そんな中に存在すらなかった一つの演目
仕事のために【何処か】に行っている両親は俺を連れて行くことは出来ない。だから俺は祖母に育てられた。祖母は【子供らしく】と言う事を重要視していた為に俺が遊びのために二日帰られなかったことを、咎める事はしなかった。
『はじめに言っておくれ』
そう言われただけだった。祖母はそれでも結構心配していたのだと思う。
一度、父親とけんかをしたことがある。理由は『春樹を解っていなかったから』。
春樹の事を『成績の良い高飛車な子供』だと勘違いしていたらしく、俺と話しているときに俺はその事に気付いた。そして、訂正を求めたが父親は案外思い込んだら融通が利かなかった。
やけになった俺は、そのまま祖母の家を飛び出した。
出かけたとき、ポケットに入れっぱなしだった財布を持って俺は走っていた。
その途中で春樹とであった。
春樹は、家に居られなくなったらしい。
俺は、その時春樹が虐待を受けていたのを知っていた。だが、春樹の為と言って俺の母親などに話す気にはならなかった。
幼いながら、いや、幼いからこそ、俺は春樹の感情を読み取っていたのかもしれない。
二人で、電車に乗った。
駅員は、俺が言った適当な駅の切符の値段等の説明をしてくれた。その駅員は、俺が一人旅を計画している事を知っていた。
母親や祖母の了承を取って、この夏休み中にある親戚の家へ訪れるその計画を実行したのだと思ってくれたようだった。
だが、実際に買った切符は全く見当違いの駅の切符だった。
「……いいの…?」
春樹は、俺にそう聞いた。
「なにが?」
「その……私まで…いっしょで」
ここは俺の巻き添えを食らったことを怒るべきだと思ったのだが、春樹は別に気にしていないようだった。どちらかと言うと俺は一緒で大丈夫なのかを聞きたかった。
「うん………二日ぐらい、居ちゃ駄目だから…冬哉がね。そう言ってた。」
何処かくらい横顔に俺は聞けなかった事を聞こうとした。
「春樹…、おまえ、やっぱりあのかあさん事、好きなのか?」
バッ、と顔を上げる春樹にしてやったりと笑みを浮べる俺。春樹はまさか俺に気付かれるとは思わなかったらしい。
「母さんは、病気なんだよ。この色素が…元々の原因だけど、その所為で母さんは心を病んじゃったんだ…」
「それで春樹に…?」
春樹は顔を伏せるが、確かに俺は知っている。春樹が長袖の体操服しか着ない理由を、その下は言うまでもなかった。
だが、俺はもう一つ。虐待の事で気になっている事があった。
「冬哉は……」
聞く前に、春樹は電車の中を歩いていた。
時間が時間、田舎の六時とは案外遅い時間なのだ。それも電車の中だ、俺と春樹の二人以外誰も居なかった。
ガタン、ゴトン
リズミカルに鳴く鉄のイキモノ、これは移動の為のイキモノなのだと、この時は思っていた。
利用方法は、それだけじゃないことはこの年では理解しがたかっただろう。
「ねぇ、西。」
「ん?」
春樹が歩き回るのを見ていた俺は特に何でもないように答える。
背を向けていた春樹はくるりと振り返って、何処か違和感のある表情を向けてきた。
「どうして、西は話さなかったの?」
その言葉の意味は何処か理解しがたく、そして一番答えやすい物。『何を』なんて、まるで他人のような言葉はかけたくない。
「春樹が…好きだから。」
「どういう、意味で…?」
夏だと言うのに、早くに日が沈んだ。その為電車の外は藍色の闇。まるで、あの色彩のような。
「俺が春樹を好きだと言ういみもあるし、それに、春樹が春樹のかあさんの事を好きっていういみもある。だってさ、あの事話したら。ぜっっったい! 春樹、かあさんに会えなくなるじゃん。」
藍色の空に何時の間にか見えていた三日月にそっくりな、そんな笑みを浮べていた春樹が驚いたような顔をして俺を見ている。だけど、俺はそれだけじゃないと言いたかった。
「おれ、あんな綺麗な人始めてみた。俺のかあさんも綺麗だけどあの人はもっと綺麗だった。あの人は別に変じゃない! 変わった日焼けみたいなもんだ! 多分、月焼けだ! 真っ青な月に焼かれたんだ。」
春樹は、少し迷った顔をしていたけれど顔を上げて俺を見たときは、確かに春樹らしい笑顔を浮べていた。
「月…焼け…あははっ、じゃあ母さんはお月様の使いかな?」
「多分! 春樹のかあさんは『かぐや姫』だ! …だめだ。これじゃ、春樹が置いてかれちゃう。それじゃあ…」
真面目な顔をしてそんな馬鹿みたいなことを悩んでいる俺に春樹は軽くデコピンをした。
「母さんは、私の母さんだよ。」
そんな当たり前の事をとても嬉しそうに春樹が話したものだから。
「そんなんっ! あったりめーだろ!」
俺は仕返しに拳骨を喰らわせた。
それから二日後に、俺達はようやく家に帰った。帰った時、既に父親は仕事に出かけており祖母に『よぉーく聞かせておいたから』と、悪戯っぽい笑みで報告されたのを覚えていた。