ダーレ司教
ロベルトもスバルも、こういう自分だけが助かれば他はどうなってもいい的な考えが、心底不愉快なのだろう。
ちらりとこちらを振り返って、端的に訊ねてきた。
「……全員殺して良いか?」
「……まあ、気持ちは分かるが待て。モネを奪還した後にサージの悪行の証言をしてもらう必要もある。とりあえず降伏すると言うのなら全員生かしておこう」
ターロイの言葉に、今にも仲間同士で喧嘩を始めそうだった敵が見るからに安堵の表情を浮かべる。
「……チッ」
それにロベルトがあからさまな舌打ちをしたけれど、今回はこちらを無視して勝手に殺しに行くことはなかった。
「そう不機嫌な顔をするな。サージに従っているからには、こいつらは司教や司祭の子息だ。後々の交渉ごとにも役に立つ」
ターロイはロベルトに剣を収めさせ、敵を見回す。
誰も逃げ出す様子がないところを見ると、やはり出入り口は我々の後方のあの一カ所しかないのだろう。
「お前ら、両手を挙げて、後ろを向け。そして奥の住民が入っている牢屋まで行け」
こちらの命令に男たちはすぐに従った。おそらくロベルトがすごい形相で睨みつけているからだ。
地下牢のある横穴の前に来ると、足を止めて振り返った。
「こ、ここです……」
横穴の奥を見ると、大きめの牢屋に二・三十人程度の住民がいる。
彼らは現れたターロイたちに一瞬驚いたように目を瞠ったけれど、こちらの正体が分からないからだろうか、警戒したように一言も発しなかった。
「牢屋の鍵を持っている奴、前に出て鍵を開けろ」
ターロイはそう指示をすると牢から住民を出して、その中に敵部隊を入れて施錠した。
その段になって、ようやく住民の一人が口を開く。
「も、もしかして助けてくれるのか……」
「そのつもりで来た。ここを出るまではまだ安心できないがな」
返した言葉に、ようやく住民たちが身体から力を抜き、安堵のため息を吐いた。女たちの中には安心して泣き出すものもいる。
そんな中、一人異色の人間がいた。
「ロ、ロベルト様……!」
教団の高位のローブを着ている司教だ。……サージの父親だ。
彼はロベルトを見るなり、駆け寄ってきた。
「ダーレ司教……。お前も閉じ込められていたのか」
さすがに年配で高位の者は教皇の孫であるロベルトを知っている。
ダーレ司教は何度も慇懃に頭を下げた。
「まさか、こんなところでお会いできるとは。あの事件以来、いかがなされていたのですか?」
「……色々あってな。そこの、ターロイに助けられた」
「ターロイ?」
「……お久しぶりです、ダーレ司教」
当然だがターロイも彼とは面識がある。サージの関係で、グレイがよくこの人に文句を言いに行っていた。
息子に大分甘いのが問題ではあるが、話が通じるだけ教団の司教の中ではまだマシな部類の人間だ。
ダーレ司教はターロイを見ると、複雑そうな顔をした。
「……お前がロベルト様を助けてくれたのだな、礼を言う。……だが、すまない、私の息子が、グレイを……」
彼はサージがグレイの研究室を襲ったことを、ターロイに申し訳なく思っている様子だ。
しかしグレイは生きている。おかげで教団を離れられたし、特に問題はない。
ターロイとしてはそれよりも、ダーレ司教の様子が随分と『まとも』なことに違和感を覚えた。
「グレイのことはあなたが気に病むことではありません。……それより、ロベルト……様を助けた俺に、礼を言うと?」
ロベルトは教団でその力を煙たがられ、だからこそ操られる羽目になったはず。その彼が自由意志を取り戻し、目の前に現れたことを喜ぶというのか。
「当然だ。ロベルト様は教皇様が教団の未来を託せると認めた方。私たちはお戻りを待っていたのだ」
「え? ちょっと待って、聞いてた話と違うんだけど」
教皇はロベルトに地位を奪われるのを警戒して、戦闘部隊に入れたんじゃなかったか? その教皇が、彼に未来を託せると?
「……ここに閉じ込められていたおかげでマントラの呪縛が緩んだか。ダーレ司教、最近のじいさんの様子は?」
「教皇様はもうずっと『あちら側』です。教皇様だけではない、大司教様も我々も、滅多なことでは『こちら側』に戻って来れません。グレイがいなくなってからは薬もなくなってしまいましたので」
「……そうか」
ロベルトは事情を把握している様子だが、こちらは全く分からない。『あちら側』『こちら側』という話は以前に聞いた覚えがあるけれど、確かあの時も意味不明のままだった。
「おいロベルト、あんたらの話が分からないんだが。説明してくれ」
ロベルトの後ろからこそりと訊ねると、彼は「後でな」と軽くあしらって、話を変えた。
「ところでお前は何で牢に閉じ込められていた?」
「……息子を諫めに来たのですが、聞き入れられず……小言を言われて腹を立てたサージに拘束されました」
これは想像していた通りだ。
肩を落としたダーレ司教は眉間にしわを寄せる。
「サーヴァレット……あの剣を持たされてからというもの、サージはどんどん人間らしい情を失っている。わがままに育ててしまったけれど本来は小心者で、あんな非情なことができる男ではなかった」
「非情なこと……」
その言葉に、ターロイは抱えていた疑問の答えを聞いてしまったような気がした。けれど、あえて訊ねる。
「ダーレ司教、もしかしてあなたは、他のモネの住民がどこに行ったかご存じですか?」
ターロイの問いに、ダーレ司教は一瞬だけ口をつぐんだ。
しかしすぐに大きくため息を吐く。まるで彼自身が罪を犯したような面持ちだった。
「……他の住民は、サージが全てサーヴァレットの贄にしてしまった。抗議の声を上げた者や、道理を説く者、恐怖に喚く者と、気に障る者から手当たり次第だ。一度あの剣を振るいだすとどうにもならなかった」
ああ、なるほど。だから捕まっていた住民たちは助け出されるまで、一言も発せずにいたのか。
……まさかこの大きな街に住んでいた多くの人間が、ここまで減らされてしまうなんて。
「……ダーレ司教、イリウがどうなったかは知ってますか」
イリウはモネで屈指の高額納税者だったはず。ダーレ司教がモネを司教区として管轄していたなら、面識ぐらいはあるだろう。
そう思って訊ねると、彼は一際表情を曇らせた。
「イリウは地上に連れて行かれた。……彼の家にはことさら大きな金庫があるんだが、サージがそれの開け方を吐かせようとしているのだ。おそらく、拷問に近い仕打ちを受けているだろう」
「……とりあえず生きてはいるんですね。しかし猶予はない、か。全く、金庫の開け方くらい教えてしまえばいいのに」
そうすれば拷問からは逃れられるだろうと思って言うと、ダーレ司教は首を振った。
「彼は、自分にサージの関心が向いているうちは、あいつがここに残った住民にかかずらうことはないと考えているのだ。……金品を惜しんでのことではない。その金庫には何も入っていないらしいしな」
「それって……サージの気を引くために敢えて口を閉ざしているのか……」
つまりイリウは、最後まで口を割らない覚悟だということだ。そうまでして、街の仲間を守ろうとしている。
彼の思いを知って、その思いを汲んで、ターロイは即座に行動に移ることにした。
「みんな、住民を逃がすぞ。この人数なら近くの森に入って身を隠せるだろう。そこの横穴の奥から俺が地上に向かって穴を開ける。この方向ならモネの城壁の外に抜けられるはずだ」
スバルたちに声を掛けると、住民もにわかに色めきだった。
「ほ、本当に助かるのか……。でも、イリウさんが……」
「安心しろ、イリウも助けに行く。だがあんたたちが無事でないと意味がないんだ。ことが終わるまで、俺たちの指示に従ってくれ」
「わかった、ありがとう。よろしくお願いします」
一人が頭を下げると、自然と他の住民も頭を下げた。
「じゃあ準備をするから、少し待ってくれ。足の悪い年寄りは若い奴が支えて行けるようにして。スバル、ユニ、怪我をしている者には先に薬草を配って」
ターロイはそう指示をして、穴を開けるためにハンマーを持って横穴に入った。
方角的に、この奥から斜め上に向かって貫通させれば街の外のはずだ。
地下墓地をそう算段しながら一人で歩いていると。
不意に、ぞっと身の毛がよだつような視線を感じて立ち止まった。
ばっと反射的に視線を感じた方向に目を向ける。
するとそこには、人間を埋葬するには大きすぎる棺が立て掛けてあった。
その蓋が、半分くらい外れている。
その棺の中に収まっている、半分ミイラのような姿を見て、ターロイは思わず固まった。
……これは、守護者だ。