No.117 感謝
「あと少しで流れを掴めたのに…」
亮がベンチに座るなり、そう呟いた。その言葉に、薫はタオルで汗を拭きながら答える。
「選手全員が自分たちで考え、それぞれ試合の流れを見ているな。さすがは城清だ。監督も今のところ、ほとんど指示を出していない」
朱雀高校のベンチが静まり返る。第一ピリオドはまったく朱雀らしい戦いをさせてもらえなかった。きっと、これまで城清に敗れ去ってきたチームのほとんどが、試合の最初から最後までこのような感じだったのだろう。
「これから俺たちがやることの確認だ」
部員全員が薫に注目した。
「メンバーはこのままで行く。博司、純也はゾーン相手にリバウンドを拾うのは大変かもしれないが、流れを掴むには絶対に大切なことだ。頑張ってくれ」
「おう」
「ふぁい!」
薫は他の2人を見つめ、更に続けた。
「上はとにかく切り込むことだ。ボールを下に落とせば中が空く時が必ず来る。チャンスだと思ったらどんどん行ってくれ。」
「ああ…」
「はい!」
永瀬と亮が返事を返す。それと同時に第二ピリオド開始の笛が鳴り響いた。両チームの選手たちがベンチから立ち上がりコートの中へと歩み寄る。そのとき、薫が前を向きながら隣にいた亮に呟いた。
「チャンスは作り出すものだ。」
「!?」
そう言って薫は亮から離れて行ってしまった。亮は一瞬固まってしまったが、薫の言葉を理解し、やがて我に返る。
第二ピリオドも博司と大蔵のジャンプボールにより試合が始まった。
審判の手から天井に向かってボールが放たれる。勢いをなくしたボールは、やがて重力により地面に向かってゆく。
しかし、それが地面に着くことは無い。
パシッ!
『うおぉお!』
『互角か!?』
観客が息をのむ。
博司と大蔵の指先が、ほぼ同時にボールをとらえた。方向の定まっていないボールがセンターサークルの外へと、とび出した。
「っしゃあ!」
そのボールを純也が拾い上げる。その様子を見た城清のメンバーはすぐに見方コートに戻り、ゾーンを組む。
(薫さんがさっき言っていた言葉…最初は理解できなかったが…)
亮が純也からボールを貰い、ドリブルをして辺りを見渡した。
(このゾーンの目的はパスとドリブルのコースを無くすこと。つまり俺に仕事をさせないって訳だ)
ドリブルを始めた亮に、石塚による厳しいチェックが入る。
(おもしれぇ!こんな状況で燃えないガードがいるかよっ!)
亮が相手の目を見てドリブルをして、左方向から突破を試みる。
亮は石塚の右足がわずかに動いたのを見逃さなかった。
そして亮は、クロスオーバーでボールを右手に切り替えた。
「!?」
一気に姿勢を落とす。
(コイツ…どんだけ低いんだよっ!)
石塚が慌てて上体を戻すが、亮が右側から一瞬で抜き去った。
切り込んですぐにカバーが入る。亮はノールックで0度のスリーポイントライン付近に居た薫にパスを出した。
それを読んでいた、とばかりに泰助がすぐさまディフェンスを開始する。
「はっはっは! 残念だ――」
泰助がセリフを言い終わる前に、薫がディフェンスの左肩スレスレにパスを出した。
ボールは勇希の手に渡った。そのままドリブルで中に切り込んでシュートを決めた。
『ワァァァ!』
これで15対20の五点差となった。城清がエンドラインからボールを出し、再びゲームが再開される。
「すまん」
石塚が申し訳なさそうに近江に言った。
「いえいえ、次に切り替えましょう。でも一線はなるべく気をつけてくださいね」
「わかった」
近江の言うとおり、このゾーンの攻略の鍵は、マンツーをしているディフェンスを、オフェンスが抜きさり、中に切り込むこと、なのだ。一線を抑えるか抑えられないかでだいぶ結果が変わってくる。
「ここで勢いづかせなければ大丈夫です」
そして近江がドリブルでボールを運ぶ。
「さっきの借り、かえしますよ」
亮が近江にディフェンスをする。近江は特に言葉には反応しなかった。
(あの石塚君が追いつけないスピードとは…これで1年生ですか…。あの6番といい、この8番といい…)
パスがいくつか回り、徐々に時間が過ぎてゆく。そして再び、ボールが近江の手に渡った。
「本当に感謝しますよ…」
近江がドリブルをしながら、いつものクセで特にずれていないメガネを触る。
――もう1年、早く生まれなかったことをね…!
近江が突然ボールをリングに向かってシュートをした。
「なっ!?」
その様子をみた亮が驚きの顔を見せた。
(シュート…? にしては弾道が緩くない…。それに打点が低すぎる…まさか…!?)
そのボールを空中で大蔵がキャッチした。
「博司っ!」
亮が振り返り、叫んだときにはすでに遅かった。
ドォォォンッ!
リングが叩きつけられ、激しい音が周囲に鳴り響く。
大蔵がそのままボールをリングにねじ込んでいたのだった。
『うおぉぉおお!』
歓声が一気に沸いた。
「今年の城清は少し違いますよ」
近江が亮に向かってそう言い、ディフェンスに戻った。