孤独の戦い
「グレイ、止めてくれてありがとう。助かった」
「ああいう目立つ行動は慎んで下さいよ。さすがに腕を折ったらフォローが面倒です」
「そうだな。サージはプライドが高い分、俺にやられたなんて自分から周りには言わないだろうけど。ただ、あいつ親父に言いつけるからなあ」
グレイの研究室で、ターロイは椅子の背もたれに身体を預けながらため息を吐いた。その向かいでグレイが注射器の準備をしている。
「まあ、自分の都合のいいように言いつけるでしょうね。でもさすがに父親は司教ですから、サージの話を鵜呑みにして軽はずみに私に喧嘩を売るような真似はしないでしょう。……はい、ターロイ、袖を捲って腕出して」
グレイが注射器を構えると、ターロイはあからさまに嫌そうな顔をした。
「……ううう、採血嫌い……」
「これがあなたを養う条件ですからね。我慢して下さい」
容赦なく血を抜かれる。三日に一回、大した量じゃないけれど、やはり注射は嫌いだ。
ターロイはこの八年間続く採血にうんざりしていた。
「俺の血を随分調べてるけどさ、何か分かったこととかあるのか? 狂戦病の原因とか、この胸の石の正体とか」
「今日みたいに好戦的な時は狂戦病のウイルスが活性化してますね。ガイナードの核の成分とよく馴染むみたいで、以前より親和性が増しています」
「……よくわかんないな」
「あなたはまだ分からなくていいです。とりあえず狂戦病の発作発動条件にさえ気をつけていれば、普通に生活していられますから」
「まあ、それはそうだけど」
過去の症例を調べてみたところ、狂戦病の発作が発動する条件は人によって違うらしい。
ターロイの場合、仲間・友人の負傷や死がトリガーとなっていた。
八年前のあの日、発作が起きたのは目の前で教団員に孤児の仲間を殺されたからだった。
その教訓からあれ以来、普通に生活するために、ターロイは近しい人間を作ることをやめていた。仲間や友人さえいなければ、発作が起きることはない。
今はひたすら能力を磨きながら、教団に対抗しうる知識を身につけることに心血を注いでいる。
……と言うか、教団にいると正直、周りがクズばかりで仲間も友人もできようがないので、必然的にそうなるのだけれど。
「狂戦病も状況と考え方によっては最強のスキルなんですけどね。身体能力の爆上げはもちろん、敵を殺す順番にも法則性があるみたいで、それを利用すれば……」
「駄目だ。狂戦病の発作は最終的に護るべき者まで殺す。敵を殺すのは何とも思わないが、それ以外は発作のせいだとしても後悔する。こんな危険な発作なんて、起こらない方がいい。護るべき者なんて最初からいない方がいい」
「……でもそうすると、あなたはずっと仲間を作らず、一人で戦う羽目ですよ?」
「分かっている。だけどグレイみたいに、仲間でなくても利害で繋がることはできるだろ。情さえ移さなければ、共闘する相手はどうにかなると思う」
すっかり割り切っているターロイに、グレイは小さくため息を吐いた。
(何かを護るためでなく、ただ破壊するだけの戦いか。……途中で目的を間違えないといいが)
仲間を作らずにこの教団の中で一人で動いている点では、グレイも一緒だ。しかしグレイには護るものがあった。
(……粗方の準備は済んだし、そろそろ教団の外に出すべきかもしれない)
他人の善意や好意に触れない環境は、明らかに彼の冷えた心の回復を遅らせている。ターロイの心は過去の平穏でささやかな記憶だけに支えられていた。
破壊しか考えていない未来には、なんの希望も持っていないのだ。
ターロイの能力は、使い方によっては世界最強、もしくは世界最凶となる。彼の行く先がどっちになるかは、ほんの僅かな差だ。
それを最後に選ぶのはターロイだけれど、その未来に少しでも希望を持って欲しいと考える。
「……ターロイ、ちょっとお遣いに行ってきませんか。ミシガルまで、私の書簡を届けに」
グレイはとにかく一度彼を外に出そうと決めて、一番妥当な行き先を示した。
あそこの領主はいけ好かないが、教団の息が掛かっていない分公明正大で、街の治安もいい。片道二日程度で遠くもないし、街道も整備されていた。
上手くいけば、あそこに所蔵されている古文書も見られるかもしれない。
「ミシガルって……、グレイは領主と仲が悪いんじゃないのか?」
「超悪いですね。でもまあ、あなたも紹介して欲しいって言ってたでしょう。だからちょっと、あの男のご機嫌伺いも兼ねてね。向こうにある文献も気になるし」
「……確かに一度会ってみたかったけど。でも仲悪いなら、グレイの遣いだからって追い返されたりしない?」
「それは大丈夫。騎士団は礼には礼を返します。あなたが礼を欠いた態度を取らなければ問題ありません」
往復で四日。ミシガルでの滞在もまずは二日程度でいいだろうか。宿代と食事代、通行料さえあれば平気だろう。
グレイは思考だけで算段する。
「俺がいない間、塔破壊の仕事が来たらどうするんだ?」
「あれは本来、私のランクには依頼が来ない下級業務です。あなたが王国軍を減らしたくないと言うから受けていただけで、向こうから来る仕事じゃありません。そもそも私には他の再生師としての仕事がありますし。あなたの手柄を取ってばかりもいられませんからねえ」
グレイの教団での仕事は、表向きは病や薬の研究をする医療術士だ。ただ、その人体知識ゆえに元々身体の破壊の仕方を心得ていて、さらに薬学に精通して多くの命を救っていることもあり、それも破壊と再生の職業、再生師と呼ばれる所以になっていた。
決して、ターロイの能力に乗っかっただけの肩書きではない。
「グレイも、それだけすごい技術と知識持ってるんだから、こんな教団抜けて医者にでもなればいいのに」
「いやいや、こんなクソ教団ですが、色々役に立つこともあるんですよ。研究資金は潤沢だし、稀少な薬の素材を集めるのも楽だし。何より、前時代のアイテムや薬の研究は、ほぼここでしかできませんし」
確かに、前時代の遺物は教団が管理することになっているから、その研究がしたいならここにいるしかないか。
……しかしそもそも、なぜグレイはこんなに熱心に前時代の研究をしているのだろう。八年前、危険を承知で自分を助けに来たことも、何か関係しているのだろうか?
ふと気に掛かったけれど、ターロイがその疑問を口にする前に、グレイは話を切り上げてしまった。
「さあ、無駄話はここまで。書簡を作っておくので、出立の準備をして下さい。通行手形は明朝までに用意させます」
「……分かった。ついでにミシガルの街の守備状況や部隊人数も調べて来るよ。兵の練度も確認してみないと」
「そのつもりで、ミシガルに二日滞在できる資金を用意しておきます。もし滞在が延びそうなら、後は自分で稼いで下さいね」
「街を調べるのに、そんなに掛からないと思うけど」
「……まあ、もしそういうことがあったら、ということです」
何となく含みのある言い方だ。しかしどうせ訊いたところで素直に答えてくれる男ではない。ターロイは突っ込まずに流すことにした。
急ぐ遣いではないのだし、少しくらいのイレギュラーは甘んじて受け入れよう。
「早朝に出立すれば、徒歩でも夕方には途中の宿駅に着くでしょう。あなたなら道中で追い剥ぎに遭ったところで問題ないでしょうしね。ただ、相手が無法者だからってあまり壊しすぎないように」
グレイは揶揄うようにそう言い置いて、通行手形の手配のために部屋を出て行った。