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ハヤテの初仕事

「……王宮に? それも国王の部屋に忍び込めだと……?」


 その単語だけでハヤテは途端に怯んだ。やっぱりビビリのようだ。


「サイ様には今晩、お前が着いたら毒薬を飲んでいただくことになっている。お前にはその毒薬の瓶の回収と、それから侵入者の痕跡を残して来て欲しいんだ」


「そ、それって、暗殺じゃないのか!? 俺、殺しとか盗みとか無理なんだよ……。ディクトさんに聞いてんだろ」


「早合点をするな。毒薬を飲んでいただくと言ったろう。薬はサイ様が自分で飲む。お前はその飲み終わった瓶を預かって来るんだ」


 説明しても、訳が分からないという顔をしている。

 まあ、そもそもサイ様は危篤状態だと思われているのだから、今更自分で毒薬を飲むなんて不可解だろう。だがその理由を今から逐一説明するのも面倒だ。


「細かいことは考えなくていい。サイ様にはもう話をしてある。お前は他の誰にも見つからないようにサイ様に会って、瓶を回収し、脱出するときに窓や扉の鍵を開けっ放しにしてくれればいいんだよ」


 元々隠密というのは黒い仕事が多く、細かい理由など知らされずに動くことが大半。簡潔にやることだけを提示すれば、ハヤテはすぐに事の子細を追うことをやめた。

 そして今度はどうでもいいことを気にし出す。


「……国王って、俺がヘマしたら怒ったり殴ったりしない? 牢屋に入れたりディクトさんに告げ口したりしない?」


「しないだろ。サイ様はかなり器が大きい人だ。余程の問題行動でもしない限り、笑って許してくれるさ」


「俺が何か大変なことをしでかす可能性もあるだろ。俺なんて、隠れて逃げることしかできない役立たずな男で……。司教様には重要な仕事なんか何も任せられないって言われてたんだ」


 ここに来て、ビビリと卑屈が顔を出し始めた。どうやら教団の刺客部隊にいた頃に擦り込まれた、『権威』に対する恐怖と無力感があるようだ。

 なるほど、教団にいた頃はずっとこの状態だったのだろう。だからディクトのイメージでは、ハヤテはド級のビビリで卑屈という印象だったのだ。


「隠密のスキルは役立たずじゃないだろう。ディクトの隊に入ってからは重宝されたんだろ? グレイも長年お前を使ってたみたいだし」


「ディクトさんもグレイさんも、優しいから同情してくれてんだよ」


 おっと、ここまで落ちると二人の名前を出しても駄目なのか。

 この男が自分自身を認めない限り、周りがどんなに褒めたところで慰めにしか聞こえないのだろう。

 確かに卑屈で面倒臭い男だ。

 だがこいつは、それでもディクトについてきた。あいつの役に立ちたいという気概がまだあるからだ。


 それがあるのなら、きっとハヤテはここから大きく化けられる。


「同情、結構じゃないか。役立たずだからと何もせずにいたら同情すらしてもらえないだろ。考えてみろ、この仕事は隠れて行って逃げてくるだけの、お前にぴったりの仕事だぞ。それでディクトに褒めてもらえるなら儲けものじゃないか」


 ならばと、ターロイはあえてハヤテの能力を過小に評価することにした。

 そして与える仕事も、まるで卑小で簡単なことであるかのように提示する。


 今の彼に必要なのは、役立たずを返上するためにプレッシャーを伴う重要な仕事を与えることではない。役立たずなりに気負わず成し遂げられる仕事を積み重ね、客観的な実績を作り上げることだ。


 それから、ハヤテが自分を役立たずと言ううちは、役立たずとして扱おう。彼の中ではそれが真実なのだから。

 それを導き褒めて育てるのはディクトの仕事。ならば自分は逆の立場からハヤテの中の卑屈虫に付き合おう。


「同情で褒めてもらっても嬉しくないって言うなら、仕方が無いから他を当たるけど」


「ど、同情だって嬉しいに決まってんだろ! ……ディクトさんの隊にいた間だって、褒められたくて頑張ってたんだから。……ああもう、分かったよ、やるよ、仕事。さっきもディクトさんにあんたの言うこと聞いて頑張れって言われちゃったし」


 ターロイの分かりやすい誘導に、ハヤテは簡単に引っかかった。卑屈なりに、頑張る気はあるのだ。ならば今はそれで十分。


「よし。じゃあ、王宮の侵入経路とサイ様の部屋を説明する。ちゃんと覚えろよ」


 まずはこの仕事をこなすことで実績を積んでもらおう。

 ハヤテのスキルを確認するにもちょうどいい。ターロイは紙を一枚取り出すと、それに王宮の見取り図を書き始めた。






 その日の夜、転移方陣でハヤテを連れて王宮へ飛んだ。あまり遅くない時間に行動を開始したのは、この時間にサイの訃報の早馬が出れば、明日の午前にはミシガルに連絡が行くだろうと考えてのことだ。

 葬儀はできるだけ早い方がいい。


「ここは王宮の裏庭になる。邸内の造りは頭に入っているか?」


 ターロイが動くのは転移までだ。ここから先はハヤテが一人で行くことになる。確認すると、黒いマントに身を包んだ彼が頷いた。


「大丈夫だ。だだっ広いけど複雑な造りじゃないし、身を隠すところはたくさんありそうだし」


 確かに、大丈夫だろう。見取り図を書いて見せただけで、ハヤテはすぐにそれを把握して、注意が必要な場所や回避場所までチェックしていた。

 それからターロイに王宮にいる人数、警備の状況、廊下の灯りの間隔や絨毯の有無まで確認している。


 ディクトが彼の隠密スキルは図抜けていると言っていたけれど、これだけでも十分優秀なことが知れた。


「じゃあ、行ってくる」


「ああ、頼んだ」


 昼間までの頼りなさが嘘のようだ。

 気配を消したハヤテは、まるで音を立てずに王宮へ走った。その勢いのまま壁の凹凸を利用して、するすると二階のバルコニーに上っていく。その姿は無音のまま、瞬く間に建物の中に消えてしまった。


 ハヤテは、自分の身体を完全に理解した上でコントロールできているのだ。

 こいつ、想像以上にスキルレベルが高い。


 触れたり蹴ったりする物の材質によって、音が立たないように力加減や入り角度を考え、その通りに身体を動かす。それを瞬時に判断しながら動ける人間はそういない。


 隠れるのも得意なようだから、おそらく人間の心理を利用した視線誘導などもできるだろう。これもハイレベルのスキルだ。


 盗みと暗殺ができないからって、この男を役立たず扱いした教団は馬鹿としか言い様がない。






 それから間もなくして、再びハヤテが二階のバルコニーから姿を現した。言いつけ通り、侵入者の痕跡を残すために扉を少しだけ開けたままにして、そこから飛び降りる。


 その着地すら音がしないのだから恐れ入った。


「これ」


 仕事を終えてターロイの元に戻ってきたハヤテが、困惑気味に空になった薬瓶を渡してくる。

 間違いない、グレイが作った毒薬の瓶だ。


「サイ様、これ飲んで動かなくなったけど、いいのか? あれ」


「ああ、予定通り。大丈夫だ。……よし、騒ぎになる前に、戻るぞ」


 サイが仮死状態になった今、ここにいるのはリスクしかない。

 ハヤテを方陣に乗せると、ターロイはすぐに拠点に飛んだ。


 ミシガルにも行くべきだろうが、ウェルラントに知らせるのは明日の朝でいいだろう。

 早馬が着くより少し前で十分だ。

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