ルアーナの毒
水晶板にターロイの血を塗りつけると、ピッと音が鳴り、鉄格子が開いた。
「ああ、これで私は自由だわ! うふふ、これでグランルーク様に会いに行ける……!」
ルアーナが喜色を浮かべて出口へ向かう。
「これでホントに終わりかあ、長かったな……」
「ディクト、だれるのはまだ早い。帰り着くまでは気を抜かないようにしないと、また罠があるかもしれん」
「今みたいな罠はもうないと思うよ。この地下以外にはそれらしい気配がないもん」
「そう願うわ。しかしマジで、モネの地下からこんなとこに飛ばされるとは思わなかった……復興の時は地下への入り口は閉じておかないと」
ディクトたちも彼女に続いて外へと向かった。
ターロイはそれを横目で見送る。
すぐに自分も続こうと思ったが、こちらを認証した水晶板に『極秘事項』の文字が現れたからだ。その下には古語でその内容が書かれていた。
『No.003 被検体キメラ ルアーナの研究記録』
『ダウンロードします。記録媒体を接続し、「開始」ボタンを押して下さい』
どういうことか分からないが、考え込む暇はなかった。さっき手に入れた記憶媒体をこっそりと鞄から取り出し、少し上にある四角いくぼみにそれをはめる。ぴったりと形が合ったところを見ると間違いではないようだ。
急いで開始ボタンを押す。
他のみんな、特にルアーナに気付かれるのはまずい。
急いた気持ちで水晶画面のダウンロードバーが埋まるのを待った。
あと少しだ。
「ターロイ、何してんだ?」
そこに留まったままのターロイに気付いたディクトが声を掛けてくる。
それに慌てて振り向いた。
「何か持ち帰って調べられる部品がないかと思って。でも見当たらないな。すぐそっちに行く」
その先にいるルアーナはグランルークに会いに行くことで頭がいっぱいなのか、こちらに興味を示していないようだ。
ターロイはダウンロードが終わったのを確認して記録媒体を抜き取ると、急いで鞄に入れてみんなを追った。
「……ここからどうやって地上に戻るんだ?」
穴から出ると、そこはアルディアの地表ではなく、浮遊島の側面、断崖絶壁の途中にある少し広めの出っ張りみたいなところだった。
「飛び降りたらアルディアの上に転移するんだっけ? とりあえずそれで上まで戻るのか?」
イリウの問い掛けにルアーナが首を振る。
「上には戻るけれど、上空にぽっと排出されるのよ。羽根のある天人族ならいざ知らず、私たちが同じようにしたら落下死するわね」
「だったら教えてくれ。ルアーナはこれでグランルークに会いに行けると言っていたろう。地上のへ戻り方を知っているんじゃないのか?」
ロベルトが訊ねると、彼女は意味深に笑った。
「うふ、そうね……知っているわ」
「上に戻る必要があるなら、そろそろひよたんが使えるかもしれない。ルアーナ、ひよたんを返してくれ」
「あら、忘れていたわ。ごめんなさい」
ルアーナが胸元に入れていたひよたんを取り出す。
……何というところに入れてるんだ。胸圧でほぼぺちゃんこに潰れているじゃないか。
「……まだ全然マナが足りてないな……」
「アルディアには精霊の加護が少ないのよ。必然的にマナも希薄になるわ。ここの美しい景色は作り物ばかりだから」
羽毛の戻りも遅い。変化してみんなを運ぶような力はなさそうだ。
仕方なく肩に乗せる。
「平気よ。どうせひよたんは必要ないから」
ルアーナは悪びれなく言うと、何故か立ち位置を変えた。
それに気付いたのはターロイとティムだけだ。
ティムはちらりとターロイに目配せをし、声を出さずに『気を付けて』と言った。
……そうか、彼女は風上に回ったのだ。
「地上への戻り方を知っていると言ったな? どうすればいいんだ?」
ロベルトやディクトたちは魅了に掛かっていたせいでルアーナを疑っていない。何の警戒もなく訊ねる。
それに彼女はにこりと笑った。
「アルディアと地上は空間のゆがみやずれによって、一部接している部分があるの。そこを見付けて、空間に穴を空ければいいわ」
「穴を空けるって、どうやって?」
「……うふ、私に任せて」
そう言うと、ルアーナは左腕を伸ばして、召喚の魂方陣を発動した。守護者を倒す時に使った、黒い剣を呼び出したのだ。
「これで切り裂くのよ」
嘘だ、とターロイは内心で断じた。
スライムと戦う時、彼女はこの剣が魂のあるものにしか効果がないと言っていた。それでどうやって空間を切り裂くというんだ?
ルアーナが切り裂くという、魂のあるもの。
そんなの、ここには我々しかいないじゃないか。
そこまで考えた時、甘い匂いが周囲に充満した。
何かの毒だ。
とっさに息を止める。
すぐにターロイより前にいたロベルトとディクト、イリウが相次いでその場に倒れ込んだ。少し遅れてティムも。
そしてターロイもその場に膝をついた。最初に吸ってしまった一呼吸が効いているのだ。すごい眠気が襲ってくる。
睡眠毒か。
ルアーナは自分の身体で毒を合成できると言っていた。それを振りまいたのだ。
「うふ、みんな、おやすみなさい。ちゃんと目が覚める毒だから安心して」
安心などできるはずがない。
ターロイは倒れ込みつつも、口に含んでいた解毒薬を奥歯で噛み潰した。想定外だったが、ティムにもらった薬がこんなところで役に立つとは。
これはグレイの特製解毒薬だ。めちゃめちゃ苦いが解毒と全状態異常の解除、そして一定時間の状態異常無効の効果がある。
閉じかけた意識が徐々に明瞭になってきて、ターロイは寝たふりをしたままルアーナの挙動に気を向けた。
「残念ながらターロイの能力を『食べる』ことはできないけど、この男の能力なら……うふふ、いただきます」
彼女の言う『この男』というのはディクトだった。
やはり目を付けられていたのだろう。
能力を『食べる』がどういう意味か分からないが、薄く目を開けてみると、ルアーナはディクトに向かって剣を振り上げていた。
とっさに起き上がる。
ターロイはディクトの前に滑り込み、彼女の振り下ろした剣をハンマーで弾き飛ばした。
「何をする気だ!」
「……あらあら」
突然起きてきたターロイに驚いた様子のルアーナが、軽やかに飛び退いて距離を取る。
しかしその表情も口調も、さっきと変わらなかった。
「驚かさないで、ターロイ。もう、せっかく眠ってる間に済ませてあげようと思ったのに」
「ふざけるな、今ディクトを殺す気だったろう。どういうつもりだ」
「殺すのではないわ。うふ、私が食べて彼を上手に利用してあげるところだったのよ。グランルーク様の役に立てるのだから、本望でしょう?」
全く悪びれる様子がない。本気で悪いと思っていないのだ。
その瞳に狂気が宿る。
「これが終わったら、あなたたちを地上に戻してあげる。だからおとなしくしていてちょうだい。今後この男の能力が必要なら、私が力を貸してあげるわ。グランルーク様の妨げにならなければ、だけど」
「馬鹿なことを言うな! 仲間を黙って引き渡す気はないし、こんなことをして今後お前と協力なんてできるわけがないだろう!」
「あら、私は今後もあなたたちと仲良くしたいと思っているのよ? グランルーク様を助けるのに利用できそうだし」
……そうだ、ルアーナはこういう人間だと歴史書にも載っていた。
グランルークのためなら何でもするという、病んだ女だと。
ここまでは試練からの脱出が優先でグランルークのために動くことがなかったが、解放されて自由になったことでやばい部分が出てきたのだろう。
「うふ、邪魔をするならお仕置きするわよ? 虚空の記録からターロイがまだ死なないことは分かっているから、安心して全力でいたぶってあげる」
物騒なことを言う。
ターロイが死ななくても、ここでルアーナがとんでもないことをしでかしたら、倒れている他の仲間たちが無事では済まなそうだ。
一撃で事態をどうにかできればいいが、彼女の能力は未知数。
怪しい笑顔で黒い剣を構え直したルアーナに、ターロイは警戒をしながら急いでポーチを漁った。