嵐の前のひととき
今回は息抜き回
ハヤテの初仕事は、意外なほどあっさりと終わってしまった。
明日からは忙しくなるが、その前に彼との約束がある。
ターロイは王都から戻ると、そのままハヤテを連れて、部屋にいるディクトのところに行った。
「おい、ディクト。ちょっと」
四人部屋では、どこから調達してきたのかみんなで酒を飲んでいた。もちろん泥酔するような量ではないが、それなりにできあがっている。
ターロイはそこからディクトを呼び、廊下に連れ出した。
「おう、どうした二人して」
すっかり酒臭いが、この男は隊長としての立場があるからか、正体がなくなるような飲み方はしないし、部下にも翌日に響くような飲み方はさせなかった。
今も酒が入って機嫌は良さそうだが、意識はしっかりしている。
「今、ハヤテと極秘任務を終わらせてきた。初仕事だが全く問題なかった。褒めてやれ」
「おお、そうか! よくやったな、えらいえらい!」
ターロイの言葉に、ディクトが我が子のことのように喜んでハヤテの頭をわしわしと撫でる。
それにハヤテは分かりやすくぱあっと嬉しい顔になった。
スバルのように尻尾が付いていたら、きっと今ものすごい勢いで振られていることだろう。
「ターロイも、遅くまで仕事して、えらいぞー」
しかしディクトが次にターロイの頭を撫でると、ハヤテの表情が途端に鬼の形相になった。ディクトが自分に背を向けてるからって、すげえ顔するな。
「俺はいいんだよ。それより、ハヤテのことでもう一個話あんだけど」
頭を撫でるディクトの手を払ってハヤテを指さす。それに釣られてディクトが振り向くと、彼はけろりと表情を戻した。なんだそれ、顔芸か。
「こいつ、ディクトと同じ部屋に入りたいんだって。どうにかなるか?」
「俺と同じ部屋?」
ディクトが目をぱちりと瞬いてハヤテを見る。するとハヤテは気まずいのか、焦ったようにいいわけを始めた。
「その、知らない人ばっかりで安心できないし! 来たばっかりで戸惑うことも多いし、ディクトさんがそばにいてくれたらなあって」
「そんなの、慣れるまでの辛抱だぞ? そうだ、同室にイアンがいるだろ。わかんないことはあいつに聞け。少し愛想が足りないが、イアンは仕事はできるし性格もいいし、頼りになる」
あああ、やめてあげて。俺が言うのとはわけが違う。
ディクトがハヤテの前で褒めると、今度はイアンにとばっちりが行くだろう。ほら、ハヤテのテンションがみるみる下がるのが分かる。
実際、慣れとかそういう問題じゃないのだ。
ハヤテはただ単純に、このおっさんに癒やしを求めているだけなのだから。
……いや、青年がおっさんで癒やされるというのもアレだけど。
正直に理由を言ってみたらどうだろうかと思ったけれど、何となく色々と余計な問題が持ち上がりそうで面倒くさい。
……いっそ結論が出るまで、ノータッチでいるか。
どうせターロイはディクトにこの話をする約束をしただけだから、結果どうなろうと関係ないのだ。
「……そうだよな、ディクトさんは俺なんかいなくたって、どうってことないですもんね。他の奴に預けておけばいいと思ってるんだ」
うわっ、この卑屈、面倒くさ。俺やグレイなら「その通りだ」と一蹴して捨て置く科白だ。
しかしディクトはそれをまともに相手する。
「逆だなあ。お前には俺なんかいなくたってどうってことないほどになって欲しいんだよな。ハヤテは素質があるから、その気になればすぐに俺のこと追い越せるぞ。そのときが楽しみだ」
うん、いいこと言った。でもハヤテに全然響いてない。
「俺、ディクトさんを追い越す気ないし、ディクトさんいないと嫌なんだけど」
「そこは追い越せよ、お前らの成長が俺の楽しみなんだから。それに、別に本当にいなくはならねえよ。あらかたの育成を終えたら、俺、隠居してここのマスコットキャラになるわ」
「デ、ディクトさんがマスコットキャラ……!」
これはハヤテに響いたらしい。何なんだ。
言っておくが、こんなむさいおっさんを拠点のマスコットキャラにする気は無い。
……いや、どうでもいいけど、突っ込み不在だからって話が脱線しすぎではなかろうか。
「……結局、部屋割はそのままでいいのか?」
「はっ!? 忘れてた! ディクトさん……」
「ハヤテを他の奴らと馴染ませるためにも、このままでいいだろ」
結論を問うと、ディクトは思いの外あっさりと明断した。
それを聞いてダメージを受けたらしいハヤテががくりと膝をつく。
そこまでショックを受けることか。
まあ、ハヤテは根本的に心が弱いのだ。それを支えているのがディクトの存在なのだろう。
それを感付いていて、ディクトは自分がいなくても平気になって欲しいと言ったのだ。
癒やしにしている分にはいいが、依存してはいけない。
ハヤテに活躍してもらうには、心の育成も急務のようだった。
傷心のハヤテを引き連れて、今度は彼の部屋に行く。
ここは六人部屋。その一番手前の壁際にイアンのベッドがある。その向かいがハヤテの場所だ。
イアンのところには本人の希望で小さなテーブルがあり、彼はいつもそこで本を読むか、ノートや書類を書いていた。
当然のように、今日も本を読んでいる。
他のメンバーはもう寝ているか、奥の窓際に集まって雑談をしていた。
「イアン、邪魔していいか?」
「はい、大丈夫ですよ。何かご用ですか、ボス」
本にしおりを挟んで、こちらにきちんと身体の正面を向ける。
それに隣にいたハヤテがむむ、と唸った。
「……ちゃんとしてる……なるほど、ディクトさんが気に入るタイプだ……くそっ」
さっきのディクトのイアン褒めを気にしているようだ。イアンにとっては一方的に敵視されていい迷惑だろう。
それはさておき。
「余ってるノートとペンがあったら欲しいんだけど」
「ああ、ありますよ。どうぞ」
差し出されたノートとペンを、そのままハヤテに渡す。すると彼は怪訝そうな顔をした。
「何、これ?」
「見ての通り、ノートだ。これから毎日、これに日誌を付けろ」
「日誌?」
「書式はこだわらない。ただ必ず毎日最低一行は書け。内容は、その日に成し遂げた仕事と、褒められたこと、良かったことだ。できなかったことや悪かったことはここには書くな」
これは、自分を役立たずだと断ずるハヤテに、日々こなした仕事を自身で積み上げ、客観的に確認させるためのものだ。良いことだけを書くことによって、自己肯定感を上げ、まずは卑屈虫を退治したい。
もちろん、これは長期戦。毎日書き続けなければ意味が無い。
その点で、ハヤテがイアンと同室だったのは運が良かった。
「イアン、悪いがこいつがさぼらないように、毎日日誌をチェックしてくれないか」
「わかりました。ボスに報告は?」
「とりあえずはノートが一冊終わったときでいい」
「了解です」
「いや、ちょっと待てよ!」
ターロイがイアンと二人で話を進めていると、ハヤテが横から不満げな声を上げた。
「そんなに毎日書くことなんてないよ。特に褒められたこととか良いことなんて、俺には全然……」
出た、典型的な卑屈の思考癖。さっきあれだけ嬉しそうにディクトに褒められていたくせに、何も考えずに条件反射で自分には幸などないと思い込む。その思考に慣れてしまって、当たり前に不幸ばかりを記憶から探す、その癖が問題だ。
ノートに書き出すのは、そうした思い込みの中からきちんとプラスの出来事も掘り出させるためなのだ。
「少なくとも、今日は書くことがあるだろ。仕事は完璧にこなしたし、ディクトに褒められた」
「……あ、まあ、今日は確かに……」
ターロイが想起を促すと、ハヤテは今更思い出したように頷いて、ノートとペンを受け取った。
彼にはしばらくはこうして、思考のトリガーを作ってやらないといけないかもしれない。
「書くことが思いつかない時は、俺が思い出す手助けしますよ」
同じ事を察したらしいイアンがすぐにフォローを申し出る。本当に気が利く男だ。
「どうしても全く書くことがないときは、ディクトに褒めてもらいに行けばいい」
最後に、ターロイがだめ押しとばかりに言うと、ハヤテはその手があったかと言うように目を輝かせた。
「そ、そうか。それなら続けられるかも」
本当に、この男は分かりやすい。
翌朝、食堂でイアンに会ったついでに、ハヤテのノートのことを聞いてみた。チェックがあるから大丈夫だろうけれど、適当にノートを書いているようだと意味が無いのだ。
「あいつ、ちゃんとノート書いたか?」
「ええ、結構真面目に思い出して書いてましたよ。……ちょっと不可解な内容もありましたが」
それを思い出したのか、困惑した様子のイアンが首を捻る。
「不可解?」
真面目にやっているのは良かったが、不可解な内容とは何だろう。
問い返すと彼は少しだけ声のトーンを落として答えた。
「良かったことに、『ディクトさんが拠点のマスコットキャラになる』って書いてあって……ディクトさんがするんですか?」
……あれ、そんなにハヤテに響いてたんだ。
今度ちゃんと却下しておこう。




