ごろごろんぬ
住処の奥で、きょうだいと取っ組み合いをしていた時だった。
最初に異変へ気づいたのは、左前脚の縞が途中で切れている子だった。私の尻尾へ噛みついていた口を急に離し、顔を入口の方へ向けて動かなくなる。丸い耳が前へ立ち、鼻先がひくひくと動いた。
私もつられて顔を上げる。そこには父でも母でもない、大きな白い虎が洞窟の入口に立っていた。
白い毛に黒い縞。太い前脚。私たちをまとめて一踏みにできそうな身体。見た目だけなら私たちと同じ種族なのだろうが、生まれてこの方、父母以外の大人なんてみたことがない。
しかも人間なら「失礼します」とか「お邪魔します」とか、最低でも入口から声をかける場面なのに、その虎は何も言わず、のそのそと住処の中へ入ってきた。いや、何か低く鳴いていた気はする。でも私には意味が分からないので、無言で不法侵入してきたのと同じだった。
「ぴきゃーーーっ!!」
誰かが叫んだ。たぶん私ではない。私も叫んでいたので、誰が最初だったか分からない。
「ちいいっ!!」
「ぶううううう!!」
「どなたですか!? お父さんお母さん知らない大人がいるよお!!」
四匹そろって洞窟の端まで逃げた。誰が誰の上に乗っているのか分からない。いちばん大きい子が一番下になり、その背中へ私が半分乗り、額の縞が丸い子が私の首へしがみつき、左前脚の縞が切れている子が三匹まとめて抱え込むように前脚を回していた。
小虎団子の完成である。
可愛い見た目をしている場合じゃない。全員でぶるぶる震えながら、絡まりあってわけのわからない形のまま、知らない大人虎を見つめた。相手が一歩進むたび、団子全体がじりじりと壁へ寄る。すでにおしりが岩へ当たっているので、それ以上は下がれない。
知らない虎は足を止めた。
青白い目を丸くし、こちらを見ている。まさかこんなに怖がられるとは思わなかった、という顔に見えた。いや、普通に考えて怖いだろう。知らない大人が家に入ってくるのは、前世でだって怖い。野生動物となった今はもう、命の危険しか感じられない。
もしや、私たちを食べに来たのだろうか。
同じ虎でも子どもを食べる種類だったらどうしよう。白虎社会の常識が分からない。クマとかライオンの雄は雌を乗っ取る時に、前の雄の子どもを殺すと前世のテレビで見た気がする。虎にもそういう習性がある可能性はある。
お父さん、お母さん、早く来て。可愛い私たちが全滅しちゃう。
私が心の中で両親へ助けを求めた、その直後だった。知らない虎の背後から、母の前脚が伸びた。
大きな肉球が相手の首元へ乗り、そのまま床へ押さえつける。知らない虎の身体が、ぐらりと傾いた。抵抗する暇もなく前脚が折れ、腹が岩床へつく。
「ガウルルルルル!!」
母の怒声が洞窟全体を震わせた。
知らない虎は耳をぺたりと伏せた。母の前脚の下で身体を低くし、視線を床へ落としながら、情けない声を漏らす。
「がお……」
なんとなくだけど、「ごめんなさい」と言っている気がする。
母はさらに何かを言った。低い唸り声の中へ短い鳴き声を何度も挟み、時々私たちの方を鼻先で示す。知らない虎はそのたび耳を伏せ直し、尻尾の先を床へつけ、反論ひとつせず叱られている。
どうやら母の知り合いらしい。少なくとも、母が本気で排除しなければならない敵ではないようだ。敵なら首を押さえて説教などせず、そのまま冷凍ビームで洞窟の外まで吹き飛ばしている。母は父に対しても、子どもをちょっと踏んだ時は顔面へ二発撃っていた。この程度で済んでいるなら、かなり親しい相手なのだろう。
母の後ろから父も入ってきた。父は床へ押さえつけられている知らない虎を一度見て、それから端で固まっている私たちへ目を向けた。状況を理解したらしく、すぐこちらへ歩いてくる。
助けに来てくれた。そう思って前脚を伸ばしたところ、父は小虎団子の一番外側にいた子の頭を、べろんと舐めた。
「ぴゃうっ」
舌圧で一匹が団子から剥がれ、横へ転がる。
父は次の子をべろんと舐めた。
「ぴぎっ」
さらに一匹が雪崩れるように崩れた。
一頭ずつ丁寧に舐めて落ち着かせようとしているらしいが、父の毛繕いは相変わらず力が強く、舐められるたびに団子が物理的に解体されていく。最後に残った私も額から首まで舐められ、壁へ背中を擦りながら横へ押し流された。
気づけば四匹とも床へ転がされ、頭の毛が逆立ち、片方の耳だけ濡れた状態になっていた。
怖くて震えていたことを一瞬忘れるくらい、ひどい姿である。
父は満足そうに鼻を鳴らし、私たちの匂いを順番に嗅いだ。怪我がないことを確かめているのだろう。私の腹を鼻先でひっくり返し、後ろ脚まで見たあと、もう一度額を舐めようとしたので前脚で鼻を押し返した。
もういいです。落ち着きました。毛並みは大暴れだけど。
母の説教も、ようやく終わったらしい。知らない虎は身体を起こさず、伏せたままこちらを見ていた。母の許可を待っているのかもしれない。母が短く鼻を鳴らすと、知らない虎はゆっくり顔を上げ、床へ腹をつけたまま少しずつ近づいてきた。
私たちは父の前脚の間へ集まり直した。さっきほどではないが、まだ警戒はしている。知らない大人が急に近づいてきた事実は変わらない。
目の前まで来ると、知らない虎はまずいちばん大きいきょうだいの頭を舐めた。
一舐めだけだった。毛の向きに沿って、額から首の付け根まで。父のように押し流さず、濡らしすぎず、逆立った毛だけをきれいに寝かせる。
次に、額の縞が丸い子。左前脚の縞が切れている子。それから私。
べろり。
ちょうどいい力で舌が通り、父によってぐしゃぐしゃにされた額の毛が、すっと元の向きへ戻った。耳の横へ飛び出していた毛まで、きれいに収まる。
この舌圧。
この迷いのなさ。
これは母と同じ……!
私は舐め終えた知らない虎を見上げた。よく見ると、顔つきもどことなく母に似ていた。目元の形や、鼻筋の辺りが近い。父より少し細い顔をしていて、耳の後ろから頬へ流れる縞の入り方も母と似ている。
母ほど大きくはない。父よりも少し小さく、身体つきにも若さがある。毛はつやつやしているが、母のような重みや貫禄はまだない。尻尾の先端近くにある最後の縞だけが、ほかより幅広く、先が黒く染まって見えた。
親族。もしかして、母の親族なのでは。
父や母と同じ種類なのだから、親族でなくても似ている可能性はある。でも、母に首を押さえつけられて叱られ、反撃せずに「がお……」となっていた姿は、どう見ても年上の家族へ怒られている若者だった。
叔父虎。たぶん叔父虎だ。
母より若そうなので、弟だろう。兄だったら母に押さえつけられても、もう少し年長者らしい反応をするかもしれない。いや、母の性格を考えると、兄でも同じように押さえつけられる気はするけど。
叔父とは限らず、母の年下のいとこや、ものすごく年齢の離れた私たちの兄である可能性もある。
私たちは口から冷凍ビームを出すタイプの虎なのだから、前世の感覚で年齢を推測してはいけないのかもしれない。
でも、細かいことは分からない。これからは叔父虎(仮称)と呼ぶことにする。私が頭の中で勝手に名づけている間に、きょうだいたちの警戒はすっかり消えていた。そっちは言葉が通じるからいいなあ! 自己紹介おわったの? 私なんにもわからない。
額の縞が丸い子が、叔父虎の前脚へ鼻を押しつける。叔父虎が匂いを嗅ぎ返すと、それを許可だと解釈したらしく、前脚へ抱きついた。
左前脚の縞が切れている子は、叔父虎の尻尾を見つけた。黒い先端がゆっくり揺れるたび、身体を低くして狙いをつけている。
いちばん大きい子は、すでに叔父虎の肩へ前脚をかけようとしていた。
切り替えが早い。ついさっきまで、小虎団子になって全力命乞いだったのに、親族らしいと分かった瞬間、遊び道具へ認定している。
叔父虎はまったく怒らなかった。額の縞が丸い子が前脚の毛へ噛みついても、身体を動かさない。尻尾へ飛びつかれても、ゆっくり持ち上げるだけ。肩へ登ろうとするいちばん大きい子が爪を引っかけても、耳を少し後ろへ向けただけだった。
穏やかな性格なのだろうか。……いや、しばらく眺めているうちに、違う気がしてきた。
たぶん、叔父虎は、子どもの扱い方が分からないだけだ。怒ってはいないけれど、遊び方も分かっていない。父なら、きょうだいが噛みつけば前脚でまとめて押さえ込み、全員が腹を見せて降参するまで鼻先で転がす。母なら、子の首根っこをくわえ、住処の端へ連行して壁を向かせる。反省するまで戻ってきては行けないという鉄の掟の発動だ。
でも叔父虎は、されるがままに耐えている。噛まれても、乗られても、尻尾を引っ張られても、どうしたらいいのか分からない顔で母と父を交互に見ている。母は何も言わない。父は少し離れた場所へ伏せ、面白そうに眺めている。
人間で言うところの、田舎のばあちゃんの家にいる若いおじさんだ。普段は子どもと接する機会がなく、親戚の幼児に突然群がられ、嫌ではないけれど遊び方が分からないので、とりあえず身体を固めて耐えている。たまに親へ助けを求める視線を送るが、親たちは「ほら、遊んであげなさい」と笑っているだけで助けてくれない。
可哀想になってきた。
額の縞が丸い子が、叔父虎の頬の毛へ噛みついた。左前脚の縞が切れている子は尻尾へぶら下がり、いちばん大きい子は背中へ登るため、後ろ脚で脇腹を蹴っている。
さすがにやりすぎである。大人でも普通に痛いだろう。これだから赤ちゃんたちは加減を知らない!
私は叔父虎の前脚へ近づき、最初に額の縞が丸い子の足へ噛みついた。
「ギャオ!!」
噛まれた子が私を見る。この“ギャオ”には、“ギャオ”という意味しかない。
しかし、声の勢いと足への甘噛みで、何かを訴えていることは伝わったらしい。額の縞が丸い子は叔父虎の頬から口を離した。
次に尻尾へぶら下がっている子の後ろ脚を噛む。
「ギャオ!!」
左前脚の縞が切れている子も、名残惜しそうに尻尾を離した。
最後に、叔父虎の背中へ登ろうとしているいちばん大きい子の尻へ噛みつく。
「ギャオーーッ!!」
相手も負けずに「ぎゃうっ」と言い返してきたので、二匹でしばらく噛み合いになった。母が低く唸ったため、喧嘩になる前に離れる。
きょうだいたちは少し不満そうだったが、叔父虎の周りを走るだけになった。噛みついてもすぐ離れ、無理に身体へ登ろうとはしない。
これでよし。私は良いことをした。親戚の若いおじさんを、子どもたちの暴力から守ったのである。
ところが叔父虎から見ると、そうではなかったらしい。きょうだいたちを順番に追い払ったあと、その場へ残った私の身体を前脚の間へ引き寄せた。太い前脚が左右から置かれ、私は叔父虎の腹の前へすっぽり収まる。
叔父虎は私の頭を舐めた。一度では終わらない。額から耳の間、首の後ろ、肩、背中。母と同じ丁寧な舌使いで、毛の向きに沿って何度も舐められる。父の毛繕いのように全身を引っ張られることもなく、丁寧なぺろりだ。
私は前脚を畳み、叔父虎の腹へ身体を寄せた。大人の白虎なので、当然もふもふしている。母より少し硬く、父より毛並みが整っている。狩りから帰った直後の父のような血の匂いはなく、雪と木と、知らない山の匂いがした。
おお、喉が勝手に鳴る。ごろごろごろんぬ。
叔父虎も低く喉を鳴らし、私の耳の後ろを丁寧に舐める。うっとり……としていた時、視線に気がついた。少し離れたところで、きょうだいたちがこちらを見ている。
額の縞が丸い子が、不満そうに一声鳴く。左前脚の縞が切れている子は、私の場所を奪おうか迷っているのか、叔父虎の前脚の周りをうろうろしている。いちばん大きい子は、さっき尻を噛まれたことをまだ根に持っているらしく、私へ向かって鼻を鳴らした。
結果として、私だけが叔父虎の腹の前を陣取り、特別に毛繕いを受けている。
こんにちは、おじちゃん大好きっ虎です。全てのきょうだいを下し、叔父虎に可愛がられております。
いや、違う。私は叔父虎を助けただけで、報酬を求めてきょうだいを追い払ったわけではない。善意の成敗だったんです。そうしたら、たまたま叔父虎が私を抱え込み、たまたま毛繕いをしてくれて、独り占めの図が完成しただけで……。
虎言葉はわからないけど、きょうだいたちが私に「ずるいぞ」と言ってるのはヒシヒシと伝わる。まあ……勝ったのは私だから……。勝者の権限なので……。
大人たちは、私の頭上で何やら話し始めた。母が低く鳴き、叔父虎が短く返す。父も時々鼻を鳴らす。声の高さや耳の動きを見る限り、喧嘩ではない。近況報告か、子どもを驚かせるなという追加説教か、今日の夕飯について相談しているのかもしれない。
なーんにも分からない。
叔父虎が母の親族らしいことと、私たちへ会いに来たらしいことしか分からない。うちの家族以外にも、親族っていたんだ。
考えてみれば、父にも母にも両親やきょうだいがいたはずで、父と母が最初から大人の状態で山から生えてきたわけではない。どこかに祖父虎、祖母虎、叔父虎、叔母虎、従兄弟虎がいる可能性がある。
虎って親戚付き合いするんだあ。
前世で知っていた虎は、あまり群れを作らない動物だった。ライオンは雄一頭に雌が複数いる群れを作ると聞いたことがあるけれど、虎は単独で縄張りを持ち、子育ても基本的に母親がするという印象だった。
でも、私たちは普通の虎ではないのかもしれない。父は母と一緒に暮らし、毎日獲物を持ち帰り、子どもの相手をしている。母の弟らしい虎も、わざわざ住処まで遊びに来た。
私たちが生まれたと知って、顔を見に来たのかもしれない。
だとすれば叔父虎は、甥や姪に初めて会うために山を越えてきたのに、入口へ入った瞬間全員に悲鳴を上げられ、姉らしき母に首を押さえつけられ、子どもたちには毛を噛まれ、尻尾へぶら下がられたことになる。私は同情を込めて叔父虎の腹へ頬を擦りつけた。
叔父虎は嬉しそうに目を細め、私の頭をもう一度舐めた。
少し向こうで母がその様子を見ていた。止める気はないらしい。父は前脚へ顎を乗せ、のんびり尻尾を揺らしている。きょうだいたちは叔父虎の周囲で遊び始め、今度は噛みつかず、転がる尻尾の先を追いかけていた。
知らない大人が入ってきた時には、この世の終わりだと思った。でも、知らない匂いも、何度か嗅げば知っている匂いになる。怖かった大きな身体も、腹へ入ってみれば温かい寝床になる。
叔父虎がいつまでいるのかは分からない。今日だけ遊びに来たのか、何日か泊まるのか、夕飯まで食べていくのかも分からない。
言葉が通じないので、何も聞けない。とりあえず今は、毛繕いが終わるまでここにいよう。私は叔父虎の前脚へ顎を乗せ、もう一度喉を鳴らした。う~ん、ハピネス……。
【虎側の朗報】
親戚のおじさん(たぶん)が遊びに来たよ!
【人側の悲報】
遊びのつもりで人間に致命的一撃をいれる年頃の白虎が知らないうちに増えたよ!




