そして残された役者達は閉幕に嘆く
【西】と書かれた表札がかけられた大きな家の前で、一人佇む女性が居た。彼女は何処か沈んだような暗い顔をして、暫くしてから覚悟を決めたように、その家の引き戸を開ける。
「お母さん? 来たよー。」
良く響く声に家の奥のほうから年老いた女性の声が聞こえる。
「はいはい、上がって来なさい。」
何処か落ち着いた老女の声に比べ、家に訪れた家主を【母】と呼ぶ恐らく娘であろう人物は絶望した顔で家に上がる。
奥、恐らく居間であろう部屋に老女は居た。畳の上に正座し、段ボール箱の中から何かを取り出し広げている。その目の前には無精ひげを生やした髪の長い男がその広げた物を食い入るように見ていた。
「母さん、これは……?」
その光景に訪れた女性は老女に問いかける。すると老女はその広げた物から顔を上げようともしないで、答えた。
「これが、泰祐が『春樹の為』と言って送ってきたものだよ。宗次さんが言ったように、『真実』でも、あったようだねぇ。」
そう言って老女は自分の脇から一通の封筒を持ち上げ、女性に渡した。
彼女はそれを取り出し、広げ、声に出して読み始めた。
『このアルバムは全て、春樹が忘れている真実です。多分母さんもばあちゃんも知らないだろうから言って置きます。
春樹は、冬哉のこと。母親の事を全く覚えていません。いや、二人が兄であり母親であった事の記憶をすっかりなくしていて、『あの日』から前の記憶は綺麗に改竄されていました。
冬哉は女を殺した男、母親は殺された女ぐらいにしか思われていませんでした。そして、それ以外の記憶。遊んだ記憶やばあちゃんの記憶などはそのままだった。
俺は春樹を『あの日』絶望させました。だから、春樹は二人の事を忘れたんだと思う。
俺は春樹を二度も絶望させない為に、時間が来るまで春樹にこの事は伝えないで置こうと思った。
ごめん、迷惑かけて。だけど、これが俺の家にあるともしかすると春樹が傷付いてしまうかもしれない。それで『あの日』を知る人間全てが居なくなるかもしれない。
それが怖かった。
冬哉は生きている。火葬場で見た。どうやら石川を殺したのは冬哉だったらしい。
ごめん、色々と言わなくちゃ行けない事があるけど。思いつかない。
最後に、『あの日』春樹の母親は冬哉に殺された。
俺はそれに気付いて冬哉に話しに言った。
『お前はそんなに春樹を不幸にしたいのか』って、そしたら、『お前が居なきゃ春樹は不幸にならなかった』と言い返された。昔は解らなかったけど、今はわかる。
俺みたいな人間が居たんだ。って、母親がしていることはとても酷い事なんだって自覚させてしまったから。
春樹は不幸になったんだって。そうでなかったら、春樹のために冬哉があんな事をすることは無かった。
あれが日常だと思って過ごしていた。って解った。
結局、どうして冬哉は行方不明になったのか解らなかったけど、俺にできる事を。今の俺に出来る事をやっただけだから。
助かろうとしなくて、ごめん。でも、この人生は無駄じゃなかった。
俺は多分死んでるけど、この命はきっと無駄じゃない。そう、信じてるから。
さよなら。』
読み終わった時、長い沈黙が流れた。そして、手紙を読んでいた女性は手紙をくしゃくしゃに丸め、前へと投げる。
その手紙はかすれる音がして、跳ね返り段ボールから取り出し、広げていたアルバムの上に落ちる。
食い入るようにアルバムを見ていた男は畳に手を突き、涙を流していた。体制は変わらないまま、食い入るように見ているかのように声を殺して、涙を絶え間なく流していた。
その目の前に正座する老女は落ち着き、軽く目を瞑って耳を澄ませている。まるで、今から聞こえてくる何かを聞こうとでもするように。
その例えは正しかったかのように暫くして笑いを堪えているような声が聞こえてきた。それは手紙を投げた立ち尽くす女性の口元からだった。女性は俯いて表情が見えないようにしていた。だが、ほんの少しするとその顔から水滴が落ちて畳にしみを作る。その様子を、老女は聞いていた。
彼女はいきなり顔を上げると、叫ぶ。
「大馬鹿者っ! この大馬鹿者がっ! 謝って済むなら警察は要らないわよ! 相談してくれても良かったじゃない! 友達のためって言って親にも黙っているのはどうしてよ! 宗次は荷物を送るときに側に居たじゃない! その夜私は電話をしたじゃない! どうして、どうして、『真実』なんて答えたのよっ――っ、」
女性は、畳に膝をつき両手で顔を伏せる。だが、涙は手の隅間からほろほろと簡単に滑り落ちる。
「どうして母さんが知っているのよ――――っ、どうして母さんしか知らなかったのよ―――――っ……っぅ…」
その二人の嘆き声に目を瞑っていた老女はそっと瞼を上げ、静かに呟く。その声は嘆き声の中では確実にかき消されてしまうほど小さい物だったが、何故か二人の耳にはその声は届いた。
「あの子は、私に荷物を送るけれど中身を見ても貴方たちには言わないで欲しいと言ったんだよ。何でだか、解るかい?」
老女の言葉に嘆いていた二人は顔を上げ、老女を見た。
とても穏やかな顔をして、二人を見ていた。二人は首を振る。
「あの子は、終わってからでないと、全ての決着と責任を、貴方たちが背負い込んでしまうと思ったからだよ。だけどもし、このことが伝わっていたとしても貴方たちから離れて行っただろうね。あの子は、私にすら『さよなら』と言ったんだよ。」
老女の言葉が終わると二人は涙を拭いた。まるで、自分の子供に負けられないとでも言うように。
自分の息子は、自分たちの心配までして死んでいってしまったのだから、自分たちが嘆くのは息子の『終わり』を見てからだと。決心したかのように。
「それで、どうして春樹君が犯人だってわかったんだい?」
泰祐の祖母、庸子の言葉にその娘、恵梨菜は先程家を訪れた時とは全く違った、きりっとした面持ちで自分の母親と向き直る。そして、一度息を吐いてから答えた。
「春樹君が、飛び降りる前に石井 直樹くんが落ちてきたんです。手に携帯を持って、その携帯は途中で離してしまったのか遺体からは離れていましたけど。運良く携帯は生きていて、ムービーを撮影してたんです。警察が止めるまでずっと。見て見れば、そこには真っ赤な鬘を被った春樹君が映っていて、ムービーだったから音声までしっかりと。」
そこで恵梨菜は一度言葉を切り、庸子を見る。ここまでの話についていけているかを確認したのだ。庸子は伊達に生きては居ないらしく携帯についてもよく解っているようだ。それを見て恵梨菜は続ける。
「で、その音声には春樹君の声で犯行を自供する言葉が録音されていたんです。」
恵梨菜の言葉に春樹を良く知る庸子は驚いた顔をしていた。そして、一度娘の夫、宗次を見て何か気になることを見つけたらしく宗次に話しかけた。
「宗次さん? 何故その写真を見てるんです?」
庸子の言葉に宗次は顔を上げ、そして答える。
「いや、この写真に写っている。冬哉…でしたっけ? が、春樹君に似ていたから…」
宗次の言葉に恵梨菜はその写真を良く見る。確かに、その写真に写る冬哉は春樹に似ていた。この写真の冬哉と今の春樹が同じ年であるだけではないだろう。二人が少し驚いている最中、庸子が気になることを発言する。
「ねぇ? そうなったら春樹君が赤い鬘を被っていると言ったね。じゃあ映像の春樹君は冬哉君にそっくりなんじゃないのかい?」
庸子の言葉に恵梨菜はその通りと、指を指す。
「春樹君は冬哉君になりきっていたんです。」
宗次は少し驚き、そして庸子は納得した。
「そうかい、春樹君は冬哉君になりきって、人を殺すと言う方法で『春樹』君を守ろうとしてたのかい。」
宗次は庸子の言葉に納得した様子で、今度は恵梨菜にどんなトリックを使ったのかを聞こうとした。が、庸子がそれを止める。宗次が驚くが、庸子はただ、静かに語りだす。
「宗次、お前はそんなに、春樹君が人を殺すような人間と思っていたのかい? ここは動機を聞くところだろう? 散々に泰祐から春樹君の事を聞いたんじゃあないのかい。」
宗次は黙り込み、庸子は恵梨菜に目配せをすると恵梨菜は口を開く。
「弥生ちゃんは、どうやら春樹君が冬哉君を殺したところを見てしまったみたいです。『あの日』、冬哉君が行方不明になった時、春樹君は冬哉君を一度殺そうとしていたようなんですけど、冬哉君は生きていて、そして十一年かけてやってきた冬哉君をもう一度殺した所を弥生ちゃんに見られたようです。石川さんは弥生ちゃんに陰湿な虐めをしていたそうでそれが一つの理由です。泰祐は―――――、春樹君の記憶から冬哉を忘れさせてしまった事……」
その言葉に宗次は立ち上がり、恵梨菜に問う。
「春樹君だよ!? 犯人は! なのに、まるで冬哉君がやったみたいじゃないか!」
宗次の言葉に今度は恵梨菜が答える。
「春樹君は――、冬哉になりきってるんだよ…?」
静かに告げた言葉に、宗次は冷静さを取り戻し、
そして―――気付く。
「泰祐の―――遺体は――…?」
その言葉に、恵梨菜はただ首を振るばかりだった。
春樹は、『冬哉』は泰祐の遺体を捨てた場所を告げていかなかったのだ。問いたくとも既に春樹は言葉無き者。どうすることも出来ない。
そうして、黙っていると庸子は一つ。思い出したかのように口にした。
それは自分の孫のことではなく、自分の孫を殺した。孫のように思っていた春樹のことだった。
「春樹君、『あの日』からね。稀に、自分の映る物に一人で話しかけていたことがあったの。自分の鏡像に話しかけて、鏡像に答えさせていたの。仕草とかもきっちりとつけて、その視草や口調が冬哉君とよぉーく、似ていたんだよ。……あの時に止めさせていれば、こんな事にはならなかったのかね。」
ただ、庸子がそれだけ言うと恵梨菜も宗次も黙って、何も言わなかった。
流石に時間が経ちすぎたのか空腹に庸子が立ち上がる。お昼を作るらしく、手伝うと恵梨菜を立ち上がってしまった。一人やることの無い宗次はお昼が出来るまでテレビでも見ようとテレビをつけた。
チャンネルを選ばず、偶然やっていたニュースを見る。
『湾にて、......が...あげられました。』
そのニュースに何故か宗次は引かれ、テレビを先程までのように食い入るように見詰める。そしてボリュームを上げた。
『▲◎町から二十キロ離れた港の直ぐ側にその車は沈んでおり、その付近の倉庫に屯していた若者たちが倉庫に不法に置いてあった車を捜したところ肉眼で見える場所に車が沈んでいるのを見つけ、警察に通報したそうです。』
どうやらかなり街から近いところだったから引かれたようだが、宗次はそれでもそのニュースから目を離さなかった。
『車を引き上げて見たところ、運転席には制服を着た男子生徒が乗っており生徒は既に死亡。警察は倉庫にあった車に乗って見たのは良いが止め方が解らずに海に落ちた可能性が高いと見て、調べています。』
宗次は何処か引っかかっていた。車は倉庫にあったのだろう。鍵があり、運転してみようと思いとめ方が解らなかったのは良い。それなら、車から飛び降りるか倉庫にぶつかるかするのではないだろうか。
もしそのまま海に落ちたのなら、そのまま乗っているのだろうか。外に出ようとするのではないのだろうか。
宗次が考えているうちにそのニュースは終わってしまった。
仕方なく、宗次は別のチャンネルを捜しニュースを見ようとしていた。そして、一つのチャンネルに変わった時、
『死亡したのは、西 泰祐君、十七歳。』
この言葉に手が止まった。台所からも庸子と恵梨菜、二人が走りよってくる。
『泰助君は事故ではなく、首を絞められ死亡し、車に乗せられ沈められたもよう。なお、犯人は連続殺人犯、中谷 春樹容疑者であると断定されています。春樹容疑者は既に自宅のベランダから飛び降り、死亡しており…』
宗次はテレビを消していた。
とてもあっけなく、自分たちの息子の終わりは知らされた。そして、耐えられなくなったのか三人とも、畳に突っ伏し嘆いた。
どれだけ嘆いたとしても、息子が帰ってこないことも
その犯人であり親友でもある春樹すらも、罪を償ってもらう事など出来はしないのだと。
たったあれだけの言葉で理解してしまったのだから。
fin...