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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 四章 天道是か非か
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明智一族・後編

頼明よりあき殿。先ほどは肩を持ってくださり、ありがとうございまする」


 斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)は、頼芸よりよしの元から退出すると、先に広間を出ていた明智あけち父子を廊下で呼び止めて礼を言った。


「それがしも義理の息子である頼純よりずみ殿とは争いたくないと思っていたのです。我が命よりも大切な帰蝶きちょうを嫁がせたのですから、頼純殿もそれがしにとってはかけがえのない身内ですので」


「かけがえのない身内じゃと? フン……」


 頼明は鼻で笑い、「気色悪いことを言うな、美濃のまむし」と吐き捨てるように言う。心の底から気持ち悪いと思っているらしく、不愉快そうに歪めた老人の顔はしわくちゃになっていた。


「いかにも人の良さそうな笑みを浮かべて綺麗事をほざいても、おぬしの正体はとうの昔に見ぬいておるのじゃ。わしは、おぬしが政敵を次々と蹴落として成り上がって来た姿をこの目で見てきておるのだからな。おぬしのことだから、どうせまたよからぬことを企んでおるのじゃろう」


「いえいえ、そのようなことはけっしてありませぬ。それがしが望んでいるのは土岐とき家の安泰、美濃の平和のみでござる」


「おえっ……! またまた綺麗事を言うか、毒蛇め。胡散臭いおぬしがキラキラと輝いた顔で偽善者ぶるたびに、儂の吐き気が止まらぬわい。

 ……よいか、利政。おぬしの父は京都妙覚寺の僧侶から成り上がり、息子のおぬしは目障りな人間をことごとくほふって美濃の守護代にのぼりつめた。それでもう満足しておくのじゃ。今のおぬしの頭上にいるのは美濃守護の土岐氏のみ……。土岐氏を排除して国主の座を奪おうとすれば、おぬしは逆臣となる。下の上を剋するは極めたる非道なり、じゃ。たとえ国主の地位を手にしたとしても、大いなる悪名を得たおぬしの栄耀栄華は五年ともたずに瓦解するであろう」


「…………」


 利政は頼明に頭ごなしに怒鳴られても神妙な顔をして黙り込んでいる。利政も頼芸と同じくこの老人が苦手だということもあるが、正妻の小見おみの方は明智一族の出であるため、妻の実家の族長である頼明に強く出られないのである。


「儂がそなたに小見をくれてやったのは、おぬしが土岐家に対して謀反を起こさぬか我ら明智家が見張るためじゃ。おぬしが土岐家に仇なすような策謀を巡らせば、小見とその侍女どもが儂にただちに報告するであろう。その時は、我がせがれの定明が自慢の怪力でおぬしの五体をバラバラに引き裂くことになるぞ。そのことをよく覚えておくがいい!」


「……承知しました。肝に銘じておきまする」


 利政は頭を下げ、しおらしい態度でそう言った。「美濃の蝮」と渾名あだなされている男と同一人物とは思えないほど腑抜ふぬけた低姿勢である。


 近頃の利政はどうもおかしい。何らかの陰謀を胸中に秘めて毒の牙を研いでいることは明白だが、その企みが何なのかが分からない。


 頼明はチッ……と舌打ちして「もうよい! 行け! 失せろ!」と怒鳴り散らすと腕を乱暴に払い、はえを追うように利政を追っ払うのだった。




            *   *   *




「父上、よろしいのですか? 利政殿をあのように邪険に扱って……。我らは名門・土岐家の庶流ですが土岐本家と同じくかつての威勢はなく、対する利政殿は守護代として美濃国の軍事・内政を取り仕切っている美濃一番の実力者なのですぞ。恨みを買うような真似をせず、縁戚関係で結ばれている利政殿をもっと頼るべきではないのですか?」


 利政がいなくなって親子三人だけになると、次男の明智新九郎(しんくろう)定衝さだひらがそう言って父の頼明を諌めた。


 定衝は、短気な父やいくさ狂いな兄とは違い、事なかれ主義で乱世を生き抜いていきたいと考えている。美濃国主をも上回る勢威を誇る斎藤利政にわざわざ喧嘩を売るのは愚の骨頂であり、縁戚関係を利用して利政ともっと親交を結ぶほうが明智家のためになると信じていた。


「寝ぼけたことを申すでない、定衝。蝮の狙いは美濃国主の座じゃ。奴はおのれが美濃守護になるためならば、主家である土岐家の血を根絶やしにすることもいとわぬであろう。土岐家の庶流である我ら明智家も例外ではない。自分の妻が明智家の生まれだとか、娘が土岐家嫡流の頼純様に嫁いでいるだとか、そのような身内同士の絆にいちいち縛られるような甘い男のはずがあるものか。縁戚関係を結んでいるのだから仲良くしようなどと油断していたら、皆殺しにされるぞ。

 ……とりわけ、帰蝶姫を嫁にもらって利政に気を許しつつある頼純様の命がいま一番危ない」


「まさか、そんな……。利政殿は、婿むこである頼純様とは頻繁に使者のやり取りをして、父子同然の付き合いをしているそうではありませんか。さすがの美濃の蝮も、愛娘である帰蝶姫の夫となった頼純様のお命を狙えるはずが……」


「だから、その考えが甘いと言っておるのじゃ! 阿呆! あの蝮が単なる人付き合いのためにそんなまめまめしいことをするものかッ!」


 頼明はつばを大量に飛ばしながら怒鳴った。


 定衝は驚いて後ずさり、顔にべっとりとついた唾をたもとぬぐう。


 一方、長男の定明さだあきは、難しい話には加わりたくないので、素知らぬ顔で鼻をほじくっていた。


「時候の挨拶、季節ごとの贈り物、宴の誘い……。利政めが頼純様の居城へ月に何度も使者を遣わしているのは、大桑おおが城の内情を探るために決まっておるではないか。頼純様が隙を見せる瞬間をうかがっておるに違いないのじゃ。いや、それだけではないな。頼様のそば近くにいる者を間者かんじゃにしているはずだ。

 具体的にどのような悪だくみをしているのかは分からぬが、このままでは奴は確実に頼純様を殺すぞ。土岐家の嫡流が絶えれば、美濃土岐氏の力は一気に弱体化する。だから、儂は頼芸様に頼純様と和解して協力し合うように言っておるのだ。今は、土岐家同士で争っておる場合ではない。それが、あの大馬鹿者の頼芸様には分からぬ! 蝮なんぞを信用しおって、なんと愚かなことよ!」


「どうどう。父上、どうどう。少しは落ち着いてくだされ。頭の血管が千切れますぞ?」


 頼明老人が今にも殴りかかりそうな勢いで定衝に吠えかかっていると、定明が無駄に馬鹿でかい左右の手をぐわっと伸ばして父と弟を引き離した。近頃興奮すると目眩めまいを起こしやすい老父の健康が心配になってきたので、少し落ち着かせようとしたのだ。


「邪魔じゃ、どけ! 鼻をほじっていた手で父に触れるな、無礼者ッ」


「鼻の穴をほじっていたのはもう片方の手なのでご安心を」


「ということは、私に触れている手ではありませぬか兄上! きったねぇ!」


 定衝は思いきり顔をしかめながら定明から離れた。父に唾を吐きかけられたり、兄に鼻くそを押しつけられたり、散々である。


「定衝よ、人体から噴き出てくるのは鼻くそも血も一緒じゃ。戦場で返り血をわんさか浴びている武士もののふが鼻くそごときでガタガタ申すな。

 それと、アレだ。父上のお言葉は正しい。難しいことは俺にはよく分からんが、蝮は卑怯な奴じゃ。絶対に、土岐家の安泰や美濃の平和など望んではおらぬ。槍働きが大好きな俺が戦をやめられぬように、陰謀が大好きなあいつが人を陥れる悪だくみをやめられるはずがない。今もきっと、ろくでもないことを考えておるに違いない。蝮の悪だくみのせいで可愛らしい帰蝶姫が泣くようなことがなければよいのだがなぁ~と俺も心配しておるのだ」


 戦場では獰猛どうもうな獣のごとき定明だが、目の前に闘志をかきたてさせるような強敵さえいなければ、本来は心根の優しい男なのである。密かに、明智の血を半分引く帰蝶の心配をしていたらしい。


「……そうじゃ。その通りじゃ。警戒すべきなのは斎藤利政なのじゃ。土岐家が骨肉の争いを延々と続けていても、昔の明智家のような悲劇を生むだけ……。身内で殺し合うことほど愚かなことはないわい。……う、ううっ。急に目眩が……」


「あっ、父上。大丈夫ですか? もう年なのに興奮するから……」


 頼明老人はいつもの目眩を起こし、よたよたとふらついた。定明が慌てて老父のか細い体を支える。定衝も「父上。あそこの濡縁に座って少し休みましょう」と勧めた。


「うむ、言葉に甘えてそうしよう。

 ……よいか、息子たちよ。そなたたちには何度も語り聞かせていることだが、儂がまだ若かった頃にも土岐家は内部分裂して戦に明け暮れておった。土岐家の庶流である明智家もその争いに巻き込まれ、儂と父の頼尚よりなおは同じ陣営、兄の頼典よりのりは敵方の陣営についた。どちらの陣営が勝っても明智家が生き残れるための苦肉の策だった……」


 頼明は暮れなずむ庭の景色を眺めながら、遠い昔に思いをはせて悲しげな表情を浮かべる。嫡男であった兄と刃を交えた辛い過去を思い出しているのだろう。


「内乱は我らの陣営の勝利に終わった。兄の頼典は父上によって廃嫡され、儂が明智家の家督を継ぐことになった。浪人となった兄は、その後、近江の六角氏を頼ったらしいと風の噂で聞いたが……。儂がこんなにも老いぼれておるのじゃ。もうご存命ではあるまい。

 しかし、兄者の子か孫がまだ近江で暮らしているはずじゃ。できたら、引き取って城の一つでも分け与えてやりたいと常日頃から思っているが……こうも美濃国内が長年に渡って不安定じゃと近江へ人探しに行くこともできぬ」


 年老いた父が涙する姿を見て、定明と定衝は神妙な面持ちで「父上……」と呟いた。


 ずっと気に病んでいたのだろう。家督を継ぐはずだった兄が国を追われ、弟の自分が明智家の当主になったことを。そのような家族の悲劇を経験しているからこそ、頼明は相変わらずおさまることのない土岐家の内紛に心を痛めているのだ。


 乱世ゆえに骨肉の争いが起きるのはやむを得ない、と多くの武将は考えていることだろう。しかし、乱世だからこそ一族が結束して国を守っていかねばならぬ、というのが頼明の信念であった。


「そういうことなら、俺の家臣を近江へ遣わしてみます。頼典伯父上の家族が見つかったら、この俺が近江に直接赴いて必ずや連れて帰ります。なぁに、近江なんて隣国だから美濃で異変が起きても駿馬で急いだらすぐに帰国できますよ。戦狂いの俺が戦に遅刻するなどということは天地がひっくり返ってもありませぬ」


 親孝行な定明が老父を喜ばせるためにそう言い、自分が頼典の子孫を捜すことを約束した。


「定明……。ならば、来年の春ごろにでも近江へ行ってくれるか。先日易占で占ったところ、今年の秋から冬にかけて、我ら土岐一族の命運を分ける大きな出来事が起きるという結果が出た。その占いがいかなる未来を示すのか気になるゆえ、年内はそなたには国内にいてもらいたいのじゃ」


「はい、承知しました。しかし、その大きな出来事というのは、やはり蝮が何か仕出かすのでしょうか」


「その可能性が大だ。じゃが、尾張の織田あたりがまた攻めて来る可能性もあるゆえ、内憂外患のどちらも油断はできぬ。そなたたち兄弟も、ゆめゆめ警戒を怠るでないぞ。私利私欲にまみれた蝮の守護代などにこの美濃の国は任せてはおれぬ。我ら明智家が一丸となって美濃を守るのじゃ」


「ハハッ!」


 定明と定衝は声をそろえ、父にひざまずく。


 しかし、定衝はそれでもなお、


(ううむ。斎藤利政と敵対するのは、やはり得策ではないと思うのだが……)


 と、内心では考えているのであった。

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