猪武者
南泉寺に到着した織田造酒丞と道家尾張守は、明智家の兵に誰何された。
寺の周囲には美濃土岐氏の証である水色桔梗の軍旗が溢れている。なぜ寺院にこれほどまでの警備が必要なのだろうと二人は不思議に思ったが、まさかこの寺に斎藤利政(道三)の娘がいるとは夢にも考えていない。
(う~む。寺にまで美濃兵が詰めているとは予想外であった)
(こうなったら、また美濃兵どもを斃して強引に押し通るしかないな。……造酒丞先生、お願いします)
(阿呆。さすがに寺の門前で大暴れなどできぬわ。美濃兵を殺して無理に寺へ押し入っても、「寺を血で汚された!」と快川紹喜殿が怒ってしまったら、何も話を聞かせてもらえなくなるぞ)
(で、では、いったいどうすればよいのだ)
(こういう時のために、快川殿と同じ道家一族であるおぬしがこの任務に選ばれたのではないか。自分たちは怪しい者ではないことを上手く説明して、同族の誼で快川殿に会わせて欲しいと頼むのじゃ。尾張者とバレたらまずいから、尾張訛りはくれぐれも出すなよ?)
(……わ、分かった。やってみる)
小声での相談を終えると、尾張守は緊張しながら一歩前へ出て明智家の兵たちに「わ……我々は怪しい者ではない!」と言った。声が、裏返っている。
門前にいた兵士たちは、思いきり不審そうな目を尾張守に一斉に向けた。開口一番に「私は怪しくありません」と言う人間が怪しくないはずがない。いきなりやらかしてしまった尾張守に呆れ、造酒丞はチッと小さく舌打ちする。
「怪しくないのなら、何者なのだ」
「そ、それがしは、快川紹喜殿の同族・道家尾張守と申す。快川殿に禅の教えを乞うためにはるばる尾張……えほん、えほん、美濃の南のほうから参った。我が一族の快川紹喜殿にお取り次ぎ願いたい」
尾張守は、自分が快川紹喜と同じ道家氏であることをなるべく強調しながら、そう名乗った。
しかし、「我らが織田家の者だと勘付かれてはならぬ」と思うあまり緊張してしまっているようだ。目はキョロキョロと泳ぎ、呼吸も荒くなっている。誰がどう見ても不審者だった。明智の兵たちは胡散臭そうに尾張守を睨み続けている。
「……お前、尾張の者だろう?」
「ち、違う! 俺は美濃の道家氏だ! 尾張にも道家氏はいるが、俺は美濃生まれの道家一族だ!」
「名前が尾張守なのにか?」
「な……名前は、ただの自称だ! ほ、ほら、尾張守という語感がカッコイイであろう⁉」
「しかし、言葉のところどころで尾張の訛りが出ているぞ?」
「な、訛ってなどおらぬ!」
「いいや、訛っているな。尾張の訛りをぜんぜん隠しきれておらぬ」
「訛ってなどいにゃー言っとるではにゃーか‼」
「…………」
「あっ……」
思いきり訛りを出してしまい、尾張守は大汗をダラダラと流した。後ろの造酒丞はハァ~と大きなため息をついている。
「と、とにかく! 快川殿に取り次いでくれ! 我々は絶対に怪しい者ではない!」
「……やっぱり怪しいなぁ。快川様に取り次ぐ前に我らの殿に取り調べていただくゆえ、ここで待っておれ」
兵の一人がそう言い、境内へと駆けて行った。
そして、すぐに髭の豊かな偉丈夫――明智彦九郎定明が現れた。
「殿。こやつらが怪しき者たちです」
「なるほど。では、叩き斬ろう。どりゃぁぁぁーーーッ‼」
定明は抜刀するや否や、問答無用で斬りかかって来た。
「なっ⁉ と、取り調べをする気など微塵もないではないか!」
尾張守は刀を抜く暇も無い。慌てて身を反らして、大上段から振り落とされた一撃を紙一重でかわした。
「ホホウ、さっきのをかわしたか。褒めてやる」
「ぬかせ! 我らは快川紹喜殿に用があるのだ! 快川殿に会わせろ!」
尾張守はそう吠えたが、額に汗が滲んで辛そうである。まだ腰が痛むのであろう。次に先ほどのような疾風の剣で攻撃されたら避けられないかも知れない。
尾張守の身を案じた造酒丞は、「道家殿、下がれ。この髭もじゃとは拙者が話をつける」と言い、尾張守を庇うように定明と対峙した。
「聞け、そこの髭もじゃ。十中八九バレているだろうから正直に言うが、我らは尾張の者だ。しかし、この道家尾張守が快川殿と同族であることは嘘ではない。今ここで道家殿とその連れである拙者を斬れば、おぬしは快川殿と縁のある者を殺すことになる。おぬしとて、美濃でも指折りの名僧である快川殿に余計な恨みを持たれたくはないはずだ。大人しく剣をおさめてここを通してくれ」
「フフン。尾張者が快川殿と会って、どうするつもりだ? どうせ、美濃の内情を探りに来たのであろう。ここにたどり着くまでの間にたくさんの美濃兵を殺したくせに、そのような小賢しき理屈をこねて穏便に済ませようとするとは笑止千万じゃわい。快川殿に会いたくば、この明智彦九郎定明を倒すがいい!」
「明智……土岐氏の人間か。なるほど、水色桔梗の軍旗が翻っておるわけだな。しかし、土岐氏の流れをくむ者ならば、土岐家の嫡流たる頼純様を殺した蝮に加担するなど愚かなことだとは思わぬのか。いずれ、美濃守護の土岐頼芸やそなたたち明智一族も抹殺されるぞ」
「問答無用! 我が剣を受けてみよ!」
おらぁー! と、定明は怒号を上げて、猛烈な一撃を造酒丞に浴びせた。定明の怪力は美濃国内では有名だ。まともに喰らったら、肉体は文字通り一刀両断されかねない。
(む……! 何という技の気迫ッ!)
造酒丞は驚愕しつつも、その一閃を最小限の動きで颯と避けた。そして、筋肉で盛り上がった定明の腕を素早くつかまえ――熟練の組討の技で大熊のごとき巨体をぶん投げた。
「ごふっ‼」
定明は銀杏の木に背中から激突し、木は驚いたかのようにガサガサと大きく揺れる。定明と造酒丞の頭上に、黄葉がハラハラと降り注いだ。
並みの人間ならば、ここであっさりと気絶してしまっていただろう。だが、定明という猛将は常人ではない。何事も無かったかのようにすぐに立ち上がり、「面白い、面白いぞ、おぬし!」と爽やかな笑顔で喚いた。命を懸けた戦いが楽しくて仕方がない、という顔である。
「刀を抜かぬままこの俺と対峙する勇気、その大胆な戦い方、ただ者ではないと見た。名を名乗れ」
「快川殿と会わせてくれたら、名乗ってやろう。美濃にその人ありと謳われた高僧の仁岫宗寿和尚の寺を血で汚したくはない。おぬしもさっさと刀を鞘におさめ、少しは我らの話を聞け」
造酒丞は冷静沈着さを失わず、明智家の猪武者の説得を試みた。
この最初槍の勇者も戦闘狂的なところが多分にある人物だが、定明ほど見境が無いわけではない。一度その闘志を燃え上がらせてしまうと暴走してしまう傾向はあるものの、主君信秀から与えられた任務を第一に考える仕事人のごとき一面もある。
だから、寺の中にいるであろう快川や師の仁岫和尚の不興はけっして買うまいと、強敵と本気の命のやり取りをしてみたいという気持ちを必死に抑えているのであった。快川を怒らせたら、尾張守が彼から頼純の死の真相を聞きだせなくなってしまう。
「フーン。まだそんなことを言っていられる余裕があるのか。……意地でも刀を抜かせてやりたくなってきたな。おい! 誰か、血吸の槍を持って来い!」
定明は、おのれより強い戦士と戦って打ち克つことこそが武士の最大の悦楽だ、と大真面目に考えているような男だ。強き敵と出会えた喜びに酔いしれてしまっている今は、誰が何を言っても戦うことをやめるわけがない。とっておきの得物で我が武を見せつけて、戦う気のない造酒丞に嫌でも本気を出させてやろうと企んでいた。
「殿、血吸の槍をお持ちしました。……しかし、よろしいのですか? 寺の門前で暴れたら和尚様や快川様にご迷惑をかけるのでは……」
「後で謝ればいい! ええい、何でもいいから早く渡せ!」
配下の兵が運んで来た槍をふんだくると、定明はその短槍をブーン、ブーン、ブーーーンと大きく旋回させてガハハハハと大笑した。槍を持って来た兵士は、危うく顔面に穂先が当たりそうになり、「うひゃぁ⁉」と悲鳴を上げながら尻もちをつく。
「これぞ、我が明智家に代々伝わる宗近作の業物・血吸の槍じゃ‼ 数多の兵たちの血を吸ってきたこの槍で、おぬしの血も吸ってやろう‼ でりゃぁーッ‼」
定明は、猛烈な勢いで槍を突き出した。
流麗なる刃紋を浮かび上がらせた刃は燦と輝きを放ち、赤き血を求めて造酒丞の喉元に吸い付かんとする――。
<血吸の槍について>
血吸の槍は、江戸時代初期に成立した軍記『明智物語』(作者は明智定明の旧臣・森四郎左衛門秀利だとされる)に記述がある明智家代々の槍です。
実在した槍かは分かりませんが、「血吸ト云宗近ノ鑓」が源頼政(以仁王と共に平氏打倒に立ち上がった平安末期の武将)以来伝わり、明智家の家宝だったとされています。
『明智物語』では後に明智光秀の手に渡り、最終的には定明の遺児である土岐(菅沼)定政に返還されます。
今回登場した明智定明と光秀の関係は……おいおい物語で描いていきたいと思います!




