深雪の告白
頼純の一行は、長良川渡河を目前にして近くの村で小休止していた。
前々から具合が悪そうだった深雪の体調が、突然悪化したのだ。青ざめた顔で苦悶の表情を浮かべ、吐き気が酷いようである。
頼純の指示で、村長の屋敷で深雪を休ませたが、半刻(約一時間)ほど経っても深雪は回復しない。どうも様子がおかしい。
「深雪、大丈夫? 何かの病気じゃないの? 体調が悪そうだからお城に残っていなさいって言ったのに……」
「大丈夫です……。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません、姫様」
「宗乙に体を診てもらったらどう? 父上に続いてあなたまで病になってしまったらと思うと、とても不安なの」
「い、いえ、それは……。もう少し休んだら、元気になると思いますので……」
帰蝶は深雪の容態を心配して、つきっきりで世話を焼いていた。
しかし、深雪本人は主人である姫様に面倒をかけてしまっていることを心苦しく思っているのか分からないが、帰蝶に優しくされればされるほど苦しそうな表情になっていった。
「深雪殿。私の勘違いだったら許して欲しいのだが……」
深雪の様子をずっと観察していた宗乙が、ややためらい気味にそう口を開いた。目上の者に対しても歯に衣着せぬ物言いばかりするこの若者にしては、珍しく言うべきか否か迷っているようだ。宗乙が抱いている疑念が、女性の微妙な問題だったからである。
「貴女は……もしかしたら身籠っているのでは?」
「⁉」
深雪は、ビクッと肩を震わせながら眼を大きく見開いた。頼純と帰蝶も「み、深雪が妊娠⁉」と驚きの声を上げる。彼女の反応を見たら、図星であったことは丸分かりである。
「いや……その……。あなたが道中で倒れた時、お腹を慌ててかばっていたものだから、おかしいと思っていたのです。それに、妊婦は身籠った初めの頃に吐き気を催すなど悪阻の症状が出ますから……」
「み……身籠ったって……。お腹の中に赤ちゃんがいるってこと⁉ で、でもでも、深雪はまだ結婚していないわ。旦那様がいないのに、どうやって妊娠したの⁉ 赤ちゃんって、殿方とあの……その……あ、愛し合ったら、できるものなんでしょ?」
帰蝶は顔を真っ赤にしながら、あわあわとそう言った。
まだ心が幼すぎるという理由で、頼純は帰蝶の処女を奪っておらず、夜に添い寝をしているだけである。男女の営みというものを嫁ぐ前に母親の小見の方から教わりはしたものの、実際問題どういうものなのかまだよく理解できていない帰蝶にとって、姉代わりの深雪が誰かとそういう行為を自分が知らぬ間にしていたという事実は刺激が強すぎたらしい。
「と、殿! これは由々しきことですぞ。奥方様の侍女が、どこの馬の骨とも分からぬ男と通じて子を成していたなど、あってはならぬ不届きなことです。このような醜聞が世間に広まれば、土岐家の嫡流たる頼純様の名に傷がつきます!」
帰蝶たちの会話を今まで黙って聞いていた護衛の野田某という侍が、荒々しい声で怒鳴り、深雪をギロリと睨んだ。気の弱い深雪は、巌のごとき顔つきの荒武者に罵倒されて、「ひ、ひっ……!」と怯える。
「野田、よさぬか。深雪が恐がっている」
頼純は、驚きを隠せないという表情ではあったが、深雪を怯えさせないようにつとめて穏やかな声でそう言った。妊娠している深雪に精神的な負担をかけさせたら危険だと配慮したからである。
「さ、されど、殿……。いくら奥方様の侍女とはいえ、この女子は当家の名を汚すような真似を……」
「孕まされた側の女ばかり責めてどうする。相手はおおかた我が城の家臣であろうが、孕ませた男こそ卑怯ではないか。情を交わした女がこんなにも苦しんでいるというのに、知らぬ顔をしているとは断じて許せぬ。男らしくないにもほどがある」
頼純は深雪をかばい、彼女の肩に優しく手を置いた。
「案ずるな、深雪。この土岐頼純が、赤ん坊の父親に必ず責任を取らせる。私が仲人となって、祝言を挙げさせてやる。もしも身分の低い侍であったら、それなりの役目を与えて出世させよう。
……というわけだから、もうグチグチと文句を言うな、野田。よいな?」
「は、ははぁ……」
主君にそこまで言われたら、野田某も否とは言えない。大人しく引き下がった。
どうなることやらとハラハラ見守っていた帰蝶は、ホッと溜息をつき、「よかったわね、深雪」と姉代わりの少女に微笑みかけた。
当の深雪はというと、利政(道三)に「お前の父と兄は役立たずな武将だったが、愚図でのろまなお前も同じだ」と閨でさんざん罵倒されてきたため、彼女は自己肯定感が異常に低い。なぜ自分が優しくしてもらえているのかが理解できず、戸惑っている様子だった。
「よ……頼純様……。何故、私ごとき者のためにそこまで親切にしてくださるのですか?」
「何をおかしなことを言う。当然のことではないか。そなたは、我が妻の大事な友であり、姉のような存在じゃ。ならば、私にとってもかけがえのない家族。大切にするに決まっている」
「かけがえのない……家族……」
頼純の思いもかけない言葉に、深雪の心は激しく揺れた。
父や母、兄たち一族が戦で死んで以来、帰蝶と新九郎ぐらいにしかそんな優しい言葉をかけてもらえたことなど無かった。利政はただ深雪の肉体をいたぶり、愚弄し、利用するだけだった……。
(こんなにも心の綺麗な人を、私は死に追いやろうとしているのだ)
そう思うと、これまで重くのしかかっていた罪悪感がさらに強まっていく。もう、黙ってはいられない。深雪は、ついに意を決し、頼純に跪いた。
「あっ、こら。身重の体でそんな無理な体勢になるな。悪阻が落ち着くまで休んで――」
「頼純様! 長良川を越えてはなりませぬ! これは、利政様の罠です! 川の向こう岸では、利政様の軍勢が頼純様の首をとるために待ち構えています! に……逃げてください!」
「な、何だと⁉」
「深雪、いったい何を言っているの⁉」
深雪の突然の告白に、頼純と帰蝶は驚愕した。野田某や供の侍たちも、めいめいに驚きの声を上げている。
「あ……あり得ないわ。私の父上が、頼純様のお命を狙っているだなんて……。だって、だって……。父上はとてもお優しい人だもの」
帰蝶は、首をブンブンと幼子のように振りながら、深雪の訴えを強く否定しようとした。
しかし、深雪は幼い主人に憐みの目を向けて「お可哀想な姫様……。あなた様が見ていた『優しいお父上』の姿は、血も涙もないあの男が演じていた幻影なのです」と言い切った。
「姫様は、ずっと……ずっと、ずっと、あの男に騙されていたのです。斎藤利政という人は、邪魔な人間を始末するためならば自分の娘でも平気で利用する、優しさの欠片も無い冷血漢なのです」
「な……何を言っているのよ、深雪! でたらめを言うのはよして!」
「でたらめではありません、姫様! あの男が、この日のためにどれだけたくさんの恐ろしい陰謀を……頼純様と帰蝶様を陥れるための罠を張ってきたことか! 私は、あの男に孕まされた挙句、間諜として大桑城の内情を探らされていたのです!」
「え……? あなたのお腹の子供は、父上の子……つまり、私の弟か妹だというの⁉」
もうこうなったら全てを話さないと帰蝶に信じてもらえない。そう思った深雪は、すすり泣きながら、利政の悪行の数々を洗いざらい話した。




