ルアーナ再び
ターロイは考え込みながら、空間のゆがみがあるはずの中空を眺める。
ガイナードにはエルフの里に入った記憶はなかったが、聞き伝えの知識があった。それを脳内に引っ張り出す。
エルフは元々種族としての総数が少なく、他種族との交流に積極的ではなかった。木々と生きるその里は緑豊かで、清流があり、動物たちも多く住むという。
アルディアの作られた美しさではなく、自然の美しさを誇る里。
そこには万能の霊薬、エリクシルが湧く泉があると言われている。
そのエリクシルを狙った輩にエルフの里はたびたび襲われ、前時代にはそれを疎んで里のある空間を意図的にずらしたという話だ。
しかし結局エルフは滅び、エリクシルの泉も涸れたはず。
なのに何故ユニは生き残り、ここで誰もいない何も残っていない里を守っていたのだろう。
彼女の封呪輪を外すことができれば、すぐにでもその謎は解けるのだが。
「……謎だらけだな。とにかく、ここに入り口を開けて里に入ってみないことには……え?」
ターロイは空間のゆがみがあるはずの場所にてをかざしてみた。
すると、何もない空間からいきなりぬっと手が出てきて、こちらの腕を掴んだことに驚いて目を瞠る。
「ターロイ!?」
すぐ近くにいたスバルが慌てたようにターロイに手を伸ばした。
しかしそれより先に、ぐいと腕を引かれたターロイはそのまま空間に引きずりこまれてしまった。
「うふふ、いらっしゃい、ターロイ」
一瞬の間に視界が切り替わり、どさりと草むらに転がる。目を丸くして空を仰いだターロイを、ルアーナが微笑みながらのぞき込んでいた。
「ル、ルアーナ……!」
「なかなか入ってこないものだから手伝ってあげたのよ。うふ、エルフの里カルマドへようこそ」
悪戯っぽく笑った彼女はこちらの腕を引いて立たせると、背中を向けて歩き出す。ターロイはそれを慌てて追った。
さっきまでいた森と明らかに場所が違う。見たことのない所だ。
「あんた、俺が空間のゆがみの外にいるの分かってたのか」
森を進むルアーナの背中に訊ねる。
「里にある魔法の水晶を見ていたら映ったのよ。エルフは昔、危険な輩が入ってこないように、里の中から空間の出入り口を監視していたみたいね」
「……どうして俺だけを引き込んだ?」
ルークは彼女が以前敵対したことなどけろりと忘れると言っていたけれど、やすやすと気を許せる相手じゃない。今回だって、どうしてターロイだけを引き入れたのか、その真意は分からないのだ。
そんな疑心暗鬼の目を向けるターロイに、ルアーナは本当にこの間のことなど忘れた様子で、笑顔でくるりと身体ごと振り返った。
「あら、あなた以外に用事がなかったからに決まっているじゃない」
「それは……俺に用事があるってことか?」
「うふ、そうよ。あなたの能力が必要なの。ターロイも里を再生するためにここに来ようとしていたのではないの?」
「いや、俺たちはエルフの謎とカライル村にいたラウルって奴の行方を探して……」
そこまで言って、はたとカライル村の宝のことを思い出した。
「そういやルアーナ、カライル村の宝を盗んでいっただろ」
ターロイの言葉にルアーナが目を丸くして肩を竦める。
「私が村の宝を盗んだですって? やだわ、人聞きの悪い。これは元々エルフのもので、私は取り返してあげただけよ」
彼女が言いつつポーチから取り出したのは、白く濁った水晶の珠だった。手のひらに乗るくらいの大きさだ。
「元々エルフのもの?」
「エルフは生まれた時に、その魔力が暴走しないように一度水晶に魔力を封じ込めるの。力のある赤ん坊ほどその珠は美しく透明度が高くなると言われているわ。……この水晶の持ち主は残念ながらあまり魔力がなかったようだけど」
「エルフの魔力が込められた水晶玉ってことか」
「力がないと言っても、その魔力は人間と比べるべくもないわ。それを奪って悪用していたのはあいつらの方。水晶の力を使って近くを通ったキャラバンを襲ったり、盗賊まがいのことをしていたのよ」
村の人間がこの水晶玉を悪用していたと言う。それを聞いたターロイはふと違和感を覚えた。
ルアーナはつい最近、前時代の眠りから覚めたばかりだ。なのに、なぜこんな小さな村の悪事のことを知っているんだろう。それが前時代から続いていたというなら、グランルークがいた当時に処置しているだろうし。
「……ルアーナ、村の悪事のことはどこで知った?」
「グランルーク教団で聞いたわ」
「……教団で!?」
いや、驚くことでもないのか? ルアーナがグランルークに逢うために教団に行くことは分かっていた。
しかし、カライル村の悪事を知る人間が教団にいて、それをさらに彼女に伝えたとはどういうことなんだ。結託して金儲けをするならまだ納得できるが。それともこの水晶玉を手に入れるのが目的か?
「教団に依頼されて村の宝を取り上げたってことなのか? それとも、あんたの意思?」
訝しんで訊ねたターロイに、ルアーナは意味深な笑みを浮かべた。
「教団と言っても、私が会ってきたのは塔に閉じ込められている前時代の英雄の一人。……うふ、これは内緒、誰にも言っては駄目よ。私は塔に忍び込んでオルザネと会ってきたの」
「オルザネだって……!?」
オルザネとは天人族の一人だ。他種族を隷属させようとする天人族の考え方が合わずに離反し、裏切り者となってグランルークのパーティに入った男。
彼の消息もまた歴史上では不明になっていたが、まさかグランルーク同様に教団本部の塔に閉じ込められていたとは。
「彼はこの千年、ずっと閉じ込められたグランルーク様を護るために塔の中で付き従っていたのよ。国のことも大体把握していて、教団の現状を憂いていたわ。どうにかしないとって」
「じゃあ、オルザネが村からエルフの水晶玉を取り上げろと……?」
「ふふ、まあ指示されたわけじゃなくて、森にいた不死者を始末するついでだけれど」
つまりルアーナは教団ではなく、その横暴を憂う側についたということか。予想外だったが、それは願ってもない朗報と言えよう。
「森の灰はやっぱりルアーナの仕業か。不死者を消すのも指示?」
「うふ……それは個人的な後始末よ。それより早く先に進みましょう。ターロイにやってもらいたいことがあるの」
そう言うと、ルアーナは再び前を向いて歩き出した。あまり細かいことを話すつもりはないようだ。しかし不死者の始末自体は歓迎すべきことだから、気にしないことにした。
代わりに、次の疑問を口にする。
「そういや、ここに何人か送り込まれた人間がいるらしいんだが、里に人はいるのか?」
「動いている人間は私たちしかいないわ。里の御神木が暴走していて、近付く者を捕らえて殺してしまうのよ。ここのエルフは全滅してしまったから、制御できる者がいないの」
「動いている人間は俺たちだけ? てことは、動いてない人間がいるってこと?」
「そうよ。向こうの森で魂が抜け落ちた男が霊水に浸っているの。……おそらくエルフ族や里のことをよく知っている人間ね。生き残る最善の策を取っていたわ」
「それって……もしかしてラウルか」
ここに飛ばされたエルフをよく知る人物と言ったらそれしかあるまい。もしも彼が生きているのなら、ユニの謎も解明できるかもしれない。
可能なら一緒に連れて出よう。魂が抜け落ちたというのがどういう状態か分からないけれど。
そう考えていると、ターロイを振り向いたルアーナが前方を指差した。
「さあ見えてきたわ、ターロイ、あれがエルフの村。まずは御神木と対面しましょうか」