村の滅び
グレイに連れ出されて、裏口へと向かうターロイ。
通路を足早に進んでいると、二人のいる石造りの建物が轟音と共に一際大きく揺れ、天井からぱらぱらと石塊が降ってきた。同時に背後で何かの咆哮が聞こえる。
グレイがターロイを先導しながら小さく舌打ちをした。
「チッ……思ったより早い。守護者がこの建物に攻撃を始めたようです」
「守護者?」
その言葉に目を丸くする。
守護者とは各街村の教会の地下で眠っていて、地域を護る神の忠実なる僕だと教えられていた。それがこの村を襲っている?
「どうして村を護るはずの守護者が……」
「残念ながら、守護者が護るのは村ではなく、『神』の命令です。……教皇が『神』からの託宣を受け、今夜この村は廃棄されることが決まりました。守護者はそれを粛々と履行しているのです。生者は殺し、建造物は徹底的に破壊する……。あんな化け物が『神』の僕だなんて、全く何の冗談なんだか」
託宣? つまり『神』がこの村を潰して捨てよとお告げを出したってこと?
同じ国の住民が暮らしている村を廃棄するとか。
意味が分からない。何のために?
しかしそれをグレイに問う前に、再び建物が守護者の攻撃の振動でぐらぐらと揺れた。天井が嫌な音を立てて軋み、そこかしこに亀裂が入る。
「まずいですね、急がないと崩れるかもしれません」
「崩れる……」
彼の危惧を受けて、自然とターロイの意識がきゅっと天井に集約した。
すると、視界に奇妙な光の点が現れる。
さっきあの声に受け渡された能力の一部だ。意識を向けて見回しただけで、天井のどこが崩れるか、どうすれば壊れるか、瞬時に把握できた。
流入した知識によると光の点は破壊点と呼ばれるもので、そこを打突すれば思い通りにものを壊せる、らしい。
ターロイはおもむろに傍らのこぶし大の石を拾った。
「グレイ、次の揺れが来たらこの天井は落ちる。裏口に辿り着くまで保たないよ」
「……? なぜそんなことが分かるのですか?」
「俺もどう説明していいかわかんないんだけど。さっき、変な声に能力をもらったんだ。……とにかく、この壁に穴を開けて外に出ようよ。俺、壊せるから」
「……能力をもらった? まさかあなたは……」
少年の言葉を受けて一瞬動きを止めたグレイが、目を丸くしてターロイをまじまじと見る。
しかし彼を気にせず手にした石を持って壁に近付くと、ターロイは見える破壊点に添って、それを打ち付けた。
「切破」
最後に破壊指示の言葉を呟く。すると打突した破壊点同士を結ぶように壁に切れ込みが入り、そのまま外側にゴトンと倒れ、人一人が通れる穴が空いた。やってみると結構簡単だ。
「さ、早く出よう」
グレイを伴って急いで壁の外に出る。と、ほぼ同時に建物が揺れて、さっき自分たちがいた場所に轟音を立てて天井が落ちた。そこから連鎖するように、ガラガラと屋根が崩れ。
刻を告げる鐘の掛かっていた楼台が支えを失ってぐらりと傾ぎ、そのまま地面に叩き付けられて粉々になった。
大きな崩壊に大地が揺れ、もうもうと砂煙が立ち、小石が跳ねてくる。一瞬で目の前が見えなくなる。
それに乗じてグレイは素早くターロイの腕を掴むと、砂埃に紛れるように走り出した。
「……あなたには訊きたいことがありますが、今は村の外に出るのが最優先です。守護者があの建物を破壊している間に逃げますよ」
グレイに手を引かれたまま、一気に砂煙を抜ける。
上手い具合に砂塵を煙幕代わりにして、二人は離れた建物の陰に入った。
そこでようやく開けた視界に、ターロイは言葉を失った。
目の前は、どこもかしこも火の海だった。
獣避けの塀に囲まれた村の中、建物全てが原型を留めないほど壊され、燃えている。そこかしこに転がっているのは死体なのだろうか。真っ黒に焼け焦げていて、それすらも判別できなかった。
皮膚がじりじりと燻され、呼吸するだけで喉が焼けるようだ。
でもターロイが手で口元を覆ったのは、違う理由だった。
「……塀を破って、最短で村を出ます」
グレイがそう告げて、正門には向かわずに村外れを目指して走る。
ターロイを慮ってのことかもしれない。そこは何もない場所ゆえに、炎が及んでいないようだった。
少しだけ空気の温度が下がり、何もないことに少年が僅かに安堵したところで。
「……っと、余計な輩がいましたか。はぁ、仕方ありませんね……」
前を走っていたグレイが、前方を見たままため息を吐いて足を止めた。どうしたのだろう。
その視線の先をターロイも追う。
するとそこには、羽根の紋章が入ったローブを来た人間が三人、こちらを見て驚きの表情を浮かべていた。
「グレイ!? 何故こんなところに!?」
「お前は王都で研究室にこもっていたはずでは……」
「今回の選抜隊に名が上がってない者のくせに、誰の許可を得てここに来たのだ!」
三人三様に声を上げる。だがグレイはそれに答えず、ただにこりと笑った。
「ごきげんよう、司祭様。神の救いという名の大虐殺、ご苦労様です。……しかし選抜隊の皆様が何故こんな外れに? 主門の前に居ないと、王都騎士団の人間が侵入してしまいますが……。ああ、それともすでに蹴散らされて、尻尾を巻いてここまで逃げて来られたところでしたか?」
「な、何だと!」
彼の科白に男どもが色めき立つ。
王都の騎士団?
よくわからないけれど、蹴散らされて逃げて来たのはどうやら図星のようだ。
「わ、我々の任務はご神託を履行できたか確認するものであって、戦うことではない!」
「お前こそ、何故王都の人間の侵入を知っている!?」
「もしや、貴様があの男を……」
「私が引き入れましたが、何か?」
あっさりと言い放ったグレイの笑みが酷薄なものに変わった。
「そのまま主門を守ってあの男にのされていれば、命だけは助かったでしょうに。私に会ってしまったのが不幸でしたね。……私のこの行いを本部に知られるわけには行かないのです。あなたがたにはここで死んで頂きますよ」
言いつつ懐から短刀を取り出す。明らかな彼の反逆に、三人は狼狽えたようだった。
慌てて武器を構える。
その姿は明らかに腰が引けていて、子供のターロイが見ても戦い慣れていないのが分かるほどだ。
「グレイ、貴様! な、何のつもりだ!」
「証拠隠滅、ですよ。あなたがたの常套手段ではありませんか」
対して、自然体で何の揺らぎも隙もないグレイ。その言葉は一切の救いもない。
三人の得物はそれぞれフレイルとメイスとウォーハンマーだった。短刀に比べたらリーチも威力も十分な優位性のある武器だ。おまけに三対一の数のハンデもある。というのに、司祭達はすでに萎縮していた。
「……グレイ、この人達が村を焼いたの?」
その話をグレイの後ろで聞き、様子を見ていたターロイがおもむろに口を開いた。
そこで今更のように子供の存在に気付いたらしい三人が目を瞠る。
「子供……!? 貴様もしや、実験体を連れ出したのか!? その殺処分は此度のご神託の優先事項だぞ!」
「残念ながら、私はご神託なんぞ全く興味がございません。そんなもので私の研究対象を処分されたらたまらないんですよ」
この会話で、ターロイは明らかにこの司祭達が敵だと理解する。
今朝まで一緒に暮らしていた仲間達は、みんな目の前で殺されていた。
くらくらと酷くめまいがする。
村に転がっていた焦げた塊はまだ死体であることも誰であるかも判別できなかったから耐えられたけれど、あの光景は未だ脳裏に焼き付いていた。
彼らは、他人を害してでも護りたかった、仲間だったのに。
「……ターロイ、気を静めて。フラッシュバックで発作を起こすのはやめて下さいね。今暴れられたら、私もあなたと戦う羽目になりますから。せっかく連れ出したのに、殺すしかなくなってしまう」
少年の様子に異変を感じたグレイが彼を庇うように背中を向けたまま近付いて、肩越しに小さく呟く。
しかしターロイの中に湧き起こっていたのは、狂戦病の発作前の混乱ではなく、冷徹なまでの使命感だった。
今まで発作のせいで人を害することはあっても、自覚を持って他人を殺したいなどとは、恐ろしくて一度も思ったことがなかったはずなのに。
少年は、こいつらを世界から消すべきだと決定づけた。
俺の大事なものを壊した奴は、俺が壊さなくては。