国王サイ
その日の深夜。
ターロイは教団施設を抜け出して、真っ暗な裏庭に回った。
夜も深いとはいえ、正門には明かりが灯り、守衛が立っている。そこから出て行くわけにはいかなかった。
マントのフードを目元まで被り、通りに面した塀に屈んで通れるくらいの穴を静かに開けて、ターロイはこそりと闇に紛れた。
王宮は王都の一番奥、高台の上にある。
当然ここも入り口には守衛がいるから、広い敷地の端っこに穴を開けて、そこから王宮の庭に入り込んだ。
外から様子を見る限り、王宮内の明かりはほとんどない。
しかし、やはりサイの寝室は窓から明かりと人影が見えた。
(思った通り、夜通しで付き添ってる人間がいるな。知った顔だといいんだが)
そう思いながら裏に回って、小間使い用勝手口の扉の鍵を壊して王宮に侵入する。
何度もグレイに連れられて来ているから、部屋までの通路を迷うことはない。ターロイは足音を殺しながら、注意深く進んだ。
特にすれ違う小間使いもおらず、問題なくサイの寝室の前に辿り着く。王宮には本当に、少人数の使用人しか置かれていないからだ。
……ここの鍵を持っていれば、教団の人間が入り込んで工作をするのは簡単だろう。
今回毒を盛ったように。
ターロイは周囲を少し伺ってから、部屋の中にだけ届く程度に小さく扉をノックした。
「……誰だい?」
返ってきた柔和な声には聞き覚えがある。
ああ、大丈夫だ。この声はサイの乳兄弟で、国王を公私で守る近衛兵兼執事のハイドという男だ。何度か彼とは言葉を交わしたことがあった。
「ターロイだ。グレイの遣いで来たんだけど、入っても良いかな?」
「ターロイくん……!? どこから入ってきたのか知らないが、よく来てくれたね!」
言いつつ、向こうから扉を開けられる。背の高いがっしりした男が中から現れて、扉前に立っていたターロイは、すぐに部屋に引き入れられた。
とりあえず無断侵入は不問にして歓迎してくれるようだ。
「どの医術師に診せても埒があかなくて、困り果てていたところなんだよ。グレイさんに往診の要請をしても、突っぱねられてね」
「聞いてます。だから俺が代わりに来ました。サイ様の容体は?」
部屋の奥にあるベッドに近付く。そこには、土色の肌をした国王サイが横たわっていた。
仮死毒とはよく言ったもので、一見すると死んでいるようにしか見えない。かろうじて浅くゆっくりと呼吸はしているようだから、どうにか生きているのが分かる、という程度だ。
その枕元に目を転じると、複数の薬品の小瓶らしきものが置いてある。
「……これは?」
「わらにも縋る思いで、薬師に声を掛けたり、ギルドに依頼したりして、霊薬を集めてみたんだよ」
ああ、あの行商人が言ってた件か。しかし現時代の霊薬や神薬なんて九十九%は偽物だ。残りの一%の本物は、教団、もしくはグレイが持っている。
「これ、サイ様に飲ませたりしてないですよね?」
「してないよ。慌てて集めたはいいけど、中身が分からなくて。サイ様に変な物飲ませられないからね」
切羽詰まっていたとはいえ、その辺の冷静さはあったらしい。この中にさらに毒物がないとも限らないのだ。
彼の判断に一応安堵して、ターロイはポーチからグレイに預けられていた小瓶を取り出した。
「サイ様にはこれを飲ませて下さい。グレイから預かってきた薬です。あの人の見立てが間違っていなければ、これで回復するはずです」
「本当かい!? ありがとう!」
差し出した小瓶を、ハイドは大事そうに受け取る。
そのままサイの枕元に行くと、がっしりしたガタイに似合わない丁寧な動きで、自身の主にそれを飲ませた。
零さないようにゆっくりと。
すると、今まで動かなかった彼が薬をこくりと嚥下したのを確認して、ハイドは椅子に座り、大きくため息を吐いた。
少し緊張していた彼の雰囲気が解ける。
「さすがグレイさんの薬だよ。ちゃんと効いてるみたいだ」
「……そうですね。良かった」
まあ、グレイが作った毒薬だ。解毒剤が効かないわけがない。
そんなこと、彼には言えないけれど。
「しかし、サイ様はどうしてこんな状況に?」
「それがよく分からないんだよ。数日前の朝、起こしに来たらもうこんな状態で」
「……夜の間に毒を飲まされたってことか」
「毒!?」
ターロイの呟きに、ハイドは大きく目を見開いた。病状が悪化したのだと思っていた彼には、寝耳に水だったのだろう。
何度も目を瞬く。
そして次に、腕を組んで唸り始めた。
「王宮の中に、そんなことをする奴が……?」
「いや、これは王宮の人間の仕業というよりは……」
「……教団の人間だ」
二人の会話に、横から答えが来た。それにハイドが即座に反応し、立ち上がる。
「サイ様!」
見れば、土色だった肌に血色を取り戻したサイが、気怠そうに目を開けた。
「ご気分はいかがですか、サイ様? 痛いところはありませんか? おなかも空いてませんか、いや、最初は飲み物か、それとも……」
「……身体が泥のように重くて動かないから、今はいい。ハイド、ちょっと黙れ。……ターロイ、わざわざ薬を届けに来てくれてありがとう。礼を言う」
サイはハイドを制して、青年に視線だけを向ける。
それに頷いたターロイは、国王の言葉を拾って確認した。
「サイ様、俺がここに薬を届けに来たと、知ってるんですね」
「知っている。……動けない間、耳だけは聞こえていたのだ」
なるほど。だとすれば、さっき毒を盛ったのが教団の人間だと断言したのは。
「サイ様は、毒を盛った人間の会話も、お聞きになったのですか?」
「そうだ。動かなくなった私の隣で会話をしていたのは、教団の人間だった。……私に毒を飲ませることに成功すれば、地位を上げてもらう約束をしていたようだった」
「……その人間の顔などは見えましたか」
「いや、覆面をしていたからな……。ただ、主導していたのは若めの声の大男だった」
その情報だけでも十分犯人が絞れそうだ。
見つけたとしてもそれを裁くのは難しいが、脅して牽制くらいはできるだろう。
「教団の人間……どこから忍び込んで来たんだろう。窓が割られたり鍵が壊されたりしたことはなかったはずだけど」
ターロイとサイが話す横で、ハイドが首を捻る。
いやいや、そんなに首を傾げるほど不思議なことではない。
「……おそらく、教団は王宮の鍵を持っているんだと思いますよ。それから、今日忍び込んできた俺に言わせてもらうと、王宮内に警備も小間使いも人がいなさすぎです」
「王宮は今、最低限の人間しかいないから仕方がない」
「ミシガルあたりから、人を派遣してもらえないんですか?」
少し力が戻ってきたのか、サイが首を動かしてこちらを見た。
「できるだろうが、今は最低限の人間で対応したい。幸い、私が回復したことを教団は知らないから、このまま危篤を装っておこうと思う。しばらくは放っておけば死ぬと思って、わざわざ手出ししてこないだろう」
「しかし、サイ様がなかなか死なないとなれば、あいつらはまた裏から手を回してきますよ」
「……ふふ、教団所属の人間が、教団員をあいつら呼ばわりか。グレイといい、君たちは面白いな」
小さく笑った国王は、おもむろにハイドに声を掛けた。
「ハイド、やっぱり飲み物と軽い物が欲しい。何か見繕って持ってきてくれ。とろとろになるまで煮込んだリゾットとか良いな」
「は、リゾットですね! かしこまりました!」
サイにものを食べる元気が出たのが嬉しいのか、ハイドはすぐに飛んでいく。
だがこれは、分かりやすい人払いだった。
ターロイに対して、側近にも内緒の話をしようということだ。
ハイドの後ろ姿がドアの向こうに消えるのを確認してサイを振り返る。
すると、彼はすぐにベッドから平然と上体を起こした。
「敵を欺くにはまず味方から、だ。私が完全に回復したとなると、あいつは安堵が顔に出るからな。もうしばらく心配顔をしていてもらわないと」
そう言って一つ大きく伸びをする。どうやらすっかり治っていたらしい。
「俺のことは欺かなくていいんですか」
「君とグレイは欺いても得がない。……君のことはずっとグレイから聞いていた。仲間にするのではなく、取引するべき相手だとね」




