利政の焦燥
信長・藤吉郎主従が邂逅を果たしていたほぼ同じ時期――美濃国では、織田・朝倉軍の再侵攻は間近であるという噂が民衆たちの間でも流れ、人々は戦々恐々としていた。
「織田信秀め……。着々と我が国に攻め込む準備を整えておるようじゃ。早ければ今月中にも織田・朝倉の大軍がこの美濃に押し寄せてくるであろう。……糞! たかが尾張国主の陪臣(家来の家来)の分際で生意気な!」
稲葉山城の城主館の一室。
斎藤利政(道三)は、先刻届いた一通の密書に目を通すと、嫡男の斎藤新九郎利尚(後の斎藤義龍)と養子の斎藤大納言正義の前で、声を荒げて宿敵・信秀を罵った。
密書の送り主は、尾張国海東郡の国衆の一人である蜂須賀正利(秀吉の腹心となる蜂須賀小六の父)。
利政は、信秀に反感を持っている蜂須賀正利と以前から気脈を通じており、正利から定期的に信秀の動向の報告を受けていたのである。
正利の書状によると、信秀の出陣準備はすでに万端整い、主だった武将たちも信秀の元に集結している。いつ居城の古渡城を出撃してもおかしくないという。
短気な信秀ならば、出陣の準備が整ったら即日出陣しそうなものだが、まだ居城を出ていないというのは恐らく背後の三河国の動向を気にしているからだろう。昨年の戦で信秀は今川義元を出し抜いて三河の松平広忠を屈伏させたばかりだが、今もなお三河国は安定していないようである。
「尾張の清須城と三河の岡崎城にたびたび密使を遣わし、信秀の軍が美濃に討ち入ったらその隙を狙って信秀討伐の兵を挙げるようにそそのかしているが……なかなか色よい返事が来ぬ。
織田大和守達勝(尾張下半国守護代)は家臣の信秀とは肝胆相照らす仲ゆえ、恐らく俺の誘いには乗らぬであろう。松平広忠も優柔不断な性格のうえに嫡男の竹千代を人質に取られているため身動きが取りにくいようじゃ。他に何か良い策はないものか……」
焦燥が募るばかりの利政は、扇をパチンパチンと開閉させながら思案に暮れる。だが、さすがの美濃の蝮も、今回ばかりは事態を一気に好転させるような妙手が思い浮かばないようである。
「父上。古の諸葛孔明ではないのですから、そんなホイホイと奇策など浮かぶはずがありませぬ。もはや信秀との決戦は避けられぬのです。今はとにかく、軍備を急いで迎え撃つ手はずを整えましょう」
新九郎がそう助言すると、正義が頭を振って「いや……。もう万事休すだ。美濃の国衆たちが天下の嫌われ者の義父上に従って織田・朝倉と戦ってくれるとは、とうてい思えぬ」と言った。
「どういう意味ですか、義兄上」
「これを見ろ」
正義は懐から三十数枚の紙の束を取り出し、利政と新九郎の前にやや乱暴に広げる。
利政は「何だ、これは」と言いながら一枚を手に取って読んだ。そして、すぐに憤怒の形相になり、
「な……何なのだ、これは!」
と、同じ台詞をもう一度叫んだ。
それは、利政の悪行の数々が暴露された告発文だった。
娘婿の土岐頼純を悪辣な手口で殺したこと。
出世のために多くの美濃国内の有力者たちを暗殺してきたこと。
そして、逆らう者は女子供であっても牛裂きや釜茹での極刑で容赦なく殺したこと……。
利政がいかに残虐極まりない男であるかが、読む人々の心に深く訴えるような美文で記されていた。これは、かなり学識のある者が書いたものに違いない。
「かくのごとき文書が、主に臨済宗の寺院を中心に美濃の寺々にばらまかれていました。昨年の冬頃から義父上の悪しき評判が国内に飛び交っていたのも、この告発文が原因だったようです」
わなわなと手を震わせて告発文を繰り返し読んでいる利政に、正義が冷ややかな目を向けて言った。その傍らで新九郎も顔を曇らせながら、漢詩文のごとき名文でつづられた父の悪口雑言を読んでいる。
「こ、これは……。こんな文章を目にしてしまったら、人々が父上のことを信じられなくなるのも無理はありませぬな。
それに、禅寺を中心にばらまいたというのが何ともずる賢い。禅宗は各地の武士たちとの繋がりが深いため、禅僧たちを介してその地の武士たちにもこの告発文の内容が伝わることでしょう。
……義兄上、これが美濃国内にばらまかれていた告発文の全てですか?」
「これは我が領地と稲葉良通(一鉄)殿、安藤守就殿、氏家直元(卜全)殿の領内の禅寺の門に貼られていたものを回収しただけで、ほんの一部だ。噂によると、禅寺以外の寺院や神社、人通りの多い市場にもかなりの数が貼られているらしい。恐らく、二、三百枚は美濃国内で出回っていると思ったほうがいいだろう」
「に……二、三百枚じゃと⁉ そんな馬鹿な!」
驚いた利政がクワッと両眼を大きく開きながら立ち上がり、そう怒鳴った。
「織田信秀か朝倉宗滴かは知らぬが、よくもこんな駄文を百枚二百枚三百枚と書いたものじゃ。さぞかし手が疲れたことじゃろう。……糞め! 糞めが!」
「義父上。落ち着いてよくご覧くだされ。これは手書きではありませぬ。どの文書を見ても一言一句書き損じが無く、完全に同じ書体です。何者かが大量に刷ったのでしょう」
この時代、京都五山の禅寺は仏典や史書、医学書などを木版印刷で複製し、出版していた。
印刷技術は地方の有力大名の領地にも伝わり、西国の雄・大内氏も「大内版」という木版印刷を導入していたと言われている。
つまり、木版印刷の技術を有している何者かがこの告発文を大量印刷してばらまいたということになる。
「ここまで大がかりに俺の悪評を広めるとは……。だが、信秀めが京都五山などの仏教勢力と昵懇であるという噂は聞いたことがないが、やったのは奴ではないのか?」
「いずれにしても、義父上の名声は美濃国内において地に堕ちておりまする。義父上はやりすぎました。帰蝶姫を嫁がせた土岐頼純様を死なせるべきではなかったのです。
今からでも遅くありません。織田信秀が攻めて来る前に、守護・土岐頼芸様に頭を下げて和解してください。このままでは、国衆の多くが義父上に従わぬでしょう」
「……俺にあの大たわけの頼芸に首を垂れろと言うのか⁉ ふざけたことを申すな、この親不幸者めがッ‼」
激昂した利政は、正義の左肩を思いきり蹴った。
しかし、熊のようにがっしりとした体格の正義はビクともしない。
ギロリ、とどんぐり眼で義父・利政を睨み、「義父上、往生際が悪うござる」と言った。
「おのれが蒔いた種ではござらぬか。潔くおのれで刈り取ってくだされ。頼純様殺しの罪を頼芸様に謝罪して隠居・出家し、世継ぎの新九郎殿に守護代の位を譲るのです。そうすれば、美濃の国人衆たちも納得して信秀と戦ってくれることでしょう」
「よくもぬけぬけと……。そなたはしょせん、和歌をのほほんと詠んでいるのがお似合いの公家の出ではないか。いくら腕っぷしが強くても、戦の駆け引きなど分かるものか! 余計なことは言わず、黙っておれ!」
利政にそう罵られると、正義はムッとなって「拙者はもう公家ではない! 烏峰城を守る美濃の一武将だッ!」と大声で怒鳴り返した。
物語の本筋とは関係ないが――斎藤大納言正義は、少々変わった経緯で武将になった人物である。
正義の実父は、関白・近衛稙家。その血筋は成り上がり者の利政とは比べ物にならぬほど尊い。
だが、庶子であったため、少年期に父の命令で家来の瀬田左京に付き添われて比叡山に入り、出家することになった。
公家の子でありながら血の気の多い正義は、
「比叡山でお経を毎日読んで朽ち果てていく人生などつまらぬ。せっかく体格に恵まれて武芸も得意なのだから、武将として戦場を駆け巡ってみたい」
という志を抱き、武士になろうと決めた。そして、従者である瀬田左京の姉が斎藤利政の妾であった縁を頼り、利政の養子におさまったのだった。
利政も公家の名門の子供を養子にすることができて喜び、正義に兵を与えて縦横無尽の活躍をさせていた。
しかし、ここ最近は、この義理の父子の間に亀裂が生じつつあったのである。曲がったことが大嫌いな正義が、権謀術数を好む義父の陰湿な性格に嫌気がさして反発するようになっていたのだ。
「ええい……。もうよい、下がれ! お前の暑苦しい顔など見とうないわ! 二度と俺の前に姿を見せるな!」
利政がそう喚きながら扇子を放りつけると、正義は顔面に飛んできたその扇子をパシンと手刀で叩き落とした。
「承知いたした。烏峰城に引き籠らせていただく。織田軍が攻めて来ようが、朝倉軍が現れようが、もう知ったことではない!」
「義兄上、お待ちくだされ!」
新九郎は慌てて十一歳年上の義兄を呼び止めたが、正義はドスンドスンと荒々しい足音を立てて部屋から出て行ってしまった。
「父上……。数少ない味方である義兄上まで遠ざけて、いかがなさるおつもりですか。お願いですから、今すぐ追いかけて義兄上に謝ってください」
ここのところ気苦労が絶えない新九郎が胃のあたりをおさえながらそう懇願しても、利政はうんともすんとも言わない。正義が叩き落とした扇子をジッと見つめ、
(数少ない味方だと? ……フン。あのような公家にも武士にもなりきれない似非者など、俺の息子ではないわ。俺の役に立たぬ者には、名門貴族の出であろうとも消えてもらう)
と、心中で殺意の炎を燃やしていた。
それから数日後――斎藤大納言正義は酒宴の席で家臣の久々利頼興という人物によって暗殺された。
利政は、義理の息子の仇である頼興に何の復讐もせず、この一件を黙殺した。証拠は無いが、蝮の差し金で正義殿は殺されたのに違いない、と誰もが囁き合った。
「蝮は、義理とはいえとうとう息子まで殺したか。日頃から折り合いが悪い実子の新九郎殿も、いずれはお命を狙われるやも知れぬぞ」
美濃の人々は貴賤を問わずそう噂し合うのであった。




