魅了(チャーム)の罠
「ま、いっか。とりあえずみんなのとこに戻ろう」
しばし考え事をしていたティムだったがようやくそう言うと、しかし何故かターロイの元に来て、カプセルを一つ手渡してきた。
「何だ、これ」
「一つあげる。グレイさんが作った解毒剤だよ。状態異常にも効く。何かあったら口に含んで噛み潰せばいいから」
「それはありがたいけど……何で今?」
訊ねたターロイに、ティムは常にない真面目な顔で眉根を寄せた。
「……君ほど注意深い男でもこれか。それだけあの女は手練れだということだな……」
「あの女って、ルアーナ?」
「そうだよ。ターロイはどうして彼女の同行を認めてるの?」
「どうしてって……、今回の試練はルアーナの助力がないとクリアできないというから」
「それは誰が言ったの? ……君は前時代の知識が豊富だ。彼女のことも知ってるはずだよね。当然その危うい性格と『裏切りの歴史』も。……なのに、疑いもなく仲間に入れているのはどうして?」
「あ……」
そう言われて、唐突に頭の中が憑き物が落ちたようにクリアになった。この感覚は……。
ぱちくりと目を瞬くと、ティムの表情が少し緩む。
「どうしてか、気付いたかなあ?」
「……もしかして、いつの間にか俺は魅了を掛けられてたのか……。いや、俺だけじゃない、ディクトたちもだな。女性を特別視しているロベルトが、やけにあっさり彼女を受け入れたのもおそらくそのせいだろう」
「俺はまだルアーナに会ってないから掛かってないけど、ターロイは自分がどうやって術に掛かったかわかる?」
問われて思い出すのは、彼女のまとう香りだ。あの何とも言えない良い匂い。
……そう言えばイリウのところに移動する際に、ルアーナはわざわざ一人で先に行き、我々の風上に立った。イリウと挨拶する時も、匂いを移すほど近かった。
「……多分、匂いだ。ルアーナのつけてるあの良い香りが思考を麻痺させるんだろう」
「なるほど……。なら邪香油かな。毒性はないけど、匂いを嗅ぐと警戒心を失って少し酩酊したような状態になる。男を罠に掛ける女性が好んで使う香油だよ」
「罠って……じゃあ、彼女は敵……?」
「どうかなあ。そうとは限らないと思うよ。さっきは裏切り云々と言ったけど、俺たちを殺すつもりならもっと有効でたちの悪い罠を用意できたはず。あえてこんな簡易な魅了を掛けて仲間として同行しようとしてるなら、こっちを利用したい事情があるんじゃないかな」
「俺たちを利用、か。……彼女の知識や能力の助けが欲しい俺たちも、まあ利用したいのはお互い様と言えるな。……ルアーナの目的は分からないけど、少し様子を見た方がいいか」
とは言え、再び戻れば邪香油の香りを嗅ぐことになる。
今はティムのおかげで術が解けたけれど、次はどうするか。ルアーナの邪香油を指摘して止めさせるべきだろうか。
「彼女の目的が分かるまでは、気付かぬふりで黙ってた方がいいと思うよ。前時代の文献を読む限り、ルアーナってかなり難解な性格してるみたいだし。思い通りに行かないと仲間でも殺したりとか、そういう文書もいくつかあったからね」
ティムの言葉に、ターロイは大きくため息を吐いた。
そうだ、彼女はグランルーク以外には何をしでかすか分からない女だったのだ。
そんな女を大した精査をせずに同行させようとしていた自分が信じられない。
「そう考えると、本当に危うい女だな……。じゃあ、どうするか」
「邪香油の対処はそんなに難しくないよ。彼女の風上に立つ、口呼吸する。後は身体のすぐ見えるところに術に掛かっている自覚を促す印を付ける。例えば手首に布を巻いておいて、それを見るたびにルアーナへの疑念を思い出すだけで、軽度の魅了は解除できるんだ」
「へえ、そうなんだ」
こういう事柄も罠の範疇として研究しているのか。
ターロイはティムの知識に大いに感心した。さすが、グレイに認められた罠オタク。想像以上に頼りになる。
……が。
「ま、邪香油程度の罠ならターロイさえ正気でいれば問題ないや。俺もルアーナに会ったらコロッと魅了されるから、後はよろしくね」
「……へ?」
頼りになると思った矢先に、何だそれは。
「だって口呼吸とかめんどい。魅了された方が楽なんだもん。嗅覚って他の感覚と違って本能に直接影響を与えるから速効でやられるけど、慣れるのも早いからすぐに効力も弱まるし、平気」
「いや、平気じゃないだろ。連れが全員ルアーナの方に付いて、俺にどうしろと?」
「邪香油は使用者に対しての警戒心が働かなくなって好意を持つようになるだけで、人を操れるわけじゃない。俺たちが君に敵対するような事はないから大丈夫だよ。それに、魅了されてても罠は掘れるから心配しないで!」
……ああ、すっかり元のアホっぽいティムだ。
「さっきまでルアーナへの警戒心ありありだったのに……」
「リーダーが罠に掛けられてたら警戒もするよ。だから後のことも考えて解毒剤渡したんだしね。でもターロイは元に戻ったし、どうせ警戒するなら罠に対して全神経を傾けたい俺なのです!」
「……そうですか」
駄目だ、これ以上の問答は無駄だ……。
ターロイは風上に陣取ると、ルアーナを見た。
意図して風下に置いたが、とりあえずは気にしていないようだ。仲間たちにはすでに魅了が掛かっていると考えているから問題ないのだろう。
「さて、ここからどうすればいいんだ? ルアーナ、ガイナードの封印の試練について知っていることを教えて欲しい」
「あら、目的地はすぐ分かるでしょう? 建物が一つしかないもの。うふふ、でもね。いきなり突入しては駄目よ。まずは着いてのお楽しみ」
意味ありげに微笑むルアーナ。
さっきは妖艶な女性だというだけのイメージだったけれど、今はどこか底知れぬ恐ろしさを感じる。
「……じゃあ、とりあえずあの丘の上の宮殿に向かおう。敵らしきものは見当たらないが、周囲に気を付けて」
ターロイの言葉に、仲間たちは素直に従う。
ティムの言う通り、ルアーナに操られる様子はなさそうだ。
ターロイが先頭を行くと、その後ろにディクトとロベルト、さらに後ろにイリウ、最後にティムとルアーナという並びになった。
ルアーナが前に来たがるかと思ったけれど、あの男がそれを阻止したのだ。
「あの建物の中って、どのような罠がありますか!? ルアーナさん、知っていたら教えてください!」
ティムが、彼女を捕まえて足止めしていた。
わざわざ言うことでもないかもしれないが、こいつは今魅了されている。
何の悪気もなくルアーナの行動を邪魔しているのだ。
この空気読まなさ、さすがというか、何というか。
しかし自身の魅了に掛かっている男だからか、ルアーナは怒りもせずに相手をしている。ある意味助かった。
今のうち、このままの隊列で行ってしまおう。




