イアン
「よう、ターロイ。朝から何その顔。目の下のクマすげえ」
食堂で会ったディクトは、わざわざ隅の方で朝食をとっていたターロイの向かい側に座った。
スバルとユニはいない。部屋に置いて先に出てきた。
「二人の美少女侍らして、昨日はお楽しみだったのかな~」
こちらに聞こえる程度の小声でにやにやと笑いながら言う男に、盛大なため息を吐く。
「お前までうんざりするようなことを言うな。……昨夜はスバルがユニを追い回して大変だったんだ」
「追い回す?」
「スバルはユニのことが可愛くて仕方ないらしくてな。その過剰な愛情表現にユニが怖がってしまって、俺まで巻き込まれた」
おかげで三人で寝る羽目になったことは当然伏せておく。
とにかく、寝返りも打てず、無意識にすり寄ってくる彼女たちの滅多なところを触ったらいけないと神経を尖らせていたおかげで、完全な寝不足なのだ。
「はあ~、女の子同士のわちゃわちゃを間近で見られるなんて、眼福じゃん?」
「お前は気楽でいいな……」
いっそこのくらいのメンタルなら気にならないのかもしれない。ちょっとディクトが羨ましい。
「……それより、拠点に関する話で、昨日言いそびれていたことがあるんだが」
スバルたちの話は切り上げて、ターロイは昨日本来告げるべきだった話を持ち出した。
以前ディクトには濁してちゃんと伝えなかった、商売についてのことだ。
「拠点の話って? 何か細けえこと?」
「まあ、大きいことから細かいことまであるな」
「だったら、あいつ同席させてもいいかな。ほら、以前、俺が細かいこと管理できないなら誰かにやらせろって言ってたろ。金や資材の管理を任せた奴が、なかなか優秀でさ。直接話してもらった方がいいと思うんだよね」
そういえば、最近砦の進捗を報告させると随分きっちりとした書面が上がってきていた。となると確かに、その部下の方が詳しい内情を把握しているのだろう。
ディクトの殴り書き&ざっくり報告は酷かったもんな。
「じゃあ、そいつを呼んでくれ」
「ほいよ。……おい! イアン! ちょっとこっち来て! 飯ごと持って移動して来い!」
呼ばれたのは二十代の、眼鏡を掛けた細身の男だった。
特に愛想は良くないが、素直にこちらにやってきて、傾き三十度の一礼をし、ディクトの隣に座る。その自然な流れでどこかで教育を受けた者だと知れた。
「ボス、ディクトさん、何か俺にご用ですか」
「ターロイが細かい話をしたいんだって。俺そういうの分かんねえから、お前聞いて」
「……了解しました」
そのディクトの物言いに小さく苦笑するイアン。駄目上司のフォローを命じられたわけだが、厭う様子はない。
ディクトと部下の良好な関係がうかがえる。
それを確認して、ターロイは口を開いた。
「ディクト、お前もちゃんと聞いておけよ。実は、ここを宿駅として商売を始めることにした」
「宿駅? こんなへんぴなところに? わざわざ山登って客なんか来ないだろ、ちゃんと街道あるのに」
「急ぎ王都に行くには山を迂回する街道より、ここを経由する山道の方が早いんだ。と言ってもまあ、一般人は相手にしない。ここはミシガルの騎士団専用の宿駅にする」
「騎士団専用……。それで商売として成り立っていくくらいの客人数は見込めるんですか?」
イアンはターロイの話を聞きながら、頭の中で算段し始めたようだ。確かに、拠点の全員が食べていける儲けがなければ意味がない。
この男、堅実で管理職向きだな。
「今の王都はほぼ教団が牛耳っているが、これからおそらく一波乱ある。ミシガルから王都に行く人数は増えていくはずだ。それを踏まえて領主のウェルラントには宿駅を開く話をしてある。居住棟の東にある以前の兵舎をそのまま客室にすれば、それなりの人数泊まれるだろう」
「あーそっか、人数以上のベッドと家具を作らせたのはそのためだったのか。もっと仲間増やす気なのかと思ってたぜ」
「今はこの人数でいい。商売に必要な人間は数人引き入れるかもしれないが、大所帯になると動きが鈍くなるからな」
イアンと違って、ディクトはのほほんと話を聞いている。こいつ、本当に有能な部下に丸投げだな。……しかし、そうできるのも人を見る目と信頼関係があればこそか。ディクトの能力もまた稀有だ。
「ボス。すみません、紙とペンを取ってきていいですか。詳しく質問しながら聞きたいので」
唐突に、食事を途中にしたまま、イアンが立ち上がる。
「朝食終わってから改めてでもいいぞ。ここでは一応の流れを伝えようと思っただけだから」
「いえ、この後はそれぞれの仕事があるし、ボスとディクトさんを交えて話すなら今がちょうどいい。一度で話が済みますし」
そう言うと彼は席を外した。
それを見送って、ディクトに訊ねる。
「……イアンは前職なんだっけ?」
「どっかの街の職業斡旋ギルドで受付やってたらしい。上司と折り合いが悪くて、横領だか何だかの冤罪着せられて逃げて来たって」
「なるほど。それは上司が余程無能だったんだな」
無能な上司は有能な部下を煙たがる。ほぼ確実に上意下達をモットーとしていて、下は黙って自分の言うことを聞けばいいと思っている。そして自分も上の言うことだけ聞いていればいいと思っている。
イアンのように上司に意見したり質問したりする人間を嫌うのだ。
本来、こういう人材こそありがたいのだが。
「お待たせしました。続きをどうぞ」
すぐに戻ってきたイアンの手には紙とペンと、束ねられた拠点収支の書類。
どうやら本腰入れて話を聞く気らしい。
「騎士団を迎えるのに、客室を整備したい。寝具やランプを揃えて、各部屋に武器防具を手入れする用具を置く。結構な出費になるが、金はまだあるか?」
「……騎士団相手となると、貧相な寝具は使えないですよね。せめて街道の宿駅よりも良いものを使わないと。……一度に揃えるとなるとかなり厳しいです」
イアンが書類を捲りながら答える。
「だったら最初は五人分くらいでいい。しばらくは大人数がどっと来ることはないだろうからな」
「それくらいなら大丈夫ですね。……ちなみに、一泊の価格設定はどのくらいを予定してます?」
「ウェルラントは待遇重視で、少しくらい高くても構わないと言っていた。こっちが頑張れば頑張っただけ価格はつり上げられると思うが」
「常時気軽に使ってもらうには、手頃かちょっと安めがいいかと。その上で十分なサービスができれば、危急の時以外も使ってもらえます」
進言されたイアンの言葉はもっともだ。
「確かに……。待遇を良くしても、急ぎでない時は街道の宿駅を使われたら、商売にならないか。とりあえず、馬の世話と食事を付けるつもりなんだが、イアンならいくらにする?」
その堅実さに、ターロイも乗っかることにした。さすが彼を指名したディクトの目に狂いはないということか。この男、使える。
「街道の宿駅を使ったことがありますが、あそこは素泊まりで銀貨五枚、それに食事と酒を頼むと大体銀貨が三枚程度掛かります。さらに馬の世話が入ると銀貨一枚。まあ、騎士が泊まろうとすればおおむね銀貨九枚になります」
「じゃあ、それより安く?」
「いえ、それでは逆に安すぎかと思います。そもそも、こちらの方が王都への近道であるというアドバンテージがある。それに街道の宿駅よりもいい待遇を付けた上で、このくらいなら多く出しても許容範囲という価格設定をします。……まあ、金貨一枚が妥当かと」
金貨一枚とは、銀貨十枚と同等だ。街道の宿駅より少し高い。
しかし説得力は十分。ターロイは頷いた。
「よし。それでいこう。ウェルラントにはその金額で交渉してくる。最初の一ヶ月をそれで運営してみて、問題があれば適宜対応していくことにする」
「え? いいんですか?」
あっさりと了承すると、イアンは目を丸くした。まるで自分の意見が通ると思っていなかったようだ。
「俺が納得したんだ。何の問題もない」
「以外だな……、ボスはディクトさんみたいに丸投げするタイプだと思わなかったので。全部自分で決めてるって感じで」
「丸投げとか言うな。俺はイアンを信頼してんのよ。ターロイもお前の意見を信用したんだろ。こいつ、結構素直なんだぜ? どんな意見も自分が納得すればすぐ取り入れてくれるもん」
「指を差すな。……お前らの意見を取り入れるのも、全部俺の意思で決めたことだ。その点ではイアンが言う、全部自分で決めてるっていうのは合ってる。だから丸投げしたつもりはないな。受け入れた時点で俺が責任を負っている」
「また何かカッコイイこと言ってる……。何なのターロイ、ボス名言集でも持ってんの?」
ディクトがふざけた茶々を入れると、その隣でイアンが吹き出した。
さっきまでの愛想のない様子が消えている。
「……いや、本当にカッコイイです。年下とは思えない。俺はボスやディクトさんみたいな人の下で働けて光栄です。……提案した以上、きっちり儲けにつなげてみせますから、任せてください」
眼鏡の奥の彼の瞳は、どこか楽しげだった。




