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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 四章 天道是か非か
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三つ盛木瓜の軍旗・前編

 その情報は、美濃の人々にとって寝耳に水であった。


 謎の部隊が、温見峠ぬくみとうげ(福井県大野市~岐阜県本巣市間にある峠)の方面からいきなり現れ、本巣もとす郡の北側の村々を荒らし回っているという。その数百の部隊は、朝倉家のもり木瓜もっこうの軍旗を掲げているとのことである。


 この急報が稲葉山いなばやま城に飛び込んだ時、事態に対応すべき守護代の斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)は高熱を発して倒れていた。


「おい、利政。こんな時に寝込んでおる場合か。頼芸よりよし(現在の美濃守護)様は『頼りの利政が臥せっている時に朝倉軍が侵攻してきた! 美濃はお終いじゃ~!』と取り乱しておるぞ」


 朝倉軍来たるの報を聞きつけた明智あけち頼明よりあきが、手勢を率いて稲葉山城に怒鳴りこんで来た。息子の定明さだあき定衝さだひらも一緒である。


 しかし、利政は寝床から起き上がることもできぬ容態で、「申し訳な……げほっ、ごほっ!」と会話することすら辛そうだった。


「……む。どうせおぬしのことだから仮病でも使って悪事を企んでいるのかと思ったら、本当に病気だったのか」


「そうなのです。利政様は、娘の帰蝶きちょうの看病から帰って来てすぐにお倒れになりました。おそらく、帰蝶の病がうつったのではないかと……」


 小見おみの方(利政の正室で帰蝶の生母。明智家の出身)が利政のひたいの汗を拭きながら、頼明にそう言った。


 そばには側室の深芳野みよしのと長男の新九郎しんくろう(後の斎藤義龍(よしたつ)。生母は深芳野)もいて、心配そうに利政を見つめている。


 新九郎は日頃から利政に疎んじられているというのに、病床の父からずっと離れず看病を手伝っているらしい。人々から「まむし」と忌み嫌われている父とは違い、心根の優しい青年なのだろう。


「ふむぅ……。どれどれ」


 頼明は利政の頬に触れてみたが、かなりの高熱のようである。熱と咳で苦しんでいるというのは、どうやら嘘ではないらしい。


「ごほっ、ごほっ……! はぁはぁ……。まさか朝倉軍のほうから室町幕府の仲立ちで成立した和平の盟約を破るとは思っていませんでした。げほっ、げほっ……」


「奇妙な話じゃ。美濃には、朝倉家の血を引く頼純よりずみ様がいらっしゃるというのに。何が目的で攻め込んで来たのかは分からぬが、大義名分もなく盟約を破れば頼純様の美濃国内における立場が危うくなるだけではないか。闇雲な侵略行為など、あの百戦錬磨の朝倉(そう)てきがやるとは思えぬのだが……」


「今は秋の収穫もちょうど終わり、農閑期でござる。ごほっ、ごほっ……。働き口を失ってくすぶっている荒くれ者たちが農村には大勢いる。美濃への峠道がまだ雪で閉ざされてはいないこの時期に、稼ぎ場所を求める荒くれ者どもを率いて敵地に侵攻し、乱妨らんぼう取り(兵が人や物を略奪すること。乱取りとも言う)をさせるつもりなのでは……ごほっ、げほっ! がはっ……!」


 喋りすぎた利政が激しく咳き込み、新九郎が「父上! あまり喋ってはなりませぬ!」と言いながら背中をさすった。


(乱妨取りが目的……か。たしかに、そういうことは戦国の世ではよくあることだが……)


 頼明には、朝倉軍の脈略のない侵略行為がどうしても解せない。


 命と富を奪い奪われるのが乱世だ。戦国武将が雑兵たちの小遣い稼ぎのために敵地へ侵攻して乱妨取りを行うのは別に珍しいことではなかった。義の人と呼ばれた上杉うえすぎ謙信けんしんですら、関東に攻め込んだおりに人身売買の許可を兵たちに与えている。


 しかし、朝倉家の軍神・宗滴がそんな目先の小さな利益のために頼純の立場を悪くするような真似をするであろうか? それはあり得ない、と頼明は思うのである。


「守護代殿。敵が攻めて来たからには、急いで迎撃せねば。美濃の民たちが敵国へさらわれていくのを見過ごすわけにはいきませんぞ」


 父の頼明が朝倉家の思惑を図りかねて悩んでいる横で、いくさ好きの定明が朝倉討伐部隊の派遣を利政に進言していた。


 利政は、げほっ、ごほっと咳き込みながらも、定明の言葉にうなずく。


「見ての通り、それがしは重い病ゆえ出陣できませぬ。そこで、明智家の方々に朝倉軍の撃退任務にあたってもらいたいのです。ごほっ、ごほっ……。

 後で稲葉いなば良通よしみち一鉄いってつ)・安藤あんどう守就もりなり氏家うじいえ直元なおもと卜全ぼくぜん)らの軍勢を援軍として送りますゆえ、なにとぞ……げほっ、ごほっ!」


わしたちが朝倉討伐に向かうのは構わんが……。領内に侵入しておる朝倉勢はたかが数百なのであろう? 数百の敵兵を追い出すのに、明智軍と稲葉・安藤・氏家の勇将が総がかりというのは、いささか大げさすぎるのではないか? たぶん、三人の部隊が到着する前に我らがかたをつけてしまうと思うぞ?」


「しかし、あの宗滴のジジイが何を企んでいるのか分かりませぬ。思いもよらぬ罠が待ち受けているやも知れませぬゆえ、油断は禁物……ごほっ‼ がはっ‼ ひゅー……ひゅー……」


「分かった、分かった。我らが行ってやるゆえ、もう喋るな。喉がひゅーひゅー言い出しておるぞ」


 老体の頼明は利政に病をうつされるのが嫌なのか、たもとで鼻と口を隠しながらそう言った。


「頼明殿、ありがたい……。小見よ、例の薬を飲ませてくれ」


「はい。……しかし、この薬、ぜんぜん効いていないのではありませんか? 余計に酷くなっているような……」


「俺が処方した、胸の苦しみを和らげる薬じゃ。ちゃんと効いておる。さあ、早く……げほっ、ごほっ!」


 急かされた小見の方は、飲みやすいように白湯さゆにとかした薬を利政に飲ませようとした。すると、頼明は「待て、小見」と言って止めた。


「この薬は、利政が作ったのか?」


「ええ……はい。それが何か?」


「ふぅ~む。その椀をちょっと貸してくれ」


 頼明は小見の方から椀をひったくると、薬を半分ほどぐびぐびと飲んだ。


「苦い! ただの薬じゃな」


「当たり前ではありませぬか。夫の薬を盗らないでください……」


 小見の方が眉をひそめて抗議すると、頼明は「すまん、すまん」と軽く謝り、腰を上げた。そして、


「朝倉討伐のことは心配するな。さっさと病を治せ」


 とぶっきらぼうに言い残し、利政の部屋を去るのであった。




            *   *   *




「父上。何故なにゆえ、利政殿の薬を飲んだのです?」


 廊下で親子三人だけになると、定衝が頼明に聞いた。どこか具合が悪くて薬を飲んだのではないか、と心配したのだ。


「いや……。あの蝮ならば、病のふりをするために自分に毒を盛るぐらいのことはするのではと思ったからな。じゃが、あれは儂も知っておる薬であった。唐土もろこしの医書に記されておる良薬じゃ」


「自分に毒を盛る、ですと? そんな馬鹿な。あんなにも憔悴しょうすいしている利政殿が何か企んでいるというのですか? さすがに、父上の考えすぎでしょう」


「今回ばかりはそうかも知れぬ。……だが、やはりに落ちぬのじゃ。儂には、利政の急病と朝倉軍の突然の出現は何らかの関わりがあるように思えて仕方がない」


 頼明老人は白髭を撫でながら思案顔でそう言う。


 仮に利政が病の身でありながら陰謀を巡らせているのだとしても、いったい何が目的なのかが分からない。そもそも、利政にとって天敵である朝倉軍の動きを操れるわけがない


 利政の病。

 朝倉軍の侵攻。

 この二つの事件がほぼ同時に発生したのは、本当に単なる偶然なのか――。


「父上。悩んでいても仕方ありませぬ。現に、襲撃された村々の民たちは朝倉の兵から逃げ惑っているそうです。早く助けに向かわねば、民たちが苦しみます。きっと、父上の占いで出た『年内に起きる一大事』とはこのことだったのでしょう。

 民を守るのが我ら武士の役目! そして、強き敵と戦場であいまみえてぶっ殺すのが武士の楽しみ! さあ、行きましょう! 素敵な殺し合い(出会い)が我らを待っています!」


 強敵の朝倉軍と戦えると思ってウッキウキ気分の定明がはしゃぎながらそう喚き、頼明の背中を押した。


 考え事を邪魔された頼明は「馬鹿力で押すな、たわけ! 老いた父を転ばせるつもりか!」と怒鳴るが、もう戦いのことしか頭にない定明は父の話を聞いていない。老父の背をずいずいと押しながら「出陣♪ 出陣♪」と歌っている。


「……やれやれ。兄上は相変わらずの戦狂いじゃなぁ」


 定衝はそう呟いてため息をつくと、父と兄の後を追って歩きだすのであった。

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