い放ちつつ、槍を巧みに旋回させて矢を弾き返していく。

 その言葉の通り、逆風から慌てて撃った矢には勢いがなく、二、三本が元信の馬にかすりはしたが、鉄製ではない馬鎧でも十分に防ぐことができた。


「信広隊の兵はすでに戦意を失った。者共、次はあの二人の武将の部隊に突撃をせよ。背後の味方部隊が混乱に陥れば、前線の織田兵どもも大いに動揺するであろう。思いきり派手にかき乱してやるのだ。こたびのいくさの一番手柄は、この岡部元信の部隊ぞ」


 元信が槍をさっと横に払って「突貫!」と下知すると、精鋭百騎が荒れ狂う猛虎の群れのごとく平手隊と安房守隊に襲いかかった。


 両将の弓兵たちは二の矢、三の矢を放って敵兵を仕留めようとしたが、元信麾下(きか)の騎馬兵たちはいずれも命知らずの強者つわものぞろいである。馬上戦が困難な悪路を物ともせずに颯爽と駆け抜け、矢の雨をかいくぐって織田勢に肉迫した。


 平手隊と安房守隊は、あっという間に、わずか百騎の勇士たちにもみくちゃにされ、信広隊を救うどころではなくなっていた。信広は、政秀たちの救援を得られぬまま、元信の繰り出す槍の猛攻に翻弄され続けている。


「くっ……。ひ、平手よ、我らのほうが数は多いというのに何というていたらくなのだ……」


小豆坂あずきざかは木々に囲まれて道の起伏も激しく、兵数が多ければ多いほど身動きが取りにくくなる地形です。この坂道の地形を活かして、我らは大軍勢の両朝比奈(あさひな)隊を押していたのですが……。

 あの岡部元信という敵将の精鋭部隊はわずか百人程度の小勢で、しかも新手ゆえにまだまだ疲れていない。自由自在に走り回られたら、二千近い我ら後詰めの軍勢は翻弄されるしかありませぬ」


 平手政秀は安房守にそう言いつつ、大いに焦りを感じていた。


 今川軍にまんまと横槍を入れられてしまった織田軍は、いまや軍勢を完全に前後で寸断されている。前線の信秀もこの事態にそろそろ気づいているはずだとは思うが、総勢九千の両朝比奈の軍と激闘を繰り広げている信秀が後方で起きている火事に対処する余裕などほぼ無いだろう。


「何とかして岡部元信を討ち取ることができたらよいのですが……。織田軍の猛将のほとんどが最前線に投入されている現状、一騎打ちで奴を仕留めることが可能な武将がおりませぬ。ここはひたすら矢を射かけて、岡部隊の勢いが弱まるのを待つしか――」


「そんな悠長なことを言っている場合ではない! 見ろ! 我らが敵勢に苦戦している間に、岡部元信の猛攻に耐えかねて兄上の刀が折れてしまった! 急いでお助けせねば!」


「あっ! 安房守様!」


 信広が危ういのを見た安房守は、冷静な彼にしては珍しく取り乱し、ウワッと駆け出していた。


 岡部隊の騎兵に大胆に飛びかかって斬り殺し、馬を奪う。そして、「兄上ッ」と叫びながら岡部元信めがけて突進した。敵の騎兵たちに行く手を阻まれても、鋭い太刀たちさばきで、襲いかかる刃の数々をはねのけて道を切り開いていく。


 安房守は戦の指揮と弓術は得手だが、突出した武力があるわけではない。数多あまたいる兄弟姉妹の中でただ一人母親が同じである信広を救いたい一心で、彼が持っている実力以上の武を発揮して敵将に挑みかかろうとしていたのである。


「岡部元信、私が相手だ!」


 信広を追いつめつつある元信の注意を自分に引きつけるべく、安房守は大音声だいおんじょうを上げてそうわめき、疾風の一太刀を浴びせようとした。


 元信は背後から迫る凄まじい殺気を早い内から察していたようで、振り向きざまにきらめく雷光のごとく槍を一閃いっせんさせる。


「あぐっ……⁉ さほど大男というわけでもないのに、何という怪力……」


 安房守は、攻撃を弾き返されただけで危うく落馬しそうになった。刀を握る手はビリビリとしびれている。


「ひ……秀俊(安房守)に手を出すな!」


 信広は脇差を抜き放ち、元信の頭部めがけて勢いよく投げつけた。しかし、元信はわずかに首をひねって飛来した刃を易々(やすやす)とかわした。


 信広の奇襲攻撃が不発に終わった直後、安房守が「隙あり!」と再度斬りかかったが、手の痺れがまだおさまっていないため勢いがない。これもまた元信の巧みな槍さばきで軽くいなされてしまった。


「つ、強い……。この男、まさか造酒丞さけのじょうと互角に戦えるのでは……」


「貴殿が織田家次男の安房守秀俊殿か。織田家には勇猛な若者が多いな。実に倒し甲斐がある」


「おぬしが恐るべき武勇の持ち主であることはひと目で分かるが、我ら兄弟に前後をとられておきながら悠然とした態度を取られるのは少々(しゃく)さわるな。

 ……兄上、協力してこの敵将を討ち取りましょう! どんなに豪の者でも、前と後ろから猛攻を仕掛けられたらいつかは疲れて動きが鈍るはずです!」


「お、おう!」


 信広は弟の呼びかけにうなずき、近くに転がっていた槍を拾って構えた。


 少し離れた場所で岡部隊の騎兵たちと交戦している平手政秀は、その光景を見て「ま、まずい! 殿のご子息が二人まとめて敵将に討ち取られてしまったら一大事だ!」と慌てていた。

 何とか駆けつけたいが、敵兵の攻勢は凄まじく、逆に押されつつある。そもそも、年老いた政秀では岡部元信のごとき猛者には太刀打ちできないだろう……。


「お……織田の勇気ある武士もののふたちよ! だ、誰か奴を……岡部元信を討ち取るのじゃ! 若様二人のお命が危うい!」


 政秀は、声が枯れんばかりにそう叫んだ。

 すると――前方より一人の勇士が槍兵たちを率いて駆けつけたのである。

 それは、織田軍の後方が伏兵に襲われたことを察知して信秀が遣わした救援部隊であった。来るはずがないと思っていた援軍が現れ、政秀はわずかに希望を取り戻した。


「織田軍槍組物頭(ものがしら)、ヤリ三位さんみ見参。三河の猛将・はやし藤五郎とうごろうを討ち取ったのはこの俺だ。敵将よ、勝負勝負ッ」


 ヤリ三位はそう高らかに名乗りを上げると、自慢の槍を大上段に構えて岡部元信を睨みすえた。


 その勇姿を見た政秀は「おお、そなたか!」と喜び、


「ヤリ三位よ。その男の武勇は常軌を逸しておる。さすがのそなたでも一人では勝てぬであろう。信広様、安房守様と連携して三人がかりで討ち取るのじゃ!」


 と、ヤリ三位に大声で指示を下した。


 ヤリ三位は一騎打ちをするなという命令が少し不満だったのか、「承知……」と渋い顔で返事をした後、馬上の元信に対して烈風の勢いで槍を突き入れた。


 ほぼ同じ瞬間に、信広も遮二無二しゃにむに槍を突き出し、安房守は元信の背後を取ろうと斬りかかる。


 三方向からの同時攻撃。

 元信の悠然とした表情は――崩れることはなかった。

<小豆坂合戦における岡部元信の出で立ちについて>


今川義元が小豆坂合戦後に岡部元信に与えた感状(戦功を讃える賞状)には、元信の活躍とその時の出で立ちについて書かれています。その感状の内容をかいつまんで紹介すると、


・味方が苦戦しているところ、馬を入れて敵を突き崩し勝利を得た。よくやってくれた。

・褒美として、合戦時に装備していた筋馬鎧・猪立物(の兜)については、これ以降、岡部元信以外の今川家の武者が使用してはいけないことにする。


といった感じです。


ここでいう筋馬鎧というのは、馬鎧札(馬鎧に用いる練革製の小さなパーツ)を流用した武者用の鎧かと思われます。

今川義元はこの岡部元信の出で立ちを「シャア専用」ならぬ「元信専用」の軍装として認可したようです。元信以外はその格好をしちゃダメ! ということです。戦場にその出で立ちで登場した元信がよほどインパクト大だったのでしょう。


ただ、その義元の感状が出されたのは小豆坂合戦から四年後のことで、元信専用コスチューム(?)が認可されるまで色々といざこざがあったのでは……と考えられます。(元信だけ特別コスチュームを許されるなんてずるい! と、他の家臣たちがごねたとか……?)

しかも、岡部元信はその後、今川家を一時出奔して数年ほど武田家に身を寄せていたみたいなので、よほど元信専用コスチュームに対する反発が強かったのかも知れません(^_^;)


それで私は「元信さんの当時の軍装は、仲間たちに嫉妬されるほど、そうとう目立ちまくる格好だったんだろうなぁ~……」と小説を書くにあたって思いました。

義元の感状には簡潔に書かれているけれど、実は元信専用コスチュームは凄い金ピカでゴージャスだったのでは……という妄想に至り、


金箔をふんだんに使ったピカピカのの鎧!!

そして騎乗している馬も主人とおそろいの鎧でピッカピカ!!


と、話を史実よりも少し盛ってみました。

(馬も鎧を着けていたというエピソードを入れたいという気持ちもあった。あと、金箔押革札の馬鎧はちゃんとある)


なので、史実ではいちおう「筋馬鎧と猪の兜」が元信さんの出で立ちということになります。全身金ピカ装備だったかは分からない……(;^ω^)



あと、最後に、「猪の前立の兜」については、猪の全身をあしらった前立や猪の顔だけをあしらった前立など、色々な種類があるらしいです。顔だけの猪ちゃんだと何だか可愛らしい見た目になるかなと思い、威勢よく跳び出す猪の全身像が前立になった兜を小説では採用しました。

猪の兜で有名なのでは、卍のマークの下に猪の顔が掘られた上杉景勝の兜があります。猪は軍神・摩利支天を背に乗せてやってくる動物と考えられています。

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