前時代の文献を
王国軍が見張り台から撤退すると、ターロイは小さく息を吐いた。
今回の相手は物わかりが良くて助かった。
いつだったか、直情的で先見の明のない相手の時は、結局叩き潰すしかなかった。冷静に判断できない人間は、生き延びられない。
できるだけ王国軍の疲弊を避け、教団の牽制に利用したいと考えているターロイは、その数をなるべく減らさぬようにとこうして説得に赴いていた。
劣勢にある分、思慮深い人間が多いのは王国の救いかもしれない。
それでもこの小さないさかいですら正しく捌けない人間は、この段階で退場して頂くしかなかった。
全ては教団を潰し、神を壊すためだ。
さっきまで浮かべていた作り笑いを消し、背負っていたハンマーを手にする。
視線の先ではグレイが塔の周囲を調べていて、それが済めばターロイの出番だった。
「もう壊していいか? 再生師様」
目の前の男に引き取られて早八年、その間にグレイは教団で、『再生師』と呼ばれるようになっていた。
過去に再生師と呼ばれたのはターロイに埋め込まれた核石の持ち主、術士ガイナードのみなのだが、彼はその再来と言われているのだ。
しかしターロイがそう言うと、グレイは肩を竦めて苦笑した。
「そういうイヤミを言うもんじゃありません。まあ、あなたの手柄を横取りして戴いている称号ですから、不満もあるでしょうけど」
「別に手柄なんてどうでもいい。……ただ、その称号が全然ありがたいものじゃないって知ってるだろ。何でいつまでも戴いてんだよ。返上すればいいのに」
「いえいえ、この称号、存外役に立つんですよ。……はい、お待たせしました、ターロイ。調べ終わったのでこの見張り台をさくっと壊して下さい」
すぐに話を切り上げて、グレイはターロイを促した。
塔を見上げたターロイの目には破壊点が映っている。
壊した後は他の教団員が確認に来るから、再利用を見込めない程度には壊さなくてはいけない。さっきの男が望んだように、大型兵器も粉々に。
「砕破」
ハンマーを壁に打ち付けて唱えると、そこから放射状に亀裂が入り、塔の突端から沈み込むように建物が倒壊した。
計算され尽くしたような破壊は、周囲に石塊すら飛ばさない。
ただ落下の風圧で巻き上がる砂塵に、二人は少しだけ下がり、肩にかかったそれを払った。
「破壊の練度が随分上がりましたね。無駄がなく確実だ。……ターロイ、もしこれを再生するとなるとどのくらい掛かりますか?」
ターロイの仕事に感心したグレイが訊ねる。
それに一瞬考えた彼は、瓦礫となった建物を見ながら答えた。
「……これなら再生には半日くらいかな。再生の能力は多くが封印されているから難しいんだ。解放できればいいんだろうけど」
「ふむ、他の能力ですか……」
残念ながらこの能力がどこにどう封印されているのか、どうしたら戻ってくるのか、未だに分からない。教団に反逆するなら、是非全ての能力を取り戻したいところだけれど。
「教団にある文献はもうほぼ読み尽くしましたからね。これで分からないとなると……」
「次に調べてみるなら王国側、かな」
「そうですね。……とは言え、前時代の古文書は過去に教団によって大分焼き捨てられているので、王宮にはどれほど残っているか」
「……前時代の古文書を焼き捨てた? ……教団が?」
前時代とは、千年以上前の戦乱の時代のことだ。
そのころは竜族、獣人族、エルフ族など、七つの種族が存在し、いつもどこかで争いが起きていた。
その時代の最後に起こったのが種族間大戦で、他種族はこの時に死滅したと言われている。
ちなみに人間族も人口の八割を失ったが、英雄グランルークのおかげで勝利し、唯一生き延びた種族となったのだ。
グランルークが神として崇められるのは、そんな経緯があった。
「前時代は大戦時にいろんな兵器や術が使われたといいます。その恐ろしい技術を復活させないために、文献を廃棄したということです」
「廃棄……」
その単語にターロイが反応する。
八年前、自分のいた村が焼かれた時、それを『廃棄する』と表現されたことは、未だに消えぬ怒りを伴って胸の内に残っている。
そしてそれが教団の身勝手な証拠隠滅の常套手段だと知っていた。
「古い文献には何か教団に不都合なことが書かれているのかもしれないな」
「そう考えるのが妥当でしょうね」
グレイはそう返してから、少し考えるように顎をさすった。
「王宮の古文書はもうほとんどが処分されています。……が、ここから南東にある街、ミシガルならそこそこいい文献が残っているかもしれません」
「ミシガルに?」
「あそこの領主はいけ好かない男ですが、騎士団長を勤めたこともある、王国側の人間です。あの街は教会も無く、グランルーク教団の力が及ばない唯一の街。文献の廃棄に応じていない上に、領主が前時代の遺物を収集していますから、期待はできます」
騎士団は前王が崩御したときに大司教によって解体されていた。
反抗した軍部隊が多かった中、すんなりと引いた彼らは当時随分腰抜けだ何だと馬鹿にされたものだ。
けれど、今思えば年若い次期国王を不用意に危険に晒さない上、その戦力を来る時のためにそのまま温存したと考えれば、騎士団長は大分先を見据えた思慮深いやり手と言える。
グレイはいけ好かないと称するが、ターロイとしてはその領主は是非とも力を借りたい相手だった。
「グレイはその領主と知り合いなんだろ?」
「そうですね、顔を合わせたら殴り合いをする程度には」
グレイは本気なのか冗談なのか分からない顔でそんなことを言う。
「何だ、紹介してもらおうと思ったのに仲悪いのか……。いや、そもそもグレイと仲の良い人なんていないよな」
「こんな人間のクズばかりの教団で誰と仲良くなれと?」
まあ、確かに。
「そうだな。逆に教団で会った人たちがみんなクズ過ぎて、何の躊躇いもなく潰そうと思えるのはありがたい」
「あなたが狂戦病を発症せずにいられるのも、教団の皆さんがゲスでクズばかりだからですよ。感謝して下さい」
何だか随分話が逸れている。
狂戦病の話まで持ち出されて、ターロイは肩を竦めた。
「まあいいや。とりあえず仕事は終わったんだし、クズだらけの教団に一旦帰ろう。これからの話を少し詰めたい」
「そうですね、本部への報告と……。王都の守護結界の状態も確認しないと」
この八年間、ターロイが手に入れた知識とグレイの研究を摺り合わせた結果、色々気になることが増えていた。
全てに共通するのは前時代から連綿と続く悪意の存在。
二人はそれぞれの経過を気にしつつ、教団本部への帰路につくことにしたのだった。