転移してきたグレイ
「……一体、教団で何が起こったんだ?」
訊ねるウェルラントに、スバルは首を振った。
「そこまで細かいことはわからんです」
「……王宮は、大丈夫なの?」
心配そうにジュリアが見上げる。それにスバルは再び王都を見た。
「王宮というのは、あの中央奥のでかい建物のことですね? そこからは離れているですから、影響はないと思うです」
「……この騒動に、王宮が関係していなければな……」
ウェルラントはそう言って眉を顰めた。
ターロイにも気に掛かることはある。
魔法、爆発、そういった特殊な薬品やアイテムを扱うのは、ほぼグレイの専売特許だった。その知識ゆえ、あの自由で反抗的な態度も見逃されていたのだ。
それが教団内で炸裂したということは、ほぼグレイに何かあったと考えて間違いない。
「……すまない、みんなはここにいてくれ」
ターロイはウェルラントたちをそこに残して、落とし戸を飛び降りた。そのまま見張り台を駆け下り、建物の裏、敷地の隅に向かう。
その先にあるのは転移方陣だ。
これなら、グレイの研究室に繋がっている。
ここから飛べば、何が起こっているかわかるはずだ。
ターロイが近づくと、方陣が起動して地面に淡く浮かび上がった。
しかし、直前で立ち止まる。
グレイの研究室がまさに爆発の大元だったら。
あそこに置いてある薬品、特に毒物が広がっている可能性もある。
それに何より、グレイ以外の教団員がいると厄介だ。
そうして躊躇していると、ターロイが何もしていないにも関わらず、なぜか目の前の方陣が光った。
そして誰もいなかった方陣の上に、突如人影が現れる。
ターロイにしか使えないはずの魂方陣なのに、そこには見知った男がいた。
「グレイ……!?」
「ターロイ……? はは、色々試してみるものですね。今回ばかりはアウトかと思いましたが、まさかこのタイミングで飛べるとは……。事前のトライアルアンドエラーが功を奏しましたかね」
間違いなくグレイだ。しかしその姿は散々で、ローブは焼け焦げ、随分出血もしている。
彼はターロイを見ると、気が抜けたようにその場に座り込んだ。
「ちょっと、大丈夫か!? あんたがこんなになるなんて、一体何があったんだ?」
ぐらりとそのまま傾ぐグレイの身体を支える。
これは出血を止めるのが先か。
「ターロイ! どうしたの? ……その人は?」
折良く、急いで見張り台を降りたターロイを気にして追ってきたらしいユニが、ひよたんを連れて後ろから現れた。
グレイを見て目を丸くする彼女を近くに呼ぶ。
「ユニ! ちょうどいいところに。すまないが、癒やしの歌を歌ってやってくれないか」
「う、うん」
今この拠点で回復ができるのは彼女だけだ。
ターロイが頼むと、ユニはすぐに歌い出した。『ヒール』の歌は静かで穏やかで、心も癒やされる気がする。
歌い始めてしばらくするとグレイの出血は止まり、傷が消えていった。そして隣で聞いていただけのターロイの、ひよたんに噛まれた傷も消えていた。
「彼女はエルフの『歌姫』……?」
その歌を聴きながら、傷の癒えたグレイが途端に目を輝かせる。あ、やばいこれ、研究対象を見つけたときの顔だ。
「……彼女に変なマネするなよ? ……ていうかグレイ、この子が女の子に見えてるのか? 幻惑の魔法が掛かるはずなのに」
「幻惑? ほう、そんな魔法まで……ふむ、興味深い。まあ、私には効きません。状態異常を完全に防ぐ護符を持っているので」
「マジで!? 何でそんなもん持ってんだよ……って、教団所蔵の前時代の遺物からくすねたな?」
「失敬な。研究用に預かったものを持ち歩いていただけですよ」
グレイとターロイが小声で言い合いをしていると、ユニの歌が終わった。
「……どう? 傷治った?」
「ああ、ありがとう。ユニがいなかったら大変なことになってたよ」
礼を言って頭を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。
グレイも立ち上がって、ユニに頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございます。私はターロイの元保護者のグレイと言います。医療術師をしていますので、もしよろしかったら今度血を採らせて下さい」
「何だよ、その挨拶……」
「血? やだ、この人怖いよう……」
グレイの言葉に警戒したユニがターロイの陰に隠れる。まあ当然だ。その笑顔が怪し過ぎる。
「変態臭いこと言ってないで、一体何が起こったのか説明しろよ。教団に何があったんだ? それから、何で俺の転移方陣勝手に使えたんだ? グレイ、ここに来たこともなかったのに」
ユニを庇いながら訊ねると、グレイは大きくため息を吐いた。
「ああ、ちょっと教団の内部でいざこざがありましてね。とうとう私に刺客が差し向けられる事態になりまして」
「それ、ちょっとって言わないから。……まあ、ここでは何だから、向こうで聞こう。ちょうど今日はウェルラントも来てるんだ」
「ウェルラント!?」
その名前にグレイがもの凄く嫌そうな顔をする。きっとウェルラントにグレイの名前を出しても同じ顔をするんだろうな。
「それだけじゃなくジュリア様もいる。王宮の話も少し聞きたい」
「ジュリア様も……。随分すごいメンツが揃ってますね……。これからのことを話すにはちょうどいいと言えばちょうどいいですが、ウェルラントと直接顔を合わせることになるとは……」
「渋ってないで、とっととついてきてくれ。みんな見張り台のところにいる」
グレイを促し、ユニを連れて建物の表に回ると、皆が見張り台から降りてこちらに来るところだった。
ターロイの後ろにいるグレイを見つけたウェルラントの顔がみるみる歪むのが分かる。
「……ターロイ、何でこんなところにこのマッドゲス野郎がいるんだ」
「ごきげんよう、変態クソ野郎。私だって貴様の顔など一ミリも見たくありませんでしたよ」
二人の間に何だかおどろおどろしい空気が流れる。
そんな中、空気を読まないジュリアが、とととっとグレイに走り寄り、縋り付いた。
「グレイ! 教えて、兄様はどうしてるの? グレイが病気治してくれた?」
不定期とはいえ、グレイはサイの診察をしていた男だ。ジュリアは彼ならサイの様子を知っていると思ったのだろう。
そしてグレイは知っている。サイが全くの健康体であることを。
グレイはちらりとターロイとウェルラントを見た。
どう返事をするべきかを確認したのだろう。ターロイが小さく首を振ると、グレイはジュリアに視線を落とした。
「申し訳ございません、ジュリア様。私はサイ様の診察を許されず、しばらくお会いできていないのです。危篤状態が続いているとお聞きしていますが……」
「そう……」
グレイの言葉にしゅんと肩を落とすジュリアに、ターロイはチクチクと良心が痛む。本当のことを言ってあげたいが、事を秘密裏に進めるためには仕方がないのだ。
しかしそんな思いを余所に、グレイは言葉を続けた。
「でもご心配なく。実は私、死人をも甦らせる薬を持っているのです。万が一の時はそれを差し上げましょう」
「「は?」」
思わずターロイとウェルラントが素っ頓狂な声を上げる。
「ほんと!? ありがとうグレイ!」
そしてジュリアは素直に喜んだ。
いや、死人を甦らせる薬ってそんなでまかせを。
そう突っ込みたいが、このジュリアを前にしてそれを言い出せる雰囲気ではない。いやいや、そんなの無いから死にます! なんて。
そもそも、サイは死なないし。
「ス、スバル、ごめん、これから俺たちちょっと話し合いがあるから、ジュリアたちとまた遊んでてくれる?」
とりあえずグレイの真意を問いただすにしても、彼女たちにはひとまず離脱していただこう。ターロイはスバルにそれを一任した。
「了解です。ではジュリア、ユニ、山遊びがてら山菜採りに行くです! スバルについて来るですよ!」
「はーい」
すっかり元気になったジュリアがいい返事でスバルについていく。ユニもそれに続いた。
うん、元気はなによりだ、けれど。
この後、どうすんだ。
「……じゃあグレイ、会議室で詳しい話を聞かせてくれ」
「……私は話を聞く前にすでに一発ぶん殴りたい気分なんだが」
ウェルラントがすごい渋い顔をしている。ああ、これは面倒臭い言い合いになりそうだ。
ターロイは内心でげんなりしながら、二人を会議室に案内した。




