踊っていたその舞踊はたった一人
「違う、違うっ、!」
確かに知っている、確かに覚えている。弥生を、殺した理由すらも。
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私はいつものように坂を下りて家に帰ろうとしていた。だが、その日はいつもと少しだけ違った。
坂の下から、奇妙な人が上ってくるのだ。
忘れ物を取りに来た生徒でも遊んでいる生徒でも、部活中の生徒でもなく。黒い服を着た、赤い髪の男。かなり若く見えた。
その男は顔を上げて、私を見つけると私に向かってとても嬉しそうに手を振った。その様子に否応無しに不安と恐怖が、私を支配する。何処か、知っている気がする徐々に近付いてくる男に私は無視しようとした。だが、
「春樹っ!」
右手を掴まれた。私は仕方なく男の方を見る。男は私とそれほど年は離れていないように見える。それとも単純にこの人が童顔なだけなのだろうか、私は気になり男に問う。
「私か? そんなの、二十八に決まっているだろう。」
十一も年上だった。だが、何処か馴れ馴れしい男の言葉に疑問を覚えて私は聞いた。
「『何方です?』」
と、すると男は絶望したかのように目を見開く。そして、幾つもの言葉を投げかけてきた。
「春樹、私だ。この赤を見て、解らないのか? 良く知っているはずだ。私は、春樹。お前の兄だ。『あの日』の事を許して…欲しいんだ。母親を『弥生』をお前の為と言って殺してしまった。だから、春樹は私を山に―――」
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『殺したのは、冬哉だよね。』
私の言葉に冬哉は簡単に頷く。
『春樹が、もう辛い目にあわないようにって…』
辛い目には、もうあっている。ようやく、母さんが私を認めて笑ってくれたのだ。一緒に遊園地へ行くはずだったのだ。なのに、初めから遊園地には行くつもりは無くて、あの踏切で母さんを殺すつもりだったなんて―――。
『春樹、私にできることなら何でもする。それが、春樹の為なら。』
それなら、母さんの暴力を押さえて欲しかった。代わりに受けるのでは無く、誤魔化すのではなく。私を無かった事にするのでもなくて、側に居て殴ったりもするけれどそれでもやはり、そばに居られるように。西のように。
『…冬哉、山へ散歩に行こう?』
私が誘うと冬哉が断らない事を知っている。私は山に冬哉と出かけた。今の時期なら虫はたくさん居る。それに日も暮れてしまっている今ならカブトムシを取りに来たといっても怪しまれない。
私は、山の上のほうまで来ると足を止め、冬哉に話しかける。
『冬哉、私は母さんを大好きだった。私は母さんよりも冬哉を妬んでいた。』
冬哉は何処か驚いたような顔をしていた。そうだと思う、知っていたならここまで私を庇わなかった。私は冬哉の胸元に入り、すがり付いて泣きまねをした。冬哉はすっかり騙されて私の背を摩っている。
私は少し冬哉の腕の中から出てもう一度だけ、言葉を放つ。
『だから―――――、さよなら。』
冬哉は、驚いてた。私はこの山には詳しい。何処に崖があるかなんて知っている。暗くて見えないけれど、冬哉はきっと崖の下。二度と、見つかりはしない。
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あの後、西の両親にはお世話になった。
二人ほど、自分に得のある人物は、いなかったのだ。そう思うと、西には本当に感謝しなくてはいけいない。
「何だ、冬哉。生きてたんだ。」
私の言葉に冬哉は道の横にある山に連れ込む。かなり急で足を簡単に踏み外せそうな、そんな山であるのを知っていた。
暫く進むと、突然冬哉が足を止める。まるで『あの日』私がしたように。
冬哉は『あの日』の話は不味い話だと思ったらしくここにつれてきたらしい。
なるほど、あの時騒いでいたのは冬哉の通帳などの金目の物が全てなくなっていたからか。
「春樹、罪を――、償わせてくれ。そして、もう一度私と一緒に――――。」
どうしてそんな事を言うのかはよく解っていた、冬哉は俺に馬鹿みたいに執着するから。まるで、西のように。……西の、所為で…
(私は、『弥生』の事を忘れていた……)
私は暫く考えた後、冬哉に罪を償わせる事にした。とても簡単な方法で。
「冬哉、償ってもらう。」
冬哉は、二度目なのにまだ気付いていなかった。詰襟の右ポケットからバタフライナイフを取り出す。
カチャッ、
小さな音と共に、刃が輝く。そして、その刃の輝きは直ぐに消えた。
その輝く笑顔に、歪みが、浮かんで―――――、
真っ赤な、『赤』に染まって、ナイフは銀色をなくしていた。
私の右手は、すっかり冬哉の腹の中に入っていた。冬哉は自分の髪と同じ色彩の『赤』を口から吐き出し、事切れていた。
穢れた――――。
【弥生】との、唯一の思い出。私の、最後の幸福な感覚。それを最後にしたのは、誰だったのか。
今、私の幸福を穢してゆく【モノ】を見下ろして、思う。
こいつは、私の幸福を尽く自分で塗りつぶしてゆく――――。
「……これで良いか、」
私は、死体の始末を考えていた。だけど―――
ザッ、
草を踏み潰す音に私は振り返る、そこには――――――。
小柄な茶髪のショートヘアーの女子生徒が立っていた。
その顔は私にとってはとても馴染み深く、そして今一番見たくない顔だった。
「弥生――――。」
彼女は何も無かったかのように私に笑いかけた。