No.101 姉さん
「今日のところはこれまでにしよう。飯の後は自由時間だ。各自十時までには風呂に入るように。明日は朝六時に体育館集合だ」
『オッス!』
ミーティングの最後に薫がこれからの日程を説明した。
「では、お疲れ様でした!」
『おつかれさんっしたっ!』
挨拶が終わると同時に部員達は家庭科室に急いだ。先頭はしっかりと純也がキープしている。
それを見て薫が叫んだ。
「ちゃんと手洗いとうがいをしろよー!」
『わかってますってー』
『はーい』
『どけどけぇぇ!』
やがて部員たちの姿が見えなくなる。薫と永瀬と小田原君だけが体育館に残る。
静まり帰った体育館で、薫が口を開いた。
「さて、俺たちも行こう」
「まるで子守りだな」
「元気の良い後輩だよね。はは」
永瀬と小田原がそう言うと、薫と並び家庭科室に向かったのだった。
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「あっ、純也テメー肉ばっか取んじゃねぇ!」
「るせぇ! 俺が買った肉だ! 文句あんのかコラァ!」
予想通りと言うか何と言うか…。純也と亮による、カレーの具の取り合いが行われていた。
他の部員達は気にもせず、冷静に他に用意されてある鍋から皿に盛っていく。
そして喧嘩している二人以外の準備が整い、薫は手をあわせて言った。
「いただきます」
『いただきまーす!』
「ちょっと! まだ俺盛ってねぇって!」
「てめぇのせいだ純也!」
「お前らを待っているとカレーが冷める」
薫がカレーを食べながら冷静にいい放つ。それを見た純麗は皿にご飯を盛り、カレーをかけ、
「はいはい、おかわりは沢山あるから冷めないうちに食べてね〜」
と、言った。
『は〜い』
すぐに二人の言葉がシンクロする。
「夫婦とやんちゃ兄弟だな」
永瀬はそう呟くと静かにカレーを口に含んだ。
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夕食が終わり、部員達はそれぞれ自由時間となった。
純麗、久留美の二人は、家庭科室で夕食の後片付けをしていた。そこへキャプテンの薫が姿を現す。
「手伝うよ」
「え…でも、薫ちゃん疲れてるだろうし大丈夫よ」
純麗がそう言ったが薫は黙って鍋を洗い始めた。
「いや、ここまで来たらそんなに激しい練習はしないからな」
「じゃあ甘えちゃおうかな」
純麗は笑いながらそう言うと止めていた作業を再び開始する。
少しの間、無言の粗いものが続いた。やがて純麗が作業をしながら口を開いた。
「凄いね〜。入部した頃は色々と不安だったけど、もうベスト8だよ。学校でも少しだけ話題になってるみたい」
「…そうだな」
薫は軽く返事をした。彼にとって目標はただ一つ『優勝』。純麗もそれが分かっているらしく、すぐに続けた。
「薫ちゃんは凄いよ。どんどん上に行っちゃうね…。なんか少しだけ寂しいな…」
「え?」
薫の作業していた手が止まった。
「じゃあ私、食器置いて来ますね」
久留美が空気を読んだのか、笑顔でそう言うと食器を持って家庭準備室に消えた。
「あは、気を使わせちゃったかしら」
「どうかしたのか?」
先程の純麗の横顔が寂しげに見えたのか、薫はそう問掛けていた。
「ううん。なんでもないよ」
「そうか」
純麗は言いたかった言葉を直前で飲み込んだ。薫はそのことについては深く聞いたりはしなかった。純麗がニッコリ笑って薫に言った。
「後の三試合頑張ってね。決勝にはきっと五十嵐君が待ってる」
「拓摩か…それは楽しみだ」
薫の表情が一気に明るくなった。それを見て純麗がまた寂しげな表情を見せる。もちろん、薫にはわからないように、だが。
「じゃあ、準備室に運んだらそのまま体育館に行くよ。夕食の準備ありがとうな。春風にも伝えておいてくれ」
「は〜い。ありがとうね」
そして薫が家庭科室を出て行った。五十嵐の話をしたのだ。行き先は言わなくても純麗にはわかった。
入れ替わるようにして久留美が入ってくる。
「失礼しま〜す」
何やら笑みを浮かべていた。純麗は「んもう」と笑う。
「どうして言うのやめちゃったんですか?」
「聞こえてたの?」
「す、少しだけ…」
準備室は隣にあるため聞こえるのは仕方がないだろう。
「好きなんですよね? 薫さんのこと」
「ん〜」
純麗は目をつぶり、軽く微笑んだ。
「あの人、昔からあんな感じ。私たち幼馴染みだから小さいころは沢山遊んだわ」
答えにはなっていない。しかし久留美はすぐに何を言いたいのかがわかった。微笑みながら純麗は続ける。
「バスケット……バスケット。5歳から今までずーっとね。それしかないのかっ! って言いたくなる時もあるわ。でも、そんな薫ちゃんを見てるのが好きだった」
「わかる……気がする」
「純也君ね?」
純麗はすぐに分かったようだ。久留美が慌てた様子で喋る。
「えっ、いや………う〜」
久留美が何も言えなくなる。純麗はクスクスと笑い、話を続けた。
「さっき寂しい、って言ったのは、そんな薫ちゃんの成長を見てきたから。バスケも一緒に始めてね。だんだん遠くなってく感じがしたの。ただのわがままだね」
そう言って純麗が笑った。同じ女性から見てもハッとしてしまうような笑顔だった。
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***
『姉さんなにやってるの? 面白いの?』
姉さん、と呼ばれた人物。小学校高学年だった。
『おもしろいよ。最近スポーツクラブやってるんだ。中学校入ったらバスケ部に入ろうかと思ったの』
『スポーツクラブ? バスケ?』
五才の少年と少女が理解するには少し難しかった。姉さん、と呼ばれた人物は少年の頭を撫でる。
『やってみる? こうやって…』
『姉さん』がドリブルをした。地面に当たったボールが跳ね返ってくる。
『このまま走るのよ』
そしてドリブルをしながら走った。足にぶつかりボールが前に転がる。
『あわわわ』
『姉さん』は慌ててボールを取りに行った。
そして戻ってくる。少年にボールを手渡した。
少年はボールを地面に叩き付け、戻ってきたボールをキャッチする。そして「これでいいの?」と言いながら『姉さん』を見上げた。
『それを何度もやるのよ』
『姉さん』はそう言って、今度は少女にボールを渡した。
トントントン
少女はすぐにコツを掴んだようだ。少年はムッとして再びドリブルにチャレンジする。
トン…パシ…トン…パシ………コロコロ…
『上がってきたボールを叩くんじゃなくて、持ち上げるようにして……お…いい感じ』
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――
***
「へぇ〜、じゃあ薫さんの最初のライバルって純麗さんだったんですね〜」
「フフ、そうね。薫ちゃん負けず嫌いだから。あ、こんなこともあったな〜」
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『お父さんがバスケットリング買ってくれたよ!』
『大きいね。なにに使うの?』
少年と少女が不思議そうに見ていた。姉さんはボールをドリブルする。
『こうやってね…』
そして勢いよくリングに向かって走った。
右方向からボールを両手で上に投げ、覚えたてのランニングシュートを決めた。
『は、入ったぁ〜』
入った本人も驚いていた。少年は憧れるような目で姉さんを見ていた。
『なんか凄いね』
『リングにボールを沢山入ると勝ちなの』
ボールを少年に渡す。少年が思い出すようにして姉さんに言った。
『あ、そう言えば、姉さんこの前に僕にとらべりんぐって言ったよね。絶対にとらべりんぐにならない方法を発見したよ。姉さんも使うといいよ』
少年が得意気にそう言うと、ボールを一度地面につく。そして二歩あるく。それを繰り返した。
「とん……いち、に………とん………いち、に………とん……どう?すごいでしょ」
『姉さん』は笑いながら少年の頭をクシャクシャに撫でた。
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――
「あははは……薫さんにもそんな時代が…」
「その後に『ダブルドリブルというものがあるのよ』ってお姉さんに言われたときの薫ちゃんの顔、可愛かったなぁ…。ポカンとして『じゃあダブルドリブル』にならない方法考えてあげる、って」
「あはは、かわい〜」
そして再び懐かしそうな目をして言った。
「だから……かな。成長する薫ちゃんを見てるのは凄い嬉しいんだけど、昔を思い出しちゃって…。涙もろくなったなぁ……はぁ歳だわ〜」
そして久留美をギュッと抱き寄せた。どこか寂しそうな表情で涙を浮かべていた。でも笑顔だった。
「純麗先輩……綺麗です…」
純麗は笑みを浮かべ、「こらこら」と言って抱き締めていた手をほどいた。
「もちろん、薫ちゃんが上手になっていくのは嬉しいし、チームが勝ち上がる方が嬉しいわよ。 だから明日から三日間、私たちも一緒に頑張りましょう」
「は〜い」
久留美が笑顔で言った。そして家庭科室に鍵をかけて職員室に向かったのだった。