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懐かしき姿

 


(きっとこれ、峰岸卓人効果だ)



 今は授業と授業の間にあるちょっとした休み時間であるが、紗矢は自分の席にじっと腰を下ろしたまま、動けなかった。



(……もう、イヤ)



 周囲を見ないように俯き、膝の上で拳を握りしめ、早く授業が始まることを願った。



「どうしたの? 気分悪い?」

「あ、ううん。大丈夫。何でもないから」



 慌てて顔を上げれば、前席の子が心配げに自分を見つめていた。



「そう? だったら良いけど。私、尾島京香(おじま きょうか)……えーっと、片月紗矢ちゃんだったよね?」

「うん。よろしくね、尾島さん」



 肩ほどの長さの髪は、ふわふわと緩やかなウェーブがかかっている。柔らかく笑う彼女にとても良く似合っていた。



「京香でいいよ……あっ、また来てる」

「え? あ……うっ」



 予告なく、京香の大きな瞳がきらりと輝き、紗矢はついその視線の先へと目を向けてしまった。

 すぐに後悔する。通りすがりに教室の戸口から中を覗き込んだ数人の女子と目が合ってしまったからだ。

 痛みを伴う鋭い視線が突き刺さり、紗矢は短い悲鳴を上げながら再び顔を伏せた。



「あの子たち、大好きな卓人君を取られたような気持ちになってるんだろうけど……だからって、文句がちな顔で廊下をうろうろされると、端から見てるこっちも、いい気しないなぁ」



 白けたような目つきで遠くを見つめながら、京子は囁くように自分の意見を述べた。



「ねぇ、いつから卓人君と付き合ってたの?」

「えっ!?」

「今朝、卓人君と紗矢ちゃん、校門前で抱き合ってたじゃん。見てるこっちまで、仲の良さが伝わってきたよ」

「ちょ、ちょっと待って。あのね、それは――」

「あんな仲の良さを見せつけられたら、私だったら、もう太刀打ち出来ないなって思うよ。だったらね、卓人君だけに拘らないで、他に目を向けた方が良いかな」



 口を挟む隙も無く、紗矢はただ口をパクパクとさせた。



「この学校格好いい人いっぱいいるんだし、新しい恋だってすぐに出来るかもしれないじゃない?」



 京子は一番後ろの席で本を読んでいる男子生徒をちらりと見て、声を潜めた。



「例えば、珪介君とか。格好いいよねー。めちゃくちゃ優しいし」

「こら!」



 夢心地のような表情を浮かべていた京子の頭部に、拳が落ちてきた。



「彼氏のいる傍で、他の男が格好いいとか言うんじゃない」

「ごめん」



 京子の隣に座っていた男の子が、納得のいかない表情を浮かべていた。



「私は憲二(けんじ)くんが一番だよ」

「まったく」



 憲二という男子生徒が、京子の額を指先でつんっと押せば、京子は恥ずかしそうにえへへと笑った。

 漂ってくる幸せオーラに、紗矢は瞬きをくり返す。



「もしかして……付き合ってるの?」



 問いかければ、目の前の席に座っている二人組が、身を寄せ合いにこりと笑みを浮かべた。付き合っているようだ。



「こいつね、今はこんな風に分かったようなコト言ってるけど、小学生の頃は珪介にどっぷりはまってて、見てるこっちが引くような感じだったんだぜ」

「えー? そんなことないよ。好きっていうか、憧れっていうか、そんな感じだったような気がする……ほら珪介君、格好いいし頭良いし運動も出来るし」

「そんなことないは、こっちの台詞だよ。だって――……」



 中途半端に開いていた窓から風が吹き込んでくる。

 紗矢はその冷たさを感じながら、二人の会話にぼんやりと耳を傾けた。


 小学校低学年の頃の珪介――……それは自分も知っている。初めて会ったときが、ちょうどそのくらいの年齢だったからだ。

 でも、どんな学校生活を、どんな生活を送っていたのかは知らない。

 紗矢は彼に対し、疲れ切っている綺麗な少年という印象だけをずっと持ち続けてきたのだ。



「珪介君!」



 教室前方の扉から、若葉が慌てた様子で入ってきた。そして紗矢を避けるように、珪介の元へ進んでいく。



「あの子、珪介君狙ってるよね。始業式の日も、ベタベタしてた……あ、見て! 手繋ごうとしてる」



 京子に軽く腕を叩かれ、紗矢は肩越しに後ろを見た。

 迎えるように立ち上がった珪介へ、何かを話しかけながら若葉が手を伸ばせば、彼は小さく頷きながら腕を掴んだ。

 思わず紗矢は瞳を凝らす。若葉の手首に、真っ赤な石のブレスレットがあるのが見えたからだ。



(……若葉、あんなの持ってなかった。買ったのかな)



 予想を立ててみたものの、心の奥底で「きっと違う」と否定する自分がいた。ブレスレットに珪介が触れた途端、赤色が濃さを増したからだ。



(真っ赤……赤。ランスの色。越河君……灰色の鳥。峰岸君の色?)



 心臓が鈍い痛みと共に脈打った。

 腕に付けっぱなしだった灰色のブレスレットを確認すれば、それが熱を放ったような気がした。

 京子と憲二がふふっと笑う。



「やだぁ、何? 手首見たから、時計でもしてるのかなって思っちゃったじゃない」

「ブレスレットがちょっと」

「え?……何にもないじゃん!」

「違うよ。あれだろ? 今朝の番組でやってたコント! アレ面白かったよな」



 二人の視線が自分の手首に向けられている。

 そこにはしっかりと灰色の石のブレスレットがあるのに、彼らから出てくる言葉はそのことを否定するものだった。



(見えていないの?)



 気持ち悪さが急速に込み上げてくる。紗矢は付けていたブレスレットを慌てて外し、自分から離すように机の上へ置いた。


 薄ら寒さにブルリと身を震わせれば、年老いた担任の先生が教室に入ってきた。

 所々で「まだチャイム鳴ってませんよ」と生徒の声が上がる。

 困ったように表情を先生が浮かべれば、まるで助け船を出したかのように軽やかなベルの音がスピーカーから流れ出した。



「はい。今、鳴りました。みんな席について」



 先生の細い目が紗矢の方に向けられれば、憲二と京子は慌てて前を向き姿勢を正した。

 穏やかな先生の視線は紗矢を通り過ぎ、そのまま後ろへと進んでいく。



「授業始まります。自分のクラスに戻ってください」



 きっと若葉のことだろう。

 そう見当をつければつい振り返りたくもなるが、込み上げてくる衝動を抑えつけるように、紗矢は京子の後頭部に視線を注いだ。



「また何かあったら、来て」

「うん。有り難う、珪介君」



 二人の声が微かに聞こえた。次いで、足音が廊下に向かっていく。


 若葉は高校になってからの友人だ。だから友達歴としては一年程度である。けれど、濃厚な一年を共に過ごしてきた……はずだった。

 友情とは、こんなにも脆いものなのだろうか。

 彼女の態度の理由が分からないから、尚更そう感じてしまう。離れていく足音が若葉の心そのものに思え、紗矢は唇を引き結んだ。

 始業式の日にもらった彼女のメール文は普通だった。違えてしまったのはいつからなのか。



「……今朝?」



 紗矢は言葉にして、眉根を寄せた。

 ランスのような鳥を見たのも、迷子になったあの日以来だ。峰岸卓人にあそこまで強引な態度を取られたことも、今日が始めてだ。

 机の上に置きっ放しの灰色の輪をじっと見つめた。



(灰色……待って、あの時)



 机の脇にかけてあった鞄を掴み取り、中からビロード生地の小さな袋を取りだした。自分の部屋で起きた現象を思い出したのだ。


 ごくりと唾を飲み込んでから、中からそっと一欠片摘まみ出す。

 じっと見つめれば、真っ白な石が陰りを帯びるように薄い灰色に染まり、ボロリと崩れ落ちた。

 一瞬染め上げた色は、机の上にある色と同じだった。まるで灰色の力に影響を受け、割れてしまったかのようだ。



(灰色の力が峰岸卓人の力なのなら、真っ白な力は……お祖母ちゃん? ここに、お祖母ちゃんの力が残ってるっていうの?)



 更に細かく割れてしまった真っ白な石たちをかき集め、震える指先で袋の中に戻すと、紗矢は抱き締めるように小袋を胸元に押しつけた。



(力とかそんなことよく分からない……でもきっと、ここに想いは残ってると思う)



 窓から風が吹き込み、配ろうとしていたプリントが先生の手から離れ舞い上がった。

 紙の舞い踊る音が響く中、先生は慌てた様子でプリントを拾い始める。


 窓際に座っていた紗矢は、小袋を握りしめたまま、窓を閉めるべく立ち上がった。窓を閉めながら校庭に目を向け、紗矢は息をのんだ。

 樫の木の傍に、菫色の和服を身に纏った老齢の女性が立っていたのだ。こちらを見上げるその姿は、とても懐かしいものだった。



「……お祖母ちゃん」



 凛とした表情は、間違いなく祖母のマツノである。

 もちろん彼女は一年も前に亡くなっている。それは紗矢もしっかり受け止めている。

 時折現れる黒い影が、身体の一部を覆い隠しても、祖母は動じることもそこに立っている。生身の人間ではないこともすぐに判断出来た。


 これまでも影らしきものが蠢いているのを見たことはあった。けれど、あんなにはっきりと人の姿をなしているものを目にするのは初めてである。

 しかし身内だからだろうか。不思議と「怖い」という気持ちは沸き起こらなかった。



(私が困っている時、いつもお祖母ちゃんは気がついてくれて、言葉で手助けをしてくれた……もしかしたら、今も)



「片月さん、窓を閉めてくれて有り難う。席に着いてくれますか」



 教室に視線を戻せば、プリントを回収し終えた先生が着席を促すような表情を浮かべている。

 もう一度校庭を見れば、祖母がすっと動き出した。体を揺らすことなく、まるで水に流されていくかのように、テニスコートへと進んでいく。



「……い、イタタタ……先生! お腹が痛いので、保健室に行ってきます」

「え? あ、はい。そうですか。一人で大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」



 どうしても、行動に移さずにはいられなかった。

 紗矢は腹部を抑え、顔を歪めながら、重々しい足取りで教室を抜け出したのだった。








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