筋書きを思い出す役者は即興を入れた
一歩、この家へ足を踏み入れて解るのは、やはり広いと言う事だった。
その理由は部屋が広いわけではなく、単純に余計な物がないというだけだった。
間取りはとても簡潔に言うなれば、玄関から向かって左手前のドアが浴室とトイレに通じ、一番奥の微かに見える扉が寝室へのものだった。
男一人暮らし、にしてはかなり小奇麗に感じるだろうが小まめにゴミをゴミ箱へ入れ、決まった曜日にゴミ袋を出し、脱いだ物は洗濯機にいれ週に一回回すと言った事をしていれば、この程度にすっきりとするのではないだろうか。
まあ、俺自身がさして世間の流行や娯楽に興味が無いという年頃の若者らしからぬ性格であることも踏まえての事だが。
兎も角、母親と父親がそろえた必要最低限としてのリビングのテーブルを入れても、かなり余裕があった。
その余ったスペースすらも、埋める気がないのもあるだろうが。だが春樹の家よりは少し狭々としていると思っている。春樹の家には知っている限り机は寝室の勉強机、一つなのだ。
リビングは空っぽ、キッチンは小さい冷蔵庫とゴミ箱、電子レンジに電子コンロ。そして備え付けの食器棚。
テレビ、漫画など、娯楽らしい娯楽など、トランプや竹とんぼなど昔遊んだ物しか置かれていなかった。
「西?」
その春樹が名前を呼ぶ。それに俺は顔を上げて答える。春樹は寝室のドアにも垂れてこちらを見ていた。その顔は眠そうで、それでいて不思議そうだった。
まあ、それはそうだと思う。俺は基本、朝が早い家系に生まれたと言うのに必要な時間のある時間に起きてしまう。つまり、時間ギリギリにしか起きないのだ。なのに俺は今、スッキリとした顔で朝食を作っていた。
俺の朝は目玉焼きを乗っけたトーストが主流だ。ついでにヨーグルトをつけたりもする。
俺は、俺が六時に起きている事に驚いている春樹をリビングの席へと誘う。ゆっくりと、歩を進めて春樹は席に着く。その眼の前にトーストと林檎ヨーグルト、そして祖母お手製の野菜ジュースを置く。目を擦りながら、春樹はジュースを一口飲んで食い始める。
(よかった。)
どうやら落ち着いたようだ。今朝、まだ暗いうちに魘されていたからかなり心配していた。今の春樹の態度は小学生の時に始めてあった態度とよく似ていた。
あの時は、春樹は穏やかで何事にも自信がなかった。俺がつけまわした時に凄く春樹は自分を謙遜していた。それと対照的に俺は、出来なくとも自信満々だったため、春樹に尊敬された。仲良くなってからは俺の後ろを付いてきた。
俺が遊びに誘うと、ふわりと微笑んだもんだから『もっと男らしく笑え』と言った覚えがある。それで、遊ぶときは絶対に俺が何かを言わない限り俺の後ろを付いてきた。
神社の境内の森での探検。落ちかけた俺を春樹が捕まえた。『やるじゃんか』、引き上げてもらった後、春樹にそういったら赤くなった。
海辺の妖怪の討伐。春樹が知り合いになっていた五年間迷子の男の人。『俺が連れて行ってやる』そういうと、春樹は喜んだ。
町の幽霊ビルでの冒険。一日そこに居たら勇者の称号を与えると言われてそこに残った。春樹が心配して一緒についてくれた。
夜鳴きの階段。それは階段の軋む音。屋上に動物王国が出来ていて、そこの動物が通ったからだった。
地下の幽霊画。それはそのビルのオーナーが慈しんだ愛娘の肖像がだった。
ビルを歩き回る女の霊。それは昼間は入り込めないので夜中に忍び込んで父の遺品の絵を取りに来た肖像画の愛娘。見つからなかったから毎晩来ていたそうだ。
この冒険後に出来た新たな話。
髪を血で赤く染めて子供の肉を喰らう鬼。それは、春樹を心配して町中を駆け回った冬哉だった。
ビルにたどり着いて、子供の名を呼ぶその声と家系的なもので生まれつき異質な髪色の所為だった。
春樹と冬哉の髪は、決して染めているものではないのだ。それは遺伝性の色素の病気だと聞く。
どうしてなのか、どうやって出ているのか。それは解らないが、ともかく、二人は異常な色彩を持つ。冬哉に至っては重症だった。赤髪に薄すぎる肌の色素。
あの病的な肌は病気だった。
だが、生活するのに困るわけではない。だから髪色の変わった人と扱うのが正当だ。
俺は、髪色自体。言われるまで気付かなかった。何故か目を引くと思っていたら、祖母が『ハーフなのかい?』と春樹に聞いたのでその時ようやく俺は春樹が銀髪である事に気が付いた。
(……俺って、鈍いんだな……)
懐かしく思って過去を想い返っていたらなんだか俺の鈍さに悲しくなった。出てもない涙を拭う仕草をすると、春樹は首を傾げる。丁度、卵の乗ったトーストを食べているところだった。俺はその様子に面白がって話しかける。
「どうしたんだ。春子、腰が痛いのか? まあ、あれだけ激しく(魘されたり)したんだ。体が何処かしら、痛」
からかっていたら、目の前から白い皿が飛んできた。わお、春樹元気じゃないか。俺は間一髪のところでその皿を掴み取る。危ない危ない、皿が割れるところだったじゃないか。
俺は、春樹に向かってにやりと笑いかける。春樹はそれが気に入らなかったようで、今度は空になっていたヨーグルトを投げようとする。で、俺は反射的に謝った。
「ごめんごめん、あまりにも眠そうだったんでつい…。下品なジョークだった、許してくれ。な?」
ほんの少し心にもない言葉を混ぜた謝罪だったが春樹は納得したらしい。ヨーグルトを机に置く。で、こんな事をしながらも食っていたらしく春樹は手を合わせる。
「『ご馳走様』?」
俺の声に春樹は頷く、そこで寝室を俺は指差した。
「制服は持ってきてるから。」
俺の言葉に春樹が驚いたのが後姿を見て解った。何故制服がここにあるのか、その事で驚いていると言う事も。春樹は一度家に帰って着替えて俺の家に来たのだ。その時に確かに鍵をかけたのを俺も知っている。俺は、春樹が寝ている間に鍵を持って春樹の家に行った。予備の詰襟とその下、つまりは学校に行ける服を持ってきた。あの制服はもう、着られないから。
春樹は、振り返ると俺の元に歩いてくる。目の前に立った春樹の目線は同じだった。昔から背の高さはあまり変わらない。正確な数字は、知らないが。
「家、入ったのか?」
正直、俺は驚いていた。あんな事があって昨日の今日で言葉を放つだなんて……。その、奇妙な事と違和感に気付かずにただ、感動のまま俺は頷く。
パンッ、
景気の良い音がした。ほんの一瞬、俺は何が起こったのか解らなかった。だが、次第に感じてくる刺激に意識は引き戻されて―――。
俺は春樹に引っ叩かれていた。
左の頬が痛かった。だが、それよりも。春樹の銀髪から覗く、その瞳が冷たくて―――、
「………ごめん、勝手に入って。見られたくないよな、他人に勝手に。」
今度の謝罪は本当に心からの物だった。だが、春樹は許さなかったようだ。左足で右足を払い、俺を倒すと俺の頭を蹴り飛ばした。
春樹は、サッカーも上手かった。そんな春樹の全力のサッカーボールキックと称する物をくらった俺の頭部は、首が外れるかと思った。
そんな俺を春樹は一瞥もせずに寝室に入っていった。
朝のキックはとてもよく効いた。昼の今でも痛いぐらいだ。
そんな俺は、昼からの授業をふけていた。
春樹には止められたのだが俺にはまだ用事がある。その用事は春樹は関わらない方が良いこと。
家に帰ると、まず寝室へと行く。次に『思い出部屋』、そこにはダンボールが積んである。
朝のうちに全部詰め込んで置いた。この部屋の、この家にある春樹も関係した思い出の数々を全て、段ボールに納めて俺は次に知り合いに車を出して欲しいといった。面倒そうな言葉を放ったが受け入れてくれた。
俺は、ダンボールを持って下へ。
知り合いは驚いていたが、まだあると言った時には『まあ、お前だからな』と言った。どういう意味だ。そう聞いて見ると、大きく何かをしたら『俺らしい』と言う事らしい。
何往復かした後、俺は知り合いの車に乗った。
知り合い、それは俺の父親だった。正直、知り合いどころではないのだが、かといってこの人のことは良く知らない。
この人は『マスター』と呼ばれている。その理由などは息子である俺自身もよく解らない。
長めの髪を後ろで縛り、無精ひげを生やしたこの姿は中々に評判が良い。何処か落ち着いていて全てを見透かす。穏やかな『お父さん』のような雰囲気が老若男女問わず『良い』と言う…。実際に『お父さん』である事はあまり知られていない。
これらは全て、母親からの情報だった。
俺は、一度バイトしていたことがある。そのときは、この父親に止められた。
『金ならば、送ってやるぞー!!!!』
と、言って。だが、俺は続行、バイトは夜でしかも【バーテンダー】だった。店の方は高校生を雇ったつもりはなく、俺は持ち前の年の誤魔化せられる容姿とガタイを利用して大学生と偽っていた。まあ、面接などは母親のコネで如何にかしたが。
だが、ほとんど掃除だった。正式には【バーテンダーとして雇われたが掃除が上手かったので清掃と雑用をしていた】と言うのだろう。
バイトをしていたのは何故か、理由は簡単。春樹に家庭教師を頼んでそのバイト代を正式に春樹に渡す為だ。
春樹は中学生まで、俺の両親に引き取られていた。正確には、祖母にだが。高校から春樹は生活費、学費などを全てバイトで稼いで払おうとしたのを俺が止めた。
理由なんて、春樹が夜間学校に入ると言ったからに決まっている。
全て自力でしなければならない。そんな思いに春樹は取り付かれていた。冬哉も金を溜めていたが、全て持ち出して消えていたらしく春樹は金を払う為にはバイトをしなければならなくなった。
高校には行く気だが、夜間の方になると。つまり、俺と同じ高校には入れないと。
春樹のその発言に俺は、バイトを始めた。そして、バイトの給料日と春樹への給料日を同じにして、その給料全部を春樹に渡していた。
物思いに耽る俺に父親は、運転をしながら声をかける。
「お前、彼女さんはどうなった。」
俺がバイトしているのを『彼女』の為だと思ったらしく、会う度にそんな事を言ってくる。だが、父親はその勘違いでより良い職場を捜してくれた。それで、俺の今の職場に就いているというわけだ。(これもまた、母親のコネを利用した節があるが。)かなり割の良い仕事だ。本当に掃除専用のバーテンダーなのだが、店内のデザインを提案したら採用。バーのバイトにしては元々割りのよかった給料が三倍になった。その分、客は来たのだから店長も良いと思っているのだろう。
俺は父親に向き直って言った。父親は横目でこちらを見る。
「だから、彼女じゃないって言ってんだろ。」
「じゃあ誰だ?」
何時も言っているのに父親は信じない。父親とは喫茶店に行った時、偶然に会った。暫くこちらに居るので、『また会って欲しい』と言われた。だが、こちらの方にも都合があると言ったらあっさりと諦めた。無理強いをするつもりは無かったらしく、出来ればまたここに来いと言っただけだった。
俺は、呆れて溜息をつき春樹の事を話す。父親は感心したような顔して、赤信号で止まる。そして俺の方に顔を向けて、言った。
「親友の為かい、それなら仕送り、四倍にしてやっても良い。」
俺は目を見開いて父親を見る。ニタリと、この父親特有の笑みを浮かべる。その顔に俺は不満を投げかける。
「四倍? そんなにもいらねーよ。それに、春樹にやりたいからやってんのに多すぎたら受け取ってくれねーんだよ。」
俺の言葉に父親は、「それもそうか」と悩み始めた。もう、赤信号は青になっている。俺は父親に『考えんだったら後で、だ。』といって車を進めさせた。
……もう、そんな仕送りだなんてどうでもいいと思うが。それでも精一杯、春樹に楽をさせたい。
もう、仕送りは受け取れないと思うのだけれど。
父親が仕送りの金を渡す方法を考え、俺がこれから先の事を考えている間に目的地についていた。
【赤猫宅急便】
『赤』は今は見たくも無いと思う。だが、ここ以上に対応が良い宅急便は他には無いのだ。
制限なし、どの範囲までOK尚且つ、重くとも大きくとも大丈夫と言う。まあ、大きくなればその分高くなるのだが。金さえ払えば運びまっせ!と言う事だ。
嫌に目つきの悪い、毒々しいまでに真っ赤な猫がシンボルマーク。運ぶ為のトラックやバイクまで、様々な物に付けられていた。
俺は窓口で受付をする。直ぐに持ってきて欲しいと言われ、俺は父親と協力してダンボールを全て中に運んだ。
「▲●万になります。」
そんな事を言われた。結構高い。その言葉に俺は目を見開いていた。
そんな俺を尻目に、父親が目の前に立っている係員とは違う状況を知る係員にクレジットカードを渡す。
係員はそのまま清算を済ませてカードを返してきた。
「有り難う御座いました。」
その言葉に、俺は父親があっさりと払った事に気が付いた。感心したような呆れたような放心したような、微妙な表情で俺は父親を見る。
「……………」
「……………」
暫くの沈黙、それに耐え切れなかったのは俺の方だった。赤猫の方も、この沈黙のあまりの長さと静かさに思わず成り行きを見守っていたらしい。
「行こうか…」
それだけ言って、歩き出す俺の背後の方から安堵の溜息が聞こえた。勿論、父親の微かな足音も。
「普通、あれ払うかぁ?」
何故か、文句を言ってのける俺の言葉を右から左に聞き流して父親はハンドルを握ってしっかりと安全運転していた。
「…嗚呼、風が気持ちぃー」
俺の気の抜けた言葉に、父親は、こちらに顔を向ける。あれだけ文句を言っていた俺が気の抜けた別の事を言ったのが奇妙に感じたらしい。俺の家が【放任主義】なのは一応祖母に言われてあったが、信じられなかった。で、さっきまで改めて俺の家の事を認識していた。
この父は謎の人だった。実用的な時計を貰ったが、小学生のときの俺に合わせていたので今では使えない。特注の高級品だったそうだ。毎回、そんなお土産を貰ったが一日か二日居るだけで後は何処かへ仕事へ行っている。外交に重要な人物と昔、母親に言われた。
母は気が強かった。容姿は父に、性格は母親に似たらしい俺は母親に信頼されていた。さっき使ったクレジットカードは【ブラックカード】、何かかなり凄い物らしい。母親も一度帰ってくると一週間はいてくれるが、直ぐに何処かへと行ってしまう。世界各国で交渉人をやっているらしかった。だが、俺と似たような性格なのに成功している事が疑問に思う。
そんな放任主義者。父親は一度、小学生の俺に先程父親が使ったクレジットカードを渡そうとし、母親に『馬鹿!』と起こられたらしい。何を買うのか解らない小学生に渡すのその迂闊さに、呆れて感心していた。……母親は感心と呆れを一触体にするのがクセだったのか?
「なあ、何であんな物を贈ろうと思ったんだ?しかも県内の田舎に。」
よくもまあ、あんな所の配達を受けたのもだ。と父親はまた感心している。父親は多分、あの量を見て『あんな物』といっているのだろう。俺は父親の方を見て答える。
「あれ、ばあちゃん家に送るんだよ。」
父親は少し納得したような顔をする。それでも、また考えはじめる。俺は父親の気が済むまで質問させる事にした。断るよりも簡単なことだと思った。
父親はまた、行きと同じように赤信号で止まるとこっちを見て聞く。
「アレは、何だ?」
荷物の、ダンボールの中身を指すのだろう。『アレ』とは。俺は、風に当たり暫く考える。
あれの中身。ダンボールに封じて保管する。安全な場所へ、贈る。それは、春樹の―――――、
「アレは―――、」
俺は風にあたって、答えを探す。そして、見つけるのは『思い出』には似合わない。言葉。
父親はまた、青信号に気付かない。俺の言葉を待つ。
口を開いて、紡ぎだすのは一つだけ。
「真実、ですよ。」
隠し、封印する。春樹の、春樹への『真実』を
「ただいま」
家に帰ると、既に夕方。あの後、喫茶店に連れて行かれ父親に色々と聞かれた、ほんの一部だけを話したが大丈夫だろうか。
冬哉に、狙われないだろうか。まあ、そんなに軟ではないだろうが……
春樹は、既に帰っているはずだ。玄関には春樹の靴があった。俺はリビングを見回す、だけど春樹は居ない。とりあえず着替えようと寝室の扉を開ける。
そこには、目当ての人物。春樹が居た。
シーツを、布団を、全て極限まで被り、包まっている春樹の姿があった。
「春樹!」
このままでは窒息する。そんな状態までに包まれている春樹に駆け寄り、丁寧にシーツなどを解いていく。春樹は、また震えていた。どうしてなのか問う前に――
俺は春樹の手元にある白い封筒に気づいた。
ゆっくりと春樹の手元から抜く。春樹は火葬場でしたように胸元に飛び込んでくる。
封筒の表にも裏にも何も書かれていない。俺は開けて中を見る。
一枚、縦線の入った飾りッ気のない便箋。
『何をしている。』
それは、どちらにも問いかけられているようにも感じる。春樹には、【そんな所で『何をしている』】。俺には【朝から『何をしている』】と。
どちらにしても、こちらの行動が把握されている事には変わりない。俺は何故春樹が脅えていたのかがわかった。何故、布団に包まっていたのか。
恐怖から、身を守るためだ。俺が帰ってきて安心したのか、春樹は寝てしまった。
冬哉は、確実に俺に手を下すだろう。
俺がどうなっても良い。ただ、春樹が傷つけなければ。
俺がそんな事を考えていると、空っぽの『思い出部屋』から音がした。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリンッ、!
部屋の、黒電話だった。
俺は、春樹をそっと解いた布団の上へ寝かせて部屋へと歩を進める。
案の上、電話だ。と言うよりもこの音は電話以外の何物でもないだろう。黒電話に手を伸ばし、俺は受話器を取る。
「もしも...」
『泰祐! あんたなんかあったの?!』
いきなり鼓膜を突き破る勢いで叫んだのは俺の母親だった。俺は、とりあえず耳の状態がまともになるまで待った。
「はい?」
まだ、衝撃が残っているがそれは良いとして。(いつものことだ。)何か。とは何なのだろうか。と言うよりも、母親から電話を受けたのはこれでようやく三回目だ。どれだけ放任なんだ。
『あの人が『泰祐に頼られたー』ってのぼせた電話かけてきた思ったら。いきなりカードで、ン万ってどういうことよ!!!!』
嗚呼、
「その事」
『その事、じゃ無いわよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
「流石に不味かった?」
俺も少し後悔していた。いきなりこんな金額、いつもの調子に戻ってから少し失神しかけた。だが、母親は俺の言葉に反して
『気になるじゃない!何があったのよぉ!』
歓喜の叫びをあげた……
「……流石に電話越しでも春樹が起きてきそうだから、静かにして」
『えっ! 春樹君来てるの? はっ! まさか、きんだ』
「違うから」
その先は【禁断の愛】とか言うつもりなんだろう。母親には残念ながら俺は熱血なだけだった。友人は深く踏み込むタイプだったから踏み込みすぎて色々と周りに勘違いされる。春樹は何処か大人しいからこそ、SとMだったかの要素が取れてるとか何とか。
「色々と、春樹の為で」
『まあ、また春樹。これじゃあ勘違いされてもおかしくないわね。で、身を引いた初恋は成功?』
母親は、俺が初恋をした事を知っている。そして、その相手が橘 弥生で橘が春樹を好いていた事も。俺は、静かに真実を告げる。母親は興味津々と言った様に息を荒立てて言葉を紡がれるのを待っていた。
「死んだよ」
暫くの沈黙、きっと推理しているのだろう。母親は俺の提示した情報の中で誰が死んだのかを。そして、暗い声が受話器から聞こえた。
『弥生ちゃんが…?』
俺は無言で頷く。電話だというのに頷いても意味は無い。筈だ、だが母親は『そう…』とだけ言った。恐らく母親は空気の振動で解ったのだろう、もしくは沈黙を肯定と受け取ったのか。
『成功していたけれど…?』
色々と言葉が抜けている。【成功していたけれど途中で死んでしまった。】そういう意味だと俺は思った。
俺と母親はよく似ている。この俺の考えも状況を説明するだけで読み取られた。春樹が立ち直る前に居なくなってしまった。そういうことだった。
『じゃあ、石川さんは強引に近付いていない?』
石川、俺はその名前に微かに嫌悪した。役立たず。それどころか春樹の状態を悪化させてしまった、最悪の人物。だが今こんな事を言っても仕方ない。だって…
「死んだ」
『―――っ!』
母親は、何の連絡もしていない。こちらからは出来ない。何時、何処に居るのかを知らないのだから。俺の言葉に、母親は少し短い言葉を続ける。
『ちょっと、まって、どういう、何で、自殺?』
最後の言葉は多分疑問だ。そんなこと、あるわけがない。母親は石川の事も知っている。帰ってきたときに話したのだから。
「殺人、火葬場で焼け死んでいた。」
火葬場で焼け死ぬには外から操作をしなくてはいけない。警察も春樹に事情を聞こうとしたが、春樹があんな状態だったので何も聞けなかったそうだ。何よりも、春樹には動機が無い。それで、春樹は何も聞かれなかった。
石川は、弥生の虐めをしていた。だが、一人でしかも巧みに行なっていた所為で弥生すらも石川がやっていることは知らなかった。俺が、現場を目撃するまで誰にも気付かれていなかったのだ。
俺が警察に話すことも出来たが、そんな事をしたら。警察は春樹を連れて行くのだろう。そして、『あの日』すらも引き出してしまうだろう。
正しいとは思えない形で。
『弥生ちゃんは?』
「踏み切りに、気付かなかった。事故だって。」
母親は沈黙する。気付かないなんて、ありえない。ありえるはずが無い。弥生はドジだった。何を真剣になると周りが見えなくなる。誰かに言われるまで、目の前の壁に気付かなかったりする。だけど、踏切には音がある。
あの耳障りな、『あの日』にもあった。もう一つの『赤』が。
『『あの日』から立ち直れるのかしら』
あの日の事を、母親も知っていた。何故か父親も母親も『あの日』だけは家に居た。そして、『あの日』。走りこんできたのだ。
厄災が――――