タイムトラベル
時間が持つ性質に出会いというシチュエーションをつけたテーマで物語を作りました。
――例えば。
例えば時間を止めることが出来る能力があったとして、時間が止まった世界とはどんな世界を想像するだろうか。
そんな突拍子もない質問をされたことがある。
しかしその質問に答えることはできなかった。なぜなら時間が止まっている世界など想像することが出来なかったからだ。いや想像したときに時間が止まっている世界を認識できている自分を想像できなかったと言った方が正しいだろう。
この世に存在しているという結果に至る世界に存在する以上、時間という概念の上で生きてきた。時間が止まった世界を想像または認識できるのは時間の概念を持たない存在だけなのではないだろうか。
そもそも時間とは、哲学において一般に出来事の継起する秩序で、過去から未来への不可逆的方向をもち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられ、空間とともに世界の基本的枠組みを形作るものとされている。
無限に続くとされている時間が止まってしまうのならば、それは果たして無限と呼んでよいのだろうか。思うに、その時点で秩序はなく、また空間との関係性も崩壊してしまうであろう。
しかし、一概に時間は永遠に過去から未来へ止まることなく流れていると断言することも不可能である。
仮にもし時間が止まったとすればその瞬間、脳を含めあらゆる機関が停止することになり、それは万物においても共通することなのだ。つまり、再び時間が動き出した瞬間には止まっていた時間を認識することはできず我々には時間が止まっていないという結果しか見ることができないのだ。
我々には時間とは常に進み続けているものとしか認識することができない、だからこそ時間の止まった世界を想像することが難しいのだろう。
しかし、いまから語られる「時間」の物語はそういった理屈や科学的なテーマとは少し異なるベクトルで語られる。時間が持つ性質や原理を風刺的あるいは戯曲的に表現することで馴染みやすいテーマになることを期待する。
これは、退廃と未来を予感させる物語である――
1章クロノスの船出
朝霧というにはあまりにも濃い、まるで煙幕を張ったかのような霧の中に少年の風貌をしたものが立っている。
物音ひとつ立てずに歩くその少年は迷うことなくただひたすらにまっすぐ道を歩いている。ようやく日が見え始めたかという東雲の空を背にして彼は何かを跨ぐようなしぐさをとった。
赤く染まった朝日、始まりの象徴としては申し分ない。
跨いだその先には船があった。乗船する第一歩。波の上にある船ではあるが、波によって揺れることはない。
船に足をかけた少年は憂いを帯びた表情で視界に入る全てを、耳から伝わる全てを、肌に感じる全てを、愛している。これは惜しんでいるわけではなく悲しんでいるわけでもない。これも別れの一つの形であるのだと理解している。
全身の体重が地から船に移動したとき、出航が告げられた。
「クロノス、発進する」
その咆哮は乗り合わせた乗員八人の気を引き締め、発した本人には襟を正すような意味合いもあったのだろう。威厳を備えたその声をこの舟の乗員は生涯忘れず、旅立ちの狼煙として記憶するだろう。しかし、その声が響いたのは舟の上だけなのだ。地を揺らすほどに感じた号令。にもかかわらず、うみねこは岩辺で安らかに眠り、森はざわつくこともなく木々を揺らすこともない。まるでそこに存在していることさえも疑ってしまうような静かな旅立ち。舟の上を撫でる風さえもその存在を意識することはない。
舟とは本来、水の上に浮かばせ風に帆を立てて動かすものであるがクロノス号に限ってその理屈は通用しない。クロノス号はあくまで乗せて運ぶという概念そのものを例えた呼び名として舟という言葉を使っているに過ぎなかった。つまりこの舟に対しては船という一般的なイメージではなく、ただ場所から場所に運ぶための入れ物、さしずめ箱のようなものをイメージするのが正しい。
そのクロノス号がこれから巡るのは、時間が止まってしまった世界。それは時間が持つ性質が欠如した世界のこと。一般的にイメージされる静止あるいは停止しているということではない。
それを「神秘」と呼ぶのか、「自然」と呼ぶのか、はたまた更に異なった表現をされるのか。
この冒険がどのように捉えられるのか、この冒険の結末を目撃した時、あなたは少しだけ未来に希望が見えることを信じて――
2章 ゲンシの大海
四方八方どの方角を見ても海と空しか見えない大海の中心。もはや海と空の分かれ目となる地平線がどこにあるのかもわからなくなるほど空と海の色が近い。その境界線がわからないのでまるで大空を飛んでいるのではないかと錯覚してしまうような美しい海の上にクロノス号はあった。
――世界には、秩序がある。どんな場所、時代にも法則があり調和という形で存在する。それを実感できるかできないかは個人にもよるだろう。あるべき形というものは本来ない。しかし世界が変わるにつれ、形を変えることが良策であるという生物も存在するのは事実なのだ。変化しなければ生きることが出来ないのであれば変わるしかない。
生物の進化は海の中で起こっていた。初期の単細胞生物から原核生物、真核生物と進化をたどったのも海の中であった。しかし、節足動物などの無脊椎動物が上陸し、その後も陸上で生活するのに最適な進化を続けた生物たちが多数現れ始めた。生物として水の中で生きることが出来なくなってしまったとしても陸の上を歩くことが出来る足を求めた生物がいたのだ。オゾン層の誕生によって陸の上で生きるという選択肢を持った生物が現れたのだ。
それがいわゆる自然選択。生物はこれまで世界に同調してきた。変わらなければ息をするのが苦しくなってきた。極端にいえば生物の生存率を上げるには生物を変えるか世界(環境)を変えるかのどちらかしかない。
クロノス号がたどり着いたのは、進化することを拒み、世界の変化についていくことが出来なかった者たちの都。原始の海のはるか底、深海という表現すら生ぬるい奈落の深淵。
他の生物の侵入を許さない膨大な圧力の中に一つの都が存在する。
その都に降り立ったのはクロノス号の船員である『滅び』と『進化』。
ヒトの形をした彼らは目に見えて認識できるものとして海の都の住人の前に現れる。
ここでは彼らは自らを『ホロビ』、『シンカ』と名乗り都の住人と対峙する。
これは原始の生物と『進化』の最初の邂逅――。
「おや、お前さんここじゃ見ない顔だね」
都の門番に声をかけられた。その門番には五つの目があり突出した触覚のようなものが目の下に付いていた。特徴的なその容姿はカンブリア紀に存在していたオパビニアそのものだった。
ホロビはオパビニアの門番に、この海に棲む者ではないと返した。
当然門番は、外部からの来訪者を簡単に受け入れようとはしない。
「よそ者が良くこの海の底まで来たね。一体何をしに来たんだい?」
ホロビがその質問に答えることはない。正確には答えられなかった。ただこの都の王に会いに来たという旨だけを門番に伝えた。
この都は変わりゆく世界と環境についてゆくことが出来ず、時代に取り残された者たちが楽園として生きる場所を求めて築き上げた場所であり、彼らがこの世界で唯一生物として生活できる場所であった。
しかし、今やこの都もそう長く在り続けることが難しい状況となっていた。外の世界では受け入れられず、土地も限られている。もともと数が少ない種である故、繁栄にも限界があった。滅びの運命は目に見える程明らかだった。
「悪いが、あっしも得体の知れないお前さんを易易とこの都に入れる訳にはいかないんだ。王に何用か聞かせてもらえるかい?」
この都が長くないことはこの門番もわかっているのだろう。しかしそれでも諦めたくはないと、藁にもすがるような思いで何かを待ち続け、望んでいる。それが何かは本人たちにもわかっていない。ただ漠然と、この状況から都を救える変革を、未来を渇望していた。
その未来の話を、この都の新しい形を示すためにこの都の王との対話が必要なのだ。
当然、クロノス号の乗客にはこの都に対してできることなどない。この都が滅びるのは必然であり、道理なのだ。しかし、これから先の在り方を示すことはできる。たとえこの都の滅びが避けられぬことだとしても捉え方ひとつで世界の見え方は変わる。それを伝えに来た。
ホロビは門番との押し問答の末なんとか都に入る許可を得た。
古代種、主にカンブリア紀に見られた生物が多数生息する都。
深海のさらに底、外界とどれだけ離れていようと生態にどれだけの違いがあろうと、時間だけは平等に寸分違わず刻まれ続けている。
オパビニアの門番が守っている都への入り口は入り口であることを悟られぬようにただ海底にある貝殻としてしか存在していない。この貝殻を見て古代の都への入り口だとは誰も思わないだろうが、さらに用心深く門番まで立てている。
彼らにとって大切なのは外界との交流による繁栄ではなく、純血の種による存続なのだ。
そう考えればこの度を越した警戒も頷ける。
都へつづく地中の通路を抜けると眼前には確かに都と呼ばれるだけの景色が広がっていた。
つまり水中に街が存在しているのだ。
もちろんだがカンブリア紀には絶対に存在していないはずの、水中都市。これはまるでヒトが生活しているような造りになっている。家や、高い建造物があり、そのほかにも神殿や人の形をした巨大な少女の石像などもある。たしかにどんな生物の世界にも社会というものは存在するだろう。しかしそこにはその形に至るまでの理論があるはずなのだ。例えば家屋。ハチの巣とアリの巣は異なる仕組みで形成されている。それはその生態に適合した構造である必要があるからだ。ハチやアリに限った話ではない。どんな生物にもその結果に至る理由があり、そこには合理性が存在する。
しかし彼らの都はどうだろう。
明らかに不自然な文明の発展を遂げた都市。不必要と思われる施設と建造物。種の存続は望むがその種本来の営みにはこだわろうとしない。彼らの生活には全く合理性が無かった。
不気味とすら思える街を通って、連れられるがままホロビは宮殿に向かった。
宮殿の入り口でオパビニアの門番に代わり、王の護衛を名乗る生物に連れられ中へ入った。謎に包まれた生態を持つ生物が多数存在したカンブリア紀の中でもひと際目立つと思われる毛虫の容姿に近い護衛官、ハルキゲニアの案内で玉座までの道のりを歩いている。
石でできた宮殿、それ自体に問題はない。問題なのはカンブリア紀に生きた生物の生活に溶け込み、宮殿自体の存在定義を理解しているということなのだ。
玉座の扉の前に到着するとハルキゲニアの護衛官によって扉が開かれた。
華やかな装飾を施された如何にもと言わんばかりの、イメージ通りの玉座。
そこにいた生物もまた想像通りの生物だった。
カンブリア紀において食物連鎖の最高次消費者、当時の頂点捕食者とまで言われたあまりにも有名な生物、アノマロカリスがいた。
「よくぞここまで来た。異邦の旅人よ」
その巨躯は自分たち以外にこの環境に適応できる生物がいることに少なからず驚いているようだった。
ホロビはこの都の起原をアノマロカリスの王に尋ねたが、王はその事について頑なに答えようとしない。ならばと、次にこの現状を維持し続ける理由を問うた。
「愚問である。生物とは生きるために生まれてくるものだ。生まれる意味を持たぬ我らが生きる意味を求めるのは不自然である」
間違ってはいない。確かに生物の中には子孫を繁栄させるためだけに生き、生きること自体を生きる意味とするような生物が数多く存在する。もしかするとヒトという生物のみが生きることに理由を見出し、意味とするのかもしれない。しかしそれでは生物という存在そのもの意味が消失してしまう。生きる理由は見つからずとも、生きる意味は確かに存在するはずなのだ。
しかし、アノマロカリスの王は気づいていない。その生存願望は紛れもなく生きる意味になりうるものであることに。そして、それに気づいた時、彼は生きる理由は生まれたからである、という解答を訂正することになるのだろう。あるいは全く違う答えに辿り着くかもしれない。
ホロビは最後の問答を始めた。
生きているとはどういうことか。その質問には即答だった。
「息をしてそこに存在することである」
今回の件は元々、すぐにどうこうできる話ではない。あの王には考える為の対話が必要だったのだ。
ホロビは再びハルキゲニアに連れられて来た道を戻っていく。
都の街の中で無数に蠢く古代に生きた生物たち。マルレラ、パラドキシデス、ピカイア。
現代に生きる生物の原型である彼らを横目に都の出口へ向かう。
この都には外へ出るための通路が一つしかない。
よって必然的に門番とも会うことになった。
「もう行くのかい?」
その質問にホロビが頷くとオパビニアの門番は寂しそうに別れを惜しんでいるようだった。
「この都への来客はお前さんが最初で最後だろうなぁ。元気でな」
ホロビはこれまでも幾度となく別れを経験してきた。
それがほんの一時の出会いであったとしてもその出会いは事実であり、無かったことにはならない。それが時間が進み続ける意味だとホロビは信じている。
門番に別れを告げた後、海面に上がりホロビはクロノス号に乗り込んだ。
クロノス号の乗船員の一人であるキボウはホロビが手に何かを持っているのを見つけた。
それはカンブリア紀に生息した固着性の動物、ディノミスクスだった。
3章 オー・ランタンの森
原始の大海を離れ、次にクロノス号が向かったのは不気味な夜の森。
それは一日中夜を繰り返す祝福の森だった。
この地に降り立ったのはクロノス号乗員「忘却」と「希望」
過去の改変を求めた魂がさまようこの地には誰も訪れようとはしなかった。
その執着を呪いと呼称されてから幾数年、この森に立ち入る者はなく――。
次はどこへ行こうか。どこに行けばいいのだろうか。どこに行けるのだろうか。
行きたい場所なんてないけれど、どこかに行きたい。この森を出て安住の地を探したい。
どのくらいの時間ここにいるのか、もう覚えていない。とにかく長い時をこの森で過ごしている。誰か、僕を見つけて。
森の中は薄暗く、明かりもなければ音もない。この森には入口も出口も存在しない。
向かうべき道もなく、戻るべき道も用意されていない。そのように作られた森だった。
願望と怨嗟によって作られたある者の終着点。その者は迷い人を征くべき場所へいざなう案内人。しかし彼もまた、歩むべき道を失った迷い人なのだ。
ボウキャクとキボウはある道標の前に立っていた。一本の木を中心に、右の看板には「未来」左の看板には「過去」の文字があった。
二人はそれぞれ別の道に分かれて進んだ。
キボウは未来へ、ボウキャクは過去を指し示す方向へ歩いて行った。
キボウは小さな墓場に行き当たった。
墓石がいくつか並んでいるだけの小さな墓場。その上空でぼんやりと鈍い光が浮いている。
しばらくするとその光はキボウに近づき、やがて形を帯びはじめた。
墓地に転がっていた木の枝と布と蕪、それらで形成されたヒトの形をしたヒトならざる者が出来上がった。
木の枝でできた足と胴体には布が巻かれており、浮遊していた光が頭部の蕪の中に入り顔を思わせる容姿となったそれは突如声を発した。
「君は未来に行きたいのかい?」
キボウは答えることなくただ傍観する。
「僕はオー・ランタン。未来への道先案内人さ」
オー・ランタンと名乗った蕪の頭のそれは陽気な口調で独りでにしゃべりだす。
「君は今から未来へ進もうとしている。その選択に迷いはないかい?」
過去から未来へ。それは時間の中に存在する全てにおいて共通するルールであり、このルールはいかなる手段を用いても変えることは出来ないはずだ。
迷いがあろうとなかろうと未来へ進むしかない。
「この先の未来に少しでも不安があるならこの森にずっと居ると良い。ここは何も変わることはないから未来を意識することなく過ごせるよ」
オー・ランタンは自分を見ろとでもいうように腕を広げて見せた。
彼の理屈は詭弁でしかない。停滞は時間が進まないことと同義ではないということは分かっているはずだ。
「――君はなぜこの森に来たんだい?」
オー・ランタンはまだ気づいていないだけなのだ。
「君も拒絶されたのかい?」
自分が誰で、どこにいるのか。
「ここは僕の楽園なんだ!」
彼はわかっていなかった。
「過去」の道標が示す道を歩いていたボウキャクは先ほどまでいた森と一変した景色の中にいた。
小さな農村のような静かな町。そのうちの一件の家から怒鳴り声が聞こえる。
逃げるようにその家から走り去る男。行動とは裏腹にその男の顔には笑みが見えた。
男はしばらく走り続けて追ってを躱したところで走るのを止めた。膝に手を乗せ、ゼエゼエと息を切らしている男は小さな墓地にいた。
ゼエゼエと息を切らす音しか聞こえない静かな墓地、男も自分以外の誰かがここにいるなどとは思ってもいなかった。
何から逃げていたの?
そう問うた声に無意識に答えてしまう。
「食料を盗んだんだ。だから逃げた」
まだ息を切らす男。一種の思考停止状態。しかしそのときふと気づく。後ろの気配。
「うわあああっ」
大きく体がのけ反り倒れこんだ。
「誰だ、いつからそこにいた」
怯えながら見つめる視線の先にはボウキャクが立っていた。
その男はすぐに立ち上がるとボウキャクの容姿をまじまじと見て何かを察した瞬間さっさと墓地の奥へ行ってしまった。
ボウキャクもその後ろについていった。
「お前、どうしてついて来るんだ。食べ物に困ってるのか?」
ボウキャクは首を横に振った。
「なら、ついて来るな。僕と一緒に居たら周りから白い目で見られるぞ」
悲しそうな表情で言うその男はついさっき盗みを働いた男と同じ人物とは思えないぼど優しい顔でボウキャクの心配をしている。
その男がたどりつぃたのはゴミ溜めのような場所。そこで男がゴミの山に向かって声をかけた
「持ってきたぞ。出てきなよ」
その声と同時にゴミ山の後ろから年端もいかぬ小さな子供たちがわらわらと出てきた。
男は盗んだ食料を子供たちに分け与えていた。
聞くところによると、この子供たちは皆親に捨てられ、行き場を失った子供たちであった。
身体は痩せ細り今にも倒れてしまいそうな子もいる。この男はそんな彼らの為に盗みを働いていた。
しかし、その子供たちは時が経つにつれ、一人ずつ数を減らしていった。
盗っては与え、逃げては咎められる日々。彼の優しさは誰かにとっての悪だった。
行き場をなくした飢えた子供たちが訪れる墓地の隅で一人涙を流していたその男も、まだ若い青年だった。細い体でうずくまる背には使命を通り越して執着さえ感じた。
もう食料を与える子供たちは居ない。長い年月を駆けて町が復興を遂げたのだ。
しかし、男は今も町の住人から虐げられていた。町を拡げるために墓地をなくそうとした者たちに抵抗し、やがてその墓地だけが不自然に残ってしまった。そこには異臭が漂い、住人にはいい迷惑だった。
しかし、彼はその墓地を離れようとしない。ここはあの子たちの墓地だったのだ。生前、人に見捨てられ、行き場を失った彼らの墓場まで失わせたくはないと必死に守っていた。
けれどこれが正しい事なのかさえ彼には分らなくなっていた。
キボウはオー・ランタンにこの墓地にある墓は誰のものか聞いた。
「さあ、僕もこの墓の下に誰が埋まっているのかわからないんだ。」
この墓地を超えた先に何があるのか、なぜここで道案内をしているのか。
「この先には何もないよ。昔は小さな村があったみたいだけれど、ここに来きた子たちはみんな森の出口を探していたよ」
そう言ったオー・ランタンに対してキボウは今自分が歩いてきた道に戻らないかと提案した。
分かれ道にあった「過去」の道を案内してほしいと頼んだ。
「過去」そんな道があったのかい?森に入ったらここまで一本道のはずだよ」
不審に思ったオー・ランタンはキボウと共に来た道を逆行した。
そこにはたしかに過去と書かれた道標があり、二人は過去と示された道を歩いて行った。
ボウキャクはあの男の結末を見た。村の住人に殺され、天に上ることもできなかった彼は悪魔と契約した。この森に居ることが許される代わりに永遠にこの森に居なければならない。
男は森を守るために村に火を放った。長らく森に入ってくる者は居なくなったが、男は二度目の死を迎えた。しかし悪魔との契約により森から離れることが出来ずに老いた身体を捨て蕪と木の枝と布で新しい体を造り憑依した。
その男は今も蕪の姿でこの森にいるのだろう。あの男は悪なのだろうか。直接村を焼き払った男と間接的に子供たちを殺した村人。そこには認識としてとても大きな差がある。
この風景を見たことが何を意味するのか。それはボウキャクにはもうわかっていた。
ボウキャクだけではない。今後ろで同じ過去を見たであろう希望と蕪の男、オー・ランタンもこの場が何を意味するか理解し、全てを思い出したはずだ。
彼は自分が誰でなぜここに居るのか、全てを思い出した。
忘却の彼方に置き去りにした記憶をようやく取り戻したのだ。
「僕はこの森から出ることは出来ないから、これからもこの墓場を守っていくよ」
そう言った彼の声はどこか寂しそうだった。
「道の案内をしていたのは、子どもたちに間違った道に行ってほしくなかったからなんだ」
間違っていることに本来定義はないと、キボウは彼を励ました。この場所を目的として子供たちが集まるような、そんな美しく楽しい森にすればいい。そうなればこの森への道はきっと間違いではないのだ。
その言葉を聞いたオー・ランタンはこの森の未来を想像して、少し笑っていた。
「ああ、そうだね。ありがとう。この森に来たことは間違いではなかったと思ってもらえるような場所にしてみせるよ。」
その言葉を聞いたキボウは彼にある贈り物を手渡した。
それは原始の海からホロビに与えられたディノミスクスだった。
ホロビからキボウに渡ったそれをオー・ランタンに贈った。
彼は喜びそのお返しをキボウとボウキャクに差し出した。
「これは昔僕が使っていた提灯だよ。何かの役に立ててくれたらうれしい」
提灯を受け取ったキボウとボウキャクはまたここに来ることを約束し別れを惜しむオー・ランタンの森を出た。
彼は自分の名前さえ忘れて尚、この森を守り続けていた。きっと彼ならこの森を素晴らしい場所に変えてくれるとキボウとボウキャクは信じている。
分かれた後のオー・ランタンは未来への希望と期待で胸を躍らせていた。
彼の蕪の光は飛び去るクロノス号からもはっきりと見えていた。
4章 天空の城
ある二国が戦争をしていた。敗戦した国の王は自分の国の呪術師に敵国からの侵略を阻止する方法はないかと尋ねた。呪術師は一つ方法があるが善策ではないと答えた。
王は、逃げられるのであればとその手段を強引に敢行させた。
天空の城――。それが後のこの国の名称となることも知らずに。
歓声が街中に上がっている。
歓喜するもの、泣き崩れる者、天に祈る者。
表現こそ様々であったが、皆が一様に喜んでいる。
この地に降り立ったクロノス号の乗員「フウカ」と「ユウワ」が歓迎されているのだ。
この喜びように違和感を持ちつつも、目的の場所まで何とか歩みを進めた。
大きく、豪華絢爛と言われていたであろうその居城はもはや老朽が進み、城と言うにはあまりにも頼りない姿になり果てていた。
城と言うよりはむしろ墓に近い。巨大な王の墓。
戦争に敗れたこの国は領土ごと鎖で天に吊るして上空に逃げたのだ。
最近その王が亡くなり、この国は衰退する一方だった。
新しい王を探すなどという安易な方法では救えない呪いがかかっていた。
この国は天に吊るされた、地上から遥か上空にある国。
その領土を天に吊るす際、王の命が尽きるまで鎖が役目を果たすという呪術師の言葉は現在如実に表れていた。
鎖は錆び、今にも壊れてしまいそうなほど風化が進んでいた。
おそらくあとひと月も持たない。
国を天に吊るした呪術師と国を支えていた王はもういない。この国の民は他国に救済を求めてはいたのだが、天に在る故助けを求めることさえできなかったのだ。
そんな時に現れたのがフウカ達であった。
彼らは救われると思ったのだろう。
しかし、その考え方自体が彼らをここまで朽ちさせた根源的な理由であると気づいていない。
他国との交流を避け、文明を発展させることもせず、只々救済のみを願い、待ち続けた。
この日が来ることはこの地に住む皆がわかっていたはずだ。
外の世界を知ろうとしなかった彼らは自分たちが今どこにいるのかさえ知ることはなかったのだ。
資源が限られたこの国では窃盗等の犯罪が多発する事態が後を絶たなかった。
やがてその貧しさからこの地に住まうものが求めたのは戦争による支配であった。
かつて共に戦い、生活を共にした仲間は今では敵となった。
手に入らなければ力づくで奪おうとする。ゼロからイチを作ろうとする思考はこの国の住民には最早なかった。
元々限られた資源を奪い合う生活。その生活もジリ貧になるのは目に見えていた。
変わらないものはない。人も物も良くも悪くもなってしまう。時間の上で生きるというのはつまりはそういうことなのだ。
その変化に適応できるかどうかでその先の未来は決まるのだろう。変化のないものなどおそらく誰も見たことがない。だからこそ備えなければならない。
いつか来るはずの変化に。
これはそのきっかけとして渡した物。
オー・ランタンの提灯。オー・ランタンが生き続ける限り消えることのない灯が今も赤々と玉座を照らしていた。
「これは…」
受け取った王の側近が珍しそうに提灯を見つめる。
消えないという点を除けば別段珍しくもない至って普通の火。
しかし、消えないということが重要だった。
それを見た途端、王の側近はすぐさま町の発明家のところに提灯を持って行った。
以前からこの空中の領土から脱出するためにある発明品の構想を練っていたというのだが、それを完成させるには技術と資源が圧倒的に足りなかった。
しかし、オー・ランタンの提灯があれば技術が完成させられると言う。
彼らはようやく自立するときを迎えたのだ。
科学技術もなく文明の発展もほとんどない彼らの発明とは。
「熱によって膨張させた空気を溜めて空を飛ばす乗り物」
と彼らは言う。つまり気球のことだ。
あらゆる発明や技術において最も早く取り入れる方法の一つに強奪という方法がある。しかし彼らには奪う相手がいない。そして技術の交換という手段さえも持ち合わせていない。
極めて原始的な立場にあるこの国に他国の情報は存在しないのだ。
彼らの技術の完成が先か、国を支える鎖が朽ちるのが先か。
限られた時間でこの国は自らの力で立ち上がることを決意した。
時間は止まることがない。それは良くも悪くも捉えることが出来るが、一秒でも多く時間がほしい彼らには無情な現実であった。
鎖の綻びは悪化しとうとう砕け始めた。
領土にひびが入り地を揺らす。砕けた地面は瓦解し落下してゆく。かつて国と呼んだものは今やもはや岩と土の塊となってあるべき地に還ってゆく。
地を吊るしていた鎖は消えた。王の居城も崩壊した。
残ったのは彼ら国民が自らの意志と努力で作り上げた幾多の気球だけであった。
彼らは国民全員を地に下ろすことが出来るだけの数の気球を見事完成させたのだ。
しかし、彼らに帰るべき国はなく、友もいない。しかし時間がもたらすものは風化だけではなかった。
彼らが見下ろした地は彼らが吊るされたときに見た地上の風景とは全くの別物だった。
文明の発展と技術の向上により機械化が進み、世界は一変していた。
外界との関りを一切持たなかったというのはつまりはこういうこと。
自分たちの立ち位置さえ理解できないということなのだ。
あれから。
あの戦争で空に逃げてから約二百年が経っていた。
その年月は戦争による隔絶をも融和させていた。
彼らが地に降りてから隣接する国の者たちが救援に駆け付けた。
時間は国同士の争いの関係性を修復し最早境界は無くなっていた。
風化によってもたらされた融和という結果は彼らの予想の斜め上の結果ではあったが、彼らの心には争いの精神はなくこれからは手を取り合って生活していくことであろう。それは同時に様々なものを見て、触れて、経験することで遅れていた彼らの時間も再び世界の基準と融和していく。
フウカ達はその結果を確かに見届けた。この結果が正しいかは誰にもわからないことではあるが、しかしかれらは笑っていた。それだけで今は十分なのだろう。
「ありがとうございます。あなた方のおかげで我々は救われました。これはほんの気持ちです。お受け取り下さい。」
渡されたのは虹色に輝く小さな斧だった。
「鎖を天につないだ呪術師が王に託したものです。地上に戻りたくなったらこれで鎖を断ち切れと仰っていました。しかし、我々はこの地上に来ることを恐れていた。それは我々が無知であったからです。世界は変わり外の世界を知ろうとしなかった。あの呪術師はそれを我々に知らせようとしたのかもしれません。この地は思っているほど悪いものではないと」
その斧を受け取り、フウカとユウワは別れを告げてこの地を去った。
クロノス号に戻ると、彼らのように二人を出迎えてくれる船員が居る。
つながりとは目に見えているものだけではなく、縛るということでもないのだ。
次回、信仰の渓谷