サージとターロイ
教団の本部というやつは、好きじゃない。
ここにいる人間は特に選民意識が強く、庶民に対する見下しが顕著だった。
ターロイが初めてグレイに連れられて来た時も、貴族や金持ち商人の出自でないことで随分と馬鹿にされたのだ。
今でこそグレイが教団でそれなりの地位を持っているから、表立って文句を言う輩は減ったけれど。
上層部に報告に行った彼と別れて一人で歩いていると、少なからず悪意を向けてくる奴がいた。
この男は、その筆頭だった。
「未だにローブも着せてもらえない役立たず、とっとと教団から出て行ったらどうだ。貧乏人の貰われっ子なんて、ここにそぐわねえんだよ。身体から田舎者の臭いがしみ出してるぜ?」
「……サージ」
教団のローブを着た大男。偉い司教の息子、というだけでここにいる、助祭の地位を金で買ったクズの一人だ。ターロイとは同い年になる。
この男は以前、グレイの再生師の肩書きがカッコいいから俺も欲しいなどとアホなことを言って押し掛けてきて、それを買収しようとして失敗した経緯がある。
金さえ出せば何でも手に入ると思っていたこいつは、金に興味の無いグレイにきっぱり断られたことを根に持っていた。
以来、ターロイとグレイにやたらと敵意を向けてくるのだ。
(ほんと、教団は地位に実の伴わないクズばっかりだ)
ターロイは内心でうんざりとため息を吐きながら、表面上は作り笑いを浮かべた。
教団内での彼は、非力で愛想がいいだけのヘタレ、目立たないグレイの世話係だ。
知識、能力、冷静な判断力なんて、決して見せてはならない。
「田舎くさいですか? さっき牛の世話をしてきたからかな。牛糞があっちこっちに落ちてて、つい踏んじゃうんですよね」
「踏ん……って、汚えな! 近寄るな! 全く下民風情が、臭え身体で本部内を歩き回るんじゃねえよ」
言いつつ突き飛ばされて、ターロイはわざと大仰によろめいて見せた。どうせこいつはこうして自分の方が上だと見せつけたいだけなのだ。やられたふりをしていれば、そのうち止める。
「ふん。グレイも元々は下民出身らしいし、元貧乏人同士で田舎臭倍増だな。金がねえから地位を買ってもらえねえんだろ?」
グレイが庶民の出? それは初耳だ。
そして教団の地位を金で買う物だと普通に思い込んでるこの男にも驚きだ。賄賂とか肩書きの売買とか、もしかして正規の取引だと思ってるのだろうか。さすが教団育ち、腐ってる。
「……サージ、信心って知ってる?」
「ああ? 何だよシンジンって。馬鹿にしてんのか」
「あー……」
馬鹿にしたつもりは無かったけれど、想像以上に馬鹿だった。
つい呆れたため息を漏らすと、それが癇に障ったらしいサージが激高した。
「てめえ、下民の分際で何だ、その態度は!」
「いたっ! やめろよサージ」
胸ぐらを掴まれて、壁に背中を打ち付けられる。さすがにこれは結構痛い。
胸を圧迫されて苦しさにターロイが表情を歪めると、サージはニヤリと笑った。
「このまま締め上げて殺したっていいんだぜ? お前みたいな下級庶民、少し金を払えば死んでも無かったことにしてもらえるし」
その言葉に、ふっとターロイが真顔になる。
昔、三人の司祭を相手に戦った時のことを思い出したのだ。
選民意識があるのも、賄賂が普通だと思っているのも、まだいい。
だがそこで、どうして庶民は死んでもいい、殺してもいいという発想になるのか。まるで教団の全員がそうあるべきと洗脳されているようだ。
俺の仲間を、要らなくなった人形みたいに易々と殺したように。
次の瞬間、ターロイは胸ぐらを締めていたサージの手首を掴んで、逆にその太い腕を捻り挙げた。突然の展開と痛みに驚くサージを、射殺すように剣呑な瞳で睨み付ける。
「お前らが、俺をそう簡単に殺せると思うなよ。……本気で来るなら、この無駄にでかいだけの身体をぐちゃぐちゃにして、ぶっ殺してやる。……何なら試しにこのまま、腕一本折ってやろうか?」
「ひっ……」
初めて見るターロイの本性に、サージは青ざめた。教団内でどろどろとしたぬるま湯に浸かっていた男には、彼の鋭利で冷たい殺気は酷く鮮明に感じられたようだ。
いつも非力でへらへらしていたはずの青年の腕は、サージより大分細いというのに、振り払おうにもびくともしなかった。それどころか、更にぎりぎりと捻られて、骨が軋み……。
「……こんなところで何をやっているんですか? 組み手の練習なら他でして下さいね」
その無慈悲な手をポンと横から叩いて止めたのは、上層部への報告を終えて戻ってきたグレイだった。
それに気付いたターロイが、はたと表情から殺意を消して手を緩める。まるでその一瞬で人格が入れ変わったようだった。
思わぬ恐怖からの解放に、サージは青ざめたまま声も無くその場にへたり込む。足下には水溜まりができていた。
「あー……えっと、ごめんね、サージ。苦しかったからつい抵抗しちゃった。だってサージの力、強いからさあ、俺、死んじゃうかと思って」
申し訳なさげに笑って嘯くターロイに、サージは逆に戦慄した。
ずっと教団にいて、親の地位と金に護られ、身の危険なんて感じたことがなかった男が、初めて受けた本気の殺意と死の恐怖。それを、今まで馬鹿にしていた下民……ターロイによって植え付けられてしまった。
こいつは一体、何者なんだ。
「ウチのターロイが少し頭に血が上ってしまったようで、失礼しました。……この件は、あなたのためにご内密にしておきますね」
グレイがターロイを自分の後ろに下げて、サージに軽く謝罪する。それにようやく気を取り直した男は、途端に怒りを露わにした。
「ふ、ふざけるな! こんなの、親父に言いつけてやるからな! ターロイ、てめえなんか教団の審問に掛けて、不敬罪で牢屋にぶち込んでやる!」
「おやおや、あなたはこの非力なターロイに締め上げられた挙げ句、怖くて失禁したなんて、審問によって教団中に知られても良いと? あなたのために黙っておくつもりだったんですけどねえ?」
「なっ……」
自身の言葉をさらりとグレイにやり返されて、サージは今更自分が粗相をしていることに気付いたようだった。
「ちなみに、司教であるお父上から私に圧力を掛けてもらおうとしても無駄ですよ。その場合、私はこの話を大司教様に持って行きますから」
結局男は黙り込んで、怒りにぶるぶると身体を震わせるしかなかった。