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天の道を翔る  作者: 青星明良
尾張青雲編 四章 天道是か非か
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快川紹喜は回想を語り出す

「まあまあ、快川かいせん殿。そんなけち臭いことを言わず、この者たちにあのまむしめの悪逆非道ぶりを語って聞かせてやってくだされ」


 軽い調子でそうとりなしたのは、池から這い上がってずぶ濡れになっている明智あけち定明さだあきだった。鼻血がなかなかおさまらないらしく、さっきからずっと手で鼻を覆っている。


「髭もじゃ……こほん。明智殿よ、なぜ我らの肩を持ってくれるのだ。たしか、斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)の正室は明智家の出であったはずだが……」


 造酒丞さけのじょうが意外そうな顔をしてそう問うと、定明は「奴のことは俺も気に食わんのだ!」と吐き捨てるように答えた。


「たしかに明智家はあの男と縁戚関係を結んではいるが、近頃の斎藤利政の増上慢ぞうじょうまんは目に余るものがある。土岐とき家の嫡流たる頼純よりずみ様を殺害しただけでは飽き足らず、ここ最近はおのれの主君である頼芸よりのり様(美濃守護)を粗略に扱うようになってきている。先刻おぬしが俺に言ったように、蝮めには我ら土岐氏を排斥して美濃の主たらんとする野望があるのであろう。

 男の立身出世は槍働き一つでするもの。卑怯な謀略なんぞで伸し上がろうとする利政は、俺は大っ嫌いじゃ。あいつの悪評が尾張や周辺諸国に広まるのは大いに結構。むしろどんどん広まって、悪名高き蝮を討伐するための軍勢が四方八方から美濃に攻め込んで来て欲しいとさえ思っておる。そうすれば、この俺が血吸ちすいの槍を振るって強敵たちと戦える機会が増えるからな。ワッハッハッハッ。……あれ? そういえば、俺の血吸の槍どこ行ったっけ?」


「とんでもないいくさ狂いだな、おぬし……。俺も戦が好きだが、尾張国が美濃の斎藤軍と駿河の今川軍に挟み撃ちされて絶体絶命になって欲しいなどとはさすがに願わぬぞ。しかし、そんな願望があるのならば、なぜ我らに斬りかかって来たのだ?」


「そんなの、決まっておるではないか。そこに強敵おまえがいたからだ。目の前に命のやり取りのし甲斐がある武士もののふがいれば、敵味方関係なく挑みかかる。それが俺の信条だ」


「それは信条ではなくただの病気だと思うのだが……」


 造酒丞と尾張守おわりのかみは、(こいつが織田家の武将ではなくて良かった)と心の底から思うのであった。


「……私は定明殿のそんな下らぬ願望を叶えるために姫様の不幸をベラベラと喋るつもりはありませぬ。さあ、定明殿、姫様の元に参りますぞ」


 武士である造酒丞たちですら困惑するのだから、僧侶の快川が定明の戦狂いを理解できるはずがない。冷ややかな眼を定明に向けるだけであった。今度こそ造酒丞と尾張守に背を向け、立ち去ろうとする。


「あっ……! か、快川殿!」


 尾張守は何とかして引き止めねばと焦ったが、去りゆく快川の背中をただ呆然と見つめていることしかできない。造酒丞も槍で敵を突き伏せるのは得意でも他人を説き伏せる弁舌は持っておらず、


(これは任務失敗か。信秀様に申し訳が立たぬ……)


 と、半ば諦めかけていた。


 そんな二人の救いの神となったのは、意外な人物だった。




            *   *   *




「快川殿。私のことは構いませぬ。その者たちに私の父が何をしたのか事細かに話してあげてください」


「姫様……」


 快川の前に立ちはだかったのは、天女のごとく美しい少女――帰蝶姫だった。


 顔立ちはまだ幼いが、いずれは大輪の花を咲かせるであろう芙蓉ふようのごとき華やかさが輝き溢れている。

 また、体つきは少し力を入れて抱きしめたらポキリと折れてしまいそうなほど華奢で、きらびやかさと儚さがないまぜになったようなその美しさは見る人を強く惹きつける魔力があった。

 ただ、彼女の物憂げな表情と青白い顔色には言い知れぬ痛々しさが感じられる。たった一年の結婚生活で死に別れた夫の頼純を想い、悲嘆に暮れる毎日を過ごしているのだろう。


 帰蝶の姿を見た造酒丞と尾張守は、


(あ、あれが斎藤利政の娘だというのか? 蝮の子だからどうせひどい醜女しこめだろうと思っていたが……)


 と驚いて息を呑んでいた。帰蝶の美形は父・利政譲りなのだが、利政の顔を見たことがない二人が蝮という渾名あだなから醜い顔を想像してしまうのは無理もないことである。


「しかし、よろしいのですか? 姫様にとっては身が引きちぎられるほど辛い過去でしょうに……」


「父の悪逆は世の人々に正しく知られるべきです。あのようにおぞましい下剋上の鬼が跳梁ちょうりょう跋扈ばっこしている限り、乱世は終わらないでしょう。

 ……私は亡き頼純様の仇が討ちたい。蝮が織田家や朝倉家など他国に攻め入られて滅びる様が見たい。

 その私の希望を叶えるためにも、快川殿には彼らに斎藤利政がいかにして頼純様を罠にはめ、死に追いやったかを話して頂きたいのです。快川殿が話してくださらないのならば、私が話します」


 帰蝶は生気を失った眼を快川に向け、亡霊が囁くような声でそう言った。


 怒りや憎しみ、復讐心に囚われた彼女の美貌は凄絶せいぜつ極まっている。狂気に陥る一歩手前だった。


(つい十数日ほど前までは、この世に醜悪なものがあることすら知らぬ無垢な少女だったというのに……)


 快川は悲しげに顔を歪ませ、「飛花ひか落葉らくよう……。いくら諸行無常の儚き世とはいえ、荒れ野にたった一輪咲く可憐な花の優しき心ぐらいはそのままであって欲しかったものだが……」と誰にも聞こえぬ声で呟いて長嘆息した。


「……承知しました」


 快川は帰蝶にそう言うと、造酒丞たちに向き直って「ついて来られよ。まずは、そちらの方の傷の手当をせねば」と促した。


「おおっ! そ、それでは……」


「姫様のご命令です。話しましょう、何もかもを」


 造酒丞と尾張守は顔を見合わせて喜ぶ。帰蝶姫のおかげで主命を果たせそうだ。


 快川は修行僧たちに命じて造酒丞の傷の手当をさせると、二人を奥の部屋へと誘った。帰蝶や定明も一緒である。快川が見聞きしていないことを補足説明してくれるつもりらしい。


「……では、いささか話は長くなるが、頼純様の死の真相について語りましょう」


 咳払いをした後、快川は語り出した。


 彼が最初に語ったのは、帰蝶と頼純がまだ幸せな夫婦生活を送っていた一か月半ほど前の出来事からであった――。

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