No.111 ほぇ?
『すまなかった! この通りだ!』
沖さんが純也達に向かって頭を下げた。純也が遠慮するように言った。
「い、いや…沖さんは悪くねぇよ」
「本当にすまない。こんなヤツでも大切な弟なんだ。昔から母子家庭だったもんだから、弟の事になるとついつい…」
沖さんは昔、純也に別れの言葉を告げるときに意味深なことを言っていた。どうやら今のセリフも関係ありそうだ。
「しかし、兄ちゃんに頼むなよ。呆れるぜ」
京介が呆れた様子で言った。
『兄さん…ヤのつく人だから…』
その言葉に空気が凍った。沖さんが弟の頭を叩く。
「アホかお前は。確かに知り合いにそっちのヤツはいるけど、俺はそんなんじゃねぇよ」
『だって事務所出入りしてた――』
「知り合いがいるからだアホが!」
ゲンコツをいれる。どうやらこの弟の勘違いだったらしい。
そしてその後も沖さんの丁寧な謝罪が続き、やっと落ち着いたようだった。
「へぇ…高校でバスケやってんのか。時間が空いたら見に行くぜ。なにぃ!? カズもやってるだぁ!?」
このような会話が少しの間続いた。そして――。
「じゃあな。帰って弟の面倒を見るわ」
『まじかよ…』
弟の顔が青ざめる。昔、沖さんがキレてる現場を見たときのある純也はかなり同情していた。
そしてケルベロスと名乗っていた集団は沖さんによって強制的に解散させられた。なんとも情けない話である。これを見ていた京介もさすがに笑いしか起きなかったらしかった。
沖さんは最後まで純也達に頭を下げていた。
自分はあまり関係無いのに、そんな姿を見せられたら皆が許してやるのも無理はなかった。
そして純也が思い出したように叫んだ。
「やっべ! 鍋!」
「亮君に連絡しといた方がいいよ。まだ探しまわってるかも」
優が純也にそう言った。そしてすぐに純也、久留美の二人は学校に向かった。京介は眠いから帰る、とのことらしい。
「優、疲れたからバイクで送ってくれ」
「わかった」
優はそう言うと京介を後ろに乗せた。
「二人もよかったら打ち上げに来いよ」
純也の言葉に笑顔で返事をした。
「眠みぃからパスだわ。わりぃ」
「わかった。京介を送ったら向かうよ」
そう言ってバイクを走らせた。
残された純也と久留美の二人は学校への道を歩いていた。
「ジュン…大丈夫?」
久留美が心配そうに言った。
「あぁ、全く無傷だ。昔から頑丈なんだよ」
腫れてはいるが、特に骨などに異常は無いようだ。その場でピョンピョン跳ねたりしている。そして久留美の方を向き、話し掛けた。
「それより…お前こそ大丈夫か?」
「うん、平気だよ」
久留美が笑顔を見せる。何か複雑な表情をしていた。
「私ね……ジュンが頭を下げたとき、いけないこと考えちゃってた…」
「ん?」
「もうね…頭なんか…下げなくてもいいからぶっとばしちゃえ〜……って」
久留美が立ち止まる。純也は後ろを振り返った。
「本当……ダメだよね…ジュンがバスケ部のために頭を下げてたのに……私は……」
やがて久留美の目からは涙が溢れる。
「私は……部…の事…なんて頭の中から消えて……自分はどうなってもいいから……そう叫ぼうとしてた…マネージャー失格だね……あはは」
立ち止まる久留美に、純也が肩に手を置いた。
「部のため? いやいや久留美さん」
久留美が顔を上げる。
そこにはいつもの自信に満ち溢れた顔をしている純也が居た。
「俺のためだ! あんなキッツイ練習が無駄になると馬鹿みたいだからな! はっはっは」
そして、恥ずかしそうな様子でさりげなく言った。
「や、約束だしな。ほら、これ落ちてたぞ。お前のじゃねぇの?」
純也から一枚のカードが差し出される。
古いメガトラマンのカード。
雨の日に久留美が純也にもらったカード。
水を吸って角がしわしわになっていた。久留美は笑顔でそのカードを受け取った。
「もう…忘れてるかと思ってた」
涙を指で拭きながら久留美がそう言った。
「さっき土下座してるときにたまたま目の前にあって思い出したんだよ!」
その様子を見て久留美が笑った。
久留美には、純也の嘘はすぐに分かる。
「ありがとう…」
「お、おう。なんか予定と比べて随分とカッコわりぃ助け方になったけどな」
「ううん」
久留美が目に手を当てて顔を横に振った。
***
お母さんが亡くなった日
雨が沢山降っていた日
あのときからジュンはわたしのヒーローだったよ。
今日もありがとう。
ありがとう。私の――。
――――――
――――
――
***
純也達が学校に帰ると、すでに準備が整っていた。 優が京介を送った後にすぐに材料を買いに言ってくれたらしい。
純也の顔を見て驚いた薫だったが、久留美の必死の事情説明により理解してくれたようだ。
亮も置いてきぼりにされた文句の一つでも言ってやろうかと純也を待ち構えていたのだが、予想外の純也の姿に、
「や、やっぱ糸コンにしたわ。ごめん」
としか言えなかった。そしてまたいつもの喧嘩が始まる。
合宿の打ち上げ、ということもありみんな大騒ぎだった。
恐怖で震えていた純麗さんも久留美を見て安心したようで、すぐに笑顔になった。そして、打ち上げの間中ずっと久留美をぬいぐるみのように、手離すことは無かった。
こうして短い合宿が終了した。
明後日からは厳しい戦いになることだろう。
騒ぎながらも、どこか気合いの入った顔をしている部員達だった。
――――――
――――
――
「よし、じゃあなーおやすみ」
「あ、うん」
家の前で挨拶を交す。何やら言いたげな顔をしている久留美がいた。
「怖くて眠れないのか? 一緒に寝てやろうか?」
純也が冗談混じりに言った。
久留美が顔を下げて純也の目の前に立った。そして、笑みを浮かべながら、
「いいんですかぁ〜?」
と、挑発するように言った。
「じ、冗談――」
純也が言葉を返そうとした瞬間。
頬に何か温かな、そして柔らかな感触。
久留美はそのまま顔を離し、微笑みながら純也に言った。
「じゃあね。今日はありがとう。ちゃんと風邪ひかないようにしなさいよ」
いつもの久留美がいた。そして純也に背を向けるとそのまま自宅の中に入って行った。
残された純也はボーッとしていた。少ししてから、ようやく一言――。
「ほぇ?」