王国と教団
ここから新章になります。
「……この見張り台を壊すだと?」
「ええ、大司教様の命令でしてね。あなたがたにはここから撤収して頂きたい」
王都北方の高台にある塔の前。
腕を組んで不服そうにこちらを見る男に、グレイは端的に要望を述べた。
男の身につけている鎧は、王国軍のものだ。つまりこの見張り台は王国の所有である。にもかかわらず、その従属組織であるはずの教団からの一方的な話に、男は苛立ちを隠さなかった。
「ここは国王直轄の場所だ。教団が勝手にここを壊すなど、納得できるわけがないだろう」
「でしたら国王にご報告頂いても結構ですよ。しかし国王サイ様は成人前……。現在の王国の政は大司教様が代行していることを考えれば、無駄なことと思いますが」
「……前王を暗殺して権力を簒奪した奴らが、勝手なことばかり言いおって……」
男が呟いた言葉はもちろんグレイの耳にも届いたが、聞こえないふりをする。
「この見張り台はそもそも過去の戦乱の遺物。現在の平和でどこからも攻めてくる者のない時代には、不要なものでしょう」
「平和だと? 獅子身中の虫どもが何を言う」
完全に敵意をむき出しの男に、グレイはちょっと面倒臭そうにため息を吐いた。
「あのー……」
そのタイミングで、彼の後ろに帯同していた青年が顔を出す。
立ち位置的に彼の従者だと思っていた人間が会話を遮って声を掛けてきたことに、男は目を丸くした。
普通の主従であれば、叱責される行為だ。
しかしハンマーを背負った青年は、平然と男の前に出た。
それによく見れば、教団員の連れだというのに、教団のローブを着けていない。
従者ではないのだろうか。布の服の上に簡易の革鎧だけで、一見冒険者のようだ。
「何だお前は。……その格好、教団の人間ではないのか?」
「違います、あんな酷い組織の仲間だなんて冗談じゃない。……俺はターロイと言います。あなたは王国軍の偉い方ですよね?」
青年……ターロイは男の向かいに立つと、人懐こい笑顔を見せた。そうしながら後ろ手でグレイをしっしっと追い払う仕草をする。
教団員に邪険な態度を取り、自分を『王国軍の偉い人』などと称する彼に、男は若干敵意を削がれたようだった。
「俺は別に偉くもないが……まあ、この塔の守備隊長ではあるがな」
「ここの責任者じゃないですか、十分です。あなたに是非とも聞いて欲しい話がありまして」
そう言って、ターロイはグレイに聞こえないように声を潜めた。
「あそこにいる眼鏡の男をご存じですか? グレイと言うんですけど、名前くらいは聞いたことがあります?」
「えっ!? 教団唯一の再生師の!?」
「そうです、それです。再生師とは破壊と再生のスペシャリスト。残念ながらあなたがたがここでごねても、あの人相手では徒労に終わりますよ。……阻止をしようとしたところで、彼は人を破壊することもできる」
「し、しかし、だからと言って王国軍の人間として、教団の暴挙を見過ごすわけには……」
「その忠義心と矜持を教団側に利用されてはいけないと言いたくて、俺は声を掛けました。……失礼ですが、現在の王国軍の規模は教団の僧兵部隊に遠く及ばないでしょう? その上あなたのように抵抗してさらに数を減らすのは、得策ではないと思いませんか」
青年の指摘に男はぐっと言葉を詰まらせた。
前王が死んで教団が国の運営を代行するようになってから、王国軍は大きく数を減らされているのだ。解体させられた部隊もあれば、義憤に駆られて兵を挙げ、反逆者として処分された人間も多かった。
確かに、これ以上王国軍の人間が減るのは避けたいところだと男も考える。
「教団はあなたがたの怒りを煽り、掛かってくるのを待っている。それにうまうまと乗ってはいけません。ここは素直に明け渡してしまうのが後々のためです」
現状を考えればターロイの言はもっとも。
しかし、と男は眉を顰めた。
「……教団の人間と一緒に来たお前が、何でそんなことを言う? 上手いこと言って体よく俺たちを追い出すつもりなんじゃないのか?」
「ははは、まあ、初見の俺を信じられないのはわかりますけどね。……ここからどう動くかは隊長たるあなたの判断ですから、俺の話は参考程度にしてもらえれば結構です」
肩を竦めて小さく苦笑する青年から、悪意は感じられない。
彼を見て、それから少し離れたところにいるグレイを見て、男は王宮や他の砦から来る書簡の内容を思い出していた。
ここのところ、あちこちの王国管轄の施設が壊されているのだ。
そのほとんどが布告もなく突然の深夜の奇襲で、当然のように駐在していた人間も殺されていた。
しかし、再生師グレイが破壊しに来た施設の人間だけは、ほぼ無傷で追撃も受けずに王宮に戻っているという。
ほぼ、というのは、おそらく説得に応じずに反抗した人間がいたからだ。その隊は確か、残らず全滅していた。
目的も正体もよく分からないが、きっとそれぞれの施設で、無駄な落命をしないようにとこのターロイが部隊長を説得していたのだろう。進んで戦う気はないのだ。
これらを鑑みれば、答えは自ずと導かれる。
彼らはそうしようと思えば自分たちを簡単に殺せる実力があると思って間違いない。しかしあえて説得をし、王宮に戻る猶予を与えている。
どういうつもりなのか、善意として受け取るにはあまりに怪しいけれど。
「……生きていればこそ、教団に抗しうる……か」
「懸命なご判断です」
噛みしめるように呟いた言葉に、ターロイがにこと笑った。
「必要な物は持ち出して頂いて構いません。教団は外側さえ壊せば納得しますので」
「わかった。半刻ほど時間をくれ。……ところで、この古いカタパルトやバリスタは教団に渡したくないのだが、持ち出すのも難しい。……これは破壊してくれるか?」
「では再利用不能にしておきます」
青年は笑顔であっさりと請け合う。グレイの許可を取る様子もない。
教団の人間でないと言いつつも彼に従っているものだと思っていたけれど、そういうわけでもないらしい。
ますます謎な人物だ。
ターロイという青年、何者なのか気になるが、とりあえず今は時間が無い。
男は塔に戻るとそこにいる配下に声を掛け、急いで荷物をまとめ始めた。