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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 五章 濃尾参州燃ゆ
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初対決

 織田信秀の軍勢は、今川軍の襲来前に三河安祥(あんじょう)城の織田信広と合流することができた。


 だが、諸将を集めての軍議の席で、次男・安房守あわのかみ秀俊ひでとしの口から驚くべき報告を耳にすることになったのである。


「父上。雪斎せっさい率いる今川の軍勢は一万を超える大軍だという噂が流れてきておりまする」


「何⁉ 一万じゃと? 今川軍がか?」


 信秀は、予想外に多い今川軍の兵数に仰天し、思わずそう聞き返していた。


 昨年の戸田氏攻めで今川軍は激しい消耗を強いられた。現在、動員可能な兵力はたいしたことがないはずである。

 そう見くびっていたのだが、これはいったいどうしたことであろう。雪斎がそんな大軍を率いてくると分かっていたら、主君・織田大和守(やまとのかみ)達勝みちかつ(尾張下半国守護代)や義弟・織田伊勢守(いせのかみ)信安のぶやす(尾張上半国守護代)の力を借りてこちらももっと多くの将兵を率いてきたのだが……。


(今の我が軍には四千ほどの兵士しかおらぬ。今川に対するはげしい怒りのあまり、ろくに敵軍の詳細を調べずにいくさを始めたのは失敗であったか。

 美濃への抑えとして猛将の柴田しばた勝家かついえを尾張に残し、寛近とおちかおきな殿と宗伝そうでん殿の軍勢も犬山城で斎藤さいとう利政としまさと睨み合いを続けている……。せめて勝家ぐらいは連れて来ればよかったわい)


 信秀は親指の爪を噛みながらそう後悔したが、もはや後の祭りである。


 だが、ここで退くという選択肢は無い。


 昨年従属させたばかりの松平まつだいら広忠ひろただが、岡崎城でこの戦の様子を見ているのだ。今川軍と一戦も交えずに大軍勢に驚いて尾張に退却したら、優柔不断な広忠でもさすがに「織田家はやはり頼みにならぬ」と判断し、嫡男の竹千代たけちよ(後の徳川家康)を見捨てて今川方につく危険性がある。


「父上。我らはここで動かにゅ……こほん、動かずに今川軍が矢作やはぎ川を渡河してきたところを迎え撃つという作戦はどうでちょう。……どうでしょうか」


 信秀が難しい顔で思案を巡らせていると、信広がひたいの汗を忙しなくぬぐいながらそう発言した。緊張した時の癖で、台詞せりふを噛みまくっている。

 短気な信秀は、息子たちの中で最年長でありながら一向に頼もしい武将に成長してくれない信広に対して苛立ちを感じており、信広が見当外れな意見を言うと「馬鹿を申すな!」といつも叱る。そのため、信広はこのようにおびえているのである。


 そして、今回も、


「馬鹿を申すな!」


 案の定、雷が落ちた。信広は「ひ……ひっ!」と小さな悲鳴を上げる。


「我らが矢作川の西でぼうっとしておったら、川向こうにいる岡崎城の松平広忠が今川軍に降伏してしまうではないか。これよりただちに渡河して、岡崎城の南の上和田かみわだ砦(現在の愛知県岡崎市天白町)に入るぞ」


「お、岡崎城の近くで今川軍と戦うのですか? 合戦中に松平広忠が裏切って我らの背後をおちょ……襲う恐れがあるのでは?」


「広忠には、二匹の虎が死闘を繰り広げている戦場にのこのこと飛び出していくような肝っ玉は無い。奴は首根っこをつかまれてもニャァと鳴くことしかできぬ猫だからな。我が軍が西三河に居座り続けている限りは、大丈夫だ」


「さ……されど、四千の兵数で一万の大軍と戦うのはいささか不安というか何というか……」


 信広がなおもごにょごにょと呟くように不安を訴えると、信秀はチッと舌打ちし、「尾張の虎と渾名あだなされる俺の息子が、今川ごときを恐れるな」と叱った。


「一万の軍勢といっても、おおかたは銭でかき集めたにわかじこみの兵士に違いない。烏合うごうしゅうなど恐れるに足りぬ。先手を打ってこちらから攻撃し、野戦にて粉砕してやればよいのだ。兵の多寡たかでいちいちビクビクしていたら兵の士気に関わる。怯懦きょうだの心は今すぐ捨てよ」


「も……申しわけありませぬ……」


 信秀も大金で兵たちを雇い、四年前の美濃攻めでは大軍勢を率いた経験がある。義元の奴も俺と同じ手口を使ったのだろう、と信秀は予測していた。信秀のこの予想が正しければ、織田軍にもまだ十分に勝機があるはずである。


 斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)に手痛い目にあわされたことがある信秀は、思い知っているのだ。銭で臨時に雇った荒くれ者どもなど、味方の旗色が悪くなるとたちまちに大将を見捨てて逃散してしまうことを――。


「こんなところで無駄話をしている暇はない。さあ、参るぞ。信広よ、そなたは我が軍の先鋒をつとめるのじゃ」


(や……やっぱり、俺が先陣なのかぁ……)


 かくして、信広の軍勢を先鋒とする織田軍は矢作川の下之瀬(渡河原)を越え、上和田砦に移った。


 時を同じくして、雪斎率いる今川軍も藤川ふじかわ(現在の愛知県岡崎市藤川町)に布陣したという報せが入ってきた。上和田砦と藤川の距離はおよそ一里(約三・九キロメートル)である。


「信広。小豆坂あずきざかを越え、馬頭ばとうの原まで兵を進めよ。藤川より打って出て来る今川勢を迎え撃つのだ。我が軍の精鋭をもって、今川軍を三河から完全に追い出してやる」




            *   *   *




 同時刻。

 藤川に陣する今川軍は、松平広忠から離反してせ参じたはやし藤五郎とうごろう小林こばやし源之助げんのすけら三河武士たちを陣営に迎え入れていた。


 林藤五郎らは、織田軍と今川軍が岡崎城のすぐ近くで激突すると聞き、


「これを機に今川方に味方して信秀を討ち、織田家の支配から脱しましょう」


 と、主君の松平広忠に進言した。

 しかし、織田家の人質となっている竹千代の身を案じる重臣たちの反対にあい、広忠も首を縦に振らなかった。


 広忠は、松平を裏切った水野家の女が産んだ竹千代をさほど愛してはいない。だから、必要とあれば竹千代を切り捨てる心づもりはある。だが、この決戦で今川に味方して、万が一にも信秀が勝利した場合、織田家に報復される危険性が強い。それを恐れて、今川方につく決断ができなかったのだった。


 そういった経緯があり、主君の弱腰に業を煮やした林藤五郎・小林源之助らは岡崎城を脱け出し、牢人ろうにん(主君を持たない武士)として今川軍に加わったのである。松平家から離れた自分たちが今川方についても広忠に迷惑はかけないだろう、ということだ。


物見ものみの報告によると、織田軍はおよそ四千。幸いなことに、こちらが想定していた兵数よりもやや少ない。我らの兵の多さを知れば、大胆不敵な信秀でもさすがに打って出るのをためらって上和田砦で我が軍を迎撃しようとするはず。信秀が砦の守りを固める前に、機先を制して上和田砦を攻撃しましょう」


 軍議において雪斎がそう言うと、二人の武者が「先陣はそれがしに!」と名乗り出た。朝比奈あさひな元長もとなが(後の信置のぶおき)と岡部おかべ元信もとのぶである。


 朝比奈元長は、今川家の宿老・朝比奈泰能(やすよし)の遠江朝比奈氏とは別系統の駿河朝比奈氏だが、今川家に代々仕えている有力武将である。『甲陽こうよう軍鑑ぐんかん』によると、山本勘助(武田家の軍師)を今川義元に推挙したことがあるらしい。


 また、岡部元信は、後に桶狭間合戦で主君・義元の首を信長から取り戻すために奮戦することになる忠義の武士だ。


「おう、頼もしや。では、元長殿に先鋒をお願いいたそう。林藤五郎・小林源之助ら岡崎の牢人衆を従えて上和田砦を攻撃してくだされ」


「ハハッ!」


「砦には信秀の庶子・織田三郎五郎信広の部隊もいるはず。内通者の織田宗伝から得た情報では、彼は思慮が浅く軍略にうとい若者とのこと。上手く挑発して信広の部隊を砦の外に誘い出し、信広を捕獲してください」


「御意にござりまする!」


 朝比奈元長は威勢よくうなずくと、勇躍陣幕を飛び出して行った。


 先鋒の大将になり損ねた岡部元信は、ねてしまったのか、「敵大将の息子を捕縛するなど容易なことではない。まだ二十一歳の元長殿にできるであろうか」とブツブツ呟いている。


「そう拗ねるでない、元信。熟練の勇将であるそなたにも存分に働いてもらうつもりじゃ」


 副大将の朝比奈泰能が元信の肩を叩き、慰めた。


 泰能は氏親うじちか氏輝うじてる・義元の今川家三代に仕えている古参の老将であり、寿桂尼じゅけいにの姪にあたる女性を妻にしているため、義元や寿桂尼だけでなく駿河・遠江の武将たちからの信頼も厚い。何よりも、ふところが大きく些事さじを気にせぬ性格が好かれていた。


 そんな泰能に「ちゃんと活躍の場は与える」と約束してもらえたため、元信も機嫌を直し、


「……そうですな。たまには若い者に先鋒の手柄ぐらい譲ってやりましょう」


 と、納得するのであった。


 余談だが、この岡部元信と先鋒の大将となった朝比奈元長は、今川滅亡後も武田家の家臣として織田信長・徳川家康と最後の最後まで戦い抜く運命にある人物である。


 両将にとって今回の合戦は、三十数年にわたる織田家との因縁の始まりでもあった。




            *   *   *




 三月十九日未明。

 今川軍の先鋒・朝比奈元長の部隊は、本陣の藤川を発して上和田砦を目指した。


 雪斎に一つ読み間違いがあったとすれば、信秀の軍勢が上和田砦から率先して出て来ることはないと踏んだことである。


 たいていの武将ならば、敵軍が自軍の二倍以上の兵力を有していると知ったら、野戦による決戦を躊躇するだろう。しかし、信秀は違う。全身が肝っ玉の塊のような彼の戦の信条は、


 ――どれだけ劣勢であっても守りには入らぬ。拠点を飛び出して野戦にて我が武運を開く。


 というものだった。この戦法は息子の信長にも受け継がれることになる。


 戦場で織田家とまともにぶつかり合うのは今回が初めてだったため、さすがの雪斎も「信秀が砦で防衛戦に徹することは万が一にもあり得ない」とは考えつかなかったのである。


 一方、馬頭の原を目指す織田軍の先鋒・織田信広隊は小豆坂あずきざかに差しかかっていた。


 このあたりは起伏の激しい山道が続く丘陵地帯で、松の木が鬱蒼と群生しているため、薄暗く視界も良くない。

 ある程度合戦経験が豊富な武将だったら、敵部隊との不意の遭遇に警戒したはずである。だが、信広はまだ若いうえに兵法に明るくない。さほど四方に注意を払わず、目的地の馬頭の原に早く到着することだけを考えていた。


「皆の者、もうすぐで小豆坂の頂上だ。坂道は辛いが、がんばれ!」


 ひねくれてはいるが、信広は目下の者を気遣う優しさを持った青年でもある。ときおり振り返っては兵たちが疲労していないか確認し、皆を励ましながら坂道を駆け上がった。


 だが、ようやく坂の頂上に達しようとした時、信広は我が目を疑う光景を見たのである。


「む? あれは…………て、敵勢かッ⁉」


 信広隊が駆け上がろうとしていた坂の頂上に、甲冑姿の武者二人と足軽たちがいた。


 坂を下ろうとしていた彼らもほぼ同時に信広に気づいたらしく、「あっ!」と驚きの声を上げている。今川軍先鋒隊の露払いとして上和田砦に攻め込もうとしていた林藤五郎・小林源之助ら岡崎牢人衆だった。


「あ、あ、あ……」


「お、お、お……」


 今川方も、上和田砦にいるとばかり思っていた織田軍がいきなり目の前に現れて動転してしまったのだろう。信広隊と岡崎牢人衆は、しばしの間、互いに見つめ合いながら硬直して動かなかった。


 両者の静寂を破ったのは、松の大木の枝からその光景を見下ろしていた数羽のからすである。


 さっさと殺し合ってしかばねさらし自分たちのえさになれ、とでも思ったのであろうか。ガアッー、ガアッーと烏たちが急に怒り狂ったように鳴き出した。


 そのけたたましい鳴き声に信広と林藤五郎はハッと我に返り、


「か……かかれぇーーーッ‼」


 と、ほぼ同時に号令をかけた。


 織田今川の初対決・小豆坂合戦はこうして開幕したのである。

<朝比奈元長(信置)について>

小豆坂合戦で今川軍の先鋒隊を率いた朝比奈元長についてですが、彼は一般的に「朝比奈信置」という名で知られています。

しかし、彼が「信置」と名乗るようになったのは駿河に侵攻してきた武田信玄に従属した後のことです(武田家の通字である「信」の字を拝領した)。

「信置」と改名する前はなんと名乗っていたのかは諸説ありますが、実際はよく分かっていません。

でも、名前が無かったら作者の私が困る(笑)。

というわけで、「父・朝比奈親徳(ちかのり)の法名『元長』が、朝比奈信置の初名だったのでは?」という説があるのでそれを採用しました。

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