11. これが稽古?(1)
細かな砂利が敷き詰められた広大な敷地内の奥に、受け継いで十四、五年になるというその道場はあった。母屋で半分隠れていた先ほどの建物だ。横幅のサイズもさることながら思いのほか天井が高そうなことにまず驚く。
ようやく眼前に晒された全貌を洋海と共にポカンと見渡していると、ちょうど七、八人の道着姿の少年たちが出てきた。
背の高さは様々だが皆小学生くらいだろうか。各々背中に竹刀と防具袋を担いでいる。
柾貴の姿を目に留め走り寄って来ると、「ありがとうございましたっ、失礼しますっ」と礼儀正しく大きな声で挨拶し、哲哉たちにまで端正なお辞儀をしてから再び元気に駆けていく。
「鍛練に通って来ている近所の子等だ」
溌剌と門をくぐって出ていく背筋のピンと伸びた姿を何とはなしに見ていると、共に目で追っていた柾貴が語りかけてきた。
「ごく稀にだが……短時間だけ、せがまれて睦月が指導することもある。もちろん親御さんには内緒という約束でね。さ、どうぞ入りなさい」
「――」
優しく誘われ生まれて初めて足を踏み入れた道場は、静けさとまぶしさに満ちていた。
艶やかな板張りの床に明るい白木の壁。後方隅に据えられた壁掛け用刀架には竹刀や木刀など十数本が整然と収められている。
漂う雰囲気が――流れる空気の澄みようが、もう外界とは違っていた。
神聖な場とはこんな所を言うのかもしれない。
場違いであるはずの自分さえ――だからこそ、というべきか――身の引き締まる思いがした。
ここで睦月も修練に明け暮れたりしているのだろうか。
壁に掛けられた竹刀や木刀を眺めながら想像してみる。
稀にだろうと指導に回ることもあるということは……おそらく実力は相当なもの……。
ただただ驚きだが。
どこが体が弱いって?詐欺め!と叫びたいくらいだが。
とすると、やはりあれは稽古でついた傷跡や痣ということになるのだろう。
それなら別に――正当な理由あってのあの痣ならば、まず問題ないのでは?と思う。
まあ、いささかやり過ぎな感はあるが、何か素人の自分にはわからない修練方法でもあるのかもしれない。
(でもそしたら、これから何を見せようってんだ?)
素直な疑問が残り、思わず先を征く柾貴の背中に目線を向ける。
この期に及んでまだ虐待を疑って騒ぎ立てるような、融通の利かない無理解な人種に見られたのだろうか? 本当に警察に駆け込みそうな剣幕だったとか?
(普通の稽古だぞーってアピールしたいだけ? 性別のこともあるし、変に詮索されたくないから用心を……ってトコなんかな?)
あえて何を語ろうと――示そうとしているのか、その穏やかな横顔からは杳として窺い知ることはできなかった。
言われるままに洋海と二人、入口側の隅に陣取って睦月を待つ。
精神統一でもしているのか目を閉じて中央に座したまま柾貴は動かない。
声を掛けるのも憚られるような気がして、なんとなく室内をぐるりと見渡した。
あらためて見ると、母屋や門塀と違ってこの道場にはそれほど年代的な劣化は感じられない。柾貴の代になってから建て直しでもしたのかもしれない。
そして外で感じたとおり、天井はやはり高かった。
(ああ、なるほど。確かに振り上げる竹刀の分、上に余裕あったほうがいいんだろうな。……けど、それにしたって高すぎねえ?)
納得しこっそりうなずいてはみたものの、すぐさま首を傾げ広い空間を有する天井をひと睨みする。
――と。
父親と同様、濃紺の道着と袴を纏った睦月が入って来た。
隅に並んで正座する自分たちをちらりと視界に入れてから、正面に一礼。そのまま奥の刀壁架へと歩を進める。
「いや」
壁に掛かった竹刀に手を伸ばす睦月に、柾貴が短く否定の意を告げた。
ではすぐ隣の木刀かと目線で問う我が子に、それも違うとばかりに頭を振る。
怪訝そうに父親を見るも、その意思の固さを知ってか複雑そのものの面持ちで、睦月は壁の一部を外して中から何かを取り出した。
そうして柾貴のもとへと向かうその手に携えていたのは――――黒光りする二振りの刀。
(って、え……刀!? ホンモノ?!)
「う、うそっ。剣道じゃないの?」
「……そうみてーだな」
同じようにビビったらしい洋海が小声で耳打ちしてくるが、当然「聞くな俺もわからん」状態だ。
先ほどの小学生たちは確かに竹刀と防具らしきもの一式を持っていたし、少なくとも自分が知ってる剣道――説明できるほど詳しくはないが――はこんなものじゃない。
竹刀持って健全に打ち合うのかと思いきや、防具も何も着けずに…………しかも手にしてるモノが激しく間違っている!
(恐ろしく黒光りしてるけど実は当たっても痛くないゴムとか? ……んなワケあるかいっ!)
笑えない一人ボケツッコミを軽く悔いている間に、目の前では、差し出された一振りを当たり前のように柾貴が受け取っていた。
「もしかして……居合、とかかな……」
すぐ横で自信なさげに洋海。
「なんだそれ?」
「鞘に入ったままの刀持ってるトコから始まって……えと、鞘から刀を引き抜いた瞬間、そのまま相手に一撃食らわせる……みたいな感じだったと思う。でも実際斬り合ったりするわけじゃないし、危なくないように模擬刀使うか刃も潰してある場合もあるって……確か」
今がその場合かどうかは不明だが、たどたどしい洋海の解説に何だそれなら……とわずかに胸を撫で下ろしていると、立合い準備のできたらしい親子が慣れた手つきですらりと抜刀していた。
「……ぬ、抜いてんぞ?」
「……」
落ち着いた所作で切っ先を正面に構えながらも、心なしか強張った表情の睦月。
真っ直ぐ見据える柾貴の表情から、穏やかな笑みが消えた。
「では、いつもどおりに」
自らも悠然と構えると同時に、静かに放ったその声が合図となった――――。
ダンッ、と強く踏み込む音がしたと思ったら、睦月が渾身の力で父親に斬りかかっていた。
「ええっ!?」
「ひぇっ!」
耳をつんざく金属音が響くかと思われたが、一撃を受け止めずに難なく躱した柾貴がすかさず剣を返し大きく斬りつける。すんでのところで逃れ跳躍して後ずさる睦月に、だが刃はピタリと追い打ちをかけさらなる一撃を与えようと迫る。
速すぎて表情なんて見えない。
ただ一振り毎に唸る空気が、止むことのない激しい攻防と荒い息遣いが、彼らが如何に本気であるかを物語っていた。
右へ左へ器用に避けながらもやや圧され気味だった睦月が、再び体勢を立て直し一気に懐に入り込むも、まるで動じない父親はいとも簡単にその攻撃を阻み、また容赦無く追撃に出る。
それらすべてが――信じられないほどのスピードで現実に、進行形で繰り広げられていた。
最初の一声以降驚きで壁に張り付いたままだった哲哉が、茫然と口を開く。
「…………き、斬り合ってんぞ? 念のため聞くけどコレが居合ってんじゃねーよな……?」
「……」
すでに声も出ないらしく、同じポーズで洋海が目を見開いたままコクコクとうなずく。
(……当たってねーだけで、こいつらまともに……)
ぞわりと身震いがした。
ただの稽古なら、と思った自分がとんでもない阿呆に思えてくる。
そんな生易しいものではない。どういったらいいのかわからない。こんなに激しい――――それこそ命懸けの……この稽古を。
「で、でも……すごい。カッコいい……」
カタカタ震えながらもぽーっと両頬を押さえて洋海。
「え? だから、あいつ女だって――」
「何言ってんの? お父さんのほうに決まってんじゃない……!」
そうだった、こいつは渋好み……と割とどうでもいい情報を思い出し、哲哉はゲンナリ唸る。
そこらの時代劇俳優以上に渋くイケてる中年が目の前で殺陣、とくればまあ無理もない。
そうしている間にもひっきりなしに空を切る音が響き、両者の立ち位置は目まぐるしく入れ替わっていく。
(けど……なんだこれ……? 人間ってこんな速く動けんのかよ……)
思わず息を呑み、ガンっという床から伝わる衝撃に身を縮こまらせた瞬間。
視線の先から睦月の姿が消えていた。
と思いきや、柾貴の真上に跳び上がって回避していたのだ。一瞬のうちに。考えられないほど高く。
しかしそんな跳躍からの攻撃さえ読まれていたかのように柾貴に難なく躱され、容赦なく薙ぎ払われていた。
体勢を崩しながらもなんとか身を捻って着地すると同時に、すでにまた深く鋭く斬り込んでいる――。
(……よく、これを虚弱だなんて――)
簡単に欺かれていたことを空恐ろしくさえ感じた。
身体中総毛立っているのがわかる。
固く拳を握りしめ、目を瞠らずにはいられない。
身体が弱い、どころか――――これは……この動きはなんだ?
時代劇の殺陣さながらの――いや目の前で繰り広げられているコレに比べたらあれはスローモーションだ――目で追うのが本当にギリギリな親子の攻防に、哲哉はいつの間にか瞬きも忘れて見入ってしまっていた。
速く
強く
そして何て……
瞳だけでなくその全身に、鋭さと激しさ、そしてまぶしさを秘めた少女。
気付いたら、目を逸らすことなんてできなくなっていた。
追ってきてくださってる方々、ありがとうございます!
この番外編、あと2~3話で終わりの予定です。




